質疑応答
長テーブルにパイプ椅子が三つ、ハインがアガーテに先導されて辿り着いた先は、テーブルの上のランプのみが光源の簡素な部屋だった。
椅子にかけていたブフナーは来室に応じて起立し、ハインにちょうど真正面の席への着席を促した。
既に部屋にいたもう一人、赤毛を林檎のヘタのように束ねた、ハインより四つは年下に見える少女はテーブルに乗せた両足をそのままに、ハインに機嫌良さげに話しかけた。
「よう『Ⅴ』。待ちくたびれたぜ、十日以上もグースカ寝ていやがってよ」
ひゅっと彼女――――エミリア・ハルトマンはハインに何かを投げてよこした。ぼこんと鼻頭に直撃し、テーブルの上に落ちたのは薬包紙に包まれた飴玉だった。
目を丸くしてハインが見ると、エミリアは口に含んだ同じ飴玉を頬越しにごろごろ転がした。
「お近づきのご挨拶さあ、ごきげんよう」
次いでエミリアは握った左手指に右手指を挿し込み、ごそごそ何かを探っているかのパントマイムをする。数秒ほどハインがその様子を眺めていると、エミリアは手首を翻しながら右手でつかんだものを彼の眼前に差し出した。ふわ、と鼻腔をやさしく撫ぜる香りがした。一輪の白百合が花弁をしとやかに首をかしげていたのだ。
百合を受け取り、無意識のうちに胸の前で両手で祈るかのようになるハインを見て、エミリアはくすくすと嗤った。
「育ちは悪くなさそうだなあ。それとも単なる臆病者かね」
ブフナーは手でエミリアを制すると、改めてハインに言った。
「さて、ハインリッヒ君。我々に応えられる範囲なら、できる限り真摯に応じよう。君も、それを承諾してくれますね」
ハインは首を縦に振った。
「よろしい」
席についたハインは、胸にうずまく問いを眼前のブフナーに投げかけた。
「僕はあの後……というか、あの夜何があったんですか。あなた達が僕を助けてくれたというのは、その……なんとなくわかります、けど」
「オーケー、ハインリッヒ君。一つずつ答えます、ですから落ち着いてください」
知らずの内に身を乗り出しかけていたハインは指摘を受け、椅子の奥へ腰を落ち着けた。
「ではまず、君の今の状況ですが……ハインリッヒ・アルベルト・シュヴェーグラー。年齢は満十六、第二種行使技能取得済、ヴュルテンベルク、シュトゥットガルト出身。十歳まで現地の幼年学校に在籍し、以降はこの機関へ移籍。肉親は実兄のマルティン・テオドア・シュヴェーグラーただ一人、間違いはないですね」
「はい」
「結構」
「間違ってるはずはねえよなあ。テメエ本人が言ったことなんだからよ」
「……僕が?」
「そうさね。テメエがこの部屋に来るのは二度目だ」
記憶にはない。それだけは自信を持てる事柄だった。
「そらそうよ、腹の中とろける直前に自白剤で涎だの何だの吐き散らしながらの尋問だったからな。ちゃんとベルンハルデの妹君様には頭下げとけよ。テメエの粗相や、テメエが寝たきりの間の糞だの寝返りだのの世話はあのガキがやってたんだからな」
「ハルトマン」
ばつの悪そうな顔でブフナーは隣のちんぴらの非礼を簡潔にわびた。
しかし、それを受けてもハインの感じた衝撃は消えずにわだかまりとなって残った。事もあろうに、年頃の少女に下の世話をしてもらうなんて!
「すみません、続けましょうね。では……あの夜にあった事、君はどれくらい覚えていますか?」
「あの日は……」
よもや、またもあの記憶を呼び起こすことになるとは。できる事ならば永遠に封じておきたい過去ではあったがそうもいかず、ハインはエミリアの下卑た笑みを無視しつつ、簡潔に正面のブフナーへ語った。
「なるほど……彼らしいといえば彼らしい……」
「見境ねぇよなぁ、人形相手にパコパコしてるだけなら何の横槍もねえってのに。余計なことしてくれやがって」
「知っているんですか。あなた達は……ゲオルギイ・ラプチェフ校長を」
「ええ、知己の仲だと言ってもいい。かつて我々と彼は袂を同じくする同胞でした。つい、先日までは」
「知己の仲って……じゃあ、先生もFCAの……」
「ああ? FCA?」
「いやハルトマン、私が便宜的に伝えただけです」
「自由帝国同盟つっても、あたし達を暖簾分けのパチモンだっつーイチャモンつけてくる連中もいんだろうよ、あんたにしちゃ相応しくねえ教え方したな。そもそもあたしはFCAの人間になった覚えはねえよ」
「それじゃあ……あなた達っていうのは……」
「トゥーレ遠征団、アガルタの園の団……いくつか呼ばれ方はありますが、今は……出資者からはこう呼ばれています。我々は『ヴェーヴェルスブルク騎士団』、十三と一つの座によって構築される集団です」
聞き慣れない単語に思わず目を白黒させる。いまでも稀に名を聞くこともあるだろうFCAならともかく、それはあまりに宗教色の強い浮世離れした組織の名だった。
「じゃあ、僕の……Ⅴっていうのは」
「察しがいいことで。その通り、あたしら十三人のうちの一人に、すでにテメエはカウントされてる」
「どういう事ですかッ、僕はそんな事は望んじゃいません!」
「カッカしなさんなよ。そうしなけりゃ、テメエはあんな浮浪者みてえな糞野郎にケツ掘られたまんまおっ死んでたんだぜ。命繋がったんだ上等だろ」
「そもそも……なんですか、その騎士団っていうのは! 新手の魔術結社だかどうだかは知りませんけど……助けていただいた事には感謝していますが、少なくとも僕は」
「君はあの場でⅤの座に着かねば、まず助かりませんでした。命を繋ぐ為には、ほかに手段が無かった」
「つべこべ過ぎた事気にすんじゃねえよ、あたしの提言でテメエは助かったようなもんだぜ?」
なるほど、これまで呼ばれたⅤとはそういう事か。得体の知れない魔術結社が何の得があるのかわからないが、何のとりえもないこの僕をなぜか引き入れたと。
「いや、勘違いしてもらっても困る。テメエにマジの戦力は期待しちゃいねえ、竜ども相手に差し向けても餌になるのがオチだ。テメエにやってもらいたい事は一つだけ」
「信者なんて集められませんよ、僕……分校以外に友達いませんでしたから」
「グレゴール・フルークの打倒……処刑の任をあなたにお任せしたいのです」
「処刑って……それは、いったいどなた様なんです?」
「グレゴール・フルークは先代のⅤ、彼と並々ならぬ因縁を有するあなたに彼を……処分していただきたいのです。謀反を企て、騎士団全体の財産を持ち逃げ……ああ、私は悲しいですよエミリア」
「知った事かよ」
要は、魔術結社の私刑の片棒を担げとでもいう事だろうか。
「僕とその人が因縁があるって……」
「テメエが初めて抱かれたゲス野郎のほかにどいつがいる。さっきテメエの言ってたラプチェフだよ、ゲオルギイ・ラプチェフ!! あンの野郎ォ、テメエの抜刀も見せねえで一人で人形連れて逃げていきやがった。頭蓋に精巣が詰まってるようなクソカスの分際で焦らしやがって、ホリゾントのどっかで肉穴囲ってよろしくやってんだろうがよ」
エミリアの含みのない暴露に、ハインは茫然とした。
「ゲオルギイ・ラプチェフというのは、フルークの偽名です。主に民間の研究機関で活動をする際にその名義を使っていました。エミリアがあなたを延命しようと提言した理由は……我々の中で唯一、彼のプライベートに通ずる縁を持っていたからに他なりません」
「縁……?」
「魔術的な解説は後ほどお話しいたします。とにかく、我々の目指す儀式に関係するという事だけ」
「それじゃ……研究って……何のためにラプチェフ先生は……あの人はあんな田舎の学校で教師なんかやってたんですか」
「ですから研究……実験ですね。ある魔術……それも、かなり大規模な儀式の準備に用いるような道具の下ごしらえに、彼はあなたと、あなたのお友達……アダム・カドモンを採用したのです」
「それ……友達も言ってました。アダム・カドモン……私たちはアダム・カドモンじゃない、私はあの人のもの、だとか」
「あの豚男、人形相手にンな事言わせてんのかよ。いよいよ救いようがねえな」
先ほどの人形というエミリアの物言いに不機嫌さを垣間見せるハインを慮ったのか、ブフナーが説明に入る。
「失礼。人形というのは、あなたの察する通り。あなたがこれまで生活を共にしていた少女たちの事なのです。その人間の肌を模した被膜の下には人工の骨格と臓器が詰まった、人間のかたちをした人間でないもの。神秘主義の技術の粋と西洋魔術、そしていまでは術主であるフルークの条件付けの施された傀儡です」
「そんなこと……何年も、何年も一緒に生活してきた女の子たちを、そんな風に言われて、それを信じろっていうんですか」
「それを受け入れようが受け入れまいが、フルークの野郎がテメエやテメエのお友達を犯して回った過去は消えねえけどな」
咄嗟にハインはエミリアを睨み付けるが、当の彼女はくくくと嬉しそうに嗤うだけであった。
「いずれにせよ、我々はフルークを追い、ある儀式のために人形を取り戻さなければならない。一方、あなたにはフルークを……恨むだけの理由がある。私と横のエミリアは、ここで利害の一致による協力を提案したいのですよ。あなたも、それを受け入れたからこそ生を選択し、昏睡からこの現実へと舞い戻った。カールとは話をしましたか?」
ハインは肯定のつもりで頷いた。
逆向き瞑想とやらで、嫌というほど過去の光景を想起させられた。
同級生の笑顔を、ゼフィールのしぐさのひとつひとつを、兄の軽口を浮かべるたびに、行き場のない憤りがハインの全身を駆けた。
そして、その原因がゲオルギイ・ラプチェフ――――グレゴール・フルークなる男にあるのだとしたら、目指すべき先はたったひとつだけ。報復と、弾劾と、そして断罪のほかにない。この手で、できる事ならばあの男の首を叩き落としてやりたい。友を、家族を、操を奪ったあの男を、この世界から消してやりたい。
「ならば、話は早いでしょう」
「協力……するしか、ないんでしょう。僕、あそこ以外に居場所……ありませんでしたし」
「ほお? 理解が早えじゃねえか。理不尽だーもうやめたい、こんなの不幸だなんだとギャースカ騒ぎ出すかと思ったが」
それ以上に、今の境遇に陥れたフルークが憎い。憎い。憎い。
そうした狼狽は、あの燭台の部屋で散々吐き散らした。涙よ涸れよ、喉よ枯れよと絶叫し、泣き叫ぶうちに、徐々にハインの心境は安定へと向かっていた。
「その様子だと……すでにカールから、顛生具現の刃に関して、少しは知らされているようですね」
ブフナーがそう言うや否や、エミリアはこれ以上ない歓喜の意を浮かべて口唇をゆがめた。
退室したハインを廊下で迎えたのは、彼をここまで連れてきたアガーテだった。
落ち着き払った声で彼女は明日以降の予定を簡潔に説明するが、やがて彼女はハインの静かな嗚咽を察し、口をつぐんで押し黙った。