八十二日目
朝食の時に西の宿場まで行くと言うと、玉藻様が馬を貸してくださる事になった。厩があるのは知っていたけれど、覗いたことはなかった。長袴をはいているとちょっと厩には行きづらいし、切り袴に着替えた時は外出する時だったので。
厩には三頭の馬がいたが、一番若い雌の鹿毛をお借りした。
馬に乗るので久しぶりに普通の服を着た。侍女服でも乗れないことはないだろうけど、慣れた格好のほうが絶対楽だ。
久しぶりの馬は楽しかった。弓のような首と艷やかな毛の鹿毛は、なかなか気の良い馬で、はじめて会った私のことも快く乗せてくれた。
馬に乗ると思いっきり走らせたくなるけれど、街道なので早足ぐらいで我慢しておく。
リリカスの塔に入ってからはそうでもなかったけど、実家では毎日馬に乗っていた。リカドの中央を占める草原の、隅にあるあの町では馬に乗るのは必須の技術だったから。実家は定住してたけど、叔父たちはみんな遊牧をしていて、従兄弟たちはみんな馬に乗るのがうまかった。負けたくなくて一生懸命練習したものだ。
もし、リリカスの塔に入ることにならなければ、今頃遊牧の家に嫁いでいたかもしれない。
西の宿場は広い道の両側に広がっている。この道が神威から龍の肩まで続く街道だ。大体一ヶ月、三十日ほどで歩くことができるという。場所によっては乗り合い馬車もあるようだけど、それほどの数はない。そもそも龍の島には馬が少ない。神威でもよく使われるのなぜか牛車だし、街道でも馬は数えるほどしか見なかった。
街の中央の宿兼食堂で道の様子が聞けるということは、商館で聞いて知っていたので、入り口で馬を預けてはいった。
面白かったのは食堂の奥の壁一面に、龍の肩までの街道の地図が書いてあったことだ。そこに打たれた何本もの釘に薄い板のようなものに文字を書いたものが刺してあって、給仕や客がちょっと確かめに行ったり、何か書き付けた板を更に刺したりしている。板はどうやら焚付の薄板らしい。
「なんにします?」
単の袖を襷でからげた私と同年輩の娘が、注文を取りに来た。
芋と野菜をたくさん入れた味噌汁がおすすめだというので、それとおむすびを頼む。
奥の地図について聞くと、やっぱり道中の情報を焚付に書いて釘に刺してあるらしい。
「よその国からきたお人はたいてい面白がるわね。龍の島では結構普通のことなんだけど。」
情報の古くなった焚付は、普通に焚き付けとして使うそうだ。
「まあ、あんなに焚付ばかりはいらないから、近所に安く売ってもいるの。無駄がなくっていいでしょ。」
龍の項か顎まで行きたいのだと言うと、ちょっと首を傾げた。
「項より顎の方が便利ね。よほど事情があるんでなければ、懐からの直通の船より、肩を経由した方は便利よ。特に今は嵐の多い季節だから、あまり沖に出ない船のほうが快適だと思う。」
陸路でも嵐が来ると川が渡れなくなったりするので、余裕を見た方がいいと言われた。
食事のあと、地図のところまで行ってみた。確かに大きな川を渡るところが二箇所ある。
細々とした書き付けたも片っ端から読んだ。
帰りに考え事をしていると馬がちょっと不満そうに鼻を鳴らした。悪かったかなと思ったので、わざと神威の外を大回りして、軽く馬を走らせてから帰った。
神威の煮炊きはたいてい、普通に薪をかまどにくべておこないます。熱を司る精霊のあつかいが、明かりに比べて難しいためです。