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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
ハイン入団
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金色の王子

ハインリッヒ・アルベルト・シュヴェーグラー 03/04/1932

「よいですか、いかに常人よりかはましな力を得たとしてもハインリッヒ君。あなたはまだ十六、世が世なら働きに出ている年とはいえ、今は時代が違います。あなたには相応の学力も常識もある、ですので――――」


 転校という手続きを経るのが妥当でしょう。


 そんなブフナーの計らいに、少なからずハインは面食らった。ハインにとって非常識、非日常の体現でもある騎士団、そのもっとも懐の探り辛いブフナーの言とは思えないほどにまっとうな提言だった。仇討という倫理に反する目的を利害の一致と言ってのける集団の一員にしては、いささか穏やかすぎる。


「別にあなたが我々の一員と知れたところで……そもそも誰がこんな事を信じるでしょう? たとえ蛇狩りや左翼急派の政党事務所に吹聴したところで、背伸びした子供の戯言としてしか思われませんよ。それにですね、あなたが刃を育むのにも必要な事だと私は考えているのですよ」


 話によれば、顛生具現の顕現を確かなものにする為には、できる限り温和な日常を尊重するような生活スタイルを確立させる必要があるらしい。


「我々は『鞘』。いつまでも抜身のままでは、いつしか錆びついて使い物にならなくなってしまう。それでは困りますよね? ですから、今一度異なる環境で日常を送ってはどうか、という……まあ、老婆心とでもとっておいてください」


 ホリゾントキュステ大学附属高等教育学校。


 史学専攻の大学に併設されているこの学校は、彼らのいう『儀式』の地にそびえる、誂え向きともいえる施設であった。ブフナーが戸籍と住所の変更をまかない、さらに身元引受人にまでなってくれていたらしく、高等部への簡単な筆記試験と面接を経ると、割かしあっさり入学する事ができてしまった。


 急な編入にも関わらず滞りなく春季セメスタに受け入れられたところをみるに、さすがは由緒ある古参の伝統校といったところか。分校での成績と経歴が役に立ったのだと考えると、なかなか複雑な心境だった。


「万一、州警が分校の件で何がしかの探りを入れてくるかもしれませんが……おそらく込み入った事は聞いてこないでしょう、『蛇狩り』ですら共和国(ガリア)側の左翼組織を疑っていますからね」


「でも、よく転校の手続きなんかうまくいきましたね」


「そりゃあ、まあ……すでに現地で生計を立てているメンバーもいますしね。」


「は?」


「予想外でしたか? 先も言ったように、私たちは顛生具現……聖剣の威光を有する存在である前に一人の人間です。ギアの変動と言えば、わかってもらえますか? 寝食の最中にも意識をトップギアに持ち上げて殺気を振りまいているわけにもいきませんよね。魔術行使においてもそうでしょう、一部のごく簡易な術を除いて、精神の平静と高揚をみずから制御しなければなりません」


 至極もっともな物言いだったが、人外の異能を、それこそ魔術を大きく上回る能力を有する彼らが一般の常識が支配する社会に紛れている事にちょっとしたおかしみをハインは感じた。


「有り余る力で公権力を叩き潰して窃盗をはたらく、なんて事は朝飯前。しかし、それが平静を心に抱く人間のする行為でしょうか? 違いますね。それでは野を放浪する獣と何も変わりがありません。我々は人間です、理性ある人なのです」


 理性あってこそ魔術を越える異能を使役する事が初めて可能となる。個我と彼我の境界のタガが外れた狂人には絶対に不可能な芸当だとブフナーは言い切った。


「ですから!」


 ぐっとブフナーはホリゾントの制服に身を包んだハインの両肩を掴み、


「若い君は、しっかり幻想と現実の境界を築き上げなさい。それが顛生具現を修める為の近道です」


「……はい」


「フルークと話がしたいのはあなただけではありません。我々も、想いはあなたと同じです。ですから、少しは仲良くなりましょう」


 やさしく柔和に微笑んでみせるブフナーは、年下のハインですらあきれるほど無邪気に見えた。



 春季の入学式を済ませると、ハインはそそくさと講堂から抜け出して荷物の送られた先の学生寮へ足を向けた。小さな都市区画丸ごと収まるくらいに広大な敷地を抜けると、人通りの多いひらけた街道沿いに出た。

 月半ばの納魂祭に関しては街ぐるみで関心があるらしく、ハインがかつて住んでいた街に比べると、時期こそ同じだが非常に活気にあふれていた。露店や屋台の骨組みが点在する様や、午後の談笑に耽る老若男女を目にし、ハインはなんとなく落ち着いたような気がした。ホリゾントに着くまでは騎士団の魔人たちに世話をしてもらっていたわけで、ようやく意識が現実の側に戻ってきたように感じたのだ。


(儀式って、やっぱり納魂祭に関する事で間違いはないはずだよな)


 ホリゾントでなければ完遂できない、そして同じく儀式を目的とするラプチェフ氏――――フルークもまた4月直前に彼らを裏切り、恐らく今はこのホリゾントにいる。


 ブフナー本人に隠す気がなかったというのもあるだろうが、納魂祭にまつわる何らかの祭祀を目標としているのは確かなはずだ。未だベルンハルデにもその件に関しては知らされていなかったが、とりあえずハインはそう仮定づけた。


 ハインにとっての目的は儀式ではなくフルークだ。あの男を捕えなければ始まらない、なぜ自分と兄をあを、そしてゼフィール達を蹂躙したのか。返答如何によっては、命さえ奪う事も厭わない。ハインを非日常に引きずり込んだ張本人だ、警察に突き出す前にベルンハルデやエミリアと私刑という制裁を加えてやる事さえ正当なものに思う。


 あの男が憎い、昂ぶると未だに脇腹に、臀部に、奴の生暖かい手が、体液がへばりついているような感覚さえ想起してしまう。ともすれば足は竦み腰が抜けるほどの恐怖の汚濁が心の奥底に住み着いているのだが、今はそれを憎悪と義憤で原動力に転化するほかない。


 このまま泣き寝入りしてたまるものか、悔し涙はあの燭台(メノラー)の前ですべて流し切った。



 学生寮はレンガ造りの五階建て宿舎で、両開きの入り口のプレートには『ホリゾント学徒寮5号棟』と記されていた。男女比はほぼ五対五で、近年の改築によって部屋の大部分は相部屋を想定した作りになっていると聞いていた。ハインら男子の部屋は四階と五階に割り当てられているとの事である。


 荷物を開けたら腹ごしらえでもするか、などと考えていたハインが扉に手をかけようとすると、ぐっと強く内側から扉が開かれた。意図せずよろめき、そして思わず扉から出てきた人物にぎょっとした。


 ささくれ立った針葉樹の表面のようなぼさぼさの黒い長髪を振り乱しながら現れたのは、ハインの背の丈をゆうに越す大女だった。制服と思しき上衣とひざ丈のプリーツスカートは皺くちゃで、場所さえ違えば浮浪者に見間違えそうな風貌と言って差し支えはない。脂ぎった長い長い前髪のせいで表情は伺えなかったが、ぎらぎらした白目が辛うじて見て取れた。


「すいません……ふ、ふふふ……」


「ど、どうも、失礼しました」


 笑っているのか憤っているのかわからないか、女は低く喉を鳴らしてふらふらと敷地の外へ消えていった。


 一瞬本当の浮浪者が寮に窃盗目的で潜り込んでいたのかと思ったが、玄関付近の管理受付でうとうとしていた管理人の老爺の反応を見ると、どうやら彼女もまたこの寮の住人らしい事がわかった。もちろん、確証が持てたわけではないのだが。



 螺旋階段の頼りなげな欄干を伝っていった先に、ハインの402号室はあった。


 この部屋も確か相部屋だったはずだ。しかも、情報によれば同居人は自分と同じ高等部一年生。直帰した自分より早くはないだろうと思い、ハインは施錠を外して部屋のドアを開け放った。

 到着が先なのだったら、先に備え付けのシャワーでも使わせてもらおうと思ったのだ。さすがに初日から上級生や大学生とも共用の一階シャワールームを使う気にはなれない。


 そうして部屋に足を踏み入れたハインの目に飛び込んできたのは、学生相応の狭いながらも情緒あるアパートメントの一室――――ではなかった。


「えっとっ、あの……君……」


 玄関脇のシャワールームからたった今出てきたようなその人物が身に纏うのは、胸に巻いた薄手のバスタオル一枚きり。薄い産毛まで煌めいて見えるその雪原のように白い肌は熱気で桃色に、ブロンドの頭髪は先にドライヤーで乾かしてあったのか、ふんわりと雲のようなボリュームをもつボブに仕上がっていた。


「おう、びっくりした。ごめんよう、先にシャワー使わせてもらっちゃって」


 低めだが、若い女子のような特有の聡明な声色で軽く同居人は言い放った。


「あああ、君あれでしょ、ハインリッヒ・シュヴェーグラー! 良かったよ、小鳥みたいにうるさそうな女子でも、田舎のバカそうな筋肉ダルマでもなさそうでさあ」


「ちょっと、ちょっと待って! 待っておくれよ! ふ、服っ! 服を……」


 同居人の名は確か、クルト・バヴィエール。ブフナーや生活指導課からも女子などという事は聞いてはいないし、男女二人で寮生活など不健全はなはだしい。しかし、目の前のクルト・バヴィエールはまさしく湯浴みしたばかりの女子そのものであるが――――


「よろしく、ハインリッヒ。男同士、気楽にしてこうよ」


そう言ってバスタオルを腰に巻きなおしたクルトであったが、やはりそれでもどこかもどかしく、ハインは言葉なくはにかんだ。

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