Richard manuscript
背筋から、蜘蛛が歩脚を伸ばすかのように冷たい悪寒が広がるのをアミルは感じていた。遠い昔日から既にその蜘蛛は巣を張り巡らせ、粘着質の糸でできた網をもって、アミルをがんじがらめに捕らえているのだった。蜘蛛はアミルのもっとも柔らかな部分に卵管を突き刺し、てらてら光るわずかに黄ばんだ楕円の卵を植え付けた。孵る事のない、死んだ卵だ。アミルの皮を舐り、肉を喰らって肥えた毒蜘蛛の遺した、忌むべき産物だ。
ルイーゼ・フォン・モントインゼル。彼女の優雅な物腰とたたずまいは、見る者すべてが彼女をよほど高貴な家柄の出であると感じ取るであろうほどに洗練されている。明らかに社交の界隈で離れしきった、ある種の老獪さをも醸し出していると言ってもいい。並の猿人や拝火人、半人と比較して長命なエルフである事を差し引いても、異性との不純交遊に精を出すのに労力を費やす、いわゆる大陸における『エルフ像』ともかけ離れていた。
ルイーゼは清楚だった。
どこまでも誠実そうに見えたし、ヘルヴェチア連邦の名家であるヴァイルブルク家の出身である事も、彼女の高潔さを深く納得させてくれた。しかし、純白のシーツじみたルイーゼの印象にこそアミルは恐れ戦いた。白、白、白。一面の白。人為的な漂白が施された、突飛なまでの清潔ぶり。潔癖とみなしてもいいだろうか。
膝の上で握られたアミルの手の震えは、その排他的、乱暴なまでの潔癖を有する彼女の兄の所業に起因するものだった。
リヒャルト・ヴァイルブルク――――自由帝国同盟武装親衛隊幕僚長官。帝国純血協会名誉会長。ヘルヴェチア宣伝相全国指導部総裁。分割帝国西部保護領総督。ヘルヴェチア連邦エルフ誓約同盟群アルヴライヒ第八代大統領。七十年前の世界において、彼を表す役職としての名は枚挙に暇がない。
ヴァイルブルクの三男として生を受け、いち学生として修士号を取得してからは調理師として共和国、帝国を放浪し、帰国後は兄たちの勧めで官僚の道へと足を踏み入れた異色の経歴の持ち主である。調理師としての生活で培われた直感的とも言える彼の気質は、官僚主義に胡坐をかく二人の兄達を快く思っていなかったらしく、念願かなって財務省官僚となってからも、東西戦後を見越した長期的なスパンでの経済政策を掲げて職務にあたっていた。大陸の覇権国としてさらなる国力を欲する事となるであろうオリエンス、次なるオリエンスの仮想敵となる共和国やブリタニア外貨の確保に向けた工業輸出高の上昇、それに向けた企業の国有化政策、ならびにヘルヴェチアの国際銀行機関の成長拡大を徹底し、東西の戦乱によって受ける被害を最小限に抑えるべく、財源の確保にのみ奔走していた。
多くの市民には、まるで彼が万人の恒久和平の為に尽力しているかのように見えた。事実、リヒャルトの政策によってヘルヴェチア経済はこれ以上ないほどに潤い、敗戦後の東西帝国における餓死者は目に見えて減少したし、公衆衛生は飛躍的に良化した。ホリゾントキュステという開拓モデルケースとしての都市の開発計画に投じられた資金もまた、多くがヘルヴェチア財源に依るものであった。
現在でも、リヒャルトは聖ヘレネと同じく偉大な功績を歴史に刻んだ大人物として――――戦時、数百万の拝火人を虐殺したという事実は公になる事なく――――大衆の記憶の隅に祀り上げられている。
「ごきげんよう、アミル・カルカヴァン閣下」
エルフへ向けられる偏見とは正反対に、禁欲的とも評されるリヒャルトの生真面目――――と評される気質。実の妹であるルイーゼもまた、その真なる顔は鉄面皮じみた白無垢によって覆い隠されていた。
びくん、両の肩が予期せず震え上がった。
アミルの脳裏によぎったのは、存命のリヒャルト・ヴァイルブルクの表情。駅前広場のホリゾント史を記した案内板、教科書の一ページに載せられたモノクロのピンナップのような、引き締まった表情ではない。
アジ・ダハーカに心酔する、残忍かつ狡知、敬虔な信奉者としての、甘く心地よい陶酔に沈み込んだ笑顔。ヘレネ・ヴィッテルスバッハと同じくして、かつて魔王と勇者の命を執拗に狙い続けた。純白のヴェールの下に我欲と残虐さを抱え込んだ狂気の策士。
ルイーゼには、確かに面影があった。切れ長でやや吊り目、そして特徴的な三白眼。アイブロウが乗っていても分かる、薄く細い両の眉。
幾多の魔物の財を奪い、幾多の魔物の家族を焼き、幾多の魔物の心を足蹴にし、幾多の魔物の腹を裂き、幾多の魔物の脳を割り、幾多の魔物を燻り殺した。当時を知る拝火にとって、まさしく悪鬼。絶命を司る天使とも呼ぶべき存在、その妹もまたまったく、不得要領さを醸し出していた。
アミルの硬く握りしめた拳から血が滲み、冷や汗と混じってスラックスを濡らした。緊張と恐怖で、うまくルイーゼと目を合わす事ができない。作り笑顔すらまともに浮かべる事ができず、声なき声で狼狽した。
情けない、情けない、情けない。
ほぼ初対面でありながら、たったひとりエルフを前にしてこの有様とは。礼に失するどころの話ではない、仮にも文化人として国政に携わった人間のする事か。いつまで錆びついた、オリガの言う歴史の教科書に記された文章の羅列ごときに恐れを為しているつもりなのか。ああ、なんと、なんと情けない。
(彼女は関係ない、あの大規模な虐殺とはなにも、なにも関係がない。わたしたちの臓物をホルマリンに浸け、頭蓋骨をたったの五マルクでやりとりさせたわけでもなければ――――異世界人をむやみやたらと殺して回るような指示を出す人間でもない!)
「……閣下?」
怪訝に思ったのか、ルイーゼはアミルの顔を覗き込もうと一歩前に出た。アミルの緊張は、更に一気に高まった。動悸が激しくなり、腹膜がぶるぶる痙攣した。ほろ酔いであるにもかかわらず、手足に血が通っているという感覚が乏しくなり、末端にぞくぞくした寒気が沸き上がってくる。
今にも、アミルは泣き出してしまいそうだった。
「ルイーゼ妃。実は彼女、呑み慣れん酒でいささかグロッキーなのですよ。ミレトスの産まれと聞いておりましたが、これがてんでダメらしくて」
機転を利かせたのか、果たして単なる気まぐれか。どちらとも取れるオリガ一言に、ルイーゼは首をひっこめた。一瞬遅れて、我に返ったアミルはその疑いを晴らすに至った。
アミルの冷たい拳を、オリガはほのかにあたたかい掌で包み込んでいた。ぶっきらぼうな彼女なりの激励なのか、アミルは唇を噛んでようやく、無理やり恐怖をねじ伏せる事ができた。アミルは不安げに感謝の意を孕んだ視線をオリガを向けるも、ルイーゼには悟られたくないのか、知らぬ存ぜぬのままであった。
「あら、まあ。それはお気の毒に」
「さ、どうぞこちらへ」
長く細い手足を持つ痩躯のルイーゼは、やはり表情に仮面のような笑顔を張り付けたままでオリガの左隣の席に座った。やがてジントニックが卓に置かれると、彼女もオリガに負けぬほどの勢いでグラスの半分以上を一息に飲み干した。
続いてオリガのオーダーしたプレッツェル、ヴルストが次々にカウンターの奥から運ばれてくる。バジルを練り込んだ芳醇な香りのもの、マイルドに甘く仕立てられたカレー風味のもの、ハチミツの風味の漂うもの、多様なヴルストの盛り合わせの皿がアミル達の前に差し出された。オリガは四杯目のビールを胃に流し込むと、嬉々とした様子でそれらを小皿に取り分けた。
掌の抱擁が離れるとアミルは一抹の寂しさを感じたものの、先ほどの臓腑を凍りつかせるような恐怖からは解放されていた。
「して、ルイーゼ妃。お忍びのご旅行にしては、ずいぶんな穴場に足を運ぶようですが」
「貴女がたにどうしても一目お会いしたくて。それに、何せ盛大なお祭りの時期でしょう?」
「我々に、ねえ」
オリガがフォークをヴルストに突き刺すと、勢いよく透明の肉汁が湯気を伴って噴き出した。
「四月十七日の正午過ぎにこのあたしとアミル閣下に会って酒盛りでもしろ、そう儀式の手順には記されているので?」
「その程度で完遂できるのなら、私もヴェーヴェルスブルクの方々もここまで四苦八苦していないでしょう」
「はっ! まだあの連中と付き合いがあるというのですか。聖騎士の威を借る凡夫の集団、ルイーゼ・モントインゼルというお方でありながら、あんな泡沫の魔術結社くずれとの関係がブン屋に漏れでもしたら、王室のお偉方はさぞお嘆きになるでしょうに」
「人聞きの悪い。私は……私は飽くまで、ヘレネ様や兄様の遺されたものを喪いたくはないだけ。交流がないと言えば嘘になりますが。しかし、彼らが件の儀式を執り行うのであれば、本国でふんぞりかえっているわけにはいきませんわ」
「黴の生えた紙束ひとつ、それに記された落書きにどれだけの価値があるのか見ものだな。貴女といい、十三騎士団といい……さぞかしご利益のある言葉が書き散らされているらしい、ヴァイルブルク手稿とやらには」
オリガは皮肉っぽくにやりと笑った。
それは、リヒャルト・ヴァイルブルクが生前書き遺したと言われる二百ページ以上にわたる暗号書。オリガも名前だけは聞いた事があった。実在する記録文書であるかも疑わしく、単なる隠秘学的好奇心と結びついたお遊びの枠から出る事のないもの。中世期以前に用いられた古エルフ原語で筆記されたとも、目にするだけで致命的な呪いがふりかかる文字列が仕込まれているとも、荒唐無稽な尾鰭背鰭を加えられながら、その情報はまことしやかに広まっていった。
しかし、筆者とされる人物の妹の様子を見るに、その存在が単なるゴシップでない事が伺えた。
「もちろん。それはそれは、希望と夢に溢れた内容ですわ」
「あのリヒャルト閣下なら、あながち犬も食わんような終末思想を何百枚も綴らんとも限りませんでしょうな。魔術などというペテンが顔を出す前……名前だけは大層な、単なる地盤の隆起が持て囃されるようになる以前から勇者伝説に理解のあった方だ」
「別に出版した自伝では、自分の性剛ぶりをアピールするような章を書かせるくらいには夢見がちでしたので……フフフ、性剛! 実際はヘレネ様以外の女体にはぴくりともしなかった不能でしたのに!」
口元をおさえて淑やかにルイーゼは笑った。
「フフ……そうですわね、記されているのは……異世界への扉を開く方法とでも言えばよろしいでしょうか。貴女も、実際に兄様やヘレネ様……それに、ガーデルマン少佐と何度かお話しをされた事がありましょう? それだけでなく、ブリタニア女王とも」
「また、厭な名前を出してくるものですな」
ブリタニア連合王国女王――――その名は、アリス・リデルと言った。千年以上に渡って私設戦力たる円卓を囲い、キャメロットより海洋大国に君臨し続けた歴史上の人物。そして、彼女が崩御する切欠をもたらした事件こそが、ヘレネやラウラ、そしてリヒャルトが散ったとされるキャメロット事変であった。
「千年女王アリスの証言をもとに、兄様が古言語に訳した上で書き上げたもの。あの手稿には、主にこの世界に現れた勇者と魔王……そして、この宇宙そのものの構造が記されておりました。戦後に私も、初めて目を通した時には……」
「頭が膿んでる」
「ええ、そうとしか考えられませんでしたわ。今生界エデン・ラティオに上層界アガルタ・シャンバラ……ですって。キャメロット事変とやらに、さすがの兄様も精神が摩耗していたのだとしか」
ルイーゼはグラスを傾け、残ったジントニックを喉に流し込んだ。
「カール・クレヴィングに出逢うまではね」
「ふん……結局貴女も、あのイカれた魔術師様の虜というわけですか。オリエンスの官女たちと何ら変わりありませんな」
「そこらの男よりかはマシかと。それに、顛生具現を編み出したのも彼でしてよ。聖剣を振う資格なき者に、魔術を越える魔術を与えた。聖剣とはすなわち、自然法則が輩出した特異点たる勇者のみが扱う事を赦された神のやいば……カールが一介の咒式設計士でない事は自明と言ってもいいでしょう」
「そのカールが根禰斬之大太刀を手にしていた可能性は?」
「はて?」
「何かと辻褄が合うんですよ。戦後ね、根禰斬之大太刀の刀身を身に宿して人外の力を得たケースがある。その、カールの顛生具現のひな形と言ってもいいでしょう。公表はもちろんしておりませんが、その一件があってからあたしは根禰斬之大太刀もまた、聖剣の一種だと見ているわけでして。いやね、あたしもアミル閣下もその根禰斬之大太刀を目当てにここに集ったわけではないですか。ですから、先ほどからそればかりが気になってしまっておりまして」
「……」
饒舌だったルイーゼが、突然口をつぐんだ。にたにた口元に締まりがないのが相変わらず、しかし静寂が重々しく場を支配した。
「異世界人ゲオルギイ・ラプチェフ。稀代のペテン師カール・クレヴィング……そして、十三騎士団に七十年以上に渡って在籍し続ける『ウェルギリウス』。この連中、あまりに躾がなってなさすぎる。東西戦争やキャメロット事変をつつき回して未だに勇者だ異世界だと。一体何がしたい? 何が目的だ? 国を焼き、民族を狩りつくし、山を崩し、海を枯れさせるほどの『奇跡』を起こすほどのチカラで何を欲している?」
「ウェルギリウスだけでなく、Ⅴがエリンから亡命した一人である事すらご存知とは。いや、もう彼はⅤではなかったか……さすがは『雷帝』閣下でいらっしゃる」
「根禰斬之大太刀。貴女方が持っていると、そう解釈してよろしいな」
「何にせよ、私の手のもとにはございませんわ。ですが、この街にはもしかすると……ハツネ・イバのようなケースが転がっているのかもしれませんわね。ああ、そういえば彼女……国に戻ってからは作家になられたようで。ああ、懐かしいですわ」
唇についた一杯目のビールの泡をぺろりとなめとり、ルイーゼは白々しく言った。
「何を欲しているか……ですか。そんなもの、決まっているではありませんか。生前兄様やヘレネ様は何を望んでおられましたか? お金? 奴隷? いいえ、決してそんなものではありません。物的支配に関しては、ヘレネ様はたいそう満たされておいででした。それでは、ヘレネ様たちは一体何を求めたか?」
ルイーゼは人差し指をぴっと立て、天井を指してみせた。
「ここから果てしなく遠い、しかし薄壁一枚で隔てられた『ここではない世界』。楽園。アリス・リデルやゲオルギイ・ラプチェフがかつて生きたという異郷。異世界人がこの世界に産まれてくる以前の世界……フフ、そう考えればどうでしょう? まるで我々の世界は」
「地獄のようだ。少なくとも、天国には思えません」
「私たちは、地獄からの救済を望んでいるのですよ。雷帝閣下……アミル閣下。私は、何としてもヘレネ様の御子息……チタニア様や、そのお子様にお見せして差し上げたいのです。地獄ではなく、新たなる新世界をね。アークソードが指し示す、天の上の世界を」
「要領を得ませんな」
オリガはそう吐き捨てた。目を細め、さぞ可笑しなものを前にしたような表情だった。
「一ヶ月も経っていませんがね。先日、僭越ながら飛竜で見物に行ったのですよ。アークソードのね。ペテンの専門家に言わせれば、魔力の奔流が平時に比べて、流れが強すぎる。氾濫しかかった河のようだと。それで、案の定飛べるところまで飛んでみれば、竜が狂った。白目を剥いて、血反吐を撒き散らしてね」
「まあ」
「上に行くに従って、確かに吐気のするような気質が満ち満ちておりましたから。それとも、脳にヴォーパル鋼を打ち込んであるイルべガン竜種だったのが問題だったか。何にせよ、上空一万メートルからの自由落下はさすがに肝を潰しました」
けろりと言ってみせるオリガの肌を見ても、今ではかすり傷ひとつ残っていなかった。
「無論、イルべガンはオリエンスの傑作軍用攻撃飛竜。現在の品種の単独での最大飛行高度は一万三千メートル。騎手のあたしや飼育担当が日常から竜に対して虐待を行っていないのであれば、この現象はアークソード側からなんらかの影響があったと考えるのが自然でしょう」
「それで、雷帝閣下。貴女の仰りたいのは」
「アークソードの材質は聖剣と同じ退魔鉱たるヴォーパル鋼。それも、限りなく純度の高いそれです。勇者やその信奉者の欲望に呼応して威光を発現するのがヴォーパル鋼ならば、威光の向かう先は果たしてどこでしょう。よもや、七十年前のヘレネ・ヴィッテルスバッハやアリス・リデルの例を見て、聖剣が影響を及ぼすのが魔物どもだけとは言いますまい。今や魔物という呼称は存在しないのですから」
「……」
「理性ある人間相手に何かしらやらかすつもりと考えても、差し支えはありませんかね?」
「仮にそうだとして、貴女はここで勇者風吹かせて、この私を退治する気でしょうか? 伝承で勇者はどなたと闘うんでしたっけ。私のようなか弱いエルフではないでしょう。いつの間にか貴女も丸くなってしまったもので……」
「丸くなった、ねえ」
オリガは呆れた様子で俯いた。それと同時に、彼女の下腕部に取り付けられた金属フレームとワイヤーに導かれ、左手首を包む黒の袖口が銃身を吐きだした。右隣に座るアミルが身を強張らせた頃には、既にオリガはスリーブガンをルイーゼのこめかみに押し当てていた。
「貴女が得体の知れん『ウェルギリウス』でない確証もないとなると、なるほど確かに怖くてたまりません。丸くなったというのもあながち間違ってませんな」
オリガの武装に続いて一瞬のうちに、アミルたちは複数の銃口に狙われていた。ひとつは偏屈そうなエルフの若い男の、ひとつは文庫本を読みふけっていた娼婦の、ひとつは白衣を羽織った半人の。彼らの構えた自動拳銃に狙いをつけられていてなお、オリガは汗ひとつ流す事を知らないようだった。自信と呼ぶべきか、もしくは無謀か。
少なくとも、双角のバーテンが取り出した黒光りする大口径回転式拳銃が、三つの銃口のうちの一つ――――若いエルフの男の頭部――――を既に捉えていた事だけが、彼女を不撓不屈たらしめている要素ではないだろう。オリガをオリガと定める唯一無二の武器とは、その身に流れる血統という他にない。常人を遥かに逸した身体能力、並の魔術師のそれを大きく凌駕する規模の精神世界こそが、真なる勇者の末裔たる彼女の切り札なのである。
「一つ主張したい事がある。あたしは升天教や勇者様の言うような、ヘドぶちまけそうなくらい薄気味悪い正義を振りかざす気は毛頭ない。どこのどいつがどれだけ人を喰おうが殺そうが、あたしには関係ないし……むしろな、叔母様やツァラトゥストラにまつわる儀式に必要だというなら喜んで死体の山を用意してやる。何と言っても面白そうだからな」
「そう思うのなら、ぜひこの6.35mmを降ろしてくださいまし」
「貴様、新参者がどのツラさげてあたしらをカヤの外にして話進めてる。ラプチェフといいカールといい貴様といい――――白の大隊を飼い慣らして調子づいたか? 煽ってあたしからノコノコ顔出させるようなマネしやがってな」
「神とやらも、恐らくそれを望んでいるのでは? 不老不死に囚われた貴女がたは、どのみちこの世界に内包された『謎』に到達しなければならない。だからこそ、神は貴女たち聖剣の戦いの当事者から死を奪った。些末な事で腹を立てていては仕方がないのではありませんか?」
「貴様らの神様はヘレネ様じゃなかったのかね?」
「あら、貴女こそ」
「さあな、どうだったかな。忘れたよ」
鉄火場に陥ってなお、オリガの掌はアミルの手首を強く握りしめていた。
「いい加減、勇者も魔王も神もウンザリなんだ。あたしのようなババアになるとな。古くさい、まどろっこしいだけのものは何もかも叩き潰してやりたくなる。くだらんのよ、神様が絡むもの、事、全部な」
「矛盾してますわね。さっきは儀式に興味津々の素振りを見せておいて」
互いににやりと笑い、そしてオリガが口を開いた。
「ババアだからな。ボケがきたのかもしれん」