八十七日目
ザヴィータの商館長が来た。
堂々と正面から玉藻様に面会を求めて。壮年のガッシリとした紳士だ。
玉藻さまは御簾を下ろし、私にはさらに衝立を立てた後ろに控えるようにとおっしゃられた。
「王にはご機嫌麗しゅう。」
濃紺の立衿の上着とズボンの上下は厚手のしっかりとした生地でできていて、黒い刺繍が袖口や裾に施されている。その上から肩に留める形で魔術師の衣を纏っていた。たぶんザウィーダの礼装なんだろうけど、ここでは暑くて堪らないだろう。もっとも当の本人は涼しい顔で着ていたけれど。
「今日は、どうなされた。」
知らない顔ではないようで、玉藻さまの態度も知り合いにたいするものだ。ただし親しげというわけではなさそうだけど。
「いやいや、先日花街の方で何か騒ぎがありましたようで。お尋ねするならやはり遊の王かと。」
案の定な用件に玉藻様がうっすらと笑まれる。
「なんの、ありきたりの心中騒ぎじゃ。そうそうあっても困るが、中々無くなってもくれぬ。」
「何やら異変があったとか聞きますが。」
相手もすぐには引き下がらない。
「浮女に妙な魔術を使うたようでの、暴走したのじゃろうな。死んだ浮女はさぞや怖い、苦しい思いをしたことじゃろう。酷いことをする。」
「その心中騒ぎとやらの折に。」
ザウィーダの商館長は更に粘った。
「リリカスの上級魔術師が動いたとかききましたぞ。ラジャラスで海賊を退治したとかいう魔術師です。今はこちらの客人だとか。」
玉藻さまの目が細くなる。
「これはこれは。まさか妾の個人的な客にまでお口を出して来られようとは思わなんだ。」
私は私でちょっとおたついていた。まさかここで自分が話に出てくるとは思っていなかったので。
「もしや御簾の内においでですかな。噂のアズライアどののご尊顔を拝したいものです。」
玉藻さまの声に混ざった怒気に気づかないわけもないのに、しれっと話を繋げてきた。こういう図々しさが政治に関わる必須の能力だとすると、私には向いてないなと思う。
「リリカスの御仁との面会ならリカドの商館に申し込むのが筋であろ。御簾の内を伺うような卑しい真似などなさらぬことじゃ。」
ピシリとした玉藻さまの言葉に、さすがの商館長もひいて、その話はそこでお終いになった。
「あれはそなたを見に来たのじゃな。まあいずれ来るとは思うておったが。」
お茶の時間にパンをつまみながら玉藻様がおっしゃった。
「すぐにもご招待だか面会の申し込みだかが来るであろうよ。」
それは私も思っていたけど、どうしたもんだろうと思う。
「個人としてのそなたに興味を持って招くなりなんなりするぶんには、問題はないからの。まあ、受けずとも問題はあるまいが。」
特に会っても仕方ないし、話題にだって困るだろうという気はする。何を話すつもりなんだろう。
「ザウィーダとしては、自国の血を引く娘のライバルとして警戒しておるのかもしれんの。」
「それはないですよ。」
だって私は新米だし、リリカシアなんて柄じゃない。なによりすでに王太子様を支えているアマリエ様がおられる。
母君がザウィーダの出身だとはいっても、アマリエ様は王太子様を裏切ったり、ザウィーダの手先になったりするようなひとではない。アマリエがリリカシアになられても、特にザウィーダの得になるような事にはならないだろう。そういう意味でもザウィーダがそんなことに興味を持つ意味がわからなかった。
「血を引く、無関係ではない、というだけでも、なんの関係もないよりはずっと良いのよ。」
玉藻様がの説明はわかり易かった。
「そなたがリリカシアになる気がなくても、はたからみれば候補の一人に見えるのと、裏返しのようなものじゃ。本当にリリカシアを動かせるわけではなくても、その可能性を提示するだけで他国への威圧にはなろう。つまりはハッタリじゃ。」
結局、あの事件の事を口実にザウィーダ商館長が訪ねてきたことへの感想を、玉藻さまに聞くことはできなかった。ザウィーダに関する風説は私がリカド商館できいたことだし、質問していいことかどうかわからなかったのだ。
もしかしたらしれっと聞いてしまえばいいのかもしれないけど。
難しいなあ。




