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カーテン  作者: 大枝健志
村元 肇編
26/66

代償唱和

肇が正文修行で一番最初に体験することになったのは恐怖と安堵であった。

知らぬうちに、自分の中で何かが変わって行く。取り返せない程に。

 肇は自分の置かれた状況をどう飲み込んで良いか分からぬまま浅い眠りと覚醒を何度も繰り返す。

 朝方、少しうとうとした気分になった矢先、肇は窓を揺らさんばかりの大音量で起こされた。


「正しい道には正義の光が!悪の道には仏の裁きが!今日も勝つぞ!勝つぞ!全力で勝つぞ!信心深く、今日も闘うぞ!」


 朝五時半。スピーカーから突如として大音量で流れて来たのは吉原大源の説法テープだった。

 肇は眠りから完全には覚めぬままベッドから起き上がると、突然部屋の扉が勢い良く開けられる。


「起床!きしょーでーす!はい!全員起きて!すぐ起きる!ダラダラしない!掃除ですよ!皆さん!掃除!はい、あなたコレ、箒。あなたとあなた、雑巾で床を拭く。あなた、窓、洗面台拭いて!布団を畳んだらすぐ始める!終わったら廊下に一式出しておいて。はい!次の部屋!」


 係の女性信者は大声で各部屋を回っている。肇はまるで激しい銃撃音で起こされたような気分であった。

 これは何かのドッキリ番組なのか。布団を畳んだ後、雑巾を絞る手を見つめながら肇は考えていた。


 きっと何かの番組か、それともこの先何か凄く楽しい事が待っているんだろう。きっとそうだ。お母さんはお金をいっぱい払ったって言っていた。

 こんな無理矢理色んな事をやらされてお金を払うなんて絶対おかしい。

 きっと、何か良いことが待ってるんだ。


 訳の分からぬまま掃除道具を片付け、顔を洗う余裕もないまま、四人揃って道場へと向かう。

 皆が無言なので誰が何歳で何という名前なのかも分からない。

 この状況の中、それを聞くような心境には肇はなれなかった。


 数百人が集まる道場は人の熱気で蒸していた。

 正座で待機するよう係から命じられ、言われるがまま何が始まるのかも分からず、肇はじっと待つことしか出来ない。

 皆が皆、息を殺している。


 やがて入り口の扉が開き、早足で昨夜のスーツ姿の男、瀬川がマイクを持って現れた。


「えー、おはようございます!」

「おはようございます!」

「朝の挨拶、昼の挨拶、夜の挨拶。これは先代の真崎先生が特に大切にしておられた事です。人として基本中の基本です。当たり前の事ですが、こんな当たり前の事が出来ない信者達も増えています。皆さんには挨拶を徹底して頂きます。よろしいですね?」

「はい!」

「よろしいですね!?」

「はい!」


 すると瀬川はマイクを思い切り床に叩きつけた。スピーカーから鈍い音が放たれる。

 

「声が小せぇんだよ!おい!舐めてんじゃねーぞ!」


 信者達は正座のままだが、一瞬にして全身が強張るのが肇にも分かった。

 肇はすっかり怯えきってしまい、この場からすぐにでも逃げ出したい衝動に駆られる。


「おい!そこのおまえ、立て。」


 三十半ば程の色が白く身体の細い男が指名され、機械のように素早い動きで起立する。


「おまえ。ブロックと名前は?」

「は、はい!わ、私は、栃木Bブロック、森本博です!」


 瀬川は無言のまま、やや訛りのある森本の前へ進む。顔と顔が付いてしまいそうな距離まで間合いを詰める。


「森本ー!」

「はい!」

「声が小せぇなぁ!おい!」

「申し訳、ありません!」

「腹破れるくらい声出せよ!おい!」

「は、はい!申し訳ありません!」

「訛ってんじゃねーぞ!こらぁ!」

「申し訳ありません!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「お、おはようございます!」

「そんなちっせぇ声で広宣出来んのかよ!?あぁ!?出来んのかよぉ!」

「出来ます!」

「出来る訳ねぇだろぉ!響かねぇんだよ!もっと声出せこらぁ!」

「はい!」

「もっとー!」

「ぐわぁぁあああああい!」


 瀬川の張り手が飛んだ。その場に森本は倒れ込む。

 瀬川は早足でまた元の位置に戻るとマイクを拾い、話を続けた。


「森本、正座に戻って良いよ。えー、今後、ケツの穴から声出すような奴は帰ってもらいます。良いですね?」

「はい!」


 肇は気がつくと今まで出した事も無かったような絶叫とも呼べる大声で返事をしていた。

 肇の手は小刻みに震えている。考える事も出来なくなって来ている。唯一考える事が出来るのは「大きな声で返事をする」という事のみとなってしまっていた。


「皆さんには朝の修行の一環である「代償唱和」を今から行って頂きます。ここへ来たということは、皆さんは維新が進んでいない、と判断された方々です。言い方を変えれば半端な人間の集まりと言うことです。そんな方々ですから、当然心にやましい想い、また、人に迷惑を掛けた事などが沢山あると思います。そういった心に溜まったゴミを吐き出す為に、皆さんには一生懸命声を出して償って頂きたい。良いですね?」

「はい!」

「では、大きな声で私に続いて下さい。いきます。ごめんなさい!」

「ごめんなさい!」

「ごめんなさい!」

「ごめんなさい!」


 肇は泣き出しそうになりながら、ごめんなさいを唱和する。

 泣きそうな想いが心の奥から溢れてくるのだが、思考が停止してしまっている脳がそれを掴ませないでいる。


「皆さん、これから三十分大きな声でごめんなさいを唱和して頂きます。係の者、そして私も後ろで見ているので声が小さくならないように。良いですね?」

「はい!」

「では、声を揃えて。ごめんなさい!」

「ごめんなさい!」

「ごめんなさい!

「ごめんなさい!」


 信者達は瀬川がマイクを置くと、規則正しいテンポでごめんなさいを連呼し始めた。

 係の信者がゆっくりと、一人一人の顔を見ながら回って歩く。

 肇は完全に思考を停止し、周りとズレないよう、そして声を出していないと判断されないよう、ひたすらごめんなさいを絶叫する。


 やがて信者の中にはトランス状態に入ったのか、泣き出す者が現れ始める。

 涙や鼻水を垂らしごめんなさいを絶叫する者。

 床に額を擦り付けながらごめんなさいを絶叫する者。

 まるで殺した相手の遺族に人生をかけた謝罪をするかのように、それぞれが心の底からの「ごめんなさい」を絶叫し始める。


 声を出し疲れたのか、肇の左隣に居た初老の女性が倒れ込んだ。

 するとすかさず係の信者が駆け寄り、髪の毛を掴んで大声で話し掛ける。

 女性は泣きながら首を振る。

 そうこうしている内に係の信者に肩を掴まれ、引き摺るようにしてそのまま何処かへ連れて行かれた。

 しかし、肇の心には最早動揺を感じる余裕など無くなっていた。

 肇はただ、ひたすらごめんなさいを連呼する人形となったのだ。

 係の信者が終了!と叫ぶ。

 何とかこの三十分を乗り切った。

 しかし、ただ疲弊したのみで心に安堵は訪れなかった。


 すると瀬川ではない、別のスーツ姿の男が前へ出る。

 オールバックの初老の男。やや太い眉と柔和な笑顔。

 人に安心感を与える、そんな笑顔の持ち主だ。


「皆さん、お疲れ様でした。私はこの道場でカリキュラムを担当しております、大塚と申します。昨夜は遅い時間の到着で大変お疲れになったと思います。それでもっていきなり、この大声張り上げる修行でしょう?正直疲れたでしょう?」


 信者達の間に広がっていた先程までの張り詰めた空気が一気に解れた。

 微笑む者もいる。


「ねぇ、ごめんなさいはこっちですね。なんてね。これはね、皆さんが嫌いで行ってるんじゃないんですよ。真剣に修行に打ち込む、その土台を作るものだと思って下さい。花瓶の水が濁って来たら新しいものに取り替えるでしょう?その時、古いお水はどうします?飲んじゃう?まさか。」


 あちらこちらからクスクス、という声が漏れてくる。


「古いお水は捨てますよね。これはね、そういうもんだと思って下さい。古い心を吐き出して、新しい活気に満ちた心をそこに注ぐ訳です。ね。朝から大きな声を出すことで悪い物も寄って来なくなります。明るく、元気に、一日を乗り切るパワーをね、声を出して養いましょう。さぁ、それではこのあとは題目を皆さんで一緒に唱えましょう。これは皆、慣れてるでしょうからね。」


 緊張が解れた信者達が活き活きとした表情で大塚と共に題目を唱える。

 さっきまでの強制的な雰囲気から一変し、信者達が自主的に声を張り上げている。

 肇もまるで悪夢から救われたように、活き活きと題目を唱える。


「皆さん、良い声でありがとうございます。どうです?心が爽やかになったでしょう?ね。これから一カ月よろしくお願いします。困った事があれば何でも相談して下さい。皆さんの維新が進むよう、私達も勤めを欠かしませんから。それでは、皆さんお食事にしましょうか。ね。はい、では移動しましょう。」


 大塚は柔和な笑顔のまま信者達を先導する。

 信者達も緊張が解れた為か、やっと各々口を開き始める。

 肇は不思議な事に今まで覚えのないような高揚感に包まれていた。


 すると同室の男子から話し掛けられた。


「ねぇ、どっから来たの?俺、埼玉北Bブロック、K市ってとこ。名前は谷口健也。小五。」


 やや細く、スポーツ刈りで陽に焼けた肌をした谷口は肇から見ると健康優良児という印象だった。


「お、俺は埼玉西A。S市ってとこ。名前は、肇。村元肇っていうんだ。同じ小五だね、よろしく。」

「へぇ!タメなんだ!S市はサッカーの試合で行った事あるよ。おっきな工場あるよね。」

「うん、良く知ってるね。お父さんがあそこに勤めてるんだ。」

「凄いなぁ。エンジニア?」

「っていうのかな?うん。」

「うちなんて普通のサラリーマンだからなぁ。俺さぁ、小さい時から喘息が酷くってさ。それで正文で修行して心を入れ替えたら福徳が多く受け取れるっていうから来たんだ。母さんも一緒に。」

「そうなんだ。喘息は大変だね…」

「うん。でもさっきの人と題目上げてたらイケるような気がした。」

「俺も最初の方は怖かったけど、でも、なんかヤル気がいっぱい出た。」

「肇くんは何で修行に来たの?」

「最初はお母さんが部長になる為に修行するって言ってたんだけど、俺、甘い所がいっぱいあるから…」

「偉いじゃん!俺なんかずっと甘々だもん。一カ月さ、一緒に頑張ろうな!」

「うん!頑張ろう!」

「大源先生もさ、自分との闘いだっていつも言ってるじゃん。俺、負けない。」

「そうだね。その意味がすっごく分かったよ。俺も負けない。」

「でもさ、ここのご飯美味くないんだよなぁ…。」

「それも修行なんだよ、きっと。」

「そっかぁ…じゃあ勝たなきゃ!」

「そうだよ、勝たないと!」

「じゃあ朝ご飯どっちが早く勝つか、競争しよ!」

「良いよ!負けたくないなぁ。」


 肇の顔には笑顔が戻った。学校に居た時以来だろうか。

 しかし、その笑顔は心の一部が塗り替えられた後の笑顔である事に肇は気付いていなかった。

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