ハッタリ教祖様
小林が羽山から聞かされた正文の教義はあまりにもデタラメだらけであった。
村元の様子を伺いに泰彦達は村元家を訪問する。
しかし…
小林は羽山に誘われマンションのすぐ近くの個人経営のうどん店で昼食を済ませた。
山菜天ぷらうどんを注文し、羽山と学校の仕事などについて他愛もない世間話を始めた。
やがて運ばれて来た山菜天ぷらうどんは鰹節の出汁が上品に香り、うどんはコシが強く滑らかで、天ぷらも食材が「絹を一枚羽織った」という程の揚げ具合で歯触りが良く、何を取っても文句の付けようが無かった。
久々に美味いものを食べた、小林は満足気にそう思いながら鼻腔に残る出汁の余韻を楽しみつつ、マンションへ戻った。
灰皿を出されたので小林は煙草に火を点け、出汁の余韻を一気に消し飛ばす。
ゆっくりと、そのファイルを開く。
最初の記事が目に飛び込んで来た。
1965年5月9日 東京都足立区教会襲撃事件-負傷者8名(うち重傷者2名)
正文学会(本部・足立区)会員らが集会中のキリスト教会(バファナ聖会)を取り囲み「キリスト教は悪魔の宗教。折伏の為に来た。すぐに教会を開放せよ。」などと迫り、教会側が応対した所、会員らが集会中の信者らを襲撃。
負傷者八名、逮捕者五名を出す騒ぎとなった。
正文学会吉原広報部長はこれに対し
「一部行き過ぎた信者(会員)がいるようだが、個々が地道な努力と信仰を忘れぬよう、徹底的に指導したい。」とした。
「小林さん。この時ね、私捕まったんだよ。恥ずかしい話だけどね。あとは今の正文理事の伊勢ってやつもね。これを裏で糸引いてたのは吉原だね。先頭突っ走ってった景山って奴がね、広宣の為だとか何だとか吉原に焚き付けられたらしくてね。全く馬鹿げた話だったよ。」
羽山は煙草を吸いながら弱々しく笑った。
「広宣、というのは児童が確か言ってましたね。世間で言うとこの、布教活動って事ですか?」
「簡単に言えばそう。ただ、仏教ではこれにより功徳があると言われている。聞かす、話すだけでも功徳があるとされている。だからやや、強引にもなりやすい。今でも脅迫まがいの事をする連中はいっぱいいるし、当然逮捕者も出ている。勧誘関係の相談が一番多い。まぁ、正文は自分達に都合の悪い情報なんか一切会員には与えないけどね。」
「上層部は隠蔽体質なんですか?」
「昔はそんなことは無かった。やり過ぎたら当然だが上から怒られた。けど、皆正文の教えを知ってもらう事に必死だったんだな。今はどうだろうかね…。私には金儲け主義の連中に成り下がったようにしか見えんけどね。信者は金取りマシン。豪華な施設ばっか作ってな、あれじゃ金策教だわな…。」
「宗教は儲かるって言いますもんね…」
「吉原がな、金に目が眩んだんだ。その結果が今の正文という化け物を生み出した。半ば強制的な布施の取り立てのせいで一家離散したり、自殺したりする者が後を絶たない。布施、清財って言うんだが、これを払わなければ地獄に堕ちる。というのが彼等の言い分だな。」
「では、そうなる前に助けるのが救世の舟の役目なんですか?」
「役目というか、使命というか。かつて正文に身を置いていた私の責任のようなものかな。今の正文のやっている事は仏教とは何ら関係ない。ましてや人間如きが神格化され、アイドルのように会場でキャーキャー言われるなんて以ての外だよ。」
「吉原大源という人は、そんな凄い人なんですか?」
「はっきり言えば天才だね。ペテンのね…。正文を何もかも変えてしまった。教義そのものも、改変しまくって今じゃ原型を留めていないだろう。現世利益の追求は確かに大切だが、余りにも縁や因果を蔑ろにし過ぎている。」
「皆、何でそんな簡単に騙されるんですかね…?」
「困ってる人間をとことん調べあげてターゲットにするんだ。「縋る藁の藁になれ。」これは吉原の言葉だよ。徹底的に深く、生活に足を突っ込んで行く。生活を豊かにする為の宗教がいつしか、宗教の為に生活を投げ出すようになる。喜びを与え、成功体験を語らせる事で自信を付けさせ、仲間を集めさせる。」
「なんというか…本当に詐欺師みたいだ…」
「みたいじゃない。詐欺師だよ。小林さんは、今の正文の教えを知ってるか?」
「いいえ…全く…」
「これはあくまでも、今の正文の教えだ。いいかい?正文ではね、宇宙の全てが一つである。物質も過去未来の時間も空間も人も感情も、そして起こる現象も全てがね。ここまでは仏教的だ。」
「はい。何か聞いたことありますね。」
「般若心経の訳なんか一度でも目を通せばそう言ったような事が書かれているな。これを一切の無とするのが定説だったが、吉原はここに手を入れた。自我というアートマン、そして宇宙を支配するブラフマン。吉原は釈迦を越えた存在であり、人間として唯一ブラブマンにアクセス出来る人間とされた。」
「アクセス?ですか…ちょっと意味が分からないですね…」
「うん。荒唐無稽な話だわな。宇宙はビックバンを繰り返す。一つの点から始まり、そしてまた一つの点へと還る。それは何の為かは分からない。吉原はここを突いた。」
「はぁ…」
「宇宙で起こる様々な事象、つまり森羅万象はブラブマンから起こったものであるという考え方が仏教にはある。吉原は宇宙の起点としての点をブラフマンとした。森羅万象の中で人は生き、死ぬ。それを何回も繰り返す。何の為か?それは宇宙意識のレベルを上げる為だ、と吉原は言う。」
「宇宙意識のレベルを…上げてどうするんですか?」
「それが上がる事により、現世の幸せが増える、という事らしい。今の行動が当然、未来に繋がると。それが例え1京年先だろうが、相互に影響し合うという事だ。」
「何だかニセ科学のようにも聞こえますね…」
「そこがミソなんだろうよ。で、そのハッピーレースから零れた者は漏れ無く地獄界に堕ちると教えている。しかし、釈迦に力を託された吉原に帰依する事で、魂が行く行くは吉原の一部となり救われる、と。そう教えている。吉原はブラフマン、つまり宇宙心理にアクセス出来る宇宙の万物の代表者という事になっている。まぁ、仏教なのに霊魂がなんたらっていう事自体がおかしな話ではある。」
「なんだかメチャクチャですね….しかし、地獄に堕ちそうもない人はどうするんですか?吉原に帰依する必要がない。」
「これがだな、そもそも人間に生まれた時点でカルマによる罪を背負わされているのだと吉原は言っているんだ。」
「今度はユダヤ、キリストですか。呆れたな、何なんだ吉原は…」
「そこで吉原が提唱したのが「人間維新」だ。現世での功徳を積む事により、人間そのものの価値が上がり、人間はいつの日かカルマを背負って生まれて来なくても済む、という事だ。この人間維新を完遂する事で人は本来秘められた能力を発揮出来るようになると教えている。つまり、超能力者だとかだ。吉原自身は過去、未来のみならず、天界、地獄界、霊界、黄泉界とそれぞれ自由に行き来する能力があるとの事だよ。」
「信者?会員ですか。彼等にとっては吉原は人じゃない訳ですね。」
「半人半神の扱いだな。で、維新が進んでいるかどうかというのが今の正文内では大きな意味合いを持っている。つまり、ポジションだ。」
「ですが、その判断基準は?」
「今では正文大学出身というのが幹部になる一番の近道だな。他は如何に会員を多く集めるか、そして、如何に惜しみなく清財出来るか。この二点が重要視されている。当然だがノルマもある。」
「なるほど…。こうやってお話を伺うとなんてアホらしい教団なんだ、と思いますけど、勧誘を受けて心揺らぐ人にはとても魅力的に映るんでしょうね。」
「そうなんだ。成功体験を聞いたりする機会も多いからな。吉原は本当に人のうまいとこうまいとこを見つけて、そこを突く才能に長けているよ。」
「とんでもない詐欺師がいたもんだ、と驚いてます…」
「小林さん。その児童、早めに学校に来させる事だね。彼等はコミュニティを作るのが上手い。そこへ嵌められたらもうお終いだ。」
正文のコミュニティ…。果たして学校が彼にとっての救いになるのだろうか。小林は再び、悩み始めた。
天命回帰式が始まると、場内はしん、と静まり返った。
埼玉西ブロックの幹部三人が棺の前へ立つ。
すると一人が、棺の蓋を開けた。
これには流石に肇も、肇の父も驚愕を隠せない様子であった。
しかし、遺族を無視して式は進行して行く。
開け放した棺の中には当然、亡くなった村元美代が横たわっていた。
棺を開けた者と別の幹部が今度は小瓶を取り出すと、中の透明な液体を勢い良く遺体全体に掛けてゆく。
「ゴメイスイだ…」
場内の誰かが小さな声で呟いた。
ゴメイスイ…?肇も父も、あの水のような液体の正体が分からずにいた。
すると液体を掛けた幹部が村元親子へ向き直る。
「御遺族の皆様。只今御遺体に掛けたのはゴメイスイと言いまして、漢数字の五、命の水で「五命水」と書きます。仏教における五蘊の基礎である、色・受・想・行・識を魂から切り離す為の水であり、大源先生のお力が入った大変貴重な水でございます。これにより、天命の回帰を促進し、命の巡りに支障をきたすことがなくなります。では、次の儀式に移りたいと思います。」
大源先生のお力が…村元親子は驚嘆し、ひたすら頭を下げた。
意志が弱く自殺で死んだ美代の為に、大源先生はその魂が迷わぬよう、地獄などへ行かぬよう深い慈悲を下さった…
村元親子は涙を堪えながら、頭を下げ続けた。
大源先生の一部となった日には、また家族で喜び合おう…その時まで、さようなら…。
三人目の幹部が金色の棒を取り出すとそれを美代の額へ当て、呪文を唱え始めた。
三度、棒を額から天井へ振り上げた。
「今、故・村元美代会員の身体からは完全に霊魂が抜けました。巡命の為、天命への回帰へと旅立ちました。無事、大源先生へと一つになれる事、お祝い申し上げます。おめでとうございます!」
すると会場内は「万歳!」という声で溢れかえった。
村元親子も万歳!と絶叫していた。
こうして天命回帰式は幕を閉じた。
悲しみで満ちていたはずの父と子の胸中は、何故か高揚で満たされていた。
正文は葬儀後の空白期間を狙って、更に村元家に漬け込んで来るだろうと羽山は推測した。彼らに漬け込まれる前に早めに手を打った方が良いと。
何か良い方法が思い浮かばない場合や、万が一何かあった場合にはすぐに連絡をくれ、と羽山は小林へ伝えた。
力強い味方を得た小林は翌日、昼休みに佐伯泰彦を呼び出した。
「佐伯。これはクラス委員としてお願いしたい。学校帰りに村元の様子を見に行ってやってくれないか?お母さん亡くして落ち込んでると思うし、友達が救いになる事もあると思うんだ。」
「えー、先生、なら友達としてで良いじゃん。そういうのさ、水臭いって言うんでしょ?」
「あ、ああ…なんだ。お前、大人だな。」
「まぁね。ねぇ、誰か連れて行ってもいいかな?」
「うん。任せるよ。村元さ、思い切り励ましてやってくれよ。」
「わかった!じゃあ今日早速行って来る。」
「ありがとう。時間合わないと思うけど、俺も後で行くからさ。よろしくな。」
泰彦は野崎と小池、そして長谷川という村元と特に仲が良かった口の悪い太ったクラスメイトを連れて行った。
「なぁ、やっちゃん。ムーラー生きてるかなぁ?」
「生きてるよ。死んでたら連絡来るっしょ。縁起でもない事言うなよ。」
「本当よ。だから小池くんモテないんだよ。話せばいっつも野球の話しばっかだって誰かさんが言ってたよ」
「誰かさんて、誰だよ!うっせーなぁ」
「あ〜あ、鈍感て、嫌だ嫌だ。ねぇ、佐伯くん。」
「え?池ちゃん鈍感かなぁ?」
「あ、ごめ〜ん。佐伯くんも鈍感だった。似た者同士〜」
「やっちゃん!なんでこんな女連れて来たんだよぉ!」
「それよりまだぁ?腹減ったよぉ…村ちゃんのお母さん、何か作ってくれるかなぁ…」
「長谷川、死んだよ…」
「あ、そうだったんだ…」
泰彦が突っ込むと一同は無言になってしまった。
肇の家が見えて来た。車があるということは、どうやら父親も居るようだ。
家が近付くにつれ一同が皆、その表情で心のどこかに緊張を覚えているのが伝わってくる。
するとインターホンまで数メートル、という所で突然玄関のドアが開かれる。
中からは泰彦らと同じ年程の少年達が飛び出して来た。
思わず立ち止まった泰彦達と目が合う。
誰一人として見覚えは無かった。
黄色い帽子を逆さまに被った少年が泰彦達に声を掛けた。
「肇くんなら中に居るよ。君達はどこ地区?A?B?」
正文学会だ。泰彦はピンと来た。
夏休み前のどんよりとした蒸し暑い空気が一瞬、渇いた




