教祖誕生
会長真崎が倒れたことにより、緊急幹部会が開かれることになる。悪党三人が向かったのは足立本部。
スムーズにいけば吉原が新会長になるだろうと思った矢先、緊急幹部会を仕切るのは広報部長の羽山であった。
1977年9月17日
その日、残暑の蒸し暑さと人の熱気が入り混じった祈信新聞社内は朝から慌しい気配に人も空気も呑み込まれていた。
正文学会編会長・真崎が倒れた翌朝の事である。
社内は誰もが平静さすら装う事の出来ぬ状況であった。
編集長の野間口が吠える
「だから、会長の事は書くな!一切駄目だ!本部からの正式な発表がない限りは駄目だと言ってるだろ!おい!この記事もそうだ!文に匂わすな!」
「しかし、事実は事実じゃないですか!信者達にいち早く伝える義務が、我々にはあるんじゃないですか!?」
「そんな義務あるか!余計な混乱を招くだけだ!こんな…おい!憶測でモノを書くなよ!馬鹿たれ!正式に本部から発表、連絡があるまで、全員待て!」
野間口はその日、朝から四方八方に当たり散らした。次期体制も整わないうちに会長真崎が倒れた事など迂闊に知らせようものなら、面白半分にマスコミ達が騒ぎ出すに決まっている。
何故なら、その頃の正文学会では一部の盲信的信者による暴力事件を含む行き過ぎた広宣共有(勧誘活動)がきっかけとなり、逮捕者すら出していたのだ。
面白がって本部へ殺到するマスコミ。そして頼りになる頭を失くした本部が対応しきれなくなるのは目に見えていた。
野間口は胸ポケットを弄ると、煙草を切らしている事に気が付いた。
目の前を通り過ぎただけの校正担当に向かい、煙の代わりに罵声を浴びせた。
吉原は酒の匂いをぷんぷんさせている谷田部と伊勢を蹴飛ばし、そして叩き起こす。
すぐさま茶の間のテーブルに寝起きの二人を座らせ、紙と鉛筆で正文相関図を作成し始めた。
寝惚け眼で相関図を見つめる伊勢が粘ついた高い声で
「水…」
と呟いたので、吉原は無言のまま伊勢の頭を引っ叩き谷田部に水を汲みに行かせる。
そして三人は現在の正文内で自分達が置かれている状況を分析し始めた。
この事(三人の長年に渡る使い込み等)は真崎が「内密にしている」との話であったが、話が真崎の耳に入ったという事は吉原派の中から誰か裏切り者が出た可能性がある。
それとも違う派閥の中に吉原を貶める為、吉原周辺の行動に探りを入れていた者が真崎にリークした可能性もある。
次の会長には真崎が遺言状でも残していない限り、十中八九、副会長である吉原が選ばれるであろう。
しかし、熱狂的な真崎信者である全国青年部長。通称「タンク長澤」そして現・広報部長を務める大慶大学出身の「インテリ羽山」が厄介な存在であった。
教団というよりも真崎の理念の為に真に人生を尽くしてきたと言っても過言ではないこの二人と、教団をより大きな組織にする為、布教をメインで活動して来た吉原はとでは何かと意見が食い違う事が多く、昔からウマが合わない仲であった。
常に熱い長澤と常に冷静な羽山。共にそれなりの支持者がいるのは間違いなかった。二人が教団内で手を組む機会は少ないが、万が一にも手を組まれたら無視は出来ない勢力となるだろう。そして自分達を嗅ぎ回っている者がいるのなら、その二人のどちらかが主犯だと吉原は見ていた。
金よりも理念で動くあいつらをどう丸め込むか。あいつらの取り巻き連中にスパイがいるとするなら、こちらからどう探りを入れるべきか。
三人は悪知恵を振り絞った。朝から絞りに絞りまくった。当然昼前には疲れた。一旦休憩し、ビールと出前の特上寿司で自分達を労う事にした。
昼過ぎ、松下から連絡が入り、真崎の容態報告も兼ねての緊急幹部会が開かれる事になった。
ビールを飲み、特上寿司を食って三人は昼寝をしてしまった為に結局ロクな悪知恵は出なかった。
熱気が引かず蒸し暑い東京の夕方。松下は三人を乗せ、足立本部へ向かう。
「では、先生達…三人で題目を?」
「そうだ。私一人で題目を唱えていたんだが…会長の事を聞きつけた谷田部と伊勢のがな、我々も是非というのでな。会長が自らの命と闘っているんだ。我々は水の一滴すら飲まず唱え続けたよ。申し訳なくて水なんて飲めなかった。いくら、汗や涙が出て来てもな…。中々に大変ではあったが、やはり勤行の精神を忘れてはならん。我々の祈りが少しでも通じた結果が…これであれば良いのだがな…。」
「吉原先生!先生達三人のお力があったからこそ、真崎会長の命が繋がったんだと思います。まさに、三聖人ですよ。」
「ほう、松下…三聖人とな?」
「はい!まさに今後の正文を引っ張るに相応しい、理想の先生方です!」
三人は昨夜のどんちゃん騒ぎを思い出し噴き出しそうになるのを堪えていたが、このアイデアは中々に頂けると吉原は企んでいた。
本部へ到着し、三人と松下が会議室へ入ると、当然だがいつも真崎が座っていた会長席が空いている。
吉原が無意識に思わずそこへ座ると「先生…あの…」と松下に促され、「これはこれは…」と言いつつ席を立つ。
失笑すらも起こらぬ厳粛な雰囲気の中、最後に颯爽と登場したのは広報部長の羽山だった。
「えー、お集まりの皆さん。いや、そのままで結構です。早速ですが、会長の現在の容態から。御存知の通り、会長は昨夜、一命を取り留めました。引き続き東京大慶病院に入院中であり、危機を乗り越えた現在は集中治療室にて投薬中であるとの事。残念ながら意識はまだ戻らず、仮に戻ったとしても、麻痺は確実に残るとの事です。」
神奈川支部長・早川がすかさず声を上げる。
「おい、てことは、快復しても会長はもう喋れないって事か!?」
羽山は素っ気なく答える。
「残念ですが私は医師ではありませんので答えようがありません。ただ、すぐに意識が戻るような状態ではない為、継続して会長職で活動を続ける事は困難かと思われます。」
それを聞いた途端、分かってはいたが頭を抱える者、啜り泣く者、歯をくいしばる者、それぞれがそれぞれの悔しさを滲ませ始めた。
毅然とした態度ではあるが、羽山も目にうっすらと涙を浮かべている。
「本来であれば、真崎会長直々に次期会長をご指名頂き、という流れではなかろうかと思いますが、事態が事態です。次期会長の予定も、それが誰になるのかも、今の所は目処が立っておりません。」
吉原は真剣な眼差しで羽山を見つめ、そして心中では罵倒しまくっていた。
なにおおおおお!?め、め、め、目処が立っておりません!?何を言うか!次期会長は私に決まっておるだろう!副!副!副!副会長はこの私だぞ!このクソインテリ仏教キチガイめが!説法は理解出来ても副会長の意味は理解出来んのか!有名大学まで出ておいてそんな事も分からんとは!さっきからグダグダグダグダ演説しおって!さっさと私を指名しろ!
「会長の今後について、真崎会長の奥様、玉代様から御手紙を頂いております。えー、「このような自体になり、情けないお話ではありますが私自身、非常に困惑しております。まず、現在もなお、皆様方にご迷惑、ご心配お掛けしておりますことをお詫び申し上げます。主人の会長という職につきましては本人の容態が快復したとしても、今後続けて行くことは相当な困難が予想されます。よって、誠に身勝手な判断ではありますが、会長の職を辞退する事、ご理解の程何卒お願い申し上げます。」と言う事でありまして、真崎会長は辞任するという方向で動きたいと思います。」
全国青年部長の長澤が吠える。
「おい!羽山さんよぉ!名誉会長って事で良いだろう!何も完全に退かなくても良い!」
吉原は鼻で笑う。
今度はこちらの馬鹿者が吠えたか。麻痺が残るのに何が名誉会長だ。どうせ快復して出てきてもあー、だの、うー、だの呻きながらの説法が精々だろうに。玉代にしたって死んでくれた方が清々したに決まっておるのだ。
長澤の意見に羽山が冷静に返す。
「はい。その案も考えております。今の正文の理念を作り上げたのは真崎会長ですから。全く関わりのない状態になる、ということはあり得ませんので。で、本題ですが、次期会長についてです。これは、幹部会による指名選挙方式で行うべきかと、私は思ってます。」
いつもより脂ぎった顔の谷田部から指摘が入る。
「私は思ってますだの何だの、正文はいつからお前のもんになったんだよ。」
そうだそうだ、と周りからも声が上がる。羽山はすかさず返す。
「では、谷田部さん。他に公平に会長を選抜する方法があるならば、ご教授ください。それはどんな方法か。」
「それを話し合う場じゃないのか!」
「なら他にあるのかよ!」
「俺は羽山さんの考えに賛成だわ。」
周りがざわつき始め、やがて収集がつかなくなる。
羽山が静粛に、と制するも誰も言う事を聞かず、各々が好き放題喚き始めた。
ジッと、目を瞑ったままの吉原が目を見開き、そしてテーブルをドン!と叩いた。
「なんだ貴様らの有様は!これが正文か!」
会議室が一気に静寂に包まれる。
「真崎会長の意向がどうあれ、次期会長がどうあれ、忘れてはならん事はないか?おい。広田。答えてみろ。」
埼玉支部の広田は首を傾げ、他の者も答えられずに一同が下を向く。
吉原は一呼吸置いて溜息混じりに呟いた。
「信者達だ。」
幹部達は何かに弾かれたように、一斉に吉原に向き直る。
「貴様ら。正文に教えを乞い、そして今日、この瞬間も!未来を見据えて活動に励む、草の根の信者達の事を忘れているんではないか!?」
静まり返った会長室、意外な事に最初に羽山が拍手を打った。すると、他の幹部達も続けて拍手する。
そして、羽山は吉原に向かい言い放つ。
「さすがは副会長。口だけは達者だと、やはり噂通りですね。ですが、今は次期会長をどうするかの話し合いですので。」
「なっ」
吉原は一瞬怯むが気にせず羽山が続ける。
「はい。では、正式に選挙によって会長を決めるという事で、皆さん、如何でしょうか。指名選挙でいいですか?よろしいですか?異議ある方、挙手を。…ないようなので、指名選挙によって会長を決めたいと思います。会長に相応しいと思う方の名を一名、ご記入願います。では、一旦休憩します。」
再び会議室がざわつき始めた。
谷田部と伊勢が吉原の元へ来る。谷田部が脂汗をてらてらと浮かばせながら今にも殴り倒したくなるような困惑顔を浮かべていた。
「せ、先生っ…さっきの奴の発言、あれ…」
「しっ…!わかっておる…。きっと奴は今回の件、一枚噛んでおる。睨んだ通りだ。しかし、投票なら必ず私が選ばれるに決まっておる…。」
出っ歯の伊勢が今にも絞め殺したくなるような困惑顔を浮かべて吉原の袖を掴んでいる。
「万が一にも、万が一にもって…他の人、長澤や羽山が選ばれたら我々は…」
「案ずるでない。しっかりと、しっかりと周りに吹聴するんだ。長澤は祈信新聞を完全に私物化し、信者達を自分の都合が良い方へ誘導してると吹聴しろ。他は、青年部長の長澤だ。あいつの悪い癖を周りに吹聴しまくれ。声が煩くて鼓膜が破れた信者がいるだの、夜中の題目がうるさすぎてあいつんちは毎晩警察沙汰だの、とにかくでっち上げるんだ…!」
「なるほど…!さすが先生です…!」
「えー、皆様方。急ではありますが、よろしいですか!早速、投票を行いたいと思います。では、皆さんに用紙をお配りして。白紙で申し訳ないですが、今からお手元に配ります。」
会議室が一気にざわつき始める。今なのか、と誰もが思う。
こいつ、周りに吹聴する時間を与えないつもりだな。吉原は羽山を睨んだ。
しかし、ここで下手に投票を断り先延ばしをしても私の変な噂話が出回るのも時間の問題、しかも尾ひれがつく恐れがある…。
どうしたものか…。
すると、突然交渉部の平原が声を上げた。
いつかの兵隊さんである。
「えー、皆さん。平原です。どうしても、伝えたいことがあって。良いですか?」
羽山は一瞥もくれず「どうぞ」と続ける。
「えー、僕が正文と出会ったのは戦後間もない頃でした。会長はその頃まだ床屋さんで、僕は、その床屋さんにお礼を持って行ったんですね。早い話がお金です。しかも営業中に。大変、不躾がましい奴なんですけど…。その時、会長はお礼を受け取らなかった。有志からね、お金を集めてね。会長に渡したんです。もちろん、お金は完全に広宣の為です…。」
皆が一様に「だからどうした。」とでも言わんばかりの顔をしている。
吉原は時代が変わったにも関わらず相変わらずの栄養失調ぶりだ、と肝心していた。
「その時、会長に断られて、怖気付いた僕に勇気をくれた人がいます。寒い中でね、一緒に頭を下げてくれて。そのおかげで会長はお礼を受け取って下さり、後々に「あのおかげで広宣のきっかけが出来た」と僕に言ってくれたんです…。その、一緒に頭を下げてくれたのが、吉原副会長だったんです。」
一同が一瞬にして吉原に向き直る。羽山が冷静さを欠いた目を完全に見開いている。谷田部と伊勢は「そんな良いことしてたんか!」とでも言わんばかりの顔で吉原を見つめている。
吉原は心中、大喜びしていた。このタイミングで!栄養失調のクソ坊主!会長が生きていたら(生きてはいるが)貰っていたはずの自らの席を私に譲りおったな!この!何十年かしてようやく!ようやく役に立ちおったな!
平原は続ける。
「どんな人がなったとしても、僕はそれが正文の意志だと、そう思います。ただ、僕は…うん…。副会長しかいないんじゃないかな…そう思ったんです。い、以上です。」
私が会長になった暁には豪遊させてその栄養失調を少しは太らせてやろうと吉原はこの時そう心に決めた。
羽山の算段が狂ったのか、予定調和なのか、指名選挙はそのまま行われた。
結果、ほとんどの者が吉原を指名した。
長澤はすっかり疲労困憊、という様子であった。
「それでは…えー、この結果を踏まえ、吉原副会長が正式に会長になるということで…えー…異議ある方、いませんか…?いませんか…?いませんね…はい。では、次期会長は吉原氏ということで。」
吉原はゆっくりと立ち上がり、拍手を浴びる。
まるで猿のおもちゃのように、谷田部と伊勢が満面の笑みで手を叩く。
やっと私の手に組織が握られた。
吉原は心の奥底から込み上げてくる興奮に身を委ねた。
さぁ、つまらない教義なぞ壊して私の、目論見通りの私だけの国をここに作る。
いよいよ、ここからだ。
明くる朝、祈信新聞一面を飾ったのは急病により真崎が会長を引退したという記事であった。それに伴い、新会長には吉原が就任したという記事も共に一面を飾った。
真崎は終身名誉会長に就任。
偉大なる師として、その名を正文に刻み込んだ。
「正文は信者達と共に!より力強く!未来へ!」を新しいキーワードとした。
会長へ就任すると吉原はその名を吉原「大源」と改めた。
そして同日を持って羽山、長澤は正文学会脱会を申し出た。
吉原「大源」会長の誕生である。