屠畜
沸々とした熱を伴い、灼くような激痛は、やがて出血によって驚くほど冷たくなっていった。
踏み砕かれた右くるぶしより先は趾骨と中足骨、腱、筋肉、一切がかき回され、スクランブル・エッグのように圧壊させられていた。足指の描くアーチは見る影なく崩れ、引き潰されたそこは無残な扇型を呈していた。辛うじて皮と脂肪でつながる第五から第三趾、そこから足首にいたるまでの感覚は喪失したかのよう。
びきびき引き攣り痛むのは、傷を付けられた足底と腓腹筋。その筋痙攣のもたらす痛みもしかし、フランの今の思考の奥に潜り込む事はない。
家畜に等しいみずからの身内への説教に割って入ってきた、年端も行かぬエルフの少女。おおきな両目や薄桃色の口唇を愉悦に歪ませ、性欲に半身を滾らせる不躾な男子のようにニタニタ嗤いながらやってきた黒衣の少女。常人とはまったくかけ離れた常識よりこちらを見下ろす、人外の質料を有する魔人。
フランが遭遇したのは、そんな奇怪な存在だった。
「Ⅶのエミリア・ハルトマンだ。向こうはⅧのエドゥアルド・ブロッホ。邪魔が入らねえように『霊枝』で哨戒してる最中だ、横槍は入らねえぜ」
アルベリヒにとって忌々しい義妹に威圧されていた自分への救け舟というふうにも見えず、彼女もまた二人の魔人の出現には狼狽していた。
フランの足を擦り潰した張本人であるエミリア・ハルトマンと名乗った少女は、それ以降彼女に気に掛けるわけでもなく、連れの大男をアルベリヒに向けて紹介した。恐怖から失禁するアルベリヒになお近づき、不気味なほど明るく言葉を投げかけるエミリア・ハルトマンの仕草は、知己の相手にじゃれ合う仲かのよう。
だが、薄汚い肛門のような口から捻りだされた品位のかけらもない命乞いがエミリア・ハルトマンの逆鱗を逆撫でしたらしく、アルベリヒは力任せに頭部を殴り飛ばされる。
異常だ。
エミリア・ハルトマンは、あのうどの大木を片腕の一振りで石畳に叩き伏せ――――いや、そもそも警戒から強化術をすでに展開していたわたしの足をこうも簡単に挽肉にしてみせた。
あのマグダに匹敵する生理魔術の才の持ち主など、そう何人もいるものではない。それにマグダとてフランと同じく万人共通の基本的な咒式の使い手であり、魔力発露の仕草をかけらも見せずにこうした怪力を発揮するなど並のエルフ、そして猿人には不可能だ。
時代錯誤も甚だしい国枠主義者の装衣をまとい、倒れ伏す二人の少女を見下ろす瞳はまさしく魔人。戦前の貴族が拝火――――当時の劣等生物=魔物に向けてするような目つき。
つい先ほどまで自分がアルベリヒに向けていた『無関心』を、今は自分が厭というほどに浴びせつけられている。路面で乗用車に腹を轢き潰され、息絶え絶えとなった野良猫の姿に対する、汚らわしさすら表には出さぬ無関心さ。現に、エミリア・ハルトマンはフランとは一度も目を合わせなかった。
彼女の目的はあくまでアルベリヒ。フランツィスカ・オルブリヒトには何ら価値も見出さない。
アルベリヒの呻きすら遠くに聞こえるようになってきた頃、視界は唐突に濃密な闇のなかに切り替わる。
痛みの坩堝に呑まれていた右脚は、気づけば血錆のこびりついた鉄の刃に噛み砕かれていた。大型犬の体躯ほどもありそうなその巨大なバリカンは、刃を往復させるたびに獲物の皮膚裂き骨砕く拷問器具だ。神経から神経へと運ばれる感覚が腿から臀部から背骨から響き、フランは喉が裂けんばかりに絶叫した。
もはやエミリア・ハルトマンは自分に触れさえしていないのに――――
それは、言うなれば魔人の有する攻性の残滓か。フランの知りえる魔術体系にも、行使者が意識を離してからも効力を持続、そして効果を倍加させていくような咒式は存在する。それは戦前にも呪いといった民俗咒式のかたちで存在しており、敢えて当てはめるのであるならば、この痛みは後者のものに近いのではないだろうか。
山と谷を有する鋭利な銀の刃には細緻な装飾が施されており、百合の花弁と蔓の紋様がびっしりと彫り込まれていた。そのどれもがフランより先に食い殺されたと思われる被害者が転じた赤茶けた血錆によって装飾され、この世のなにより残酷な与奪の厳かさを、屠殺されゆく畜生へまざまざと見せつけていた。
痩躯のエリートは、首筋に斧を突き立てられた食肉獣の断末魔じみた声をいつ果てることなくあげ続けた。