ヘレネの子ら
Der seine Wohnung in den Gräbern hatte; und niemand konnte ihn binden, auch nicht mit Ketten.
――――かれは墓標を己の居場所と定め、何人もかれを繋ぎとめておく事はできなかった。
Denn er war oft mit Fesseln und Ketten gebunden gewesen, und hatte die Ketten abgerissen und die Fesseln zerrieben; und niemand konnte ihn zähmen.
かれは度々縛られ封じられたが、その都度に枷を砕き鎖を千切り、もはやかれを押さえつける事は誰にもできなかった。
Da er aber Jesum sah von ferne, lief er zu und fiel vor ihm nieder, schrie laut und sprach:
かれは主を遠方から見、駆け寄って之を拝し、大声で叫んだ。
Was habe ich mit dir zu tun, o Jesu, du Sohn Gottes, des Allerhöchsten? Ich beschwöre dich bei Gott, daß du mich nicht quälest!
わが君、わが主、勇ましき者よ。あなたとわたしの間になんのえにしがあると言うのです。大いなる父に誓って願います、どうかわたしを苦しめないで。
Denn er sprach zu ihm: Fahre aus, du unsauberer Geist, von dem Menschen!
それは主が、穢れた霊に去れと命じたからに他ならない。
Und er fragte ihn: Wie heißt du? Und er antwortete und sprach: Legion heiße ich; denn wir sind unser viele.
主の問いにかれは応えた。わが名はレギオン。われわれは大勢であるがゆえに。
Und er bat ihn sehr, daß er sie nicht aus der Gegend triebe.
そしてかれは――――かれらは、この地から追い出されない事を心から願い続けた。
もはや肉眼でも彼らの鱗や体毛は捉える事ができる。
真白の燐光を放ち、竜の威光をホリゾントの天空に示す軍団の両脇に位置するのは二柱の巨大な山脈竜。ごつごつした鎧のごとき装甲を纏いながらも、数軒の聖堂をうちに納めるほどの翼で宙をゆうゆうと駆けていた。ブリタニアでも常人が目にする事は稀とも言われるその神竜は、決して軍勢の先陣を先行する事はない。
幾百、幾千の飛竜の先頭に位置するうち一頭は、ハインのような学徒ですら知る伝説の高等竜――――黒曜の双角と純白の鱗を有する古神竜アルバス・ドラゴン。ブリタニアの象徴と知られる赤竜と双璧を為す神格を有する存在だった。
全長が一回り小さいもう一頭は、象牙色の体毛に覆われた飛竜。長大な尾と頑強さを感じさせる頸部、地神でもある竜の特質を確かに誇示していながらも、どこか慈悲に満ちた温和な印象すらある柔らかな体毛がふわふわとたなびく。
竜の名は、古竜リンドヴルム。帝国でも広く名が知られる、古代から人喰いとして畏怖を込めて信仰されてきた邪竜。聖人と交わった事で神性が付与され、好意的な考えをもって戦後の文化に受け入れられた存在である。
先陣の二頭率いる集団が山脈竜の陣から離脱し、高度を徐々に下げていく。学園敷地の上空を旋回し、聖堂広場を目指し順に螺旋を描きながら滑空、降下していく。
オォォォォ――――ン
石畳を削りとりながら、次々と飛竜がホリゾントの地へ降り立つ。
竜の種類は多種多様、鱗に包まれたもの、体毛に包まれたもの、岩のような甲殻に包まれたもの。理性のあるもの、理性を持たぬもの。彼らは規律ある列を為し、ハインら騎士団と対面する。誂えられたように空けられたその間は、二柱が降り立つために用意された場所。
アルバスドラゴン、リンドヴルム。他の有象無象と異なり、彼らは轟風を伴うホバリングを駆使し、巨体ながら音なく広場へと巨大な両の脚を接地させた。
「降りなさい、お前たち」
ぐぉるるぅ。鼓膜に届いたのは、そんな取るに足らない獣の唸り声のはず。しかし、ハインの脳は低いアルトの落ち着きある一言として処理していた。
「ヴァルター・ブフナー。カール・クレヴィングの姿が見えぬようだが」
象牙色の体毛の古竜リンドヴルムが吠えた。やはり、その唸りは威厳ある父を思わせる重厚な声色にしか感じられない。
「申し訳ございません。御覧の通り、まだ全員揃ったわけではありませんで」
「何それ? あーあ、だったらお祭りでどんちゃん騒ぎしてたほうがよっぽど良かったぁ」
ブフナーの声を遮ったのは竜のものでない、退屈を主張する冗長な女性の声。
「きもちわるいわね。ほらぁー、やっぱり言った通りじゃない。豚とか馬とかいろんなにおいするわこれ。ルイーゼのところでおいしいもの食べてたほうがずうっと良かった」
続いて不快の意を表したのは、舌足らずな幼子を思わせる声。
革靴が石床を叩く音がし、二柱の巨体から現れた人影は四人分。多民族国家の体を為す帝国では多様な形態の人種が集うとはいえ、四人の少女らから感じる異質さは明らかに常軌を逸していた。
その形質が一般の猿人からかけ離れているというわけではない。纏う気質が、雰囲気が、明らかに帝国人のそれと違っていた。
二人は丸きり同じ風貌から、双子だと思われた。年はハインより下、外見だけで判断するならばエミリアと同年代か。碧の瞳に縦に走った瞳孔は竜の抱く双眼と同じもの。二人そろって、どこか生真面目そうな様子で他の二人や並び立つ飛竜へと意識を配る。うち一人は眼前のハイン達にはひとかけらの感心も抱いていないのか、目をやるにしても路傍の石にふと気まぐれに視線を落としたかのよう。
黄金色の頭髪を両の側頭で束ねた揃いのサイドテールが愛らしく翻る様も、彼女らを市井の少女と同質と思わせるにはまるで足りない。
衣服は四人それぞれ寸法こそ大きく異なるものの、FCAの根本思想を育んだ近代の帝国国教騎士団の礼服にアレンジが加えられたもの。当時の皇妃が愛用していた乗竜装束との折衷でもあり、肩章が示す階級は連隊指導者。騎士団のそれよりも装飾は過剰にも見え、刺繍の施されたケープもまた礼服に含まれるらしい。金の腹帯の上には少女らしからぬ大きさの乳房が乗っかり、厚手の上衣の上からでもその重さと肉質を誇示していた。
脛まで伸びるスカートの右側面には腰元深くまでスリットが入り、腰骨と腿を包む白い肌が常に外気に晒されている。スリットの位置は腿にある傷痕に合わせて入っており、それは偶然か人為的なものか、四人全員同じ位置に痕があった。救世主が磔刑の際に付けられた刻印、言うなればそれに類似する聖痕か。開花しかけの一輪の花弁のように見えるのも聖なる加護によるものなのか、ハインにはわからなかった。
「皆さんにご挨拶を」
リンドヴルムによる鶴の一声に、四人はしぶしぶ従った。四人一列に並び、面倒そうに会釈をし始める。
先ずは双子が前に出て、
「Sieg Reich! べリンダ・ヴィッテルスバッハ親衛隊大佐であります。ご無沙汰しております、ブフナー卿」
社交辞令の感のあふれる、しゃちほこばった自己紹介だった。
「ウンブリエル・ヴィッテルスバッハ親衛隊大佐…… Vater 、これで良くて?」
「ウンブラ、最後まできちんとなさい」
「我慢して」
「ちっ……」
堪え性のないウンブリエルを諌めるべリンダ、そして『父』と呼ばれたリンドヴルム。リンドヴルムの指示にもっとも早く応じたべリンダこそが姉なのだろうか、しかし遠目で四人を観察するハインに判別する術はない。
一歩引いた二人に次いで前に出たのは、大柄な二人の女性。べリンダが引く際に各々一礼している事から、双子よりも位は下なのだろうか。
「ミランダ・ヴィッテルスバッハ親衛隊大佐でっす」
「ロザリンド・ヴィッテルスバッハ親衛隊大佐よ。どうかお構いなく、きったないでしょうから」
ミランダ、ロザリンド共通の容姿として挙げられるのはブフナーに匹敵する長身と、その巨大な双角、そしてスカートのスリットより伸びる長い尾である。
ミランダの角は直上に、中腹で歪曲した角は天を衝くように。ロザリンドの角は漆黒、猛禽の爪のごとく頭部を覆うように。尾もそれぞれ異なる特徴を有しており、ミランダは頭髪と同じくアイヴォリーの毛に覆われた尾、ロザリンドは頑強かつ鋭利な鱗に包まれた純白の尾を持っている。
各々がリンドヴルムとアルバス、その二柱の実子である事を如実に物語る証拠であった。
ミランダ、ロザリンドの乳房は双子を凌駕する大きさを誇る。特にミランダの胸はケープの全面部分が完全に両乳房の膨らみの上部に乗ってしまい、腹帯や肩には革製のハーネスと金具が備え付けられ、辛うじて礼服の決壊を防いでいた。自身の頭ほどの大きさの乳房のべリンダとウンブリエルと比較すると、ロザリンドはメロン。ミランダは大ぶりの西瓜か。
上衣を全開に半ば全開にし、伸縮性のあるインナー越しに張りのある乳房を見せつけていながら、ミランダは騎士団を一瞥したきり、眉の長さで切りそろえられた前髪から覗く瞳を不愉快そうに伏せるだけ。ボブカットのミランダに、ロザリンドのように弄る髪の量はない。
ロザリンドもまた、檻の向こうの珍獣を眺めるかのような怪訝な表情を向けていた。興味が失せれば腰元まで伸びた銀髪の先端を弄ぶ。同じ知性を有した人間として、そもそもハイン達を見ていないのだ。
「はるばるお疲れ様です、皆さん。リンドヴルム殿、アルバス殿も健勝でなにより」
「ノーガキはイラナイのよヴァルター・ブフナー! あんたみたいな家畜には用はナイの。Ⅰは? シュタウフェンベルクはどこよ。いるの? いないの? じゃなきゃカールはどこよカールは」
形式上の会釈を終えた途端、ミランダは巨大なバストを突きだしてブフナーへ食って掛かった。
「それが……皆様にご足労していただいて本当に申し訳ないのですが、除幕の儀はこのメンバーで行う事になりそうで」
「集まったのが混血八匹って本当にやる気あるわけ? 中世期から進歩がないのね、雑種は。へどが出そう……」
苛立ちを隠そうともしないウンブリエルは低い声でブフナーを咎めた。そんな彼女の不機嫌に気づいたべリンダは彼女の手首を鷲掴み、そして、半ば強引に深い深い接吻をした。
「ふ……ぁ……」
「お黙りなさい、ウンブラ。私がお話しいたします」
三秒か、四秒かの短い、しかし濃厚なディープキスにウンブリエルは恍惚の声を漏らし、姉の唇がやがて離れると、名残惜しそうに頬を染める。苛立ちや不和の解消にこのような手段をいとも容易くとる彼女らは、明らかに大陸のどの社会の観念からもかけはなれた常識の持ち主だろう。
「破廉恥なビッチどもだぜ」
エミリアがぼそりとこぼした。ハインも彼女らの先ほどの挙動一つ一つには面食らっており、同時に自身の常識を侵犯される不審を強く抱いていた。
「無礼を承知で言わせていただくが」
次に声をあげたのはディートリヒだった。
「そちらこそ、名誉団員ご本人……チタニア・ヴィッテルスバッハ閣下のお姿がお見えにならないようだが」
「閣下は現在、ベルヒテスガーデンにおられます。本日閣下がホリゾントにお越しになる予定はございません、悪しからず」
「Ⅻが空席の現在、名誉団員と言えど縁の構築にご協力していただくのは道理では? 納魂祭の年度や日程はカール・クレヴィングの指定したものと予め取り決められていたはずだが」
「言葉を返すようですがディートリヒ・ガーデルマン。ご自分の身を弁えた上で意見していただきたい」
「どーしてかー様が、アンタ達みたいな劣等の雑種と顔付き合わせてお遊戯しなきゃなんないわけ? あたし達が来てやっただけで有難く思いなさいよ。ガラクタみたいなお人形壊すだけでしょ、上等じゃない」
ウンブリエルの代わり、と言わんばかりに甲高い声で野次を飛ばすのはミランダである。豊満な肢体を大きく揺らして女児の拙い言葉遣いで騎士団を煽る様は、滑稽よりも畏怖の念が先に湧いてくるようだった。
「いや……重ねて、申し訳ありません。Ⅴの出奔に関しては伝わっておりませんでしょうか」
「まさか、まだその謀反を起こした者を捕えていない? ヴァイルブルク陛下がご提案なされた案を無碍に? 人の身で儀を行うと?」
白い肌に呆れの感情を露わにしながら、べリンダは冷たく言い放った。
「このままじゃ一日二日じゃ済まないわ。ああ、くうだらなあい」
ロザリンドがわざとらしく愚痴り、眉をひそめた。
「グレゴール・フルークの追跡については、こちらも手を尽くしている最中です。人形の確保も、彼と縁を有しながら顛生具現を顕現させた新しいメンバーを……」
「にわか仕込みの素人に人形を追わせて、それであなた達は? 同士討ちを見据えて、良からぬ事でも企んでいるのではなくて?」
べリンダ、そしてウンブリエルの表情が険しくなる。彼女らもまた、アガルタを目指す為の儀式について精通しているようだった。加えて、エミリアがハインに持ちかけた騎士団の同士討ち、殺し合いの可能性も。
「正直言って……呆れ果てました。いち部隊以下のこの統率力、意識の低さ。あまりにもあなた方は非帝国的すぎる。まさか、その体たらくでFCAを名乗っているわけではありませんわね?」
「とんでもありません」
「いっそのこと、あなた方全員……母様の贄となって、アガルタへの扉を開きますか? 殺し合いが大好きなあなた方にはお似合いでしょう」
やれやれ、そう嘲りの意を示しながらベリンダは嗤った。言葉の通じない動物、魔物を対岸から眺めるかのように。神竜と勇者の血を引く四人の少女たちはさぞ哀れそうに騎士たちを見、やがてベリンダは額を人差し指と中指で押さえながら吐き捨てた。
「Spinnst du?」