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カーテン  作者: 大枝健志
正文学会・戦前〜戦後編
13/66

真昼の兵隊さん

終戦後、活動を再び始めた正文学会。

二代目会長こと真崎が営む床屋に下働きとして吉原大源は住み込みで勤めることとなる。

ある日、客としてではなく兵隊上がりの若者が訪れてくる。

その手には封筒が握られていた。

 戦後再活動した正文学会における信条は無論、初代会長・樋口の思想によるものが基礎となっている。


 自由、平等、そして真理。


 自由には経済理念を。

 平等には全人類への博愛を。

 真理には仏教観を持って、人の道を作るという意味が込められていた。


 この三つを柱とし、仏法の教えを元に人類を教育し、そして皆が平等に生きていける社会を作り上げていく。


 二代目会長として真崎は心の奥底に秘めたままであった小さな灯りを最大限に燃え上がらせ、新しい正文としての信条を一つ、ここに加えた。


 それは現代では当たり前のように誰もが教授している「平和」という言葉である。


 拷問死した樋口、戦死していった同じ部隊の戦友、沖縄の洞窟で爆死したヨウコ。

 そして銃後の日本人が経験した空襲、原爆、貧困。


 その全てによって奪われた、落とした命が、戦争さえ無ければ今もなお生き続けていられるはずだった。


 若い命は笑い、涙し、誰かと愛し合い、そして新しい命を繋ぐはずだった。

 老いた命は家族や知人達に見守られ、命の火が燃え尽きる最期を、ゆっくりと迎えられるはずだった。


 何百万という命が狂わされた。


 再び戦争を起こさない為にも、真に平和を愛せる人をこの日本に沢山作らなければいけない。


 真崎は昔のように塾のような形から活動を始める為、昼夜問わず仏典を読み返し、樋口のノートを研究し、新しい正文の基礎理念を作り上げていく。

 そんな真崎を妻・玉代は労り、陰ながらも支えた。題目にも力が入った。吉原青年は金儲けの為にまだか、まだか、と真崎の側で何も出来ずに手を拱いていた。


 戦後、法整備が進み宗教が再び自由に活動出来る土台も社会に出来上がった。


 生活は変わらず苦しいままであったが、真崎の心は充実していた。活気に満ちていた。

 胸の奥に隠されていた膨大なエネルギーは尽きることなく燃え続けた。


 そして、ついに真崎床屋店のある商店街の集会場で、正文学会による勉強会を週に一度開く事になった。


 真の平和とは何か。自由競争とは何か。豊かさとは何か。


 昔は己の理念を伝えたいが為に強弁を張る事もあった真崎だったが、かつての樋口のように己の理念を噛み砕き、そして人に分かりやすく伝える事に徹した。


 やがて正文が復活したという噂を聞きつけ様々な人が集まり出した。そして噂は噂を呼び、熱心な若者達が集まり出した。


 ある日、兵隊上がりの平原という若者が床屋を営む真崎の元に訪れた。


「いらっしゃい。ちょっと待ってて下さいね。」

「いや、違います。散髪ではなくて…。失礼します!私、先生の勉強会へ参加させて頂きました、平原と申します!本日は先生に、お礼を言う為、参りました!」

「お礼…?お客さん、すいませんね。少し外します。」


 その様子を店内を清掃していた吉原が横目で覗く。

 お礼だと?あの栄養失調みたいなクソ坊主、金でも持ってきたのか?


 平原は頭を下げ、受け取って下さいと真崎にやや、厚みのある封筒を手渡す。

 中身を確認するや否や、真崎は冗談じゃない!と血相を変えて若者へその封筒を押し返した。


 そこへ吉原が勢い良く、割り込んでくる。


「まぁまぁまぁ!先生、ここじゃなんです。外で…」

「外でも何も、これを受け取る訳にはいかん!」

「この若者だって何か事情がおありなんでしょう。さぁ。さぁさぁ。」


 そう言って二人の背中を無理に押しやり、外へと連れ出した。

 しん、とした店内では散髪途中の初老の客が一人ボヤいている。


 昼間とはいえ、二月の冷たく乾いた風がたちまち彼らの頬を赤く染める。


「平原君と言ったな。これはね、頂戴する訳にはいかんよ。金じゃないか。良いか?正文はね、金儲けでやってる訳では無い。君自身の為に使いたまえ。」

「先生。お願いです。受け取って下さい。僕からだけではありません。他、有志数名によるものなのです。僕も簡単には退がれません。一人でも多く、僕らのような希望も無かった連中に、先生の教えを広めていって頂きたいのです。その為のお金だと、そう思って下さい。僕は学徒出陣でした。運良く帰ってこれたものの、空襲で母と妹を亡くしました。親父も片足を失くし、自由には動けません。日本はどこも焼け野原。希望も何も見えなかった。けど、先生の話を聞いていたら未来はこれからなんだって、そう強く希望が持てたのです!お願いします!」

「いや、いかん。」


 そのやり取りに吉原は苛立ちを覚え始めていた。

 何だ!この分からず屋めが!馬鹿と鋏は使いようと言うが、この馬鹿は鋏しか使えんのか!金ならさっさと!さっさと!逃げんうちに貰っておけばいいものを!カッコつけやがって!なーにが君の為にだ!こんな栄養失調のクソ坊主に金の使い道など無いに決まっておる!毎日毎日、この鋏馬鹿にへこへこ頭を下げ、触りたくもない他人の髪の毛を片付けてる私の気持ちになってみろ!

 ええい!ここはひとつ、私が強く出なくてはならん。


「平原君、と言ったかな。」

「は…はい。」

「僕はここで先生に学び、店に置かせてもらっている吉原というものだ。」

「はい…どうも。」


 吉原は諭すような口調で、穏やかに語り掛ける。


「うん。君の気持ちはとても良く分かる。地元の盟友がね、何人も戦死した。だが、僕は先生の気持ちも痛い程に、良く分かる。ずっとその背中を追いかけているからね。分かり過ぎて辛い程に、だ。君は先生にお礼がしたい。そして、正文の為に、少しでも良いから役に立ちたい。これは、そう思っての事なんだね。正文をより、大きくしたい。つまり、そういう事なんだね?」

「はい!是非、先生に受け取って頂きたいのです。そして教えをもっと、広めて頂きたいのです。」

「しかし、君…」


 吉原は半ば誘導するような形で平原から答えを引き出していく。

 そして口を開いた真崎を何と吉原が一丁前に手で制する。


「先生。このような若者の気持ちを汲んで頂けませんか。どうです?このまま無料で勉強会を開き続けたら当然、人数は増えます。今や評判も上々です。このままでは無論、不埒な者や冷やかし半分の者も増えるでしょう。そうなったら先生の真の教えは半分も伝わらないのでは?そういった者が増えた場合、本当の本気で学びに来る彼のような者への妨げになると、僕はそう思うのです。」

「しかしだな…しかし…。」


 真崎は顔を手で擦り、鼻を啜り腕を組んでじっと目を閉じる。

 吉原はだめ押しと言わんばかりに続ける。


「先生、これは布施です。この若者の功徳の為にも、受け取って頂きたい。僕からも、この通り。」


 真昼間の床屋の前で吉原はしっかりと頭を下げる。つられて平原も頭を下げる。そして真崎は腕組みのまま、苦悶の表情を浮かべている。

 横を通り過ぎる酒屋の主人が訝しげな目を向ける。


「分かった。うん。吉原君、平原君、頭を、どうか…上げてくれ。」


 途端に、二人の表情が明るく輝く。肩を抱き合い喜んでいる。

 先ほどから、店の中から「まだかよー」という声が響いている。


「このお金だが、君の真の気持ちと捉え、大切に預からせてもらう。必ず!正文をより、大きく広めて行く。ありがとう。」

 真崎が頭を下げると、若者は涙ぐみながら「はい!」と大きく返事をした。


 吉原はそのやり取りを見て、微粒子程の金の匂いを嗅ぎつけ、頭の中であれやこれやと計算し始めていた。

 これはやはり、金になる。人に希望を見せてやれば、人はやはり惜しみなく金を差し出すのだ。


 しかし、この分からず屋の鋏馬鹿は疲れる奴だ。なぜ金を受け取るという簡単な事も出来んのだ。金を受け取ったら、それらしい言葉のひとつでも掛けてやればこの栄養失調も喜んで帰るに違いないのだ。そしてまた金を持ってくるに違いない。金を持って来るたび、こんなやり取りをしなければならんのは流石に敵わん。たまらん。辛抱ならん。私が窓口になり、金を受け取る必要がある。そうするべきだ。


 晴れ晴れとした表情を浮かべ、家に帰る平原の背中を見つめながら真崎は理念の炎を、そして吉原は企みの炎を、それぞれ燃え上がらせた。


 それからも正文学会による勉強会は評判を呼んだ。真崎の他に吉原が経済担当として講師になる事もあれば、まだ若手の平原が発表と称し、人類平等、平和の大切さを仏教観を交え話す事もあった。

 平和という新しい理念を掲げた事により仏教要素が色濃くなったが、凄惨な戦争を体験した生徒達(信徒達)は皆、素直に受け入れた。


 そして一九四九年。

 正文学会は真崎床屋店のすぐ近く、足立区の商店街に小さな集会場を構えた。地元には信者が多く、商店街主催の歓迎会も開かれた。正文学会は日現宗の派生新宗教団体から、正式に宗教法人化する事になる。


 やがて正文学会の噂はたちまち爆風のように日本を駆け巡り、信者数をブームとも呼べる程、急激に増やしていった。


 しかし、そこにはやはり吉原の意図が隠されていた。

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