賢しいうるさいジークちゃん
「出てけ出てけ出てけ、出てけ糞女!!」
拘束されつつ駄々をこねるアルマの悲痛で哀れな叫びが響く。
「今忙しいんだよ!! 勝手になに入って来てんだよ!! 難聴のカカアかてめえは!!」
「忙しいって……これ、これはどういう事なのアルマ? そんな、後ろ手で家畜みたいに縛られて……」
「見りゃわかんだろ、これは……これは趣味だよ!!」
怪訝そうなリーゼの表情が更に難解なものに沈んでいった。
そりゃあそうだ、祭りをスッポかした相手を探して寮に戻ってみたらシャワールームは榴弾でもブチ込まれたかのような惨状、腐れ縁の不良学生の自室に向かえばマゾヒズムの深淵への足掛かりを得る為のいかがわしい行為の真っ最中。
傍らではほぼ全裸、見ようによっては露悪趣味なボンテージスーツにも捉える事もできる妖艶かつきわめてキッチュな出で立ちの美少女が、アホ学生の尻を蹴っ飛ばして尋問している。
これを誤解するなと言われてほいほい信ずるクソバカがどこにいようか。おるまい。
「趣味……なの?」
咄嗟に飛び出して言い訳も、リーゼの混迷に圧をかけるだけの結果に終わった。
とりあえず、このリーゼにお人形さんの事を詮索されるのはまずい。いかにカールが学内の資料館について精通していたとしても、この場に貴重な展示品を持ち込んだという事実を上手い事まるめこめるとは思えない。
動いて喋ってるし、一目見ただけでは人形ともわからんだろう。だったら……
「そっちこそ何の用だよ!! 帰れよ!!」
「だ、だから、一階で事故があったらしいんだ。もうほとんどは表の庭だとか、呑みに繰り出してるからアルマも……」
「わぁった、わぁったよ!! メモとか脚本とかまとめたらすぐ出っから!!」
「脚本?」
「え、映画のだよ!! 簡単な映画撮ろうと思ってるだけ、文句あるの!?」
「そ、そうなの?」
「あんたも知ってるでしょ、あ、あ、あたしが映画のパンフだとかそういうの集めてんの」
言いながら、アルマは倒れ伏す1/64スケールの巨大吸血狼コング人形を顎で指した。皇国のSFX技術がふんだんに使われた劇場用映画『赤ずきんと13人の怒れるフランケンシュタインの怪物』に登場したクリーチャーであり、劇中では赤ずきんの少女の貞操を求めて仲間割れする人造生命体の大男の3人を襲撃し殺害、巨大吸血狼コング男と化し、赤ずきんが逃げ惑う夜のパリで暴れ回った名悪役だ。
最後には赤ずきんの保身に走った奇策によって、生き残りの大男どももろともエッフェル塔から転落死させられたそんな怪物は、ひっくりかえった脱衣カゴからあふれたヨゴレものの山の上に虚しく横たわっていた。
「映画には『こういうシーン』もあるだろ!? 縛ったり縛られたりするシーンが……そ、その予行だよ、予行! 忙しいから出てけよ!!」
何ともまあ情けなく苦しい言い訳だが、とち狂ったアルマにこれ以上の対応は不可能だった。
「わ、わかった……表にいるから、必ず来てね。アルマ約束よ」
消え入りそうな声を出すリーゼは、不安げにアルマから視線をそらさぬままそそくさと退室していった。ちくしょう、どこまでもめんどくさい糞女だ。
唖然としてアルマを観察していた人形は、ワンクッションを置いた事でようやく冷静さを取り戻したようだった。
「それで、マゾヒストのメス豚さん?」
「このガキィ……」
「文句あるんですか、上等でしょう」
相も変わらずじっとりとした目つきでアルマを睨む人形。
「めんどくさい人だな……アルベリヒさん? いいですか、本当の事をお言いなさい。ここはどこで、僕はどうしてこんな事になってるんですか」
「めんどくさいクソガキだわ……! さっきから言ってんでしょ、ここはホリゾントキュステ、あなたは長い事こきたない倉庫で寝てたお高いダッチワイフ! それ以上は私だって存じません」
「下品な人だ!」
「品が無くて結構! それよか、早くほどきなさいよ……ああああ、もううざったい!!
「それにうるさい! 臭い! 目に染みる!」
「ほどけ!! 言わせてもらうけど、あんたこそ一体何様!? あたしからすりゃあんたに一方的にケンカ売られてるも等しい状況なんですけど? そもそもあんた誰よ!」
衰えた声帯をぷるぷる震わせながら叫ぶアルマの怒気も知らず、人形はどっかとベッドに腰を下ろした。
逆手に持った黒曜のナイフをシーツに突き刺すと、人形はいっそう不機嫌そうにアルマを見据えた。
「それがわかったら……こうやって取り乱すものですか」
「は……ぁ?」
「わからないんですよ、覚えていないんです。僕の名前……」
「またくだらないおちょくり方しやがって」
「僕には妹がいる、妹の元に行かなきゃならない」
「そういう設定? 精巧に組まれたもんですこと」
「真面目に聞いてください」
「ふざけんな!」
みえみえの悲劇気取った設定でも咒式設計士が組み込んだんだろうが、生憎そんなくだらない茶番に興味なんぞ毛ほどもない。
「あなたこそ、そういう設定という体裁でものを喋っているようにしか僕には見えませんがね? 何がホリゾントキュステだ? 何が魔術師だ? いい年してバカな設定こねくりまわして他人をバカにしないでもらいたいです」
「はァ?」
「そうでしょう!? こんな知らない街、見た事のない世界、僕はこんな場所知らない、あなたも知らない! 自分の名前すら分からない、こんなの夢に決まってる! それかくだらんドッキリだ、低俗な連中がするようなからかいだ」
「いよいよ頭おかしいんじゃないの……?」
人形相手にそう言うのも妙なものだったが、ついアルマは口を滑らせた。
「そうかもしれませんね」
自嘲気味に言って、人形は長いプラチナブロンドに包まれた頭を右手で抱えうなだれた。
「荒唐無稽だ。中学生の考えた架空の歴史体系だ。中世期の伝説や神話をごちゃまぜに、ある事ない事適当に調理したような……ああ、本当に、僕はいかれちまったのか」
声のトーンを落とした彼女の、彼のうつろな呟き。もはや、それは絡繰細工が持つ事のない生ある仕草に他ならない。落胆の感じられるため息も、きゅっと引き結ばれた唇も、挙動すべてに生命が確かに宿っていた。
「あんた……マジで言ってんの」
「少なくとも、さっき入ってきた……小さな女性のような人、見た事がありません」
「じゃあ、あんた……」
先ほどからあんただの人形だのと呼ぶのも、奴の神経を無駄に逆撫でしそうだ。めんどくさい、まったくもってめんどくさい。
「……なんて呼べばいいかしら、お人形さま?」
「お好きにどうぞ、メス豚さま」
「ジーク」
「は?」
「だから……ジークフリトよ。あなた、ナリだけは立派でしょうが」
簡単な連想ゲームで浮かんだのは、帝国北部の神格である魔神オージンに仕える戦乙女と恋に落ちた英雄の名。アルマ――――アルベリヒとは歌劇に登場する妖精王の冠する名であり、竜殺しのジークフリトもまた同じく登場人物の一人。いの一番に浮かんだのがそれだっただけで、アルマに他意はない。ないはずである。決して、どことなく漂う少年性に英雄の名をつい宛がってしまったわけではない。
「こ、候補はまだあるわよ。ハーミアとかライサンダーとか」
「どうぞ、お好きに」
それを受け入れたのか、人形――――ジークは手をひらひらと振った。