百五十一日目
出発の準備をしていると、お嬢様に呼ばれた。
「アジャどの。」
えらくかしこまっている。
「二つ名をお聞かせ願えませんか。」
ちょっと、驚いた。バレてたのか。
別に隠していたわけじゃないけど、上級魔術師であるのは一行の誰にも言ってなかった。いうほど大した上級魔術師じゃなくて新米だし、別に誰もきいてこなかったし。
「アズライアです。」
なので素直に答えた。
「あの、」
逆に質問を返す。
「いつから気づいてました?」
「船に乗ってるときから、存じておりました。」
お嬢様の隣でふじどのもうなずいてる。
「何度も輪を近くから見る機会がございましたから。」
確かに看病のために二人の近くに寄ることは多かったし、輪には所属の塔と階級を示す階級章がついている。たいして目立つものではないし、魔術師を見慣れないだろう龍の島の人に気づかれたのは意外だった。何より船での二人は船酔いで参っていたはずなのに、対した観察力だ。
「二つ名をお持ちの魔術師のお世話を受けられましたことは、この身の光栄でございます。密かな誉れといたしますわ。」
まあ、あまり公言されない方がいい。
「些少なものですけれど、記念の品を贈らせて下さいませ。」
そう言うとお嬢様ー菊野は紫の絹の袋を差し出した。受け取って開けると、中には聖白銀の細い針金の一巻きと、夕焼けを思わせる色合いの小さな玉が三つ入っていた。独特の癖のある匂いがする。
「良い香りの手巻をつけていらっしゃいますけれど、糸がいくぶん緩んでいるようでしたので。糸はゆるみやすいですし、よろしければお使いください。玉は実家の領地で稀に採れるものです。どうぞお納めください。」
腕輪を外し針金を取り出した袋の中で、そっと糸を切る。ばらけた珠の中から木滴を二つ摘みだして、菊野に差し出した。
「では、交換にしましょう。菊野どのの前途がよいものでありますように。」
菊野は嬉しそうに受け取ってくれた。
異国に嫁ぐのは大変だろうけど菊野なら大丈夫だ。見た目よりもはるかにしっかりしている。
旦那様から賃金を受取り挨拶をして、私は中村屋を後にした。
煌都は広い。リリカスや神威に比べてもかなり広い
目指す塔は西の外れで、中村屋は中央やや東寄りだから結構歩きごたえがあった。
日の傾きかける頃に川についた。
大きい。
龍の尾の付け根から懐へ向かうのに内海を通ったけれど、あの幅に劣らない。
なんてすごい量の水だろう。
巨大な川は滔々と流れてゆく。
その巨大な川を渡るのに渡し船があった。
渡し船としては随分大きな船だけど、川を背景にするとそれがちっとも大きく見えない。銅十枚を払って渡し船に乗った。
水の色は茶色く濁り気味で、どう見ても澄んではいない。船端から覗いても水中はろくに見えていなかった。
対岸は宿場町だった。
こういうところは龍の島でも煌でも同じらしい。
時に人の足を止める川の両岸には宿場ができる。
そしてあまり大きくない宿場を抜けると、そこは冬営地だった。
今は数少ない家と畑が有るだけの町を通り抜ける。町が草原に変わる境目に塔はあった。
すでに日が暮れかけていたので、急ぎ足に塔に向かい門を叩いた。
所属と階位の確認の上、寝室に案内された。
三階の二間続きの寝室は、どう見てもかなりいい寝室だと思う。夕食は塔主のお誘いを受けている。ここはちゃんといい服に着替えなくちゃ失礼になるんだろうなあ。