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カーテン  作者: 大枝健志
始動・人間維新編
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風で倒れる御本尊[2]

修行(沖縄旅行)から戻って来た吉原大源。

新会長として、どんなスタートを切るのか。

 正文学会足立本部・受付担当菊池祐介は1977年の平和な秋の日に暇を持て余し、退屈しきっていた。


 菊池は少し前に煙草を変えた。セブンスターから発売されたばかりのマイルドセブンへ。

 マイルドセブンは賛否が分かれてはいるが、煙が多い割に吸い口が軽い。菊池にとっては想像以上に吸いやすく、すぐに気に入った。

 今度は別のメントール煙草が発売になるらしいが当分煙草を変える気は無い。


 あまりにも暇で煙草ばかり吸っているため、胃の調子が怪しくなっていた。


 新会長吉原が修行の為富士の樹海へ赴き、先代真崎の容態も投薬により安定して来た為に本部内は静寂に包まれている。


 その時、浮浪者なのかと見紛うようなボロボロの法衣姿の男が悠然と門をくぐり、こちらへ向かって歩いてくる。

 菊池は反射的に立ち上がる。

 火をつけようと咥えたマイルドセブンが床に落ちた。

 あれは。間違いない。間違いなく、あれは吉原新会長だ。


「まさか…吉原会長!おい!吉原会長のおかえりだ!」


 本部受付担当の菊池が叫ぶ。

 平和な秋の日。正文学会足立本部に突如として季節外れの落雷のような緊張が走る。


 職員、幹部達が皆一斉に集まり、ロビーの椅子に腰かけた吉原を取り囲む。


 細い目で眩しそうに外を眺める吉原。

 走り方が下手なのだろう。バタバタと喧しい音を立て、吉原に真っ先に駆け寄り声を掛けたのは出っ歯の伊勢だった。


「か、か、会長!お、お帰りなさいませぇ!お、お迎え上がりましたのに…と、東京駅からまさか…」

「うん。僅か10km少しなので歩いて来た。なんて事はないな。東京駅からここまでな、微睡んでいる獅子達の呼吸を沢山、聞きながら歩いて来た。だが、目覚めの時だ。」

「獅子…?目覚め…そ、それはどういった意味で…」

「伊勢。日本人、いや、人類にとって今一番必要なもの。それは維新だ。」

「い…維新…」

「真理に近付き、真に目覚める為には真の教えが必要だ。それが、ついに分かった。」

「それは…どういった…」

「まず…水を一杯くれないか。」

「は…はい!」


 樹海の中での一ヶ月に及ぶ修行の末、ついに吉原大源は新しい教義となる「答え」を見つけ出した。

 幹部達には苦行を終えたばかりの吉原は神々しく、簡単には触れてならない偉大なる存在として目に映っていた。


「人間維新」それこそが吉原が見つけ出した答えであった。


 その翌日。正文信者御用達、祈信新聞トップ一面を飾ったのは修行後足立本部へ到着したばかりの吉原の写真である。


 樹海に篭り修行していたという吉原は、その肉体が一回り大きくなり逞しくなったように見受けられた。

 しかし、それは沖縄のホテルで朝から晩まで泡盛をしこたま飲み続け、豚をほうばり続け、そして食って寝て食って寝ての生活が作り上げた不摂生の塊が、ただでさえ不摂生の塊だった身体へ上乗せされ付いただけの話である。


 陽の射すことのない樹海に居たはずだが、男らしく、浅黒く焼けた肌。

 それもそのはず。ひと月もの間、沖縄の高い陽射しを太鼓腹を出しながらプールで受けていたのだから当然だろう。


 そしてどこをどう見てもボロボロの法衣。杖は折れていた。


 ホテルの外から石と土を持って帰ってきた吉原は、部屋の風呂場で法衣に土をブチまけた。そして石で法衣を擦り出した。必死に擦った。

 無論、汗を掻いた。

 これが今回、吉原にとって一番の苦行であった。


 次の苦行は杖を折るという大仕事。しかし、風呂場の隅へ杖を立て掛け全体重を乗せるとバリッと音がして杖はあっさり折れた。

 肥えた吉原だからこそ、成せる術である。

 その杖は修行中、高ぶり過ぎた霊力により樹海に霊道を開けてしまった為、溢れ出てきた邪鬼共を祓った時の証とする事にした。


 目を閉じてもまだ尚、沖縄の高い空と滑らかな風を感じる事が出来た。

 暑いのにとても静かで、エメラルドグリーンの海はまさしく全てを赦す母のようであった。

 米軍が厄介であるが、この島を金で買うことが出来たらと吉原は強く願った。

 ホテルをチェックアウトしたその日、沖縄での自堕落な生活がすっかり馴染んでしまい東京へ帰るのが億劫で仕方なく、結局ホテルへ戻りもう二日延泊してしまった。


 飛行機に乗り、小さくなっていく島を見下げながら「帰りたい…」と小さく吉原は呟いた。

 東京ではなく、沖縄へである。

 吉原は完全なる沖縄シックに陥っていた。


 羽田に到着後、東京駅から足立本部の手前100mまでタクシーを使い、そこから本部へは徒歩で向かった。

 東京駅のトイレで着替えた法衣があまりにもボロボロだった為、タクシープールの運転手達に怪しまれたり睨まれたりしたが、袖に仕舞い込んでいた札束をチラつかせるとタクシーは嬉々として走り出した。

 ごみごみとした街並。灰色の空。死んだ風。絶え間ない車や人の群れ。ごみ虫共が這い蹲って住むには相応しい街だと吉原は吐き捨てるように思った。

 そして沖縄本島は無理でも、いつか近くの島を丸ごと買い取ろうと決めた。


 タクシーを使い、辿り着いたひと月ぶりの正文学会足立本部。見慣れた受付の菊池は相変わらずニヤけた馬鹿面を浮かべ、駆け寄って来た伊勢は相変わらず何処か焦っていて、沖縄ナマコより知能が低いのではないのかとさえ吉原は思った。

 東京へ帰って来てしまった。それはつまり、日常へ帰って来てしまったという実感であった。


 新会長として、どう正文学会を自分の王国に仕立て上げるか。それは並々ならぬ事だというのは分かっていた。しかし、内から湧いて止まない己の支配欲を満たす為ならば、吉原は苦労も厭わない覚悟であった。


 正文だけではない。日本に、世界に、吉原大源の名を轟かせてやる。

 ここからが本番だ。


 そして吉原は、伝説となる為のスタートをここで切る事となる。

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