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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
除幕
59/105

血染めの剣

Die Gottesgnad alleine steht fest und bleibt

in Ewigkeit bei seiner lieb'n Gemeine,

『其は天主の聖句を刻む者へ、其は永久へ連なる愛として、我らの元へと舞い降りん』


die steht in seiner Furcht bereit, die seinen Bund behalten,

er herrscht in Ewigkeit.

『其は盟約、汝と我、そして天主を結ぶ永遠の契約。果てなく過ぎ行く水の流れに、主の愛のみがしるべと為ろう』


Ihr starken Engel waltet seins Lob's und dient zugleich

Dem großen Herrn zu Ehren und treibt sein heilig's Wort.

『其の剣は煉獄を纏い、其の肉は園を護る城壁、其の双翼はしろがねの雲海。其は我らと共に、主への愛をここに示さん』


Mein Seel' soll auch vernehmen sein Lob an allem Ort.

『おお、我が身よ、我が魂よ、主を讃えよ。果てなき世界の果てなき大地で、主の賛美を唄いあげよ』




 静寂が満ちる広場の大気へ閑に染み渡ったのは(ゼクス)、カール・クレヴィングの歌唱。荘厳な調べを一人高らかに唄いあげ、詠唱(ウタ)はまるで聖堂敷地のみならず、ホリゾントの夜天へ流れ出していくかのよう。


 詠唱の有する意は解放。発現。昇華。顕現。


 天主、そして右席に座す救世主(メサイア)の意を抱く勇者の名を冠すものが永き生の末、ついに黒雲の切れ間より挿す天座よりの光、その兆を掴んだ際の歓喜、希望、賛美。


 天たる楽園(アガルタ)の放つ威光に縋る十三騎士、そして(フューラー)なる勇者の愛を求めし子らが欲する幸福の成就を祈る歌唱だった。




「かつて、異界より今生へ転生した少女――――アリス・リデルは願った。個を苛み、苦役のみが積み重なる現実との決別を。この地に芽吹きし、同じ身の上の『転生者ジャバウォッキー』の安寧を。彼女は誰よりも純粋に平穏を願い……その身をあたたかな真綿で包み込まれる事を望んでいた。なればこそ、エデンとアガルタを結ぶ楔を引き抜き、彼女は転生者の楽園(エリンの島)を作り上げた」


『永劫に連なる至福。清らかなる同化の光によってのみ満たされる。天地開闢から生物が求め続けた一種の完成した――――いわば有機的な完全環境アーコロジー。生物のひとつの形態と呼ぶべきか』


「ああ、そうだ。呑み込みが早くて助かるよ」


 カールは会話の相手に軽い称賛を送った。『彼女』はカールの立つ広場にはおらず、ただ言葉によってのみカールと結び付きあっていた。


『しかしな。(なれ)はいささか、彼らに対して手厳しすぎる。なにゆえ、汝は彼らの意義を、彼らの求めた究極を否定するのだ?』


「ふむ。否定、というと?」


『汝の信奉する、『黎明』という概念だ。(わらわ)の解釈が汝のそれと齟齬が起きているのでなければ、丁度彼らの『永劫』の対極に位置する思想であろう。汝が是であれとする思想は、迷える転生者(ジャバウォッキー)を奈落へ突き落す所業と変わりはない。それとも、汝ともあろう者が転生者に悋気でも抱いた故に至った考えかな?』


「これは異な事を! フフフ、ハハハハッ!! 私が悋気を抱くとは」


『可笑しいかね? 選ばれし魂は、幾千幾万幾億にも渡って、輪廻転生を繰り返す事ができる。その癖、我らは籠の鳥の如くに、産まれた世界に縛り付けられたる儚き命に過ぎぬ。汝に至っては――――真っ当な生を送ったとは、世辞でも言い難かろうよ』


「それで? この私が、死という終止符ピリオドを奪われてなお続く生に羨慕の念を抱いていると。ああ、貴女らしくもない。私がどういう存在か、重々の理解を得られていると思っていたが。否、それだけ貴女は私の事を一個体で独立した、完結した存在だと認識してくれているという事かな?」


『人は生きている限り一つの個体だ、カール。肉の容器に納められ、その肉が朽ちる時がひとつの生の終焉だ。ゆえに、魂もまた肉に刻まれた記憶の因果から脱する』


「ああ、その通りだ。御謙遜を、理解わかってくれているようで何よりだ。私にとって――――『黎明』にとっては、終焉こそが至上にして最期の祝福なのだよ。幕が上がり、前座がはけ、役者が躍り、詩人が詠い、そして終幕を迎える。難儀する事はない、時はただ一つの河となって、一切は流れゆくのみだ。水流を押しとどめるデウス・エクス・マキナは、この世界においても中世期には廃れていっただろう?」


『ああ――――ああ、そうだ。流れを堰き止める衝立は、既に砕かれた』


「ならば、流れ出すほかにあるまいよ。果たしてその先に広がるのは海か、それとも奈落か。この『私』とはね、海か奈落かを指し示す羅針盤でもなければ、かと言って衝立でもない。言うなれば、私は河の流れそのものだ。人の御魂を時流によって未来へと押し流す、単なる現象に過ぎない。『黎明』とはね、未来へと向かう意志に内包される、根源的な概念なのだよ」


『汝の言う祝福とやらは……この妾も得る事ができるだろうか?』


「貴女に肉の身体を与えた男は、少なくとも『永劫』にその身をくれてやる為に命を賭したわけでもないだろうよ。案ずる事はない、貴女は一夜の薔薇として生を授かった、紛れもない黎明の子だよ」


『其れを訊いて安心した。ではこのやいばも、汝と言葉を交わすこの『妾』という存在も、余すところなく妾なのだな。妾はここにいて、妾は世界から望まれて肉より出でた』


「『永劫』に未練はあるかね? 貴女はいわば、『黎明』の尖兵、嚆矢と断じられても仕方のない身の上だ。それでも、我が『黎明』から産まれた事を誇ってくれるというのか?」


『笑止。妾の宇宙に神など要らぬよ、プロメテウスの檻の中でただ回るだけの鼠でいるわけにはいかぬ。それに、流れぬ河はただの沼よ。人の御魂が醜く淀み、腐りゆく宇宙に沈殿するだけのごみであってよいはずがなかろう。妾は、慶んで汝の終焉という祝ぎを受け取ろう――――光栄に思うぞ、カールよ』


「そう言ってもらえてなによりだ」




 大地から突き上げるような振動が響き渡り、ホリゾントの地を揺らした。それはまるで鼓動のようで、一定の拍をばくんばくんと刻んでいく。


 ばくん、ばくん、ばくん、ばくん、どぷん。


 一際籠った間を置いてからの振動は、最も大きかった。


 それと同時に変化を見せたのは、ホリゾントの中央に突き立つアークソードだった。


 岩盤じみた表面に無数の亀裂が生じ、その隙間からは鮮血を思わせる鮮やかな紅の光が淡く射し出した。今宵のアークソードは、夜天に枝葉を付けた大樹の如き様相を呈していた。深紅に染まった異形の紅葉だ。誰もがその樹上に在るものを目にした事がないほどに高く、そして雄々しく姿を誇示する世界樹だ。


 遠景から見れば、その光景は真にアークソードが『剣』に見えただろうか。


 柔らかな脇腹に鋭利な突端を刺しこみ、傷口からは熱気を放つ血液が濁流の如く流れだし、周囲を血だまりに濡らしていく。アークソードが貫いたものは、切先が向いたその先――――空であった。


 月光を受けて紺の帳が広がるホリゾントの夜天は、アークソードの頂のあるであろう箇所を中心に、墨を垂らしたかのように染まっていった。夕焼けの赤とは明らかに異なる、黒々とした紅色だった。


「さあ、勇者の子らよ。門はその姿を見せたぞ、やいばを掲げよ。楔を断ち切れ」


 天を仰ぎ、カールは誰に向けるわけでもなく、檄を飛ばした。


 続いて空に現れたのは、赤々と燃える雲海に飾られた絵画のような光景だった。言うなれば、額に納められた抽象画か。一目見て、天に広がる光景を理解できる者は一握りだった。


 目に映るそれが、隣り合う世界を遥か上空から見下ろしている光景だと気づける者の数は、そう多くなかった。


 ベルリンやローマ、パリでも、あれほどまでの高層建造物が密集した地域はないだろう。背の高い灰色の直方体が天空から建ち並び、屋上部分が『此方側』であるホリゾントに建つ建造物の尖塔と向かいあう、異常な光景だった。



――――Heiligtum,das Enthüllen von Zeremonie.

『始原解・除幕儀』


Singet dem Herrn ein neues Lied.

『詩篇舞う覇王座・新天地の階』



 カールの宣言した『抜刀』は、儀式における除幕が完了した事を示していた。すなわち、『あちら側』を隔てる門が、贄を受け入れる形態に移行したのである。




「捧げよ、命を。賭けよ、持てるすべての情熱を。永劫を打破せよ、黎明に産まれし人の子よ」


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