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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
ハイン入団
8/105

ホリゾント街道駅行 鈍行

ハインリッヒ・アルベルト・シュヴェーグラー 25/03/1932

 紅く照らされる南部の田園風景がガラス窓越しに流れていく。座席の肘掛にもたれ舟を漕いでいたハインは、谷間から射し込む夕陽に照らされ目を覚ました。数度瞬きし、こすりこすり目を正面にやると、


「おはよう。まだ着かないわよ」


 対面する座席には、長い脚を組み文庫本片手に読書に耽る(ドライ)――――ベルンハルデ・ヘンシェル。騎士団の黒衣の礼服ではなく、私服である白のハイネックシャツとタイトボトムス、その上に薄手のジャケットを羽織っている。同じく、ハインもまたごく一般的なブラウスとスラックスという私服姿。


 数ページめくっては、窓枠の縁に置いてある干しアンズの砂糖漬けがたっぷり入った袋にもう片手を入れて物色し、口へさし込む。列車の振動に合わせ、またおとなしめの咀嚼に合わせて揺れる黒髪をかき上げる。

 物静かで滅多な事では表情を崩さないベルンハルデは、エミリア・ハルトマンとはあらゆる面が真逆だ。彼女のシニカルで冷ややかな声と物言いは、ハインは嫌いではなかった。


「それとも、おなかでも減った?」


「そういうわけじゃないんですが」


「あげないわよ。次の駅で買って」


 涼しげにつぶやき、ベルンハルデは目を伏したまま干しアンズを自身のブリーフケースの奥にしまいこんだ。


「取りゃしないよ……」


 そうは言っても、薄くかおるアンズの匂いにつられて唾液があふれる。ズボンのポケットに手を突っ込むと、中にごろりとした丸い物体が。取り出してみると、それは薬包紙に包まれた飴玉。先日エミリアから渡されたものだった。


 躊躇はしたものの、出がけにブフナー付添いのもとで一度分校の寮の自室で荷造りをした。必要最低限の必需品は用意されたキャリーケースにおさめたものの、さすがに旅路で口にするような菓子類を詰め込む暇はなかった。


「いいもの持ってるじゃない」


 包みを開くと、そこにはミルクを垂らしたコーヒーのごとく、毒々しく青と緑が混ざり合った異彩を放つ球形。眉をひそめつつ鼻に近づけると、意外にも甘ったるくやさしい香りがした。

 ともあれ、口寂しさにハインはさほど悩むことなく舌の上に放り投げた。


「ハルトマン少尉のでしょう、それ」


「はあ」


「仲がいいのね。それとも、引き入れた本人だから多少なりとも面倒見る気なのか」


 あの態度で面倒を見られてはたまらない。ハインにとっては個人的に、エミリアは苦手な部類の人間だ。


「ふうん」


 ベルンハルデは本を閉じ、顔を上げて言った。


「彼女とは気が合いそうかしら。あなたと比較的(えにし)の近しい存在だものね」


 予想外の問いにハインが怪訝な顔をすると、


「私たちの中では、かなり知識を蓄えている側の人間。(アイン)やブフナー卿、アンデルセンに次いで本の虫なのよ」


「本の虫……」


 そう言われたところで、初対面のアウトロー、裏路地のちんぴら然とした彼女がハードカバーの分厚い史書を前に佇んでいるところは想像し難かった。


「それともブロッホ大尉? もしかしてシュナウファー大尉かしらね」


「ちょっと、ちょっと待って。何の話ですか」


 脚を組み直し、ベルンハルデははかなげに笑った。


「顛生具現、その特性」


「……」


 カールや、ブフナーの言にあったもの、そして彼らの有する外法の術。

みずからをヴェーヴェルスブルク(古城)の騎士と称する彼らが、東西戦争終結後に雨後の筍のごとく湧いたいかがわしい魔術結社マジックキャバルでないと断じるほどの要素は未だない。窮地を救ってくれたという恩義こそハインは感じているものの、かつて存在していた右派組織を模倣している時代錯誤の集団という感は未だぬぐえていない。


「まだよくわかっていないんです、あなた達の事も……その、顛生具現っていうのも」


「別に、こまかく知る必要なんて――――」


 そこまで言いかけて、一拍置いて言葉を紡いだ。


「――――そうね。あなたは、カール・クレヴィングの墨付きだものね。あまり嫌われるのも、ね」


 どうにも心持が好くない。ハイン自身もカールをあまり好いているわけでもなし、カールがいかに彼らの中で特別なポジションにいるのだとしても、ベルンハルデの言の含みに不愉快さを覚えた。


「私たちがFCA、大昔にあった帝国の右派組織をもとに成立した集団という事は、聞いているのよね」


「そこまでは、かろうじて。でも、顛生具現が何なのか、皆目見当がつかない。カール・クレヴィングもブフナーさんも、顛生具現の刃がどうこう言っていただけで。刃というからには、攻性か軍用術式の一種なんでしょうか」


「そうか……あなた、二種技能までは取得していたのよね。残念だけど、あなたの技能証明書、紙屑よ」


「は?」


「あなたは(フュンフ)の序列に並んだ。私たちの一員となった。その時点で、もう大陸魔術は使えない」


「どういう事なんです」


「どういうも何も……試しに使ってごらんなさいな。ほら、心を落ち着かせて、両手を合わせて、天にましますわれらが主に祈って……」


 言い終わるのが早いか、ベルンハルデは目に留まらぬ速さでジャケットの内から銃を抜き、ハインの目の前に向けた。


 鈍く銀に輝く回転式リボルバーの撃鉄がばちんと音を立て――――


「どう? 出ないでしょう、防性障壁(ブロッキング)


 弾丸は発射されず、そしてハインの意図した魔術現象も発生しなかった。


 幸いにもベルンハルデの脅かしだったらしい、彼女はそもそも装弾されていなかった銃をもとに納めた。反射的に口の中で簡易術式を詠唱した一方のハインだったが、かつて目にした淡い青の燐光を放つ簡易防護壁(シールド)は現れなかった。


「何に因るものでもない、咒式設計士(プログラマ)が凡百の消費者向けに考案した一般魔術。そんなものは、吹けば飛ぶような共通認識によって形作られた魔術モドキに過ぎないのよ」


「魔術……もどき?」


「顛生具現というのは、そんな人間が小手先で誂えたような子供騙しの埒外に存在する技術。言うなれば、聖剣の威光を欲望に転化する技術」


「聖剣……」


「自分ひとりで聖遺物の放つ神徳(ウィルトゥース)を独占し、制する……大陸で魔術だの神様だの竜神だのを有難がって崇め奉るような人間相手にだったら、聖人も同然に振る舞えるわ」


 あまりに突拍子なく、あまりに荒唐無稽。


 聖剣といえば、升天教において列聖される聖人の振るったもの。大陸から闇を払い、人魔による血で血を洗う戦乱に神の真意を以て終止符を打ったとされる聖遺物。神命を遂げた勇者とその三人の従者の魂は、貴く荘厳なる喇叭の奏でる旋律に導かれ、それぞれが人間の持つ理性の徳を示す剣として転じた。それは大陸各地に現存しているとされる。


 歯や腕骨といった聖人の遺体の一部、殉教した十二使途の処刑の有様を模った像、そして史実の人物が実際にその手で多くの人々の命を救い、育み、そして吸い、殺めた事実を経験として孕んでいるとされる、そんな品々の総称こそが聖遺物である。


「あなたにも、略式ではあるけど奉還(トランスティオ)の儀は施されている。胸の傷には気づいていて?」


 そう告げられ、胸の正中線上に軽く手をあてた。そこは、先日目覚めた際に見つけた、身に覚えのない傷が刻まれている箇所だった。


「『聖マウリティウスの剣』『聖カールの剣』と、大陸の升天教にも武器が聖遺物として発掘、奉還されているケースもままある。しかし、あなたや我々に納められたる『聖剣』と比較すると、すこし落ちる」


「霊験あらたかな聖遺物なんかより、もっとご利益があるとでもいうんですか」


「厚顔無恥ないんちき魔術結社の戯言とでも思ってる?」


「申し訳ないですけど、少しは」


「まあ、当然よね。でも、恩義はあるし利害も一致するから付き合ってやろう、と」


「そんな事は――――」


「いいのよ、別に。私たちだって好きこのんであんな胡散臭い魔術師の言いなりになって付き従ってるわけじゃないし。目的も信条もばらばら、ある意味魔術結社とは程遠い存在と言ってもいいくらいなのよ」


 自嘲じみた微笑みを携えるベルンハルデは、今までのどんな表情よりも冷たい感情を露わにした。そう、ハインには見えた。


「言うなれば私たちは『鞘』。その神意を発揮する祭壇であり、聖遺物容器(シュライン)でもある。では、私たちに納められた『聖剣』とやら。聞いたことくらいはあるんじゃあないかしら」


 救世主の遺体を包んだ聖骸布や聖人の頭蓋の一部。実際に目にした事こそないものの、教養としての知識くらいはハインにもあった。しかし、聖剣となると勇者伝承の一部にしか登場せず、名前すら明かされていないものがほとんどであり、芸術作品ではイコン、アトリビュートの一種として同一化されてしまっていた為、印象に強く残ってはいなかった。


「『聖アリスのエクスキャリバー』。それが私とハルトマン少尉、そしてあなたの心の臓に納められている聖遺物」


「聖アリス……?」


「東西戦争の際に在位していた、ブリタニア王族の一人よ。気の遠くなるほどの昔、『原初の勇者』の時代から生き続けていたとされる勇者……聖人の一人でもある。永きに渡ってブリタニアの為政に携わり、最期には戦後勃発したクーデターを治めるべく、その命を賭して剣の威光を引き出し生を全うした。他の聖剣と比較すれば、崇敬の対象としては割かしポピュラーかしらね」


 まるで、カタログに記載されているブティックのブランドを吟味するかのような物言いだった。


「それじゃあ……(えにし)が近しいっていうのは……」


「あなたの列聖に居合わせ、かつ同じ聖遺物の欠片をその身に宿しているから。(えにし)というのは魔術的に非常に重要な要素。複雑に絡んだ人と人、事象と事象の因果の中で、唯一可視化されうる要素だもの。我々の中であなたが一番グレゴール・フルークに辿りつく可能性が高いというのも、そういう事。私たちほど、人間の側から逸脱した魔術的要素のかたまり……はみ出し者っていうのは、なかなかいないからね。だからこそ……」


 再びベルンハルデはブリーフケースに手を突っ込むと、中から今度は干した林檎の砂糖漬けを取り出した。一切れを片手につまむと、口に咥える前に言った。


「二度と共通の認識(ふつうの魔術)の側には戻れない。見えないし触れない、信じられるのは自分の刃だけ。あなただけの欲望の刃、それが顛生具現。転生ってあるわよね? リーインカーネイションのこと」


「輪廻転生……?」


「そう。生物の死後、現世のくびきから解き放たれ、再び生を得て……ぐるぐると円環のなかで、(アートマ)の運動が行われている、そんな概念。最後の審判、なんていつ起こるか分からない救済なんかより、輪廻転生という、とりあえずは自己の死によって何らかのパラダイムシフトが起こる。いいわよね、何もかも捨て去って、それで新しく人生始められるんだったらさ。お家柄も、家族も放り出して、みんなみんな無責任にぶん投げられたら……それで、自分の思い通りの自分になれたなら……それ以上の人生、ないわよね。どう?」


「……」


 皮肉っぽく、どこか突き放した棘のある声色。

 穏やかな問いかけではあったが、ベルンハルデの面持ちはどこか厳しい。そして、その碧眼はどこまでも冷たく昏い。


「イカレてるって思わない? 顛生具現っていうのはね、要はそういう事なの。魔術が願いの免罪符、神様公認のズルなんだとしたら、顛生具現は神様になり替わるズル。聖書も祝詞も関係ない、輪廻の円環を抜けた先の楽園――――おれは強い、私が一番、僕が至上――――を具現化する、そんな技術であり、奇跡であり、刃なのよ」


 刃。


 カールに促され――――半ば強制された逆向き瞑想の末に得た刃とは、まさしく顛生具現のかすかな顕れだったのだろうか。いつ絶えるとも分からない憤怒、果てのない絶望の暗闇。それらを強引に、力任せに引き裂き、焼き尽くしていく憎悪と我欲の凶刃。


「どんな形であれ、その刃は自分だけの刃。せっかく神様がこういう切欠に巡り合わせてくれたんだから、せめて自分で刃を研いで、実際に抜いて見せるところまでには達してほしいものよね」


 すなわち、それが『抜刀』


「もう一度欲しいんでしょう? 平凡な日常ってやつが」


 そう最後に付け足して、ベルンハルデはまぐまぐと干し林檎を咀嚼し始めた。


 ハインはブラウス越しにぐっと胸に手指を押し当てた。


 仄かな温かみと鼓動を、確かに感じることができた。


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