クルト・バヴィエール
クルト・バヴィエールは、己の容姿への自賛が自惚れで終わるほど間違っていないことを自覚していた。ゆえに女遊びには苦労しなかったし、小遣いにも困ることはなかった。みすぼらしい奉公先で二束三文のために頭を下げ、ノミ程度の知能の持ち合わせもない箆棒に足蹴にされるのなんて屈辱の極みだ、衣食住に不自由しない環境と、そしてこの容姿を与えてくれた義姉と先祖には足を向けては眠れない。
手指で軽く触れれば、真綿のようにふうわりと優しい感触を返す自慢の髪は、クルトの自慢のひとつだ。項の隠れる長めのボブで、色は目も眩むようなゴールデンブロンド。女との逢引きがあろうがなかろうが、この手入れだけは欠かすことができない。
髪だけでなく、素肌だってそうだ。もともと体毛の薄い質だが、スキンケアと体毛処理の両立を満足いくかたちにまで仕上げるのには少々骨が折れた。一瓶四百マルクの婦人用シェービングクリームと、オーダーメイドの剃刀を使う。帝国はミューレの剃刀を使い続けて早五年、未だ刃毀れなくクルトの肌を滑らかに撫でつけてくれる。
美容であれ何であれ、クルトは妥協が好きではない。向上心こそが人間を育む土壌であり肥料であると信じている。
最近心残りだったのは、勉学で少々遅れをとってしまったことだろうか。成績はおおよそ主席と評して差支えはないが、上から数えて九番目というのがなんともまあ半端極まりない。最上位帯はヘンシェルとかいういけ好かない無愛想な女で、その直下も同じく顔も名前もその日のうちに昼飯を喰ったら忘れてしまうほどに面白みのない連中ばかり。念のため個人情報を洗ったものの平々凡々、好みにかなう女もいないし非常に不服な結果であった。どいつもこいつも職業訓練を先延ばしにしたいが為に、親の金をあてにして入学してきたような奴ばかり。親族の庇護のもとにあるという点は大して変わりはないのだが、棚上げは運良く天恵にありつけた者の特権だとクルトは解釈している。
ハインリッヒ・シュヴェーグラーは、成績こそ語学と史学偏重であるが、外面が非常に良いので教師受けがよい。鉄面皮を貼りつけたような営業スマイルで陥落する女どもを見ていると、すわこのオレの天下も終わりかと肝を冷やした。もっとも十五で身を固める気などさらさらなく、女とつるむのに遊び以上となると御免被りたい。一人の女に肩入れして得られるものなどたかが知れている。化粧水や頬紅に関してはクルトの方が知識が豊富で、調理もまた然り。うまいフリカッセを作れない女を娶るつもりなどない。
また、飯をうまそうに口にかっこむ女でなければお断りだ。痩せの大食いは構わないが、骨と皮の貧相ななりで霞を食んで得意になっているようなのは、抱いていて非常に不愉快になるので勘弁してほしい。自分なりに高みを目指すがゆえの行為なのだろうが、クルトの理念とは合致しない。経験則だが、その信仰に耽溺する女で周囲を魅了するカリスマを備えたやつを見たことがないからだ。
そんなクルトの眼鏡にかなう相貌を有したのが、ハインリッヒであった。一度ふざけて手持ちの化粧用具でメイクアップしてやったら、素材が良いのか技術の賜物か、クルトの思い描いた美神バルドルもかくやと呼ぶべき麗姿と相成ったのだからたまらない。手鏡を覗いてすぐにハインはその顔つきを嫌がってメイクを落としてしまったが、クルトの関心をより一層引く結果になったのは当然といえた。
そもハインは口数こそ少ないが頭が悪いわけではなく、世間知らずの感もあるものの教養に長けており、また音楽を習った事はないと言うが非常に歌が上手い。顔立ちから抱いた一目惚れめいた興味だったクルトにすれば、ハインは金銀プラチナでそこかしこに装飾が施された宝箱――――マトリョシュカのような存在であった。開くたびに外見同様驚嘆すべき代物を見せつけてくる、義姉に次ぐ『気遣い』に値する人間。
意識的に好奇心を抱くことで、はじめて人間は高みへと跳躍できるのだ。己にないもの、未知なるものへの気遣いが飢えを満たし、そして新たなる渇望への指標となってくれる。目にするものすべてが関心の対象で、何にも触れずにはいられない。だってもったいないだろう? 一度きりの人生なんだぜ。やり直しも利かない一発勝負だ。尻込みして後悔するなんてまっぴらじゃないか。ああしてれば上手くできた、こうであるなら成功する。そんな寝言をケツからひり出すくらいなら人間なんか名乗ってられない。出会ったすべてに総当たり、勝負については全額ベット。賭けに負けても懐から盗っちまやいい。
勝つのは好きだが負けるのも好きだ。ギャンブルが好きだ、勝負が好きだ、命を懸けた切磋琢磨が大好きだ。
クルトの人生観に、ゴールというものは存在しない。スタートラインを切れば最期、死という断崖に脅えるわずかな時間すら無駄と断じるほどに、彼は生に忠実であった。
己が只人でいることに耐えられなくなった、亡国の騎士と遜色ないほどに。