九十一日目
今朝、九日後には神威を立とうと思っていることを玉藻様に伝えた。玉藻様には神威での殆どの滞在を、結局お世話いただいてしまった。改めて感謝を伝えると、玉藻様がコロコロ笑った。
「なんの妾の道楽じゃもの。妾も面白い思いを色々させてもろうた。」
旅程を聞かれたので答えると、興味深そうに肯かれた。
「確かに歩いてみるならその街道であろうな。女の旅人も比較的多いし、そもそも繁多な街道じゃしな。宿は混むことも多いから、日暮れに余裕を持って宿場に入らねばならぬらしいぞ。」
そんなことを細々と教えてくださっていた玉藻様が、ふふ、と笑った。
「こんなことを言うておっても、妾は神威を出たことはないのよ。それどころか遊女となってこのかた、この足で地面を踏んだこともない。最後に花をつんだのもどのくらい前であったかの。」
半ばまで上げた御簾から外を見る。夏の日差しは眩しく庭を照らしている。
「妾だけではない。王などと呼ばれるものは皆世間知らずじゃ。そもそも世間から切り離されてしまうしの。そなたが様々に見聞を広げれば、それは必ず国のためにもなるであろう。しっかり励む事じゃ。」
「そのうち、玉藻さまにもお話にまいります。」
思わずそう答えると、玉藻さまは、ちょっと目を見張ってそれから笑まれた。初めて見るふわりと花のほころぶような、ちょっとあどけなくも見える笑みだ。
「楽しみにしておこうぞ。」
午後から残っていた櫛をどこか買ってくれないか、探しがてら街に出た。
まず、もとの櫛を買った店に行ってみたが空振りだった。そもそもその店の櫛に勝手に細工をしたわけで、よくは思われなかったらしい。
似たような店はどこも同じようなあしらいだったので、旅の道具なども扱っている店に持っていって見た。
試しに置いてみるとのことで、先渡しはなしで売れた分だけ払ってくれるらしい。
帰りに座卓と脇息を探してみた。いいなと思うものは高い。なまじ目が肥えてしまったみたいだ。
とりあえずお気に入りの納豆とお茶を買い込んで帰った。




