天軍降臨
両開きの門の上に備えられた時計が11時を過ぎた頃、聖堂前の広場に一人、男が静かにやってきた。
「ちっ」
広場のベンチで足を組みながら、エミリアはつまらなさそうに舌打ちした。
「おや、ハイン君。それにエミリア……いやはや、儀の立ち会いにこうして興味を示してくれるのは感心な事です」
にこりと二人に笑いかけたのは、エミリアと同じく礼服にそでを通したヴァルター・ブフナー。少々遅れて、アガーテ・オレンブルクが蹄鉄を鳴らしながらやってきた。
「ヘンリエッタは時間に来てくれるでしょうか……私は本当に心配ですよアガーテ。すこしお小遣いを奮発しすぎてしまいまして、街道のジャンクな屋台に捕まっていないでしょうか?」
「ご心配なくブフナー卿。彼女は舌が肥えています、まずければさっさと場所を移しましょう」
ぺらぺら口の回る心配性のⅣ、柔和な表情でそれを受け流すⅩ。それから数分後、実習棟の屋上から跳躍して推参した巨体のⅧ、そしてⅢ――――ベルンハルデ。
見ぬ相手には目配せし、軽く会釈を返す。彼らが敵、倒すべき贄なのだと自分に言い聞かせるように、ハインは騎士団の面々を目に焼き付ける。
ヴェーヴェルスブルク十三騎士団、その名が示す通り構成員は十三人。全員の顔を把握できているわけではないが、ハインは改めて各々を思い浮かべた。
Ⅱ、ディートリヒ。ベルンハルデの兄であり、また彼も恐らく類まれなる顛生具現の才の持ち主であることは疑いようもない。先日は軽く二言三言会話を交わしただけだが、ハインはディートリヒの危険性を本能で感じ取っていた。
Ⅲ、ベルンハルデ。黒の長髪をなびかせ、怜悧さと残酷さの両面を併せ持つ少女。どこか自分を特別に敵視しているようにも見え、『非日常』のスイッチが入ればその凶悪さはエミリアに匹敵するだろう。他のメンバーに比べ新参とは言っても、現実に相手取るには荷が勝ちすぎる。ハインに課せられたハードルは、想像よりもずっと高い。
Ⅳ、ヴァルター・ブフナー。まぶしいブロンドを持つ長身の麗人、ホリゾントの教員と紹介されれば信じてしまいそうなほど、魔人や戦争とは縁遠い雰囲気を纏う男性。だが、掴みどころがないというのはディートリヒと同じであり、刃を交えて勝利をもぎ取るのは容易な事ではないはずである。増してや、今のハインの身元を証明できるのは彼だけだ。ハインが戦に身を投じる原因を作った集団の人間とは言え、恩義を思っていないといえば嘘になるだろう。
Ⅵ……未だここには姿を現していない、カール・クレヴィング。これまで会った騎士と比べるべくもなく、最も偏屈でいかれた人間であり、こちらが何を投げかけたところでのらりくらりと言葉を躱してみせる。不得要領、会話においても相手にしづらく、彼もまた闘争とは無縁の存在に見えた。
Ⅶ、エミリア・ハルトマン。騎士団への謀反を企てる戦闘狂。その目的は、意図的に騎士同士の殺し合いを誘発させるを善しとするもの。粗暴な言動が目立つやくざな性格を持つが、ハインは彼女とは内密に太く繋がっているというのが現状である。
Ⅷ、エドゥアルド・ブロッホ。彼とは初対面ではあるが、その気性はエミリアとは正反対、寡黙で落ち着いた大男である。驚いたのは、あの言葉少なで氷のようなベルンハルデが彼には態度を氷解させているように見えた事。この広場に参上した際にも二人は足を揃えていたのを見て面食らった。
Ⅹ、アガーテ・オレンブルク。ブフナーに次いで穏健な気性の持ち主であり、柔和な物腰は分校を離れてからのハインを落ち着かせたものだった。会話を交わした事こそ多くはないが、出来る事なら彼女と戦う事は避けたい。ゼフィール達を利用した集団といえど、ハインにそう迷わせるだけのものを携えた女性といえた。
ディートリヒの到着から遅れる事20分、ようやくやってきたのはⅪ、もっとも小柄なヘンリエッタ・シュナウファー。徘徊する夢遊病患者がごとく、銀髪を揺らし頭をふらふら、覚束ない足取りで広場へと姿を現した。
他の面子とは異なり、黒の礼服を独自に改造したものに身を包んでいた。アウターは末広がりのティアードスカート、純白のフリルでふんだんに装飾が施され、原型のズボンは裁断された生地の黒が目立つ純白から見え隠れするのみ。ジャケットもまた同じで、主色である黒はなりを潜め、コルセットを含めた上衣は白を基調としたゴシックファッションと化していた。
「どうでしたか、ヘンリエッタ。何かおいしいものはありましたか」
「なか……った……」
厚底のヒールをかぽかぽ鳴らしながら、ブフナーへの返事もほどほどに彼女はハインのもとへ歩み寄る。
「……」
「あの……何か?」
「Ⅰ……Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ……Ⅴ?」
「ええ、そうみたいです」
かっと見開いた朱色の瞳を包む睫毛もまた銀色。真横に広がった瞳孔は山羊のそれと酷似しており、猿人にも半人にも、また拝火人にも感じられぬ異質さを醸していた。
大きな眼を数度ぱちぱちさせ、品定めするようにハインをねめつける。首をかしげるたびにヘッドドレスのフリルや、側頭のベルベットのリボンが揺れる。
「そう……フ、フ、フ、フルークは……ま、ま、まだ、まだ、いな、いないのね……見つ……みみ、見つからなかった……?」
「……すみません」
吃音混じり、それもほぼ初対面のヘンリエッタにそう言われたところで、ハインは一言弁解するしかなかった。
「で、で、でも……し、心配……ないのよ……母様……そう、母様や、シュ……シュタウフェンベルク卿なら……あ、あ、あんな奴、すぐ、すぐ……」
言葉に詰まり気味なヘンリエッタに、ハインは緊張を覚える。
「きっと……きっとよ……? あ、あ、貴方の心配事なんて……じゃ、じゃまな竜ごと、洗い流せてしまえるのよ?」
「邪魔な竜……?」
「そ、そ、そうよ……ずっと前から高みの見物……調子こきぃの……張り子の審判官、母様の威を借る哀れな子羊……」
「ヘンリエッタ。閣下のご息女をそう邪険に紹介するものではありませんよ」
ブフナーの穏やかな制し方にヘンリエッタはびくりと反応し、すごすごとハインの前から引き下がった。
「来るわよ……くく、く、来るのよ……身の程知らずの審判官……」
「来る?」
「ああ、ハイン君。ヘンリエッタは、その……少々、あの方々に特別な感情を抱いておりまして」
柔らかに微笑みながら、ブフナーはヘンリエッタの前に割って入った。
「騎士団以外に、儀に参加する方がいるんですか」
警戒を解かぬまま、それを悟られぬようハインはブフナーと目を合わせる。
「ええ。とても大事な来賓の方々ですよ。来賓……というのもおかしいでしょうか?」
ブフナーはわざとらしく肩をすくめた。
「騎士団のポストはちょうど十三。例外として、名誉団員の席というものがあるのですよ」
「それじゃあ、十四人目がここに?」
Ⅴである自分と周囲の面子を合わせても、合計八人。
「十四人目……フフ、そうですねえ」
この場にいないのはあのカールと、Ⅸの序列にあるアンデルセンなる人物。加えて、本日エミリアがその加入に携わったというⅩⅢ。エミリアによればⅫは欠番らしく、それを踏まえると残る席はⅠ。
「Ⅰ――――カッサンドラ・シュタウフェンベルク卿は、我々騎士団において唯一の例外。我々は相互に平等、そこに階級の上下は存在しませんが……Ⅰの座だけは無二の玉座も同様、騎士団を率いる首魁が冠する称号です」
カッサンドラ・シュタウフェンベルク。
それが、僕の最終目標か。
ぐっと息を呑み、その名を脳裏に刻み込んだ。
実際に刃を交えるかはともかく、儀式とやらに利用されたハインの、ハルヴァ達の怨恨をいずれは直接ぶつけなければならない。まだ見ぬ騎士の首魁の名を前に、ハインは閑に決意した。
「そして名誉団員……ヴィッテルスバッハの座は、それに並ぶ位置にあると言えましょう。ただし……十四番目の席ならばともかく、十四人目というのは正しくない。彼女達は、呪いにあえぐ一人きりの存在ではない。なぜなら彼女たちは」
クォォ――――ン
聖堂に集まる騎士たちの耳に響いたのは、荘厳にして確かなる叡智を有する調。
矮小なる理性には及びもつかぬ、大いなる神意を孕んだ咆哮。
クォォ――――ン
それはもはやいななきではなく、裏打ちされた譜面から奏でられた音色。
宵闇の帳に重厚なるホルンが鳴り響き、しかしそれに意識を向ける事ができたのはホリゾントでただの十数人。
縁を持つ者だけが天を仰ぎ、その経験の埒外にある大地の意思を耳にした。
「来たな」
エミリアは不敵に嗤い、ブロッホは白手袋に包まれた大きな拳を固く握る。
眉間にしわ寄せ、緊張した面持ちのベルンハルデとアガーテ。反し、ディートリヒはぴくりとも表情を変える事はない。
「彼女達は軍勢。ただの一人に収まらぬ、確たる叡智を有した竜の一団。彼女達は、白の大隊。今は亡き母、真にアジ・ダハーカの血を継ぐ者たちと言えましょう」
ブフナーの説明も、同じく夜天を見上げるハインには届かなかった。
ハインもまた、濃紺を割いて雲海から現れた純白の軍団に目を奪われていたのである、
クォォ――――ン
北東から、北西から、天を羽ばたく飛竜が軍団に合流し、それらはさらに数を増していく。高らかな咆哮は徐々に聖堂広場へ接近する。凡百の飛竜のしゃがれた遠吠えではない、確たる知性を持つ海豚の奏でるウタでもあった。