六十六日目
朝からお風呂にはいった。
神威のお風呂は蒸し風呂じゃなくて、大きな浴槽に満々とお湯を湛えた湯屋と呼ばれるものだった。浴用着は着ないで裸で入るのは、最初ちょっとためらいがあった。
体を洗ってしっかり流してから、浴槽の湯に浸かる。なんというか、水浴びをお湯でやってるような感じだ。浴槽には薬草や香草を入れた袋が浸してあって、ほのかにいい香りがする。変わってはいるけれど、これはこれで気持ちいい。
湯屋から出ると神威の衣装が用意されていた。
せっかくだし、見様見真似で着付けられるかと悪戦苦闘していると、侍女が現れて手伝ってくれた。赤い長袴を胸まで隠れるように着て、上から若草色の単を羽織る。裏地のない上着を単と呼んで、袴のすぐ上に着るのだということは、侍女が説明してくれた。
袴の上に単、その上に袿を重ねて一番上に魔術師の衣というのが、基本的な着装なのだそうだ。今は夏なので、袿は抜かして単を二枚重ねるらしい。言われてみると宮様方も萩の御方も、その通りの格好をしていた。
さっぱりしてから、玉藻様と一緒に朝食をいただいた。
粥と青菜の漬物と卵の黄身の味噌漬け。それから納豆もついている。
卵の黄身の味噌漬けが絶品だった。
色の濃くなった黄身は匙で切り分けられるほどに固まってはいるけれど、口に入れるとねっとりと、凝縮した卵の旨味がとろけだす。
玉藻様は昨日と違って、簪と櫛を使って髪を簡単にまとめ、赤い袖の小さな着物を柔らかな帯でゆるく着付けた上から、薄紫の単を一枚羽織っただけの姿で、少しけだるそうに粥を食べておられた。
ゆるく合わせた襟元から白い見事なふくらみが見え隠れするのは、ちょっと目のやり場に困る。
「どうかしたかの。」
いきなり言われてちょっと困った。まさか胸の大きさに感動してましたとかいえない。
「あの、灯りの中で踊ってるのはなんですか。」
とっさに出てきた質問をする。いや、気になってるのは本当だし。
「おや、あれがわかるか。」
玉藻様はちょっと面白そうに笑った。
「もしかして、港からここまでの舟でもなんぞ見なんだか。」
船を取りまいていた水に浮かぶ姿や、風の話をすると、なんだか嬉しそうに頷かれる。
「あれがの、神じゃ。力弱きゆえ精霊とでも呼ぶべきか。」
魔術的ななにか、ではなかったらしい。ちょっと驚いた。
神ってああいうものなのか。
「ふふ、意外かの? 神も色々じゃ。強き神もおわせば小さき精霊もおわす。あの舟は秋の庭の萩の宮が管理しておったはず。萩のは水の精霊に好かれておるからの。」
萩の宮様と言えば萩の御方の旦那様。ああ言うお仕事をしておられるのか。
「誰にでも見えるというものでもない。神威では見えやすいものではあるがの。なるほど星の娘か。リリカシア様もよう名付けられた。」
キョトン、としていたと思う。
「星は運命の星、転換の兆し。なれどもそなたの諱のアジャは恵みの樹の名。良き名じゃ。」
質問はしなかった。こういう言葉に対する質問には、多分答えは返ってこない。そういうことはわかっている。だからこんな時は黙って耳をすまし、心に刻む。
「変化の兆しがある。世界を変える兆しじゃ。良きか悪きかを問うてもせんかたなきこと。変化とはただ変わること。意味をつけるは人の心よ。ただそこに恵をもたらす者あらば、人の心も良きに振れよう。」
玉藻様とゆっくりお話ができたのはこの朝食の時だけだった。
今日は私についてくれている侍女のまつりに色々教えてもらって過ごした。玉藻様の許しがあれば、街にもついてきてくれるそうだ。