デカダンスを嗤う蛇
「あなたは一体、どういうつもりなのですか」
非難のこもったアガーテの言葉がホールに響いた。緩みっぱなしのカールの表情とは対照的に、翠色の瞳でまっすぐ彼を見据えていた。
「どういうつもり、とは?」
「とぼけないでください、Ⅵ! あなたが私の目の前にいるというそれだけで、十二分におかしいのですよ。こちらを煙にまいてからかいたいのならば――――少なくとも、時と場所を弁えてください。いくら稀代の占星術師、FCAお抱えの咒式設計士とて、これ以上の干渉は危害とみなされてもおかしくはないでしょう?」
「危害とは。人聞きの悪い、私がどうして君たちに害したり、傷つけたりしなければならないのかな」
「もしその言葉が真実であるのなら、今すぐにここから立ち去ってください。もしくは」
一瞬、アガーテは息を呑んだ。これより間もなく口にする、このふざけた古参メンバーへの侮辱と取られてもおかしくない言葉。それを実際に発するのに、わずかな躊躇が水泡のように湧き上がったからだ。
「――――もしくは、館にかけられたまやかしを解いていただきたい」
「ふふ、くくくっ」
花盛りの女学生という見た目――――死体と並んで逆さまに釣り下がっていたとしても――――通り、カールは口元に拳を当てて笑みを淑やかに殺した。そこにはひとかけらの厭味もなく、ただ純粋に、アガーテの投げつけた疑念に対するおかしみによる笑みだった。
カール・クレヴィングは、他者を貶す目的で破顔する事は決してなかった。ここではわずかな稚気が噴出しただけであり、無論若輩のアガーテの失言を咎める気など毛頭ないのだろう。カールは腕組みをして返答した。
「何か、君は勘違いをしていないかな。私を買い被りすぎているよ、私だけでは、この【総体】の表面部に達するほど歪みを顕現させる事は不可能だ。それこそ、君たちのような顛現術士でもなければ。ただ今回のこれは、このガッリア・ベルギガという地理的条件あってこそのものだがね。この地に集積する因縁、そして超自然的な偶発作用の連続で奇跡的に組み上がった龍脈。そして、住民が死者の御魂の冥福を抱き、隣り合う異界に想いを馳せる納魂祭なる土着行事。諸々の因果関係の上に、この大きく深い溝は、結界は穿たれている――――私がここにいるのも、きっとそういう事なのだろう――――しかしながら、指定面積の範囲がこの館に限定されているのであれば、【総体】表面部を撫ぜるだけだろうな。核には遠く届かない」
「その……【総体】というのは?」
「君たちが顛生具現を行使する際にアクセスする、いわば情報の集積場だ。通常の魔術がどのようなメカニズムで発生するかは、元魔術師でもあった君ならわかるだろう」
そう言われたところで、数年前に顛生具現に目覚めた瞬間から一般的な魔術とは縁を切っている。知識としては持ち合わせているものの、現在行使している顛現術とは勝手が違いすぎて、共通項が即座に頭に浮かぶかといえば、ノーだ。
「広義に魔術と称される技術は、体内に循環する生命磁気的エネルギー《エーテル》を対外のアストラル半径に放出させ、これを多様な形状に変換させる事によって行使に用いている。そして、変換に指向性と安定性を備えつける為に使われるのが咒式だ。技術者の考案した咒式にエネルギーを載せる事で、ようやく人は魔術なるものを扱える。まるで、譜面通りに楽器を演奏するように。しかし咒式はともかく、思考力からなる魔力はその個人特有の――――その時点では、いわゆる妄想に過ぎない。魔力は根源的欲求、目的論的欲求の両面のアプローチによって発露するものではあるが、魔術として扱うにはこれを万人に承認させなければならない。あるいは行使する客体に、術の存在を共有させなければならない。だが、そんな御業はどう考えたって人間にはできっこないだろう? 魔力だ咒式だ何だと並べ立てたところで、いくら意志を昂ぶらせてもどうにもなりゃしない。傍から見れば狂人もいいところだ。だが、今の大陸を見てどうだね」
「老若男女……簡単なものならば、飛竜にも魔術は扱えます」
「そう、人間はその『癇癪を他人に承認させる為の手段』を天恵として手に入れた。それが、このガッリア・ベルギガにもそびえるアークソードだよ。誰の認識にもその存在を強くランドマークとして誇示し、隆起して七十年後の今では知らぬ者のいないシンボリックな旗印だ。帝国の龍脈を総べる、一際大きな大剣だ。人々は、この高密度分子構造体であるアークソードを介して初めて魔術を行使できるわけだが――――さて、この他者と他者を結ぶ役割を果たすアークソード、大元はどこに繋がっているのだろうか?」
言うなれば、網目のように連なる地下茎の中を一際太く貫く主茎、その先にあるもの。人間同士が共有する、理性よりも深層に眠る根源的な本能の海。産まれながらにそれを持ち、社会性に目覚めていく中で経験や理性の底に埋没していく無意識的な要素。現実世界に顕在する、リビドーが湧き出る源泉。
人々は魔術言語なる拙いメタ・コミュニケーションを以て、有史以来よりこの深層部への干渉を試み続け、そして七十年前ようやくその成果が日の目を見た――――それは果たして、本当に光射す亀裂からの栄光なのか、しかしそれを決める権利を有する者は地上にはいまい。
「そここそが【総体】。無意識の大地――――海とも表現されるが、アークソードの内包する高純度エーテルは、人の意志をその統合構造体に密接に接続させる機能を有している――――と、されている。みんながみんな、大多数がそう信じているからね。皆がそう信じるのであれば、信仰はそちらに傾くものだ。七十年前に人の縋った勇者信仰と習合されて、魔術は産声をあげた。いや……断末魔、かな?」
「断末魔?」
「神の名のもとに行われていた人魔大戦は終わりを告げ、新たな神を求める人々に首を掻き切られた。無念のうちに、真の意味での『魔術』は道を閉ざされたのさ。だって、そうだろう? 魔術は、人外の奇跡は、人の身に余るからこそ奇跡足り得るのだろう。共通認識のうちに扱われる魔術とやらは、果たして単なるコミュニケーションツール以上のどんな魅力を持つ? 人間はプロメテウスの入れ知恵なしで火を起こす事ができるだろう。なぜそんなものが必要なのだ? 自分たちが神の子だと安堵したいからか? 神は死んだ、自分たちで相互にナイフで喉笛を掻き切ってやったのに? 今度はカインとアベルの悲劇を自分たちで再現するか、それとも互いに心の臓を突きあうか、それとも――――新たな神の安寧に身を委ねるつもりか」
「生憎、あなたのような人種が何を言ったところで、白々しく聞こえてしまいます。安堵しているのはそちら、あなたがた『魔術師様』でしょう?」
先ほどから気が立っているからか、アガーテは皮肉たっぷりに毒づいた。普段の彼女ならば、尻を撫でに寄ってきた破廉恥なる狼藉者相手にしか発さないような口調。
「大衆を愚民だ、下劣だ、奴隷だと一方的に決めつけ、自分たちは権力に縋り蜜を啜る。魔術師や錬金術師、神学者の常套手段ではありませんか? これ以上ない対効果が得られましょう、愚かな羽虫や魔物に施しを与えてやれば信仰も得られる。宿主の王侯への上納も万事うまくいく。あとは生かさず殺さず民草に飴と糞を与えてやる。虫けらが一個の人間になる為の手段をありとあらゆる方法で潰して回って、かつてあなた達は広大な牧場を作り上げた。猿人も半人も分け隔てなく、そこで人は馬桶で水を飲み糞のへばりついた藁を喰って生きるのです。違いますか」
長い睫毛に包まれた翠色の瞳は、激しい蔑視の炎を滾らせていた。戦後生まれのヒューマニズムに、ブフナーの教育を通して少なからず触れてきたアガーテにとっては、王権神授の時代における権力者は、憎悪の対象でしかなかった。とりわけその権力に群がるペテン師などは、その腹の中では飼い主ですら嘲笑し、自分こそが叡智の深淵へ辿り着き、秘神の寵愛を我が物にせんと願い続ける悪辣な存在。一部の拝火文化と合一を果たした反升天教信仰などに姿を変え、現在でも魔術結社として活動を続けているのを、アガーテは嫌っていた。
それは恐らく同族嫌悪、自身もまたヴェーヴェルスブルク十三騎士団なる組織に与する人間の一人だから。人道より外れる事を蔑み、徳性を尊ぶアガーテの性質は、しかしとどのつまりは同じ穴の貉でしかない。アガーテ・オレンブルクもまた只人からすれば、外法の術を自在に操る異能の魔人なのだ。
自覚はある。だが、どうしても認めたくない。この眼前にぶらさがる魔術師さまを糾弾せずにはいられない。
己以外は皆すべからく智慧の欠片も持たない塵芥。説法を説いたところで理解する事はおろか、聞く耳すら持たない未開の野獣。否、牙も爪も削られた家畜。柵の中で、居もしない悪霊に脅えつづける豚の群れ。こういった感覚は、白の大隊の四姉妹と同じものを持ち合わせているのだろう。
アガーテは、半身のみとなったケンタウリの絞首死体に視線をやった。
「彼も、もしかすると虫けらから人間になる事を願った一人だったのかもしれない。しかし、現に彼に課せられたのはこんな、処刑とも呼べない虐殺です。土の上に上半身を出してもがいているからモグラみたいだ、だと。吹聴したのはどなたですか? 遡れば、彼をこうまで貶めたのは誰? 民衆の共通認識――――あなたの言うような【総体】が時としてそんな扇動を起こしたとしましょう、それならば扇動の種を蒔いたのは誰?」
権力者お抱えの魔術師、だろう?
私は違う。そのような無粋にして無教養、思考停止甚だしい考えなど欠片も持ち合わせていない。今の私は、厳密には魔術師ではないのだ。ありもしない深淵を探って命の灯を無為に燃やし、砂上の楼閣と何ら変わりない象牙の塔で求道に没頭する顛狂者ではない。顛現法という上位の法理にて、七十年かけて咒式設計士が作り上げた共通認識を超越したのだから。
しかしそんな強がりも、幼子すら容易に指摘できるであろう矛盾に突き当たる。アガーテの脆弱な自尊は、いとも簡単に瓦解する。眼前の道化こそが、他ならぬ顛現法の確立に寄与した張本人。有り余る才で作り上げた稀代の外法を惜しげなく騎士団に提供し、七十年の長きにわたって人々を冷笑し続ける化物。カール・クレヴィングの掌の上、愚かしくもなまくらを振り回し、駄々を捏ねているだけではないと。アガーテは断言はできなかった。
それでも、彼女の中の反発心は勢いを弱めない。育ての親であるブフナーから受け継いだアイロニカルな思考が、辛抱強く化物への屈服を抑えている。
それはあまりにも若く、一本気すぎる盲目さ。だが、あるいは騎士団の中では最も気高く、誠実に――――アガーテは、己の煮えたぎる欲望に忠実なのかもしれなかった。
「それは――――違う」
「違う? 何が違うのです」
「どうも、君は私に対してあらぬ誤解を抱いているらしい。さっきも言っただろう、君は……いや、君たちは私を買い被りすぎだ、と。私が不埒なる王の従者? 外法をもたらした化物? 逆にこちらが聞いてみたいよ、『それは一体何なのだ』と。確かに存在する人種なのか? それとも、そういう肩書か? 魔名か? 一体どれほどの事をしでかせばそう称される? 私は人を打ち負かしたり、騙したり、殺したり……そんな大それた能力など持っていない。私は確かな無能だよ、Ⅹ」
ほんのわずかに、毛ほどの憐憫の情を――驚くべき事だが――アガーテはカールから感じ取った。
「私はね、Ⅹ。君たち人間を地の獄へ誘おうとは思っていない。無論、安寧と快楽のみをもたらそうともしていない。私は取引を目的とした、けちな悪魔の類ではないからね。私は、そういった二元的な観念に基づく損得の概念を持ち合わせていない。君たちからすれば、言わば私は『機能的』なのだろう。私が君たちに顛現の法理をもたらしたのも、何者かの故意によるものではない。君たちが天を目指すのは必然であり、摂理だと言えよう。それは他ならぬ君たちが、『あちら』ではなく『私』により近しい宇宙法則に手を伸ばしたからだ」
「自業自得と言いたいのですか? 一挙一動すべて、単なる偶然によるものだと。無意識とやらに突き動かされた私たちは傀儡なのですか?」
「君たちに理不尽な業を負わせる気はない。そんな勝手は、私が絶対にさせんよ。『私』の側に着いた君たちを、誰が『向こう』にくれてやるものか」
深く。より深く、カールの口角が高く上がった。これまでの、どこか戯れの混じった笑みとは一線を画す表情。唾棄すべき汚濁に向けるような、一切の熱を感じさせぬ冷酷な微笑だった。
「泣いて乞えば力が湧き出る。世を嘆いて死ねば、誰もが天下無双の勇者と成る。死こそは全てを洗い流し、ありとあらゆる罪業を霧消させる。死、死、死。死さえあれば革命が起こる。死こそが総ての救い也。死の他に我に安らぎを与えるものはない、だから死を、死をくれ、死だけが欲しい。死を以て、やがて新たな生を得たい。新たな縁、新たな宇宙、新たな法理に囲まれて、晴耕雨読を求めながら――――その腐り濁った眼で見るのは己只一人だけよ。すべては輪廻の戯事、今生のくびきを力任せに引き抜く無粋極まりない力技で、一体何を求めるというのだろうな? 配られたカードに癇癪を起こし、ディーラーの首を叩き折るような振る舞いだ。ルールも何もあったものではない。勝負そのものが成立しない。盤上を自在に移動し、あらゆる敵を喰らい尽くす、不可視の駒を所望している。白痴の妄想そのものよ。一時の勝負はおろか、宇宙の運行もままならない。己こそが全にして、己こそが一。何も見えず、何も聴こえず、離す言葉は何一つ持たない。生物である事をも放棄した【永劫】に、君たちが堕するところを見たくないのだよ」
曰く、勇気。アガーテら顛現術士にあって、カールの言う【永劫】に欠けているもの。勇気こそが人間足りえる絶対条件であり、人間にのみ与えられた至高の権利。湧きいずるリビドーを望む形に転化させ、外圧を跳ね除けるエネルギー。それが、何ものをも超克する概念なのだと、カールは語った。
「正義の名の下にその美貌を散らした傾城の王后は、小トリアノンなる離宮にて、浮世の民の抱く原風景を側近と共に楽しんだという。農家ふうの建屋を用意した敷地でごっこ遊びに日がな一日興じ、その癖真にその光景を築き上げた民草には断固として目を向けなかった。無論、一概に当時の王侯と下層身分の価値観念を比較する事はできんだろうが、しかしこれを痴愚と呼ばず何と呼ぶ? 王侯たる身に降りかかる重圧を紛らわす為の逃避? 結構、それで解決できるのならば、彼女の非はむしろ人の生についてあまりに無知が過ぎた事だと言えよう」
閉じた宮殿内にて永劫に執り行われる、豪奢にして空虚なる演劇、舞踏、賭博、愛憎。至高の権力を得た強欲さに自制を求める事などは不可能であり、回りだした歯車は逆に流転し始める。そうなれば、もはや箱庭だけで十分なのだ。いや、箱庭なしでは生きられない。生物としての本能に欠落が生じる。
「人間はいつか死ぬ。死は常に平等に、しかし歩幅を揃えずやってくる。だが、それを正しく認識できるのはどれほどなのだろうな? そして、何十枚にも及ぶ仮面を付け替える役者はいつ、どこで、どの瞬間、自分が単なる演者である事を――――有限の生命を自覚するのか。射幸、名誉、情愛、妄念、確執……世俗のしがらみなど、所詮は壇上におけるまやかしでしかないというのに。私の願いはひとつ、ほんのささやかなものに過ぎない。それはね、役者を舞台から降ろしてやることだ」
再び幼子に語りかけるような穏やかな口調になったかと思うと、カールは器用に片脚に結ばれた縄を解き、吹き抜けの欄干の上にすとんと飛び乗った。
「油もさされずガラクタ同然になった機械神が主催するマスカレイドに終止符を打つ。身を縛り、役者が苦悶に顔を歪めながら演じる三流舞台劇は終わりにするべきだ。この宇宙はすべて、即興劇でなくてはならないのだから」
よれたスカートのプリーツを直すと、カールは袖口から何かを取り出した。一本の鳥の羽だった。アガーテのライトの光に照らされて、青から緑へ鮮やかに色合いが推移するその特徴は、鱗粉の乗った蝶の羽のようでもあった。
「仮面の裏には、誰もが何かを隠している。君もそうだろうし、彼――――Ⅴ《ハインリッヒ》もそうだ」
カールは、ある死体を顎で指し示した。アガーテは無言でそちらに向かい、黒ずんだ手術衣のかたまりを下から見上げる。アガーテの背の丈ならば、ちょうど目の高さに灰色の両足が垂れ下がる。足首を注視すると、くるぶしの辺りに数字が書かれているのがわかった。この死体に記されているのは、Ⅴだ。
「仮面を引き剥がす能力などは、私にはない。かさねて言うが私は無能だ。仮面の内の素面を覗き見る事ができるのは、真に人間だけなのだから。特に、箱入りのように分厚い鉄仮面では尚の事骨を折るだろう。一人の人間に頓着するというのは、並の決意では苦労するよ。特にそれが、彼を護るために意図的に拵えられたものであるのなら尚更だ」
「何が言いたいのです」
「ハインリッヒ・シュヴェーグラーを気にかけている人間は君だけではない。という事さ。彼が生きてⅤの座に列聖したのは、決して神のもたらしたお恵みではない」
胸中に根を張っていた疑念に、また一つ懸念が湧き出した。
カールは、アガーテの不審を間違いなく見通している。あれだけ自信を無能だと卑下したにもかかわらず、的確にアガーテの猜疑を煽ってくる。
――――あの、アダム・カドモンを狂わせるほどのフルークの瘴気の中で、なぜハインリッヒだけが生き永らえたのか。
あまりに無知、騎士団に居ながら情報がろくに下りてこない爪はじき。決してアガーテ本人が怠慢をこじらせていたわけではない。ブフナーとの知識の共有を怠っていたわけではない。にも関わらず、アガーテが手中に収められる真実は皆無に等しかった。こうして疑心を持つまでは、そして唾棄すべき魔術師に端緒を提供されるまでは。
薄桃色の唇をすぼめ、カールは人差し指と親指で抓んだ羽毛を吹いて飛ばした。鮮やかな、それはステンドグラスめいた輝きを携えながら、羽はやがて欄干の下の漆黒へ飲まれていった。アガーテが羽の行方を目で追っていると、続いてカールは欄干の上をちょこちょこ歩いて、別の死体に歩み寄った。くるぶしの数字はⅣだ。
「さあ、探究をしようアガーテ。未知なる不安に惑わされるなよ」
Ⅳ――――ブフナーの序列が刻まれた死体には、手術衣で覆われた胸と思われる位置に、短剣の柄のようなものが突き立っていた。カールがそれを引き抜くと、刃の形状からそれが鑿だとわかった。
「これらの犠牲者を形成したのは君たち自身であり、またはこの先にある懺悔室にて籠る結界の主だ。抑圧された罪悪感と自責、自罰他罰問わぬ淀んだ衝動の奔流が、この城の中で濃密に凝縮された結果だ。そして、入城した君たちもまた、君たち自身の縁の育んだ記憶を絵図として投射している。君の目に映る刑死者は、恐らく君だ」
ⅩⅢ Ⅻ Ⅺ Ⅹ Ⅸ Ⅷ Ⅶ Ⅵ Ⅴ Ⅳ――――
Ⅱ Ⅰ
死体は合計12体。アガーテはそれぞれの足首を確認し読みあげた。
「Ⅲが、いない……?」
「ほう?」
Ⅲ、序列と死体を対応させるならば、ベルンハルデの数字だけがここでは採用されていなかった。
「なるほど。今の君にはそう見えるのか」
「ええ……しかしそうは言っても、この光景は、要は幻覚のようなものなのでしょう? 再現性があるかどうかも定かではない魔術現象などは、単なるエラーの産物に過ぎません」
暗示とはいえ処刑された死体の仲間入りなど望んでしたくはないのだが、ベルンハルデがのけ者になっている様を想像すると、アガーテは少しせいせいした。
「それが現存在たる君にのみ確認できるものなのか、それとも世界に向けて遍く拓かれた公開存在なのか……それを判断する事ができるのは、やはり人間だけだとは思わないか。毒気を散らす『物言う神』など信じるなよ、Ⅹ……」
すとん、と欄干から通路へ飛び降りると、カールは手を振りながら東側のドアへと消えていった。
――――言われなくても、わかっている。
頷かず、アガーテもまたベルンハルデの去ったドアへと駆けだした。