カーテナ奔る
「いっそここで五人、用意しちゃいましょうか」
誰に向けたでもないべリンダの淀んだ、しかし高い声が、聖堂広場の闇に染み渡った。
それを合図にしてか、石畳を誰より早く蹴ってハイン達騎士団に向かったのはミランダ。成人男子と同程度か、もしくはそれ以上の巨体が姿勢を低め、一直線に奔った先はハイン――――裏切り者の代替として加入した新入り、その喉笛めがけた突進だった。
「しねっ」
歓喜と昂揚の混じった物騒な感嘆を口ずさみながら、ミランダはぎしりと嗤う。体躯をねじり、その陰に見え隠れするしろがねの輝きは、凡百のなまくらとは一線を画す名剣の真なる証か。澄んだ刃鳴りが一瞬耳に届いた次の瞬間、ミランダはその剣をハインの喉元目がけて突き上げんと構えていた。
鈍い銀の輝きをいだく直剣の剣身は半ばほどでへし折れており、使い手のミランダと比べるとあまりに小さい。しかし、断面から先には残された剣身は金属とは思えぬ燐光を放つ奔流で形成されていた。
その様まるで、折れた切先を再現しているかのよう。
いなづまの放つ強烈な発光が凝縮され、剣身の断面から行き場を求めて溢れ出している。発破させろ、その内に抱くエネルギーを発散したくてたまらない。そんな唸り、猛るような欲求を力ずくで剣のかたちに整えた、あまりに乱暴且つ豪胆な光のやいば。直視すれば目を焼かれそうな程に熱く輝き、皮膚に触れればたちまち体内で光刃の持つ神威は弾け飛び、体組織だけに留まらず意識までも塗り潰されよう。
慈愛の刃、儀法聖剣カーテナ。
それが、ミランダ・ヴィッテルスバッハ有する聖遺物の冠する名である。
ブリタニア諸島を治める王室にのみ伝わる宝剣であり、中世期は共和国にて鍛えられ、異民族からの侵略に立ち向かった英雄が振るった剣のひとつとされている。
ブリタニア本島に渡ってからは戴冠の儀に要され、1800年代後期に至るまでその威光を示し続けた直剣で、清教徒による国教改革紛争や女王アリス・リデル崩御の原因となったキャメロット事変を経てなお健在という、まさしく聖遺物と呼ばれるに相応しい年季と霊格を有した一振りである。
東西戦争後に勃発したキャメロット事変に際し、女王の暗殺を謀ったクーデター組織と、当時ブリタニア議会と協調路線をとっていたFCAの私設部隊が激突。ブリタニア内部での対立を発端として火蓋が切られたこの戦いは陸海空、ブリタニア本島から各諸島全域に渡って戦火が拡大し、女王座すキャメロットやロンドン市街は甚大な被害を受けた。また史上初めて飛竜騎兵同士による空戦が行われた戦争でもあり、当兵科を主軸に構築された王室近衛軍、通称『円卓』は此度の戦いによって半数から七割が内輪で、またはFCA有する航空勢力によって撃破されている。
一ヶ月を要さぬ短期間でブリタニア国土での戦闘行為は終結したものの、末期には近衛軍のクーデター勢力によって女王は殺害、当時スカンディナヴィアより進水した新造空母より指揮にあたっていたFCAの指導者であるヘレネ・ヴィッテルスバッハ、リヒャルト・ヴァイルブルクが死亡。当時拝火軍と行動を共にしていた聖ラウラもまたこの戦争で不幸にも命を落としている。現地入りしていた拝帝国の敗戦が切欠となって開催される予定となっていた、オリエンスと共和国を中心とする西側諸国の東西会議が一年後に控えていた為、現在では『東西の諍いを清算する為』の代理戦争だったとも評される。
この戦いによって反連合政策を推し進めていたブリタニア議会の方向性は一転、指導者を喪ったFCAの衰退と共にオリエンスの西部進出と融和、帝国領の東西分割に協力的な姿勢を示すようになった。
遠因入り混じる結果が帝国思想、FCAの敗北であるが、このキャメロット事変でのヘレネの死もまたその要素の一つであると言える。
ヘレネ・ヴィッテルスバッハのもたらす威光は、カリスマと呼ぶべきその指導力は、並みの人間には持ち得ぬ高みにあった。それはまさしく聖ラウラと並び立つ勇者に相応しき異能であり、奇跡だった。
歴史をも変え得る奇跡は、それを起こしうる勇者が斃れてもまた強靭な因果を紡ぎだす。ヘレネの死後、彼女の意志はFCAを通し各地に支持者、信奉者を遺していった。正義の御名における断罪、一等国民である帝国民族の恒久幸福の享受――――拝火民族の絶滅。カーテナは、人間の織りなすそんな時代のうねりをすべて目にした。そして蓄えられた霊格は、それと繋がりの深い縁を持つ者、もしくは組織のもとへ渡る事となる。
それが白の大隊であり、ヘレネの孫――――ミランダ・ヴィッテルスバッハだった。
(速い……速すぎる!! 目で追うのがやっと、身体が追い付かない! 『弦』でのガードも……そもそもあんなものを防ぎきれるのか!?)
標的とされたハインも無防備でいるわけにはいかない、ミランダが跳んだ時点で弦を顕現させる選択をしていた。しかし、蒼の燐光が舞うよりも先にミランダは距離を縮めていた。ほんの二歩、それだけの歩数で六メートル強の距離を正確に踏み込んできた。
金銀の腹帯や装飾、大きく揺れる乳房に隠れてミランダが腰より提げていた、ベルベット布に包まれた鞘。そこから刃が放たれたのをまじまじと見届けてしまった時点でもう遅い、今にも光の刃はハインの肌をかき破ろうとしていた。
がぎん、と金属音が鳴り響く。ハインが聞いたのは、自身の血液が焦げる音ではなかった。
改めて眼前を見ると、恐るべきあの光の刃は横からの闖入者の手によって受け流されていた。三メートルをゆうに越える長い柄の先に取り付けられたるは、ミランダの持つ剣に劣らず美麗な装飾と光を携える鋭利な刃の斧。月明かりに青く輝くハルバードは光刃の力に灼かれる事なく、ミランダの一撃を逆薙ぎ受け止めていた。
「高等さを雄弁に語る割には、意地が汚いのではなくて?」
声の主、ハインとミランダの間に割って入ったアガーテ・オレンブルクが云った。
「蟲の卵を見つけたら潰すでしょうよう。アンタ、肉バエの怖さ知らないでしょお」
ミランダの不気味なくらい無邪気で不機嫌な物言いに、アガーテは顔をゆがめた。
「ハインリッヒ君、下がって!」
「しゃべんないでよ劣等の馬女ァァァ、臭いなもぉぉぉぉ!」
ぎゃりぎゃり、互いの刃が擦れあう。猿人とは比較にならない半馬の胆力でも、ミランダの気迫と圧に対して拮抗させるのがやっと。歯を食い縛るアガーテに反し、ミランダは劣等と見下しているハイン達への嘲りを露わにしているのみ。宿泊先のホテルに害虫がわいた、気持ち悪いし駆除しよう。意識的にその程度のものに過ぎない。
ミランダの突進と同時に、騎士団の側から白の大隊へ跳びかかった者もいた。
騎士団序列Ⅺ、ヘンリエッタ・シュナウファー。紅の眼を爛々と輝かせ、獲物に駆ける豹の如き速度で敵――――ベリンダ・ヴィッテルスバッハの首目指し駆けた。
「Meine liebe Schwester Belinda!! Belinda!! Belinda!!」
群れのうち一頭、すなわちハインが狙われたという口実を得た獣は、危うく釣り合っていた均衡の崩壊を察知した。ベリンダ率いる竜の軍勢に、彼女ら四姉妹に、彼女は並々ならぬ感情を抱いている。それは愛であり、情念であり、性欲であり、また憎悪であった。
ベリンダを愛してやりたい、ウンブリエルに抱かれたい、ミランダに舐められたい、ロザリンドに犯されたい。
自分という肉を、白竜たちの血で満たしたい。そう強く想うが故の、羨望という名の嫉妬であった。母の思想に血の一滴、髪の一本に至るまで染まりきった、なんと幸福な者たちか。三千世界のどこを探しても、彼女たちほど幸福な少女たちはおるまい。ああ妬ましや、なぜ私は、ヘンリエッタ・シュナウファーはあの輪の中におらなんだ。
同じ竜の血を宿しておきながら、なぜこうまでも異なる境遇と成り果てるのか。チタニア・ヴィッテルスバッハの寵愛を、なぜ私は受けられぬ。なぜお前達だけが承認され、欲求を快楽で満たす事ができる?
ああ妬ましや、喰らい尽くしてしんぜよう。
血の一滴、髪の一本に至るまで、母の愛に染まったお前達を喰らってやろう。私が重油のように吸い上げた戦争で、爆音と断末魔の交響曲の中でお前達の愛を咀嚼してやる。
さあ戦争だ、闘争だ、殺戮の君臨する戦場がまみえるぞ。濾し取った胆液で杯酌み交わし、転がる死肉で胃を満たそう。脂肪でのどを潤し、吐瀉し、また食おう。食おう、食おう、呑んで食って楽しもう。
理性のたがの外れたげたげた笑い、ヘンリエッタは耳まで届く長い舌をはみ出させ、ベリンダの名を叫び続ける。
剥いた双眼は、ベリンダ達と同じく人外の瞳。色彩こそ異なるものの、まぎれもなくヘンリエッタもまた竜の血を引く一人。生まれ落ちた場所が慈愛と温情に満ちた母の乳房か、もしくは母親の糞便と羊水がぶちまけられ、厭な湿気の溢れる黒黴の散った檻の中かの違い。惜しむらくは、ヘンリエッタが後者だった事であろう。
汚物として生を受けた自分に、少しでも母の愛をよこしてはくれまいか? 愛しの姉様。
欲情する竜の末裔にいち早く反応したのは、筋肉の鎧に身を包むひとつの雄姿。
ヘンリエッタは巨体が自らの動きを追っている事にも気づかず、ブフナーやディートリヒと対面するベリンダへ一直線へと駆けている。巨体の主、エドゥアルド・ブロッホがヘンリエッタを制圧するのに苦はなかった。
小ぶりの南瓜程度はごく簡単に握砕できそうな掌を、彼は力任せにヘンリエッタに叩きつけた。
「ファインプレイです、ブロッホ」
とブフナー。
顔面から石畳に叩きつけられ、それらを粉砕し小さなクレーターを形成するほどの力を加えられてもなお、ヘンリエッタの痩身からは血の一滴も零れなかった。
「いや、遅れて本当に申し訳ない。この通りだ、皆様方」
呑気な、それでいて愉しげな声。
あわや大参事、といった光景にもさほど気をやっていない、あまりに部外者ぶった声だった。
Ⅵ、カール・クレヴィングは、ひょこりとハインの背後から姿を現した。ハインの両肩を掴み、一同をおちょくるように彼の後ろから顔を茶目っ気まじえてのぞかせる。
「うわッ!?」
「やあハイン、元気そうで何より。心配していたよ」
そう言って、女子制服姿のカールは馴れ馴れしくハインに頬と頬を擦り付けてくる。間違いあるまい、この奇人の奇行。カール・クレヴィング本人だ。気だるそうなたれ目で一同を見渡すと、カールはハインから離れ、双方睨みあう丁度真ん中に立った。
「遅すぎますよ、カール……して、アンデルセンは?」
「機嫌を損ねてしまってね。残念だが彼女も欠席だ」
などと、ベリンダ達の神経を逆なでしそうな発言を億尾もなく言ってのける。しかし、意外にもいの一番に突出したミランダは剣を収め、鼻を鳴らして姉妹たちの元へ戻って行った。
「儀式を前にそうささくれ立っていてはいけないなあ」
一同の各所から、この変人に向けての舌打ちが聞こえた。