密告
正文道場内。その設計段階から鉄の扉、そして謎の小部屋は用意されていた。
その真意は何なのか。
信者達は朝食後再び道場に集まり、朝の説法を受ける。
担当は説法の内容により、日によって変わる。
この修行は一ヶ月に及ぶ自己との闘いであるとこの日の担当は強調した。
その後は正文の歴史に関する抜き打ちテストを受けた。その後、自分の短所を十個書き出すという時間があり、この修行で書き出した自分の弱さや醜さを克服するようにと皆が強く言われた。
修行に対するモチベーションが下がってしまった仲間が居た場合には上の者に必ず報告するべし、というルールが言い渡された。
それにより報告した者は功徳を積む事になり、他者をしっかりと見詰める事で自分のモチベーションを確認し、保つという事だった。
それはまるで密告制度そのものだった。
密告された場合にはどうなるか、その説明は一切なされなかった。
大道場から食堂へ向かう途中に大きな鉄扉がある。
その向こう側と何か関係があるのだろうと肇は想像し、身体を硬くする。
修行へ来る前に細かいルールの説明など一切無かった。
信者達が厳しい環境の中へ突然放り込まれ、動揺を感じている隙にそれがまるで救いであるかのように新しい環境、概念を植え付けて行く。
信者達は時間が経てば経つ程その環境に順応しようとし、疑問を抱く事すらなくなって行く。
午後はブロック毎に分かれ、吉原大源の説法集を唱和。特に大事な点を何度も何度も復唱させる。
15時からは「勝利唱和」と呼ばれる自己に勝つ為の唱和訓練が待っている。
代償唱和のようにひたすら全員で「勝つぞ!勝つぞ!勝つぞ!勝つぞ!」と絶叫する。
16時からは吉原大源提唱の維新学の勉強を行い、17時からは二人一組になり、互いに自己の弱さを吐き出させ、それをどうすれば良い方向へと転換するか指摘し合うというプログラムが組まれていた。
維新が進めばこの指摘がより良いものへと変わると言われている。
その為、係の信者達の他、一ヶ月間は本部の幹部クラスの者が入れ替わり立ち替わり見回る中でのプログラムとなる。
18時からは食事。食事は朝、昼、晩全て質素な食事となる。麦ご飯と薄い味付けの塩スープ。おかずは青菜、小さな豆腐、豆類のみ。
19時からは三日に一度、入浴がある。大浴場へは各ブロック毎に呼ばれ、まるで流れ作業のように入浴は行われる。
ひとグループ毎の入浴時間は十五分。当然だが、後に入るグループの湯船には先に入った信者達の垢が沢山浮かんでいる。
21時に就寝。読書で許可されている本は正文関連の書籍のみであり、漫画や小説、週刊誌などの持込が発覚した場合には即座に呼び出され、個別修行となる。
外出は緊急時以外は決して認めらない。そしてその緊急性の判断は道場統括である瀬川が判断するというルールになっていた。
まず、考える力を奪う。
脱走しようとする気力を根こそぎ無くす。
そして信者達が修行そのものに悦びを感じるように育成する。
脱落しないよう、今の状況を何とか維持しようと必死に縋り付かせる。
道場を計画する際、そしてカリキュラムを組む際、大塚は練りに練った。まるで舞台の台本を書くようだった。
道場建設途中。瀬川が図面を開くとそこには鉄の扉と十部屋ばかりの小部屋が設計されていた。それを見詰める瀬川の顔には不安の色が浮かんでいた。
ぽん、と軽く肩を叩かれる。振り返ると柔和な笑顔の大塚が立っている。
「瀬川さん。吉原先生の意を汲んでの事です。それに、ある程度の恐怖心というのは修行には欠かせませんよ。皆が仲良しこよしの状況なら修行なんて進みやしません。運転免許の合宿じゃないんだ。」
「そうですけど、うーん…。刑務所じゃないんだからさぁ…。」
「刑務所じゃない?あんた何言ってんだい。刑務所より酷いよ、この先は。」
「どんなカリキュラムなんです?この先は…。」
「そうだねぇ…。一度組んだんだけどね、甘い考えが残ってたから作り直してる所さ。」
「……。」
「吉原先生からね、徹底的に、との指示が出ている。瀬川さん、統括しっかり頼みますよ。」
「はい。頑張りますよ。」
「あんた、鬼になんなきゃダメだよ。ここに来る連中に甘い顔なんかすんじゃないよ。分かったね。」
「は…はい。」
「ここに来るのは金払ってでも良いから性根叩き直したいっていうゴキブリみたいなクズ人間ばっかなんだ。徹底的に絞ってやんなきゃいけない。ね。」
「そうです…ね。はい。分かってます。」
「分かってねぇなぁ。瀬川さんよ。全然、分かってねぇ。なんだいそのツラ。あんた、善人かい。」
「私は…いや、違います。」
「ならしっかりしろい。ね。よろしくお願いしますよ。統括。」
「はい。」
瀬川は統括として任命されたものの、いざ運営が始まると自責の念にかられ、苛まれた。
毎朝大声を出し、時に信者に対し敵意すら剥き出しにし、嫌われ役を敢えて買い、ひたすら演じ続ける。
これではまるで刑務所だ。本当に修行と呼べるのだろうか。
しかし、日に日に信者達が自発的に大声を出し始め、中には悦びのようなものを感じていると見て取れる光景を目の当たりにした。
瀬川は内心ゾッとするものを感じていた。
それは正に、人間が変わっていってしまう光景であった。
その隣に立つ大塚は満足そうにいつもの柔和な笑顔を浮かべていた。
この修行により維新が進んでいるのは確かなのかもしれない。あの信者達の顔を見れば、ここへ来た時よりは数段成長したように見える。
これはこういうもんなんだ。そう。これで良いのだ。万が一間違いなら、逃げ出す者がいてもおかしくない。
なのに一人も脱走しようとする者などいないではないか。そう。これは正しい事なんだ。
そう、何度も何度も言い聞かせた。やがて、瀬川自身の思考や自責の念も他の信者達同様、麻痺した。
20時過ぎ、肇は部屋へ戻るとすぐさまベッドに布団を敷き、眠る準備を始めた。とにかく、脳が芯から疲れて仕方が無かったのだ。
何かを考えようとするも、何も湧き上がっては来ない。健也が話し掛ける。
「肇くんさ、疲れたねぇ。今日丸一日やってみて、俺もう声ガラガラ。」
「俺も、俺もヤバいよ。喉痛い。」
すると同じ年くらいの少年もそれに続く。
「僕も喉やられたよ。」
健也がすかさず声を掛ける。
「君は何年?名前は?どっから来たの?」
「僕は佐川弘明。小6。埼玉南。O市だよ。」
「おおー、年上だったの!?俺達小5。それに都会っ子だ!ビルとかいっぱいあるんでしょ!?」
「あるけど、別に都会って訳じゃないよ。明日もあの修行やるのかな…」
「やるだろうなぁ。朝から声出すと何とかって言ってたもんなぁ。あぁ、俺もう負けちゃいそう!お菓子食いてえ…」
「僕も辛いけど、大丈夫だって。皆でさ、絶対勝とうよ。まだ始まったばっかだよ?」
肇も健也を励ます。
「ここでいっぱい頑張れば喘息だってきっと落ち着くよ。そしたら心配なくサッカーいっぱい出来るじゃん。試合と一緒で負けちゃダメだよ。」
健也がゴロンと転がる。
「あ〜あぁ…俺、こういう所が甘ちゃんなのかなぁ…サッカーはゴールあるけどさぁ、維新にゴールってあんのかなぁ…あー…サッカーやりてぇ…」
「負けずに頑張れば大丈夫だって!」
「そうそう。ほら、まだ試合始まったばっかだよ!」
「そうかなぁ…喉いてぇ…」
「皆痛いの一緒!頑張ろうよ!」
部屋の隅、静かに吉原説法集を閉じるのは埼玉東ブロック、中学一年の村井凌一。
その夜、会話には一切混じらなかった。
一度無言のまま部屋を出ていったきり中々帰って来なかったが、肇、他二人も疲弊し切ってしまった為に特に気にせずそのまま就寝した。
真夜中。時計は12時半を指している。
「何!?え!?ちょっと、え!?やめてよ!やめて!ねぇ!助けて!やだ!やだよー!」
健也の絶叫が聞こえ、肇と弘明は飛び起きた。
抱え上げられた健也のバタバタする足が見えたかと思った瞬間、力強く扉は閉められた。
肇と弘明は呆然としている。夜が濃くなるにつれ、心に訪れたのは眠気ではなく堪え切れない程の恐怖だった。




