百十九日目
船に乗った。
やはり客室は大部屋で、それどころか衝立もなかった。さすがにちょっと厳しい。これじゃ隠れて晶屋を使うことも出来ない。
板の間に筵が敷かれていて、そのむしろの一枚が一人分の場所のようで、荷物を置くと何とか横になれるぐらいの広さしかない。壁には申し訳のように釘が打ってあるが、着替えや笠をかけるのがせいぜいだろう。
もちろん、龍の顎まではリリカスからのように遠くはない。問題がなければたった三日の旅だ。それでも三日はなんとかしのがなければならないわけで、中々厳しい状況だった。
見ていると他の乗客はみんな私より遥かに大荷物で、その荷物を積み上げて寄っかかったりしている。
私はなんとか隅の場所を確保すると、荷物の積み方を工夫して隣との間のしきりのようにした。寝具を包んでいた風呂敷を解いて壁の釘にひっかけ、上から笠をかけて押さえるように固定して、荷物に軽くかかるようにすると、なんとか衝立っぽくなった。
晶屋を使えるほどではないけど、丸見えよりはマシだ。
全体を軽く魔術で固定して、崩れないようにする。
朝が早かったので早速横になっている客も多い。私も即席の衝立の陰で壁にもたれ、神威で手に入れた本を読み始めた。
神具の構造や発動条件の本で、玉藻さまの蔵書を写してもらったものだ。神威では割りと一般的な知識らしいが、私には珍しくて面白い。
魔術は自分の魔力を使って、自然魔力を取り込んで行使する方法だけど、神具は精霊の発生条件を整えるのが基本的な考え方になる。精霊というのは一定の条件下で結ぶ結晶のようなもので、その条件を整えてあるのが神具だ。月光糖が魔術における術者の魔力のような、きっかけとしての役割を果たす。
神の恵み濃き神威という、その神の恵みというのはこうして目に見える精霊の働きであり、滞在中目にすることはなかった玉藻さまのもとに通ってくるという神々の存在でもある。
きっちりとつかめたかといえば心許ない。けれど感覚としての違いはわかる。
神威はリリカスに比べて混沌としている。
あえて言うなら、モノの形が変わっても不思議とも言い切れないような雰囲気とでもいうか。
リリカスはずっとはっきりと全てがわかれた感じがする。
自分でも何を書きたいのかわからなくなってきた。
ただ、ちょっと魔術が使いにくい。小さな術はそうでもないけど、大技はどんなふうに影響が広がるかが読みにくい。
神威からは離れても、まだそういう感じは続いていて、それはきっと龍の島全体がそうなのだろうと思う。
夕食時に本当にお湯が配られた。
木の椀に干飯と干物をちぎったのを幾つかと味噌を入れて、そこにお湯を注いでもらった。しばらくふやかして雑炊風になったのを食べた。
あまり美味しくなかった