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照れ隠し尖頭器

作者: 平津戸 周

 アシュラはいつも一人だった。親も兄弟もいずに、群れの仲間からは避けられていた。小さな虫をいたぶったり、獲物の骨でマンモスの絵を描いたりしている時は気が紛れたが、それでも、群れの子供達が遊ぶ様子を遠目に見ている時は、胸の底がしくしくするような心持ちにならざるを得なかった。

 両親はすでに他界していた。母はアシュラを産んだときに亡くなったときくし、父は数年前に殺された。

 アシュラの父は現在の長と、長の座を争って敗北したのだ。

 勝利した長は、敗者の息子のアシュラにも冷たくあたった。群れの仲間も長に逆らうまいとして、アシュラは群れの中で孤立してしまった。孤独なアシュラに救いの手を差し延べようとする者もいたが、たいていは長に目をつけられると目立つ行動は避けた。

 権力争いで男の喧嘩が起こることはしばしばあるが、そのためにアシュラのような孤児ができることはそう多くはなかった。父が亡くなっても、たいてい、母や兄弟、祖父母、そうでなくても親戚の誰かがいる。

 父の敗戦後、アシュラは石器の作り方も、狩りの仕方も、全て独学でやらねばならなかった。長のいないところで、こっそり群れの仲間に教えを請うたり、仲間の狩りの見よう見真似で、なんとか今日までやってきた。

「おい、それ違うんじゃねぇの?」

 アシュラが尖頭器を柄の先端に結び付けていると、頭上から嫌いな声がした。

「結び方。そんなんじゃ石器がすぐ取れてマンモスに踏み潰されるぜ。ああ、そうか。お前、早く父親のトコに行きてぇのか」

 意地の悪い笑みを口元に浮かべた彼は、長の息子のコツだ。

「明日は大物狩りだから、群れの男全員で狩りをするらしいぜ。よかったなぁ、これなら下手くそでも分け前が少しはもらえるぞ」

 そう言ってコツは、ゲハハハハ、と下劣な笑い声をあげた。アシュラはきっとコツを睨みつけた。コツはそれを無視し、「それにしても」とアシュラの身にまとっている毛皮を汚らしそうにつまんだ。

「ボロい毛皮着てるな。一人じゃあまり獲物を捕まえらんねぇもんなぁ?」

 そういうコツの毛皮はいつも綺麗で、暖かそうだった。

 長は狩りの名人だという。親が狩った獲物の毛皮がたくさん手に入るのだろう。

「何なら分けてやろうか? ん?」

「……いらない」

「でもよ、寒いだろう。明日の狩りも身体がかじかんじゃあ、危険……」

「いらないってば!」

 アシュラはコツの言葉を遮った。

「親の臑をかじっている奴の手なんか、借りない」

「なんだと」

 コツの顔色がサッと変わった。太い眉を吊り上がらせ、口をきつく結んだコツは、踵を返し、父親のもとへ歩いていった。

 コツの父親の周りには、狩った獲物や収穫した木の実を持って多くの人々が集まっている。あまり食糧を獲得できなかった者のために、皆で分け合うのだろう。

 困った時は助けあうのが群れの決まりだから、頼めばアシュラも分けてもらえるだろうが、どうせ目も合わせずに心ばかり渡してくれるのが関の山だ。なにも冷徹な人ばかりというわけではないのだが、アシュラに食糧をこころよく沢山分け与えでもすれば、その人は長から疎まれることになる。そうなると今度はその人が皆から避けられることになるのだ。誰だって、それは嫌だろう。

 コツが立ち去ると、なんだかいっそう胸が空いたようになった。群れの人々の集まりを背に、アシュラはひとり黙々と槍作りを続けた。

 そういえば、コツが結び方が違うと言っていたっけ。正しくはどうすればいいのだろう。

 ちらり、と群れの人々がいるほうをみた。アシュラを見ている人は誰ひとりいない。アシュラは肩をおとし、ぼんやりと、結びかけの石器の先端を眺めた。群れの人々の話し声が、遠くさざめいて聞こえた。


 日が傾いて、誰かが火を焚きはじめた。住まいにしている穴に入っていたアシュラの頬を、差し込んできた火の光がほんのりと照らした。アシュラは貯蔵していたささやかな肉の燻製を、ゆっくりと噛んで大切に食べていた。

 この穴はまだ父がいた時につくったものだ。もともと岩壁に亀裂が入っていたのを、住みやすいように少しばかり手を加えた。父と二人の時は「狭いな」と笑いながら、身を寄せ合って眠ったものだ。今では、アシュラの小さな体にはこの穴は少しばかり大きいくらいだった。手を伸ばして、穴の壁に触ると、ころりと石がとれておちていった。

 ふと、外から入ってくる火の明かりが薄暗くなっているのに気付いた。誰かの影がかかっているのだ。誰がいるのだろうとアシュラは穴から顔を出した。そこには、髪を木の枝で束ねた女の子が、唇に人差し指をあてていた。彼女は無理矢理穴に入ってきた。

「ちょっと、何?」

「しーっ、声を静めて。ここに来てるのばれちゃったら、叱られちゃう」

 彼女はアシュラとよく遊んでくれる、クレハという子だった。親の反対を押し切ってアシュラのもとへ来てくれる数少ない友達だ。

 クレハの身体がアシュラに押し付けられてあたたかい。人肌の温もりなど、久しぶりに感じた。

「ほら、お腹空いているでしょう。一緒に食べよ?」

 クレハは大きな葉に包んだ肉の燻製と山菜を見せた。一人分しかない。きっと、自分の分をわけてくれるのだろう。

「……いいの?」

「だいじょーぶ! 私はおかわりできるから、好きなだけ食べて」

「ありがとう」

 二人で入る穴は、いつもより暖かかった。山菜を一つ、口にいれると、旬の香が鼻にぬけた。おいしい。

 肉の燻製も不思議と、一人で食べていたときよりずっとうまかった。

「クレハは優しいね」

「そうかな。私は『あの人』のほうが優しいと思うけど」

「あの人?」

「うん。見ていて微笑ましいほど不器用な人よ」

 クレハは誰か教えてくれなかった。アシュラは今まで優しくしてくれた人を一人一人数えていったが、わからなかった。

 クレハは燻製を少しだけ食べて、残りをアシュラに差し出した。

「残り全部食べて」

「え……そんな、悪いよ」

「いいから。明日、狩りなんでしょう? 体力つけて大物とってこないと」

 にこ、と笑ったクレハは、アシュラの手に食べ物を握らせ、穴から出て帰ってしまった。

 残されたアシュラは手の中の食べ物に目をやり、少し迷った後、がつがつと食った。その口元には抑え切れぬ笑みが漏れている。まだクレハと触れていた部分がほんのり暖かかった。


 早朝、森の木々を伐採して作られた小さな集会所に、群れの男達が集った。昨晩、仕方なく自己流で結び付けた槍を、アシュラはもってきていた。他の男達の槍と見比べると、明らかにアシュラの槍は石器がぐらついていた。

 ふと視線を感じてそちらに目をやると、コツが悩ましげな表情でこちらをちらちら見ていた。

 群れの男衆が揃ったところで、長であるコツの父が吠えた。

「我々は勇ましい狩人だ! どんなに大きな獲物が出てこようとも、臆せず立ち向かえ! 我らが妻や子に旨い肉をたらふく食わせてやろうぞ!」

「オーーー!!!」

 長に答えて、男達が叫び、槍を掲げた。気を高ぶらせた男達は、その後、いつものようにそれぞれの持ち場に散っていった。これからあちらこちらに散らばり、息を潜めて獲物を捜すのだ。

 アシュラはまだ大物を捕まえたことがない。狩りの腕がないのか、いつもちっぽけな命しかいただくことができない。

 解散してすぐ、誰かの大声が聞こえた。もう大物を見つけたのだ。大物の時は群れの全員の力を合わせなければいけない。獲物にやられて死者がでることも少なくない、危険な狩りだからだ。

 アシュラもすぐに駆け付けた。そこでは巨大なマンモスが大きな牙を振り回していて、下手に近づけば致命傷を負うかもしれない状況だった。集まった男達は各々マンモスに槍を向けてはいるものの、かかろうとする者はいなかった。誰かが最初にマンモスに襲いかかるのを、誰もが待っていた。

 そんな中、一つの影がマンモスに吠えながら向かって行った。

「躊躇うな! 臆するな! 男だろう、家族に食わせてやるんだろう!」

 長だった。その姿に鼓舞されて、多くの男がマンモスに突進していった。アシュラもいかないわけにはいかなかった。

 アシュラは生唾をのみこんだ。そして、目をつぶって、声の限り叫びながら、初めての大きな相手の脇腹へと槍を突き付けに走った。

 どん、という手応えがしたかと思った。しかし、槍の先がつるりとマンモスの身体を滑り、アシュラはつんのめった。

 目を開けてみると、石器がとれてしまっている。何かの衝撃でとれてしまったのだ。

 アシュラはただの棒でマンモスを突いただけだったようだ。残った棒きれで戦えるはずもない。

 逃げなければ。間近にマンモスの太い足が迫っている。逃げなければ。

 しかし、足ががくがく震えてうまく力が入らず、立ち上がれない。暴れるマンモスのそばで、アシュラは尻餅をついたまま、動けずにいた。

 そのとき、アシュラの目の前でマンモスに槍が突き立てられた。マンモスの血が、ぴちゃ、とアシュラの頬にかかった。

 背後から誰かに脇の下をぐい、と持ち上げられた。そのまま、後ろへ後ろへ引きずられていき、マンモスから離れていく。安全なところにつくと、乱暴に落とされ、背中が地面に打ちつけられた。

「この、馬鹿やろう!」

 仰向けに倒れたアシュラの目に映ったのは、顔を真っ青にしたコツだった。

「結び方、注意したろ! 意地張ってやり方きかねぇからだ! お前、もう少しで、し、死――」

 そこから先は言えず、鳴咽に変わった。あの皮肉屋のコツが、自分を助けた上に心配して泣いているのが信じられなくて、アシュラはその様子を呆然と見ていた。

「な……何で、助けたんだよ」

「仲間だろ、バカ!」コツがしゃくりあげながら言った。「親父達の争いなんて知るか! 俺は前からお前と話したくて、でも、うまく話せなくて……」

 コツはひたすら泣くばかりだった。

 そうしているうちに、大人達がマンモスを仕留めたようだった。


 それから、涙の跡を残したコツはむすっとして一言も喋らなかった。

 帰ると、穴の前でクレハが待っていた。ボロボロのアシュラとコツが一緒に帰ってきたのを見たクレハは、起きたことをだいたい悟ったようで、嬉しそうに、ふふ、と笑った。

「ね、私の言った通りでしょ?」

 アシュラは頬をかきながら頷いた。

 帰りの道中、アシュラは今までのコツの言動を思い出した。よく考えると、口が悪いが、何かとアシュラのことを気にかけてくれていた。それに気付かなかったアシュラはいつも突っぱねていたが、それでも、コツはたびたび話しかけにきた。あの気恥ずかしさを隠す口調で。

「二人とも、座って」

 クレハに言われるがままに、手近な石の上に座ると、擦り傷に何か緑のものを塗られた。

「何だよ、これは」

 ようやくコツが口を開いた。

「傷薬。二人が狩りに行っている間に作ったの。きちんと治しておかないとね」

「いらねーよ。ほっときゃ治る」

 コツは薬を塗ろうとするクレハの手を押しのけ、背をむけた。

「おい、そこの腰抜け。あとで肉貰いに行けよ。ま、マンモスに傷一つつけられなかったお前の分け前はほんの少しだろうがな」

という、皮肉を忘れずに残して去っていった。

 その時にコツの背中を見て嬉しそうにくすくす笑うクレハの顔を見ていると、アシュラの心から何だかおもしろくない感情がむくむくと湧き出てきた。

「クレハ」

 突然湧き出てきて自らの口を動かした思いに、アシュラ自身戸惑った。――クレハにこちらを向かせてやりたい、なんて。

「いつかお前のために大物とってきてやるから」

 クレハは驚いたような顔をして、そして、嬉しそうに頷いた。

「約束ね」

時代小説です。旧石器時代の。完全フィクション。

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