番外編 十二歳の魔術師
「何をしてるの?」
いきなり声をかけられて、アジャはビクッととびあがった。今は新年の宴の最中、まさかこんな場所に自分以外の誰かが来るなんて思ってもいなかった。慌てて、魔力が制御を失う。
ブワッッ
制御を失った魔力は爆発的な空気の流れに変換されて、アジャの手の中で弾けた。
「きゃっっ。」
とさり、と誰かが尻もちをついたらしい音がした。自分も尻もちをついていたアジャは、飛び起きて声の方に走った。
「ごめんなさいっっ、怪我してない?」
アジャが潜り込んで魔法薬の調合に挑んでいた植え込みの隙間を、ちょうど覗き込める位置にアジャと同じ年頃の女の子が、尻もちの姿勢のまま座り込んでいる。紫がかった灰色のふわふわした巻毛に深いすみれ色の瞳。とてもかわいいその子は、ちょっとびっくりしたようだったが、アジャを見た途端にっこりと笑った。
「すっごーい。今のあなたがやったの?」
よく見ると絹の晴れ着を着ている。貴族か何かの子供なのかもしれない。
「私、あんなに強い力つかえないよ。すごいなあ。ねえ、あなた名前は?」
「…アジャ。」
ちょっと戸惑いつつアジャが答える。
「アジャ! 恵みの樹の名前ね。私はエリシア。ひいお祖母様もエリシアだったの。」
それが後にエドウィン三世の双王妃となる、アジャとエリシアの出会いだった。
この頃、アジャはまさに壁にぶつかっていた。初級魔術師の資格を取ってから、魔力の制御が効かなくなったのだ。どれだけ気をつけてはいても魔力はすぐに暴走をはじめる。まるで器に入りきらない水がこぼれ落ちてゆくように。
資格を取る前のほうが拙いながらも魔力を使いこなせていたぐらいだ。
今日も新年の宴を抜け出してこっそり練習していたのだ。新年になって一つ年上になった今日なら、少しはましになったのではないかと思って。
もちろんそんな奇跡はなくて、魔力は変わらず暴走して、知らない女の子に尻餅をつかせてしまった。エリシアに怪我がなくて良かったと思う。
ニコニコ笑うエリシアの顔を見ているうちに、アジャは無性に泣けてきた。ホッとしたのと、十二歳になってもちゃんと魔力を扱えない悔しさが、ぐちゃぐちゃになって頭の中を回る。
「どうしたの? どこか怪我した?」
エリシアが慌ててアジャを慰める。
なんとか泣き止もうとして、でも箍の外れた涙は収まらない。
(そっか、私泣きたかったんだ。)
人一倍魔力が強いのが自慢だった。誰でも使える簡単な魔術でもアジャが使えば見違えるような効果を生み出した。誰よりも早く、どんな呪文も魔法陣も使うことができた。
初級魔術師の資格をとるまでは。
資格を取った途端に強い魔力は強すぎる魔力になって、アジャの制御を受け付けない。今まで当たり前のようにできていたことが、何一つまともに出来なくなった。
一緒に資格を取った皆が次の階梯に進んでいくのに、アジャ一人が暴走する魔力を抱えて足踏みをしている。なまじ今まで一番先頭を走っていただけに、その焦りは相当なものだ。
「すごくないよ。」
しゃくりあげながら言葉を押し出す。
「魔力なんか強くても、ちっともすごくない。だって、暴走するばっかりで、結局なにもできないっっ」
「すごいよっ。」
アジャの言葉を遮ってエリシアが答える。
「魔力の強さは努力ではどうにもならないんだって、塔主さまがおっしゃっていたもの。」
扱える魔力には個人差があって、その上限は動かせない。それは個人の資質であり、上位の魔術になるほどにその資質がものをいう。有力貴族の娘であり、初級から都リリカスの塔の塔主でもある魔術妃の教えを受けてきたエリシアは、そのことをよくわかっていた。暴走する程の魔力を持つ魔術師なんて、エリシアも聞いたことがない。一体どれほど強い魔力を持っているのかと思うと、とても羨ましかった。
エリシアは器用に魔術を操ることにかけては誰にも負けない。けれど、それだけだ。
自分が大した魔力を持っていないことはもうわかっている。
人に劣るということはないけれど、人並み以上ということもない。それがエリシアの限界だった。
努力すればエリシアの母のように、中級上位にまでならたどり着けるだろう。でも、尊敬するリリカシアのように上級資格を取るのは難しい。上級魔術師の資格は努力だけでは届かないものなのだから。
「ねえ、塔主さまにお会いしない?」
涙でぐちゃぐちゃの顔をしたアジャに提案する。
「塔主さま?」
アジャが教えを受けているのは学び舎の教師や、師匠である薬師だ。魔術師の塔の門をくぐったこともない。
「そう。こっちよ。」
エリシアに手を取られ、アジャは混乱したまま走り出した。
歴史を左右する出会い、と言うものが確かにある。
この二人の少女の出会いは、まさにそういうものだった。
二人の出会い得る場所は、実はそれほど多くない。この年、リリカシアに連れられたエリシアが、アジャの暮らす町で新年を迎えたのは、偶然のなせる技だった。
本来なら都で迎えるはずだったところが、視察中に地方を襲った豪雨の対応に追われ、さらに悪天候で道中がはかどらずにリカドにたどり着けなかったのだ。
自分の事でいっぱいだったアジャは気に留めていなかったが、町は時ならぬ貴人の到来に大騒ぎだった。アジャの父である郷町も、リリカシア一行の対応に追われて、娘に目が届いていなかった。そうでなければ新年の宴の最中に抜け出すなど、さすがに不可能だったろう。
この後、町にはリリカシアの離宮が作られ、度々リリカシアが滞在するようになるが、それはあくまでアジャの存在あってのことで、そうでなければこの町とリリカシア一行の縁はこの時限りになっていたことだろう。
この夜二人が出会ったことは、リカドという国の運命を変えた。
(まさか、こんなところに申し子がいたとは。)
エリシアの説明をきき、アジャという少女を見て、リリカシア=イルミナは自分の目配りの甘さを痛感していた。
申し子というのは引き出せる魔術の極端に大きな存在だ。上級魔術師のうちでも申し子は飛び抜けた魔力を操る。普通なら何人もの魔術師が共同で発動させる大掛りな魔術も、申し子は一人で操ることができる。魔術師を戦力として見る場合、これほどに強大な存在は他にない。
申し子とは「魔術の申し子」という意味なのだ。
ただ、莫大な魔力を操る申し子の泣き所が初級の魔術師資格であるというのはあまり知られていない事実だ。
引き出す魔力の大きすぎる申し子は初級資格の枠に収まることができない。資格を取るための宣誓で扱える魔力に制限がかかるのは、主に術者の保護のためなのだが、これが申し子にとっては逆に働く。扱える魔力が制限されても、相変わらずの魔力を引き出してしまうからだ。扱いきれない魔力はどうしても暴走してしまう。
中級になればなんとか気をつければ扱えるようになってくるし、上級資格を取って制限がなくなれば、魔力の強さは問題にはならないが、そこまでたどり着くのが大変だった。
そんなわけなので、申し子には普通の修行の階梯を踏ませないことも多い。とにかく中級の宣誓までを一気に行ってしまうことで修行を可能にするために、わざと初級の宣誓を受けさせずにおく。最初の試験のときにすでに中級の実力を持つようにするのだ。
ところが、アジャの場合すでに初級の宣誓を済ませてしまっている。一度受けた資格を変上することはできないから、なんとか初級資格の範囲で魔術をあつかえるようになる必要があった。そうでなければ中級資格を取ることができない。
これは結構難問だった。
そうは言っても放って置くわけにも行かない。魔力の暴走が大きな事故につながりかねないからだ。このままでは本人も周りも危険に晒される。
アジャはその夜のうちに学び舎や師事していた薬師から、地元の魔術師の塔に引き取られる事に決まった。
自分がなぜ学び舎を飛び越して塔で教えを受ける羽目になったのかを、最初アジャはよくわかっていなかった。エリシアに引き合わされたリリカシアの手配ということはわかっていても、何故、という部分がわからなかったのだ。塔に通い始めて説明を受けて初めて、自分がどうやら他人と違うらしいことが分かった。
アジャの気持ちをまず占めたのは、重たい劣等感だった。
みんなと同じことができないという事は、アジャにとってすでに耐え難く恥ずかしい事になっていたし、それが当然であるとの説明はそれまでの劣等感を裏書きするものですあるように思えた。
魔力が強いとは言っても、制御できないのでは危険なだけだ。そんなことは毎日自分の魔力と向き合ってきたアジャこそ誰よりもわかっている。魔力の制御のための特別な訓練を必要とする事実が、アジャにとっては自分がいかに不甲斐ないかという証明になってしまっていた。
自分の力さえ扱いきれなくて、様々な人に迷惑をかけている、という認識だ。
通い始めた塔でアジャを担当した塔主である上級魔術師が、たまたま四角四面な性格をしていたことが、その認識をより強固なものにした。
ところで、この四角四面な初老の女性上級魔術師が、アジャの人生に思わぬ影響を与えたのではないかという説がある。
彼女には婚姻によらない娘がいた。
この時すでに嫁いでいたが、母親のもとによく子供を連れて遊びに来ていたらしい。上級魔術師の婚姻は条件が厳しく、女性上級魔術師が一人で子供を生むことは珍しくないが、かなり四角四面で品行方正な彼女が婚外子を産んでいたことはアジャに強い印象を与えたのではないかというのだ。
アジャが後に婚外子である長女マナリアを産んだ背景として、旅という非日常が日常となっていたことや、自分がリリカシア候補になりうるという自覚に欠けていたこと、母国の情勢を把握していなかったことと共に、女性上級魔術師が婚外子を産むことに抵抗がなかったことを上げる者は多い。その抵抗感のなさの大きな原因がここに起因する可能性は否定できない。
それはともかく、この時のアジャはそのまま潰れても不思議ではなかった。当時リカドには申し子が他になく、アジャに申し子ゆえに必要とする知識や技術を伝えられる魔術師はいなかった。申し子というものは本当に希少なもので、一時代にせいぜい十人程度しか現れない。アジャが先達から教えを受けられないのは、全く普通のことだが、十二歳の少女が自力で解決策を見出すのは難しいことであるのは間違いない。
この時期のアジャを支えたのはエリシアだった。
イルミナはこの希少な存在であるアジャを、地元の塔に預けっぱなしにする気は毛頭なかった。直ちに離宮を建て、自分も可能な限り教育のために手をかけたが、そうは言っても彼女も公務を抱えている。発見したばかりのアジャに手をかけることはできない。エリシアはその代わりのように自ら志願してこの地にとどまり、アジャを支え、友情を育んだ。
アゼランシェア候令嬢エリシアは女官長を務める母のもと、半ば宮廷で育てられた。リリカシア=イルミナ所生の第二王子エドウィンの乳母を、叔母のグレイン夫人が務めていた縁もあり、イルミナとはごく親しく、十歳の年にリリカスの塔に入ってからは宮廷と塔を行き来する生活となった。今回のリリカシアの地方巡幸にも王太子アルフレッドとアルフレッドの乳母子ダニエル。王子エドウィン、そして従兄弟でエドウィンの乳母子であるエルドレイ、エルドレイの妹レティシアと共に同行した。
子供の同行者が多いのは二人の王子の教育を兼ねた巡幸であったためであろう。更にはこの直前に上級魔術師の資格を取ったばかりのアマリエ−フィラナンドラも同行している。
彼らの特徴はその意識の高さであろう。
王子たちの「ご学友」である彼らは、この後王子の側近として頭角を表してゆくが、アジャは結果的に彼らの仲間として迎えられた。郷長の娘程度の身分としては破格の話だが、申し子であったことの他に発見者がエリシアであったことが状況を決定づけた。
エリシアは自分の知るすべてをアジャに教えようとした。もちろん同い年の少女であるエリシア教えられることはたかがしれている。それでも薬師になるための教育を中心に受けてきたアジャよりは幅広い知識があり、これがアジャの転機になった。
「これ何?」
アジャが魔法陣の一つを指差した。
「これは遠隔で火をつけるんだって。戦場魔術はすごいねえ。」
二人の少女が仲良く頭を寄せ合って眺めているのは、最近届いたばかりの本の一冊だ。
送り主は第二王子エドウィンで、題名は「戦場で使用される魔術 基礎編」だった。宛先が彼と同い年の少女二人であることを思うと首を傾げる選択だが、結果的にアジャはこの本に興味を示した。エリシアとしてはアジャの気が引ければそれで良い。
新たな師の厳しい指導とエリシアの励ましのもと、アジャは引き出した魔力の一部を逃がすという難題に挑んでいた。暴走してしまう分の魔力を術から切り離そうというのだ。術の外に逃がせば魔力は散ってしまうという理屈だが、実行にはかなりの困難が伴う。逃したはずの魔力がどんな形でか術とつながってしまい、妙なところで暴走するというようなことも多く、アジャは苦労していた。
そのアジャとしてみるとわざわざ遠隔で炎を操るという発想が興味深い。戦場の魔術には他にも遠隔の魔術が多く含まれていた。
自分から離れた場所であっても狙って使えるなら、それはもはや暴走ではない。また、何人かで連動して使う魔術の記述もあり、これがいっそ同時に2つ以上の術を扱えないかという発想の契機となった。
アジャはエリシアの助けを受けて、魔法陣の解析に励んだ。四角四面な師匠にはこんなおかしな術の使い方は叱られそうに感じて言い出せなかったが、アジャにしてみれば発動する術がいくつだろうが暴走するよりはマシである。
エリシアが魔法陣の作図法のさわりを学んでいたことが大いに助けになった。
アジャが見出された新年の宴のひから三ヶ月とちょっと。
突貫で建てられた小さな離宮が完成して、リリカシア=イルミナがやってきた頃には、アジャは複数の魔法陣を同時発動させる方法の基礎理論を確立しかけていた。
もちろん、誰も先達のいない状況で新しい魔術を組み立てるのは簡単なことではない。アジャがその理論から一応の方法論を完成させ、さらに自在に使いこなせるようになるまで二年という月日を必要としたが、それは年齢と経験を思えばありえない程に早い進歩である。
十四歳の春、ついにアジャはリリカスの塔に入る。
十二歳の新年に出会った少女たちは、その生涯の最期まで無二の親友であった。