七十一日目
朝食の席で玉藻様にパンを所望されてしまった。前にまつりにあげたのを聞いて、自分も食べてみたくなったらしい。午後からにでも商館に取りに行ってくることを約束させられた。
昨日もちょっと思ったけど、神威で過ごすなら神威の衣類の方が過ごしやすい。ラジャラスほどではなくても、リカドに比べればかなりベタッとした暑さの神威では、毛織物で肌を覆うリカドの衣装より、麻や絹の薄物を袴の上から羽織るだけの神威の衣装の方が風を通して楽だからだ。
もっとも、宮や楼にはいつでも涼風が吹き込んでいるので、本当に厳しい暑さと言うわけではないのだけれど。
神威の「神」というものの感覚を、ちょっと掴みつつあるように思う。
あの、中で光の踊る行灯は、踊り行灯と呼ばれているのだけど、明るくなると勝手に明かりが消える。灯りの精霊は夜に踊る性質をもっているからだ。昼の間に、銀色の粒を行灯の中に落とす。銀色の粒は水面に映る月光を、機織蜘蛛の巣を枠に張らせた月取り網ですくったものだ。食べると甘いので月光糖と呼ばれるそれは、量り売りで買うこともできるし、月取り網さえあれば自分でも簡単に用意できる。
面白いのは精霊は決して行灯で飼われていたり住み着いているわけではないということだ。
条件の整った場所で日が暮れると姿を結んで踊るという精霊の性質を利用して、条件の整った場所を用意しているだけ、らしい。
夕暮れ時に次々と勝手に灯ってゆく灯りはそれはもう美しい。晶灯の灯るリリカスとはまた違うゆらめきの強い明かりはとても幻想的だ。
舟を取り巻いていた波の精霊はもっとはっきりと人の意向を汲むもので、萩の宮が管理と仲立をしているらしい。
魔術師が力を取り込み術を発動させるのと違い、力が結んでいる「神」に意向を伝え、叶えてもらう。自我の弱い精霊とよばれるものなら、踊り行灯のように条件を整えるだけで済む場合もある。
午後からはリカドの商館にパンをもらいに行った。行ったついでにお茶をご馳走になった。乗ってきた船がリカドに向けて出港するのが、七日後に決まったらしい。リカドからの乗客は私以外はそのまま一緒に戻るそうだ。リリカスへの荷物を届けてもらうなら用意しなきゃいけないし、櫛ももっと数を作っておきたい。
帰りにこの間櫛を買った店に寄って、あと三十枚櫛を買った。それだけ買うとほとんど買い占めたみたいになってしまった。
寝るまでに五枚ほど細工できた。