積み木崩し
車内で何気ない会話を続ける小林と上野。
吉原教とも言える正文の姿は果たしてこのままなのだろうか。
そして、木村から託された大学ノートの内容とは…
小林は上野を学校へ送った後、肇を父方の祖父母宅へと送って行った。
息子の家であった出来事を既に聞かされていたようで、腰が曲がった白髪の祖父と、やや小太りで化粧気のない祖母は小林に仕切りに頭を下げていた。
後で野崎の家へ謝罪へ向かうとも言っていた。
祖父母は息子圭一の宗教活動そのものを否定する気はないが、美代が亡くなった直後からあまりにも目に余る行動が多く注意していたそうだ。家の外へ出て大声でお経のようなものを唱え、通報により駆けつけた警官を折伏しようとして事情聴取を受けたとも言っていた。
やはり圭一の様子がしばらく落ち着くまで、ここから学校へ通わせたいとの事だった(通学圏内である)
校長、教頭へ報告したが学校側としては何ら問題は無いとの事だった。
小林がアパートに着い頃には深夜近くになっていた。急いでシャワーを浴びる。
目を閉じると何故か圭一よりも山口の映像ばかりが脳裏に浮かんだ。
あの人は本当に人間としての心を何処かに置いて来たのかもしれない。
あんなクソみたいな宗教の、クソ以下の会長を本気で慕っているんだ。
だから迷いが無い。
そう考えると村元圭一には何か迷いというか、純粋に維新を信じているだけでは無い気がする。
気がするだけか…どうか…
小林は疲れ切った脳を麻痺させる為、シャワーを終えるとトランクス姿のまま冷蔵庫から冷えたビールを二本取り出し、ソファに腰掛けた。
プルトックを引き抜くと一気に火照った身体にビールを流し込む。
小林は「カァーッ!」と無意識に声を出し、僅かばかり微笑む。
そして上野と肇を送って行く車内での会話を小林はゆっくりと反芻した。
「上野先生、本当は凄いお方なんですね…ビックリしましたよ。あんな怒鳴って。学校の花壇にニコニコしながら水やって、休みはたまに釣りに行くだけの気の良いおじさんかと思ってました。」
「小林さん、そりゃあんまりだよ!俺にだって文化的な生活送る一面あるんだからね。」
「あはは、すいません…でも先生、児童から上野っち上野っちって慕われてますからね。」
「なーに、先生だってコバ、コバって慕われてるじゃないかよ。」
「あ、俺のは舐められてるだけですから。分かってるんで大丈夫です。」
「はは!そうか、そうかい。でも相手にされてるうちが華だよー、なんてな。肇君は…寝てるか…疲れたんだな。かわいそうにな…全く…」
「そうですね…親のエゴでこんな風になってしまって…。」
「肇君、寝てるよな?」
「え?あぁ、寝てますよね。」
「なぁ、小林先生よ。」
「はい」
「あんた最近セックスしてないだろ?」
「ええ!?」
思いもよらぬ質問に慌ててしまい運転が乱れる。すぐにハンドルを切り直す。
「ちょ、上野先生頼みますよ。事故る所でした。」
「で、どうなの?」
やたらと嬉しそうな顔を浮かべている。上野先生って本来こんな人だよな、と小林は思う。
「どうも何も…あー、三年くらいしてないですね。」
「三年!?若いのに!?あちゃー!ダメだこりゃ!次いってみよー!あはははは!」
「次って何ですか!男は嫌ですよ。」
「いやー、失礼。モテない訳じゃないんだろう?」
「うーん、まずそういう展開になりそうな場に行かないし、求めてもないですからねぇ。今が精一杯です。」
「鬱病なんじゃないの?大丈夫?」
「んんん…考え過ぎな所もある…かなぁ…」
「まぁたまにはする事した方が良いよ。不健全だ!ははは!」
「留意します、どうも。」
「今日急に吠えたろ?」
「あ、まぁ、はい…お恥ずかしい…」
「あと車の運転もそうだな。まぁ可愛げのある内だけど。」
「それは本当…気をつけます…」
「人間て気付かない所でフラストレーションを抱えるとね、嫌でも積み重なっちまうもんなんだよ。そして見当外れな所でそれを吐き出そうとする。基本だわな。」
「それがセックスであり、この運転であり…」
「先生のはまだ可愛いよ。あの父親、多分本当の本当の所で吉原の事は信じ切ってないんじゃないかな。うん。何となくだけどね…」
「余りにも余裕無かったですよね。自分を否定したいようにも見えましたよ。」
「そこなんだよなぁ。宗教は生活の中にあり、だ。生活そのものが宗教になっちまう事で奥さんの事を忘れようとしているのかもな。頭埋めたくて仕方ないのかもしれない。」
「あれ以上おかしくならなきゃ良いですけどね…。でも、何故先生は…そうだ、吉原の事をクソ以下って言ってましたよね?正文って、分裂してるんですか?」
「いや、ほぼほぼ吉原派だよ。俺は親父のよしみで今の立場にいるし、吉原の考えには大反対だ。親父の意志でもある。うちは前の真崎さんにだいぶ世話んなったからね。まだ正文が小さな団体だった頃からの付き合いだ。」
「そんな昔からだったんですか。」
「あぁ。うちの親父がどうしようもない呑んだくれでね。昔呑んではあちこちで警察の世話んなって、その度に真崎さんが心配してうちまで来てくれてね。頭ごなしに説教したりなんかしないんだよ。それにすごく面倒見が良いお方でね。親父も真崎さんに色々教えてもらっているうちに酒を控えるようになったんだ。真崎さんがさ、村元!楽しく飲めるならしっかり迎えに行ってやる。お店にな!ってよ。ある時な、親父が本当に店から電話して真崎さんに迎えに来させたんだよ。そしたら真崎さんが「警察じゃない!良くやった!」って褒めててな。まぁしょうもない話だけどさ…。」
「へぇー…そんな人なら慕われて当然だし色々お話し聞いてみたいですね。人生が深そうだ…」
「そうなんだよ。戦争でも色々体験した人でね。人の痛みは消えない事を分かってて、それに立ち向かえるような人だった。間違っても維新が完遂すれば魂が救われる!それ以外は地獄行き!とか詐欺師みたいな事は一切言わなかったね。」
「あれは一体何なんですか?維新維新て…教義にはないんですよね?」
「無いよ。一応は日現の教えをってのが教義だからね。まぁ破門されてるから独立巨大愚連隊と化してるけどな。今は吉原が作った吉原の思想を絶賛売り出し中の吉原教だわな。」
「吉原が死ぬまで続くんですかね…こんな事が…真崎さんは…まだご存命なんですよね…?」
「うん…まだ生きてるよ。」
「真崎さんの派閥の方々が声を上げたりはしないんですか?」
「残ってるのは極々僅かだけど、アクション起こせば賛同する奴は沢山出るだろうな。」
「起こせないんですね…。」
「うん。今はね。」
「今?」
「あぁ。今は、ダメだ。ここだけの話だけどさ、聞くか?」
「何かあるんですか?」
「あるけど、いや、辞めておこう。そのうち、分かる。」
「分かり…ました。信じてます。」
「あぁ、信じていてくれよ。必ず。」
今は。
小林にはそこから先のストーリーが全く浮かばなかった。
ただ、信じるしかない。
果たしてそんな一縷の望みに希望を託せる人が何人いるのだろうか。
きっと少ないだろうな、という事は分かった。
テレビを点けてから二缶目を開けるとブリーフケースから木村から預かった大学ノートを取り出した。
パラパラと捲る。
すると、小林の手が思わず止まる。
それは村元美代が亡くなる当日までの出来事を記した彼女の日記だったのだ。




