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カーテン  作者: 大枝健志
村元 肇編
33/66

葛藤

村元 肇、担任の小林、道場統括の瀬川。

村元 美代が自殺した事により彼等はある葛藤を抱える。

正文とは。死とは。そして、心とは。

 日曜。小林はいつもより遅めの朝食を摂りながらテレビを点けた。

 朝のニュース番組ではこの一週間騒ぎっぱなしだった大物女性タレント二人のトラブル報道のまとめが放送されていた。


 CMに入り、正文学会が発行している祈信新聞のCMが流れる。小林は心が一瞬鈍くなるような感覚を覚えた。

 番組が終わって午前十時に差し掛かる頃、小林は受話器を上げ、ビラに書かれていた「救世の舟」の番号をプッシュした。


 肇はこの日、母の告別式を迎えた。

 正文学会ではこれは告別式ではなく、天命回帰式と呼んでいる。

 朝からS市正文会館内では多くの信者達が集まり、天命回帰式の準備に追われていた。

 行き交う人が皆、肇と父親に「おめでとうございます」と声を掛ける。

 父はその度「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。」と三度礼を言う。


 婦人部で美代と共に活動に励んでいた西ブロック新部長の楠木がその目に涙を浮かべつつ、肇の元へ駆け寄ってきた。そしてそっと、静かに抱き締めた。肇は思わず、人心地ついた気分になった。


「肇ちゃん…。美代さんは本当に…本当に素晴らしい人だった…。肇ちゃん、共有よ。共有を忘れないでね…。辛くて悲しい今も、この瞬間に幸せを受けてる人がいても、その感情は皆のものなの。だからきっとこれから誰かの幸せが必ず…絶対に肇ちゃんの所にやってくる。私が約束する。共有があれば人は進むべき方向に生きていけるから…。」

「はい…。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます…。」


 楠木はそのまま静かにしばらくの間、肇を抱き締めていた。

 もう母に甘える事が出来ない。もう会う事も、声を聞く事も出来ない。肇はそう想った瞬間、堰を切ったように泣き出した。


 その時、見慣れた人影がぼんやりとした視界の向こうからやって来るのが見えた。

 道場統括の瀬川だった。

 肇は思わず身を硬くする。


「美代さんのご主人ですね。この度は…おめでとうございます。」

「あ、はい…本当にありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。」

「もう少し、私の指導が行き届いていたら…結果は違っていたのかもしれません…。肇くん、この度は…泣いていたのか?」


 楠木がそっと肇から離れる。


「肇くん…今は仕方ない。大丈夫だ。維新が進めば共有もきっと早い。今日の分、必ず強くなれる。そして幸せがやって来る。大丈夫だ…な。」

「はい…!」

「うん…。強く、強くな。」


 瀬川は村元美代の訃報を聞くと居ても立っても居られないような思いに襲われた。

 ここで一ヶ月、修行した結果がこれなのか。自殺する勇気を持たせる為に修行させていた訳ではないはずだ。

 麻痺していた心の奥底が、再び動き出すのを感じた。

 天命回帰式へ参列する為、道場を離れる旨を大塚に伝えた。


「亡くなったのはこの前参加していた村元美代です。自殺だったそうで。」

「あぁ…村元ねぇ、あ、あの親子か。村元は自殺かい。」

「はい。首を吊ったとの事で。」

「はぁん。修行して首吊るんじゃあ世話ねぇや。この前まで生きてたのになぁ!この前まで!ひゃっひゃっひゃっ!」

「あ…はぁ…」

「デッケー声ではいはい言ってた癖によぉ!テメーで死にやがったか!これだから半端もんはよぉ!ひゃっひゃっひゃっ!」

「あの…」

「だから言ったじゃねぇかい、統括さんよぉ!ここに来んのはクズ人間ばっかなんだわ!死にたい死にたいの死にたい欲に負けた訳だよ!な!?修行してまで、まーったく!欲深いったらありゃしねぇや!地獄行きだわなぁ!」

「そ…そうなんですかね…えぇ…」

「ですかねじゃねぇんだよ!統括さんよ!もっと徹底的にあのクズども躾なきゃダメだわな。なぁ?」

「はい…」

「自信なさげじゃねーか!大体よ、修行したせいで妻は死んだ、死んだ責任取れなんて遺族に言われてみろい。困んのはあんたなんだぜ。なぁ?」

「はい…」

「もっと自己をブチのめすんだよ。徹底的に殺すんだ。そういったもんにしなきゃあな。」

「はい…。あの、そんな訳で統括代理お願いします。」

「まぁいいよ。たまには外でゆっくりして来りゃいいや。寿司でも食ってよ、抜くだけ抜いてよ、な。」

「ええ。そうしますかね…はい…」

「心配すんな。よーく考えておくよ。よーく…なぁ。」


 そう言うと大塚は瀬川の背を軽く叩き、統括長の席へドカッと腰を下ろし微笑んだ。


「行ってらっしゃい…」


 瀬川は責任を感じていた。維新の為の修行とは言え、しっかりとしたプログラムの元で行えば揺らぐことのない自信を身に付けさせる事が出来たのではないのかと。

 強制的で閉鎖的なあの空間、そして空気は果たして本当に修行する環境として相応しいのだろうか。

 我々のやっている事、それは実はただの洗脳なのではないのか。

 後ろめたさを抱えたまま天命回帰式に参列する為、瀬川は静岡を離れた。


 コール音が三回鳴ると落ち着きのある男性の声が小林の耳に届いた。


「はい。こちら救世の舟です。」

「あ、あの。初めまして。私埼玉で教諭をしている者なのですが、児童の事でご相談がありまして…」

「児童…小学校の先生ですか。相談というのは?」

「はい、あの。正文学会の事で…その子の親がその、自殺してしまいまして」

「自殺…。あの、先生。お名前伺えますか?あと、今日こちらへ来れませんか?」

「あ、申し訳ありません!私、小林と申します。このあとなら時間空いてますから、伺います。」


 正午前。小林は練馬区にある小さなマンションの一室の前へ立っていた。案内された住所はここで間違いはないが、想像していたのはもっと豪華絢爛な宗教めいた建物だったので内心拍子抜けしていた。


 インターホンを押すと初老の男性が迎えてくれた。

 白いポロシャツに濃紺のスラックス。背筋はピンとしており、彫りの深い細長い顔にやや神経質そうな印象を受けた。


「どうも。私、ここの代表の羽山と申します。よろしく。」


 中へ入ると2LDKのいたって普通のマンションの一室だった。

 案内されたリビングには小さなソファが向かい合って二脚。真ん中に茶色いローテーブル。本棚には宗教関連や法律関係の本がギッシリと並んでいた。


 どうぞ、と促され小林は腰を下ろす。簡単に名刺交換を済ませる。


 救世の舟・代表 羽山 文昭

 とある。

 羽山はすぐに話を切り出した。


「早速だけど、児童さんの親御さん、そのお母さんは正文学会の会員だったんですか?」

「はい。亡くなる前にひと月、修行へ出るという事で児童も連れて富士山の方へ合宿へ出ていたみたいです。関係性は不明ですが…。」

「修行…道場か。関係無くはないだろうね。お子さんの様子、変わったでしょう?」

「元々大人しい子だったんですけど、戻って来てからは何かに取り憑かれたみたいに布教?っていうんですか、活動し始めて。さすがに注意したんですが、全然聞かなくて…」

「小林さんね。当たり前ですよ。修行なんか出たら最後。洗脳されて帰ってくるのがオチだ。」

「洗脳…あの、普通の仏教じゃないんですか…?」

「ないねぇ。全然違う。私は元々正文の幹部だったんです。吉原という男が会長になった時に離れた。」

「あぁ、そういえば通夜で大源の入り口とか、何とか言ってましたね。」

「参加したんだね。不気味だったでしょう?大源の入り口だなんて、あの大嘘つきめ。先生は今後その子の家庭がどうにかなってしまうんじゃないか、そういう心配があってここに来たんでしょう?」

「はい。その通りで…」

「うん。どうにかなるね。なってしまうんじゃないかな。」

「それは…一体…」

「生かさず殺さず…ケツの毛まで全部残さずぶっこ抜かれる。これを見るといい。」


 そう言うと羽山は分厚いファイルをテーブルの上へ放り投げた。

 昼間の光が舞い上がった埃に反射する。


「これは?」

「これはね、正文が起こした過去のトラブルやら裁判記録をまとめたものだ。ご覧になるといい。時間、あるんだろ?」

「あ、はい。」

「…じゃあ飯でも行こうか。美味いうどん屋があるんだ。」


 羽山はそう言うと意外な程人懐こそうな笑顔を浮かべた。

 小林は胸の中でどんよりと漂っていた黒い膜が徐々に晴れ渡って行くのを感じた。


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