集結
無人と化したアーケード街から出る頃には、既に日が傾いていた。
ベルンハルデに負わされた肩の刺し傷を抱え、しかし身に宿るエクスキャリバーの力か、三十分もすれば感覚を灼くような激痛はおさまった。
治癒と沈痛を担う聖剣さまさまと言ったところか、ベルンハルデの手加減もあり、素人目にも傷は大事には至らないように見えた。
血濡れたシャツとベストに関しては、その場に放置しておくわけにもいくまい。表通りの騒ぎに混じれば仮装の塗料とでも思ってくれるだろう。血なまぐささだけが玉にきず、そのままハインは街道を突っ切って寮への道のりを急いだ。
意図せず踏み込んでしまった非日常を忘れたいがために祭りの場へ参加した、そうした気持ちがなかったわけではない。
しかし、やかましいほどの喧騒に揉まれているうちに、先ほどまでの憤怒や憎悪が幾分安らいだ。日常のハインには、そんな気がした。
「おや……おやおやおや、Ⅴ。偉いじゃあねェか、0時集合にゃまだ早いぜ」
クルトに合流しないまま帰路に着いたハインが出会ったのは、偶然にもエミリアだった。
ホリゾントの制服ではなく、鉄十字の輝く黒の礼服。平時においてはFCAの勤務服など目立って仕方がない、場合によっては職務質問を受ける事も珍しくないだろうが、いまのハインと同じく今日のホリゾントでは注目されるような存在ではない。
「トマトでもぶつけられたかァ? なんだおめえ結構祭りごととか好きなんじゃねェか、見立てと違ェなあ」
「あなたこそ、お祭りに興味があるとは思いませんでした」
「おいそらどういう意味だよハイン? テメェにゃあたしが単なる戦争狂に見えんのか? 今だって騎士団の大事なお仕事をこなしてきたばっかだってのによォ」
「仕事?」
「おうよ。欠番を埋める大事なお仕事だ。その甲斐あって、最低限骨のありそうなヤツが見つかった」
Ⅻ、そしてⅩⅢの序列には該当者が存在しない。そんな話を、エミリアはごく簡易に語った。
「こきたねえ女だが、血統は信用に足る。外見もまともな帝国人だしな」
「新しい人材……」
「名前はアルベリヒ……アルベリヒ・シュヴァイツァー。背丈だけならブロッホの野郎にも並ぶくらい糞でけえ女だよ」
フルネームこそぴんとはこなかったが、長身の女性という点にハインは心当たりがあった。
「念の為言っとくが、ⅩⅢはまだ刈り取るにゃ若すぎるぜ?」
「若すぎる?」
「『抜刀』はおろか、能力の一端を顕現する事もできねえ奴を殺したところで、人形の代わりの柱になんかなんねェんだよ。焦らず実がなったら一気にぶち殺せ」
へらへらと物騒な事を語るエミリアだったが、ハインにはベルンハルデより接しやすい相手に想えて仕方がなかった。与しやすい、だとかではない。ただ、傍にいて神経が摩耗しない方という消去法での結論だった。
「ところで、暇ならちょいとツラ貸せや。部屋に戻ったところで、どうせうだうだしけこむだけだろ」
街道での練り歩きから酒盛りへ祭りの場は移り、それでもホリゾントの繁華街はは絶えず熱気に包まれていた。ハインを連れたエミリアはそんな雰囲気から踵を翻し、今は閑静な静寂が満ちる学園敷地へと向かっていた。
「十二時まで……あと六時間ですね」
「あ?」
「ベルンハルデ……さんから聞きました」
「妹君と会ったのか。物好きだな」
「ええ、まあ」
正面正門から入り、左右の築半世紀を数える校舎棟を過ぎ、敷地北西の聖堂へと歩を進めていく。乗竜の実習や攻性魔術の訓練で用いられる運動場も、平日には少年少女が睡魔に立ち向かう大教室も、次第に紺のとばりに包まれつつあった。
「それで、またしこたましばき倒されたわけだ。だせえの」
「……」
「見かけによらず、すーぐカチキレるんだな。自殺志願者かテメェはよォ」
黙り込むほかない。先の負傷はハイン本人の危機管理能力のなさに起因するものだ。むやみやたらと『弦』を、自身の身体を過信したうえ、挙句格上のベルンハルデに無計画に喧嘩を売り、手も足も出ず石床に転がされるという失態。
「そのバカ丸出しの無鉄砲さは嫌いじゃねえが、もう少し何とかならねェか。まだ相当数相手取んなきゃなんねえんだからな」
「そのこと、なんですが」
「ん」
「どうして、あなたは僕の考えを汲むような事をしたり……提案するんですか?」
ハインの疑問は先日から抱いていたもの。
ベルンハルデに言わせれば狂犬、そう称されるエミリア・ハルトマンの性分を、普段の言動からハインも察していた。思考は下町のちんぴらのそれと変わりなく、口より先にも手が出るような性格。正直言って、ハインがもっとも苦手とする人種である。
外見がいかに年下の少女であり、歩行に合わせてぴょこぴょこ愛らしく跳ねる林檎のヘタのような髪束をいくら眺めたとて、内にひそむ暴力性を忘れる事は難しい。
そんな人間がヴェーヴェルスブルク十三騎士団などという人外の集団に籍を置いていると聞いたところで、さして驚くことではない。
ハインの問いは、そんなエミリアがなぜ新参の自分にここまで興味を示し、増してや騎士団と反目するかのような事を吹き込むのか。エミリアの真意はいったい何なのか、その一点だった。
「あなただって、儀式を完遂するのが目的なんでしょう。だったら、どうして仲間を切り捨てるような事をするんですか」
「仲間ねえ」
くつくつとエミリアは楽しげに嗤った。
「儀式を実現させるまでに協力し合った事は認めよう、ああそうさ、その通りよ。結構なカネと労力を使ったからな。一日二日で用意できる適当な錬金術でなし、かなり待たされたもんよ」
「いつからこんな事を?」
「1863年。あたしが加入したのは2月だったかね。半世紀で済ませるつもりが延び延びになっちまってよ」
「それじゃ、70年近く儀式に向けて……?」
「楽しかなかったが、苦痛でもなかったぜ。このナリになってから、山ほど魔物どもや連合のクソタレをブッ殺せて回れたからな」
「ベルンハルデ・ヘンシェルも……70年前から?」
「少なくとも、お兄様と妹君、馬女は違うな。奴らが聖剣奉還の儀を受けてから、そこまで時間は経ってねえはずだぜ。殺した数も、あたしの半分以下かそこらだ」
「殺した……」
「聖剣に喰わせた数って言やいいかね。どういうわけか、あたしら五柱の勇者の縁者ってな悪趣味な身体の作りしてるようでよォ。殺した魔物や理性あるものの分だけ、顛生具現の性能が向上するらしいのよ。経験値ってか? 血腥くてかなわねえよな」
自分とさほど年の変わらないあの二人が、能力の糧として他人を殺して回るところを想像する。返り血と臓腑のかけらを黒の礼服にこびりつけ、死んだ目でなおも他者に刃を向ける。
老いも若きも、男も女も。頭蓋を踏み砕いたブーツを脳漿で濡らし、拳の一振りで肉の袋を炸裂させる。有象無象の判別なく、虚ろに濁った目に映るもの総じてみなごろし。ばしゃりとかぶった血化粧をも厭わず屠殺する姿はさながら気狂いか。
「ブルってんじゃねェぜⅤ。テメェにとっちゃ一番贄に適した連中じゃねェかよ。加入して日の浅い雑魚だ。逆に言や、妹君を押さえられなきゃテメェの命もおしまいって事だがな」
「だから、どうしてそうやって仲間を売るような事を」
「不服かね」
「そうでもあるし、理解し難いんです」
「あたしにとっちゃあなあ」
エミリアは小走りでハインの前に出、にたにたしながら上目で彼の貌を見据えた。
「必要なものは救いだけだ。母からの救いがあればそれでいい」
果たして、此度の儀式でそれが得られるとでもいうのか。
月夜に荘厳に建つホリゾントキュステ聖堂を背に、エミリアはとうとうと語る。
「救いに群がる邪魔な罪人どもは必要ねえ。あたしの救いの糸には誰にも触れさせねえ。あたしは、母だけを認めてる。まがいもののⅠや、それにⅣのしゃべくるペテンなんかにゃ興味ねェんだよ。大昔のクソ童貞が書き散らしたものが新世界なものかよ」
「つまり……」
「あたしさえ良けりゃそれでいいんだよ」
文句あんのか? 悪びれずにエミリアは付け足した。
「あたしはあたしの為に生きてんだ。連中もそう思ってるだろうよ、儀式遂行に向けてよう。Ⅲもそんなような事言ってなかったか?」
「他のメンバーを排除するのに、僕の考えは好都合だと?」
「そうさ。いい名目ができて嬉しいぜハイン? これで憂いなくいけすかねえタンカスを母の名の下に粛清……いや、捧げ奉る事ができる。たまんねェぜ」
恐らくは、母なる存在――――概念にひざまずき、重用されたいが為に他者を蹴落とすというエミリアの主張。平時ならば、ここまで邪な欲望を掲げる人間には近寄りたくもない。
唾棄すべき下種。内にひそむ悪意を隠そうともしない孤高の兵。
しかし、現在のハインの立場からすれば、彼女を利用して仇に一歩でも近づくほか方法はない。
「五つのハシラの数合わせ。順当にいえば新参の僕か、それともⅩⅢが最も狙われやすい立場にある。儀式の遂行を円滑に行う為に、わざわざゼフィールやグレゴール・フルークと縁のある僕をあえて加入させたと」
「想像に任せるよ。せいぜいおっかなびっくり人形殺しに励んでくれや」
ハシラの巫女として捧げられる人形が喪われ、裏切り者フルークと人形が見つからなければそれに足る顛生具現の使い手――――騎士が神降ろしに用いられる。
贄の選定は会議などでは済むはずはない。エミリアの言によれば、騎士同士の結束はあくまで母なる存在あってのもの。
これから行われるのは一方的な虐殺か、それとも総力を投入した殺し合いか。決して前者の当事者になるわけにはいかなかった。
「生き残るには……僕自身がアガルタとやらに到達しなければならない。そういう事ですね」
「死ななきゃいいんだよ。殺して生きて、それですべて丸く収まる。ホッブズ以前の自然状態はそうだった。あたし達は触れられ得ぬものの埒外にいるロクデナシだ。殺しあうしか能がねえのさあ」