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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
Золото́е князь
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バルムンク・オルタネイティヴ

 大粒の雨を真正面から顔で受けると、存外痛いものだなとクルトは思った。そして、自身の身に起こった体験を反芻し始めた。やがて彼はたった今味わった『未体験』の感覚に打ち震え、その美味に体を捩じらせた。


 好奇心という獣が腹の中で歓喜に打ち震えている。もっと興奮を、さらなる享楽をよこせと、際限なく猛り狂っているのだ。


「ひっひひひ、ひゃーーーーっはっはっはは、すぅーーーーげぇーーーーなアレ!! ひっひひ、くくくく……見てたかよ姫ェ、今のやつをよォ。あれが顛生具現ってやつだろォ!? やべェーーーー!! パネェーーーー!!」


「打ち所が悪かったのかしらん? いっちゃん螺子が緩んでんのはアンタなんじゃないのお?」


 クルトの嬌声に応じた声の主は、希少な地虫を観察するかのように彼を眺めていた。フリルのあしらわれた純白の傘を差し、大の字に横たわるクルトの頭上にしゃがみこんで、嘆息気味に彼を嘲る。


「だけどよ姫ェ、オレァこんなの初めてなんだぜ!? そりゃあ姫は毎日のようにあの気狂いどものお目付けをしてんだから茶飯事なのは当然だろうがよォ!」


「ン。でもまー、そこまで喜んでもらえるなら悪い気はしないわねえ。アンタみたいなアホの極みとはいえねー」


 姫――――ミランダ・ヴィッテルスバッハは、その外見相応とは言えぬ無邪気な微笑みをこぼした。両膝の上に大きすぎる乳房を載せ、その上を腕の置き場にしている様は、淑女が有するべき高貴さに著しく欠けている。女児と違わないほどに甲高いその声が、ミランダという存在の無垢なるアンバランスさに拍車をかけていた。


「しかし、自分でろくに試した事もない技術をぶっつけ本番でやろうと思うかしら」


「ここ最近はタマ取られそうになるような事なんか無かったからなあ! ああ、マジで、マジで最高の気分だぜ!! 今日ほど姉貴を信じて良かったと思う日はねえ!! きっとオレに玉とサオが揃ってりゃあ、今頃ギンギンに勃起してんだろうなあ!! たまらねえぜ、ああたまらねえ!! うひゃはははは!」


 あはははキモイキモイバカみたい、ぱちぱち拍手しながらミランダはきゃあきゃあ笑った。


「ともあれ、連中の小手先の《抜刀》程度なら、アンタでも防げるってのは驚きだわねぇ。いやほんと、聖剣さまさまだわ」


「ああそうさ、オレァ誰にも負けねえ。負ける気がしねえ!!」


 全身に多少の打撲はあれど、クルトの五体は彼の思い通り問題なく動く。すっくと立ち上がり、身体を前後左右に捻って嬉々と語った。


 直立すると、二人はまるで親子のようだった。ブロンドヘアから聳える双角を含めれば、その身長は二メートル半ばをゆうに越すミランダに対して、相互の関係は対等に見えどもクルトはあまりにも小柄であった。勇者と古竜の血脈にあるミランダに比べれば、眼下の少年のなんと矮小な事か。


「で? これからどうする気ィ? (フュンフ)のコを追っかけるのお?」


「当たり前だろが。オレは彼が好きだ。オレは彼を守りてえ。あんた、彼と面識あるんだろ。霊視とやらを使や、割かし簡単に見つけられるだろ」


「あー無理無理無理。あたしそういうの超苦手なの。そーゆーのはウンブラ姉さんの十八番なの。アンタこそどーなのよ。パリからわざわざ本物の聖剣引っ提げてきて何もできないなんて言わないでよね」


「あのな姫よォ。オレァあんたらと違ってパンピーと大して変わんねえんだぜ。撃たれりゃ超痛ェし殴られりゃ死んじまうんだ」


「あたしの知ってる猿人は四階から飛び降りたら死ぬんだけどお」


「そりゃしゃーないわ」


 ゆらりと胸元に手をかざす。クルトの手指の周囲に、火花の如くのたうつ蒼の燐光が駆け巡る。やがて一際燐光が強まり、クルトは拳に虚空を握りしめる。指は空を切ることなく、確かな重みと硬さを皮膚と筋肉に伝えた。その手ごたえを離すまいと、握った右手を勢いよく真横に振り払う。


 純ヴォーパル鉱石を媒介とし、反物質の満ちる負の大海へのアクセスを可能とするのは、クルト本人の身体を流れる血統の賜物であった。そして、ひとたび現界すれば現存するありとあらゆる事物・事象に向けて間接的に欲望を逆流させる神業を可能とさせるのが、彼の右手に握られた剣だ。


「俺の結んだ縁だ。とくりゃあ、オレが彼を見つけるのが筋ってもんだよなあ」


 刃渡りは実に彼の背丈と変わらぬ程度、外見は顛現術の発現形質と同じく、行使者の主義主張や哲学を色濃く反応したもので、ここではクルトの哲学を反映した形状を有していた。深い蒼のパーティングラインが刀身を縦横に駆け巡るその様は無骨にして美麗、一見すれば巨大な鉄板のようにも感じられる、片刃の大剣であった。


 人類がヴォーパル鋼、ひいては人外の理を自在に行使する勇者なる存在に信仰を抱くようになった最初期の黎明の時分より、人々はこぞってこの切先が示す負の大海への接続を試行した。いつしか海はアガスティア、アーカーシャなる名を与えられ、求道の究極として据えられるようになった。以来永きに渡って人々の探究の眼を欺き続け、ついぞアークソードの恩恵を以てしても、史上の人理はこの物理的真空――――否、真空ではなく、この世ならざるマイナスの坩堝――――を捉えることは無かった。


 この世ならざるこの世を捉える為の眼は、人ならざる人にしか与えられなかったのだ。この特権は勇者と呼ばれる、永く大陸の戦乱の渦中にあった血脈の者にのみ開花した。彼らの振るったと伝えられる五柱の聖剣は、アガスティアへのアクセスをより容易なものとするコネクタとしての機能を有していた。煩雑なプロトコルを要さず、ただ感覚的に妄想と欲望を現出させる、究極にして無二なる神の玩具群。


 そのうち一振りが、クルト・バヴィエールの手の内にあった。


 否、クルトが鞘として剣に誂えられていたのだ。聖剣の真の持ち主の手によって。


「騎士団さァん。オレたちも混ぜてくれよなあ、この最高にくっだらねえ一勝負によお」


 かくして宝剣バルムンクは、七十年の時を経て再び帝国の地に現界を果たした。

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