Ave Maria
ヘンリエッタ・シュナウファーがその名と姓、そして卿位を下賜されたのは、かつて自分が地に伏しもがいていた本能の坩堝とは正反対の、鮮やかな花々が咲き誇るボーデン湖はマイナウ島の草原だった。蒼穹に消え入りそうなヘルヴェチアのアルプスに囲まれた、湖上に浮かぶ人工の楽園で、ヘンリエッタは人間の作りし理性による精神の洗礼を受けた。
荘厳なバロック調の宮殿に詰める修道士や騎士たちは、数年前までは家畜に交じって農場の飼料で空き腹を満たしていた彼女を拒むことなく受け入れた。その事実を知っていようと、例えそうでなかろうと、彼女が袖を通す黒服と黒十字の腕章を見てなお、出自の差を理由に嫌悪を露にできる者などはいないだろう。事情を知るごく一部のFCA関係者を除けば、今のヘンリエッタは高貴で、清潔で、勇敢で、聡明で、また屈強な若き勇者であった。
とある高官の危機に身を呈してこれを救い出した英雄。武装親衛隊幕僚長官リヒャルト・ヴァイルブルクの墨付きに唾を吐きかけられる者など、それこそ総統閣下のほかには存在しないだろう。胸元で鈍く輝く鉄十字章がそれを許しはしない。
ヘンリエッタには学がない。標準的な帝国語は、おかしな訛りでおぼつかないし、ひどい吃音のせいで頻繁にどもってしまう。読み書きだけはそれなりに上達したが、それでもFCAの正規職員に比べると、頭の中のイディオムや語彙の量は雲泥の差。金釘流の筆記体は、自分以外の誰にも解読できない。けれども読書に勤しんだり、詩文をしたためるのは嫌いな習慣ではなかった。
ヘンリエッタには家がない。共和国のFCAが買い上げた畜産農家の敷地で、飛竜とその混ざりものと共に産まれ育ったからだ。猿人と混ざった半竜たちと轡を並べて穀物にむしゃぶりつき、糞便がそこここに散らばる厩舎で眠り、暇に飽かした飼育係が半竜を強姦するのを横目に、施設の床を這いまわる鼠の肉に齧りつく。口に入れば何でもよい、自分の肉体を生き永らえさせる蛋白源となるのであれば、それが哺乳類だろうが節足動物だろうが、人間のなり損ないに過ぎなかった彼女にとっては構わなかった。
農場での仲間は、ヘンリエッタと同じく二本足の猿人にほど近い半竜は少数派で、その多くは半人であった。猿人の上半身に飛竜の下半身。ブリタニア侵攻と将来的な東方への版図拡大に向けたFCA上層部の方針によって生を受けた、品種改良の賜物であった。雌雄を問わず女性的な形質を有することから、彼らはメリジェーヌ――――共和国における土着の霊性。蛇の下半身を持つ女であるとされる――――と呼称され、半年ほどの調教と速成訓練ののちに組織の空対空戦力として配備が進められていった。外見こそ猿人の部分はあるものの、人権は与えられず、教育は必要とされなかった。関係施設内でのみ使用される簡易的な指示の単語と合図だけが彼らに与えられた言語と知識のすべてであった。
メリジェーヌは基本的にFCAが用意した高等竜の精子とヒトと掛け合わせることで誕生するものの、ヘンリエッタのように竜の形質を半端に顕在させて産まれる個体も少なからずあったらしく、彼女らは総じて畸形とされ、正規のメリジェーヌとして調教が施されることはなかった。
規則に基づいて彼女らが殺処分されることは、ほとんどなかった。水頭症といった重度の先天的障害を患っていない限り、メリジェーヌの子は麗しい銀髪と新雪の如き柔肌、端麗な顔かたちを持って産まれてくる。彼女たちの成長速度は猿人や半人のそれと比べて迅速で、五年もあれば猿人の第二次性徴と同程度の身体的徴候を肉体に示し始める。長命で青年期が長く、外見的な老化の徴候が存在しないヘルヴェチア人に似た性質を持っているのである。
多くのケースでメリジェーヌの畸形は施設職員の慰み者となり、またモンマルトルの娼館に売られていくこととなるのは必然と言えた。実験的な試みと言える繁殖計画の副次的な経済効果は、FCA発足後の活動資金の中核を担うまでになり、そこに倫理をかざすことができるほど、当時の大陸は道徳的に成熟していなかった。
広大な敷地で施設側がすべての畸形の頭数を把握することは不可能であり、また、共和国FCA上層部も清掃や給餌といった直接の飼育を担当する下位職員にモラルを求めることはなかった。
しかしFCAにおける人員の増加と活動範囲の拡大、政治結社としての周知が大陸西部に広まるにつれ、強き帝国の礎となることを標榜する組織には、国粋主義的正当性と並んで、騎士道に通ずる前時代的な清廉さが求められた。政界・財界に名を置く古参のお歴々を抱え込む為に重視されたのが皇帝に連なる貴族筋の血統とその潔白であった。当然、飛竜とヒトの混血児を売春させて資金を得る手口が好意的に見られるはずがない。
民族共同体思想を謳い、大陸の救世を喧伝して回るには、公にはなっていないとはいえ、拝火の首長と諍いを起こした過去を持つFCAは少々行儀が悪い。既に上層部もそれは把握しており、懇意にしていた各国要人も承知の上の瑕瑾であった。ヘルヴェチア主導の団体ならばともかく、組織を統べるヴィッテルスバッハの家名の名の下に行われる治政からは、スキャンダルの種は可能な限り除かねばならない。
かねてより現状を疎んじていた幹部であるリヒャルト・ヴァイルブルクの潔癖を端に発する大々的な宣伝工作によって、対外的な意識改革に関しては問題もなく成功を収めた。元来帝国の富裕層に顔の広いヴァイルブルクにとって、造作もないことだった。FCA側の働きかけから数週間もすれば、開拓済みの市場の顧客――――与党要人の多くがデスクの下で畸形児の奉仕を受けながら、ヘルヴェチア人の愛人の髪を撫でつける。FCAの政治的正当性を議会で声高に主張するまで、時間も手間もかからなかった。
要するに、これはプロパガンダの一環に過ぎないのである。膨大なまでの既得権益を抱え込む地方領主や地主貴族の連中を、FCAが都合よく丸め込むための方便として、ヘンリエッタは祭り上げられたのだ。議会を篭絡してからの抜本的な裏付けであり、FCAおよび西帝国防軍は何としてもメリジェーヌの繁殖体制を盤石のものとする必要があった。
ブリタニアや東方連合への牽制には、常備軍への騎竜戦力の配備は必要不可欠であり、人語を解し、自身もまたウェポンプラットフォームとして機能するメリジェーヌは、実際にブリタニア騎竜兵団と交戦した経験のある西方総軍側からも高い評価を得ていた。既にFCAは帝国幕僚監部からの言質もとっており、こうした公式の国防ドクトリンとFCAの思想の合致だけでも、メリジェーヌ採用は貴族たちへの説得力を十分に有していたといえる。ヘンリエッタの登用は、大衆への明確なコマーシャルメッセージを有した広告塔を欲した要請によるものだった。
国民国家と権利概念の発達に伴って、勢力としては弱小であった半人による、身体的形質による形態差別からの復権運動は、主に北方共同体やユトランドにかけての大陸北部で根強く叫ばれていた。公的機関でないFCAがメリジェーヌを用いるならばともかく、協力を取り付けた国防軍側がこれを導入する為には、こうした人権機関を押さえる必要がどうしても出てくる。大陸人のマジョリティである猿人からは著しく形質ならびに形態がかけ離れた人々からの反発は避けられまい。
故にこそFCAは恐怖を煽った。そうした手合いは『顧客』になりうる。明確な敵さえ示してやれば、こちらの思うがままに憎悪を振りまいてくれる。猿人に忌まれる半人が憂いなく支配種族に名を連ねることができればよい。だからこそ、巧緻に長けたアジテイターであるヴァイルブルク宣伝相は、徹底的に拝火人を貶めてみせた。帝国と、それに連なる諸邦の臣民こそが神の寵愛を受けるに足る支配人種であり、そこに肌の色と脚の数を考慮に入れるのはナンセンスであると語った。猿人と半人に境などありはしない。みな等しく隣人。みな等しく同胞。みな等しく、魔物――――大陸社会を脅かし、下賤な言語で国家を破壊せしむる拝火を憎み、弓引く仲間である。
すべては魔族廃滅のために。
すべては勇者たるヴィッテルスバッハの威光を三千世界へと広めんがために。
大衆は自らの内に芽吹いた排斥思想の萌芽に一欠けらの疑義も持てなかった。一握りの宗教家や識者を除いて、彼らは『人間』と『魔物』との間に決定的な溝を穿つのに、大した躊躇いはなかった。
メリジェーヌもまた、『魔物』に限りなく等しい存在であった。
だが、当事者たるヘンリエッタはその事実に対して一握の猜疑も、また理不尽さを感じることもなかった。
ある者は言う。理性の啓蒙が足らぬ被支配生物には、己の産まれの不幸を呪うのは少々難しいのだと。なるほど、確かにその見識は間違ってはいない。的を射ることはできている。正確には、ヘンリエッタが自身の現状を不幸に思ったことはそもそもない。どうも連中は血統によって人間の貴賤が左右されるということを主張したかったらしいが、ヘンリエッタ自身も拝火民族の廃滅に疑いを持たない一人であり、異議を覚えることはなかった。
とどのつまり、これは生存競争の一側面に過ぎないのである。FCAの打算的な目論見によって誕生したメリジェーヌは、互恵関係によってその種の個体数を増やしていった。FCAなくしてメリジェーヌの個体数維持は果たせず、また逆も然りである。生命体を生命体せしめる条件は、繁殖によって種の絶滅を回避する本能的意向にある。そこに血統や貴賤の差を持ち出して議論のタネにしたがるのは人間の抗いがたい性であり、未だ智慧の実を口にせずして現在に至るメリジェーヌが人権を欲しているかどうかは別の問題だとヘンリエッタは思った。
ヘンリエッタ自身は、少なからぬ智慧の洗礼によって、野生の本能が牛耳る混沌の渦から半歩ほど秩序のもとへと歩み寄ることができた。ただしそれは単に知識の量が増加しただけであって、観念によって編み上げられる思考に大きな影響をもたらすほどのものではなかった。
種を存続させるという遺伝子に刻み込まれた本能からの要請。滅私による半自動的思考活動。
今でこそ『人間』として扱われるヘンリエッタであるが、その本質はこれまでと変わらぬ野性のそれであった。変わったとすれば、遵守するに値する絶対的な規範が明確な形質を有したものになったことだけ。
マリアンヌ・クレア・フォン・ヴィッテルスバッハ。
ヴィッテルスバッハ家の長女。豊穣の神性の化身と評されるその女性が放つ気まぐれな母性が、ヘンリエッタという人格のイデオロギーに劇的な変革をもたらした。家畜だった半竜の畸形がヘンリエッタという名を持つ人間に昇華するに至るきっかけは、この白痴美の体現こそが担っていた。
知能に劣り、反して異性を悉く魅了する肉感的な肢体を持つ彼女は、文字通りヴィッテルスバッハ家の孕み袋として家名の売り込みに貢献していた。家柄こそあれど、その生きざまは文字通り娼婦のそれと変わらない。幸いなのは、彼女がどれだけの子を為したところで産褥に蝕まれることのない、天性の健康体だったことだろうか。いずれにせよ、男に抱かれることしか能のないマリアンヌの特異体質が大いにヴィッテルスバッハ、ひいてはFCAの偶像として快楽と劣情、そして勇者の血統を多分に振りまき、大陸社会を倒錯した慈愛の渦中に落としたのは事実であろう。
ヘンリエッタがマリアンヌとの邂逅を果たしたのは、彼女がヴュルテンブルクの廃墟じみた養護福祉施設へ慰問に訪れたときだった。
幸運にも娼婦の候補として数えられ、偶然殺処分を免れていたヘンリエッタは、ある日突然馬車の荷台に仲間と共に押し込められ、鉄道を経由してこの養護施設へと連れてこられた。
ヘルヴェチア国境にほど近いリッケンバッハに位置するシュナウファー養護施設は、長きにわたる慢性的な資金難に見舞われていた。精神、あるいは身体を病んだ患者と、それを世話する修道士たちが押し込められた、灰色にくすんだ棺桶。二十名弱の修道士に対し、その倍ちかい人数の患者を収容するこの施設は、前政権の福祉への無関心が作り出した産物に他ならない。繁華街や住宅から隔離された山林に建てられ、わずかな風の音や獣の遠吠えに、敏感な患者は恐慌に陥り泣き叫ぶ。完治の見込みのない重篤な障害者にわざわざ見舞いに来る家族など、年間通して十人もおらず、さながら施設は陸の孤島の様相を呈していた。施設の維持はこうした人々の家族から贈られる寄付で賄われているわけだが、状況は毎年越冬の危機に怯えねばならぬほど逼迫していた。
人の形をした畸形であるヘンリエッタたちは、ここでの奉仕を命じられた。修道女として真摯に勤めよとのことであったが、ろくに言葉を喋れないので、初めのうちは元いた施設と同じで家畜も同様の扱いだった。最初の二週間で四人が患者の暴行による内臓破裂と脳挫傷で死に、肺炎をこじらせた一人が雪中で昏倒し凍死した。死体の処理もまたヘンリエッタたちの仕事だった。患者は間接的に金を産むが、半竜の畸形の後始末をすすんでやりたがる修道女などいなかった。施設に雇われている瘻の下男について回り、見よう見まねで同胞だったものの解体と火葬を覚えた。
ここでの生活で何より堪えたのは寒さだった。基本的に暖房器具は入所者房と修道女の詰め所くらいにしかなく、ヘンリエッタの寝泊りする倉庫は吐息すら凍り付きそうな厳寒に見舞われた。消灯前に仕留めて保存しておいた鼬の死肉は、前歯で齧るとシャーベット状になっていた。起床するたび、仲間が一人動かなくなっていった。
ジャガイモの芽のかけらが浮いたスープと、石のように硬い黒パンだけを求めて、ヘンリエッタは奉仕を続けた。ミサの祝詞も、南部訛りの帝国語も、自己防衛のために自然と身についていった。
そんな生活が二年も続いたある日。施設裏の山林でストーブ用の薪割りに疲れ、腰を下ろして野兎の前脚を食らっていたヘンリエッタに、豪奢な白のドレスを纏った貴婦人が、危なげな足元でふらふら近寄ってきた。
「ごきげんよお」
何一つのストレスを感じさせず、ふんわりと破顔する女性。新たに入居した患者ではなさそうだった。彼らがこのような穏やかな笑顔を見せることはまずない。昨今増加しているという『C』と呼ばれる症病に罹患した患者とも違うようだった。
「あなた、かわいいのね。あなたもここの修道女さまなの?」
腰まで伸ばした金髪は滑らかに波打ち、フリルのあしらわれたアール・ヌーヴォードレスの胸元から除く谷間は深い。身の丈は並の男よりずっと高く、見上げたヘンリエッタの視界は婦人の豊かな乳房でいっぱいになる。婦人は身を屈めて、ぼんやりとヘンリエッタの貌を見つめた。
いいにおいがした。花とも異なる芳醇な乳のよい香り。鼻腔を麻痺させ脳をこね回す魔性の香気に、ヘンリエッタは釘付けになった。文明によって遺棄された原野も同然だったヘンリエッタの心理に、合理主義の息吹がさしこんだようだった。合理的に、そう、この女性のために自分は何ができるのだろうと。はじめ、ヘンリエッタはどうして自分がこの婦人に並々ならぬ感情を抱いているのか理解できなかった。感情――――そう、本能から逸脱し、発達した思考運動たりえる感情が発露したことと何某かの関係があるのだろうか。雄が思うがままに雌の性器を求める欲求のくすぶりとはまた異なる、『そうせざるにはいられない』渇望が、ヘンリエッタに芽吹いた瞬間であった。
「あらあ。みてみて」
素っ頓狂な声を上げる婦人は、無邪気なしぐさでヘンリエッタの背後を指さした。年かさは若手の修道女より一回りは上だろうが、その振る舞いは患者の見舞いに訪れる幼女とさして変わらないように見えた。
「くまさんがごはんたべてる」
婦人の指先にある木々からは、山のように巨大な黒い物体がもぞもぞ蠢いているのが垣間見えた。濃い茶褐色の剛毛に覆われた羆だ。ヘルヴェチアの山間部から降りてきた個体だろうが、ここまで施設に接近してきたケースは今回が初めてだった。婦人の言う通り、羆は捕らえた獲物のはらわたを口にして咀嚼している最中だった。不意にその双眼がヘンリエッタと婦人を向く。二年前までは日常的に接していた理性なき瞳。ヘンリエッタはほぼ反射的に薪割りの斧に手をかけた。
羆が咥えていたはらわたの持ち主は、おそらく修道女ダイアナのものだ。あの羆の足元に転がる死肉がダイアナのものであるならば、近くには分裂病で入所していた老女カーヤの死体も転がっていることだろう。自身をプファルツ宮中伯の落胤の子孫であることを疑わぬ妄想の住人だ。カーヤはいつも年若いダイアナを指名しては、この先の林並木を闊歩するのを日課としていた。脚が萎えているので、あの耳障りな金切り声が聞こえてこないということは、大部分を噛み砕かれて胃に収められているか、もしくは保存食として雪と泥に埋められているかだろう。
婦人は頑としてこの状況を理解しない――――否、できないようだった。自分があれに食われることを想定できないのか、ふわふわとした気質が揺らぐことはなかった。それに相反するように、ヘンリエッタの足は捕食中の羆へと向かっていた。まるで彼女の気質と香気に充てられ、不可視の糸に操られるように。
傀儡であることには変わらなかった。糸を操る者が本能か、それともこの魔性の婦人であるか、それだけの違いだ。半ば人間に傾いていたから、ヘンリエッタは婦人の側になびいた。ただ、それだけの違い――――
いいや違う。違うのだ。
この感情の奔流は決して違う、これまで味わったことのないこの昂ぶりだけは、種の存続だけを目的とした本能の要請によるものでは断じてない。これは、私だ。滅私を求める私が渇望する思考の猛りなのだ。この、地上の全生命のうち最もか弱く脆弱にして、これ以上なく美しくたわわに実った母性の白痴美を守護せねばならぬという厳命だ。この思考の形態自体がヒトよりもケモノに寄ったものであるという自覚はあった。ワタシを滅して、この母性に仕える。
ああ、なんて。
なんてワタシは幸せなのだろう。
Gegrüßet seist du, Maria, voll der Gnade,der Herr ist mit dir.
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方。主はあなたとともにおられます。
Du bist gebenedeit unter den Frauen,und gebenedeit ist die Frucht deines Leibes, Jesus.
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子も祝福されています。
Heilige Maria, Mutter Gottes,bitte für uns Sünder jetzt und in der Stunde unseres Todes.
神の母聖マリア、わたしたち罪人のために、今も、死を迎える時も、お祈りください。
「――――Amen」
口をついて出たのは、日ごろから耳にしていた升天教の成句と聖母への祈り。
獣は神に祈らない、だとすれば、ここで婦人のために――――斧を握るワタシは何だというのだろう。高揚に震え、できすぎた聖書の逸話の如きこの場面に立ち会ったワタシは、一介の家畜なのだろうか? もはや家畜でも構うものか、飼い主があのお方であればそれでよいのだ。あの方の血肉となれるのであれば、喜んでこの命を聖餐杯に捧げようではないか。
歓喜に震え、涙がこぼれる。ヘンリエッタは本能の獣に向かって、雪に覆われた地面を蹴った。箍の外れたげたげた笑いが、患者の叫びをかき消すように林中へと響き渡った。