羽山、再び
肇の母・美代の自殺の真相。
そして、正文に疑問を抱く担任小林。
深夜のパーキングエリア、小林はとあるビラを手にする。
肇の母・美代の葬儀が終わった。
静まり返った村元家には美代の気配だけが未だに残っている。
肇はあの日、リビングでぶら下がっていた母の姿を目撃してしまった。
修行から帰る日、同じ道場内とは言え、グループ分けされた生活だったのでひと月ぶりに親子で顔を合わせる事が出来た。
美代は我が子・肇の甘えを排した人間的な成長ぶりに目を丸くしつつ、感動を覚えていた。
肇もまた、部長になるだけの自覚と自信をつけ、力強くなったように見えた美代の姿を頼もしいと感じていた。
部長試験を再度受験し、面談も受けた。
前回より遥かに事はスムーズに進み、部長昇進式や手続きに関しての説明もその場でされた。
いよいよ西Aブロックの部長として私が輝ける日が来るんだ。
そう、美代は胸を昂ぶらせていた。
現・楠木西Aブロック部長は西ブロック総合部長へ昇進。
西Aブロック新部長は西A婦人部の江川政子に決まった。
村元美代は無残にも、落ちた。
「まだ二十六歳という年齢にして、非常に維新が進んでおり、清財も生活を切り詰めてまでしてくれている。維新を常に追求し、しっかりと努力が見える活動を日々してらっしゃる。今後の活躍に期待しています。おめでとう!」
その日、江川政子は正文会館で拍手に包まれていた。
後に美代の葬儀を行うことになる、正文会館で。
江川政子は東京A地区(中央)出身。親は製薬会社を経営するエリート一家で、正文には一般人では到底考えられないような巨額の清財をして来た経歴がある。
一度に二千万、三千万はザラであった。
その愛娘の政子はその年の二月に西埼玉出身の正文信者の男性と結婚。
春先に住居を実家から西埼玉へ移し、政子は婦人部所属で活動を始めていた。
西ブロック新部長は江川政子。
誰?あの人、いや、あの小娘は、誰?
新部長。私じゃないの?ちょっと待って。昇進の手続きの話、あれは何だったの?
二百万出して修行までして、それでも清財だっていうから、消費者金融から追加融資を受けて百万円も清財したのに。身を削ったのに。生活だって切り詰めたのに。私の車、もう無いわよ。
周りの婦人部の皆にも、言ってしまったわ。あぁ、どうしよ。私が引っ張っていきます、なんて高らかに宣言してしまったじゃないの。前祝いだって言って、皆がうちに集まってくれて、題目だって一緒に上げたのよ。
新部長さん、あら、まだ早いわよなんて。そんな冗談飛ばしたりして。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。あ、高橋さん、四谷さんも、稲元さんまで、嫌だ、私の事馬鹿にしたような目で見てる。
それとも呆れてる?慰め?嫌だ。ちょっと、ちょっと、ちょっと、ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと。
なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。ふざけないで、ふざけないでよ。なんなのよ、え?どうしたらいいのよ、これ、あれ、なんだっけ、買い物あったわね、あれ、えと、あの。えっ、なんで。
テーブルの上に残されていたのは部長昇進式の案内。
そして追加融資分が上乗せされた消費者金融からの請求書。
遺書は無かった。
遺言も無かった。
母から肇に遺されたのは、紫色の顔で伸び切った舌をだらしなく出し、糞を漏らしたままぶら下がる、とても母とは似ても似つかぬ物体の悍ましいシルエットであった。
その強烈な最期の姿のみが、美代から子・肇へ遺された唯一のものであった。
美代の通夜が行われたその日、西ブロック正文幹事長の石川が村元家を訪れた。静かな口調で、石川は肇へ声を掛けた。
「肇君。君の母さんはね、残念ながら維新が人より進んで居なかった。しかし、修行によって元々、マイナスだったものをゼロにまで引き上げたんだ。もちろん、大源先生のお力があってこそだ。最終的にお力を享受出来るほどに君の母さんは成長した。だから副部長…母さんは生涯、人を殺さずに済んだ。修行のおかげで、人を殺すという畜生に堕ちるまでにはならなかった。その代わり、その弱さが自死という結果を招いた。分かるね?」
「はい…。母さんが悪いと思います…。」
「そうだ。君の母さんが悪い。けど、これで大源先生を通してブラフマンへの回帰のひとつとなるんだ。おめでとう!と、母さんに言ってあげよう。」
「母さん…おめでとう…」
「そう。もっと大きな声で…!おめでとう!ほら、お父さんも一緒に。おめでとう!」
「おめでとう…母さん!おめでとう!母さん、母さぁああん!」
「美代、美代!おめでとう!美代ぉぉぉぉおおお!おおおおお!おおおおお!」
「おめでとう!村元副部長!おめでとう!」
居間で号泣する男、そして少年。満面の笑顔の幹事長。
通夜の前の村元家の光景であった。
深夜一時。関越自動車道。セリカは空の向こうまで繋がる闇を照らし、走り続ける。
肇の担任・小林は葬儀で見た異様な光景が心に残り、中々寝付けなかった。
結局寝付けずにハンドルを握り、アテもなく車を北へ北へと走らせた。
明くる日が日曜日という事もあり、無理に寝る必要も無かった。
だいげん、入口、回帰。
だいげん。吉原大源。
正文学校なども経営する正文学会。過去信者による執拗な勧誘にあったこともあり、正直あまり関わりたくない、というのが小林の印象だった。
吉原大源は時折マスコミなどでも見かける。フランクでどこかコミカルな印象もありつつ、巨大宗教団体のトップとして活動する宗教家。
しかし、人の命をどうこう出来るような崇高な人物にはとても見えない。
殺そうと思えばすぐに死ぬような、その辺にいるような太ったジイさんじゃないか。
信者達は一体何を考えているのだろうか。そして吉原大源は何をさせているのだろうか。
村元家はこれから先、どうなってしまうのだろうか。
肇の父のあの態度。
維新て、何だ。維新…
気付いたら車は館林を過ぎていた。
こんがらがりそうな頭を纏める為、小林はパーキングへ寄る。
自動販売機で紙コップの珈琲を買い、思い切り背伸びをする。
濃い緑の匂い、そして蒸した真夜中の空気がまとわりつく。
ひと気はあまり無い。
煙草に火を点け、トイレの前へと歩き出す。
広報誌や観光案内に混じって、白黒印刷のビラのようなものが目についた。
気になって手に取った瞬間、小林は息を呑んだ。
「正文学会・脱会援助団体-救世の舟-
こちら、救世の舟では正文学会により被害に遭われている方、ご家族の方への援助を行なっています。
ご相談も受付けております。
03-××××-××××
日現正宗公認分派団体
救世の舟・代表 羽山まで 」
小林はビラを持ち帰り、明くる日に電話を掛ける事にした。
「救世の舟」
かつて吉原大源が会長に就任した際、当時広報部長を勤めていた幹部とその一派が正文学会へ脱会届を提出していた。
前会長・真崎派の者達であった。
志の高い彼等は吉原を新会長とは認めず、当時はまだ正文と袂を分けていなかった日現正宗を頼りに新しい団体を設立した。
目的は真崎の教えを引継いで小規模ながらも仏教の実践・学習を目指していたが、正文の巨大化により目的が大きく変わる事になる。
「正文からの脱会援助」
その目的を掲げた者。そしてその団体の代表はあの日、幹部会で司会進行を担当していたかつての広報部長・インテリ羽山であった。




