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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
アルマとお人形
32/105

歯を食い縛る

「どう見る、エドよ。あいつしっかり金魚のクソ背負っていきやがったぜ。泣かせんじゃねェか」


 嬉々と語るエミリアに対し、ブロッホは至極冷静に切り返す。


「身内の危機に対応する良識は持ち合わせていたわけだ」


「あるいは、使えそうだからか? あたしらに魔術(ペテン)なんぞ痛くも痒くもねえが、それに気づいていないのなら、脅して自分の武器として運用する。足を潰してやったアマも、今はそれに従うしかねえだろうさ」


「あまり趣味が良いとは言い難いな。貴様も貴様で今日をめでたい日と称しておきながらこの行い。よくそれで(アイン)……シュタウフェンベルク卿におめおめと顔が合わせられるものだ」


「案外お褒めに預かれるかもしれんぜ? テメエも知っての通り、あの人は……いや、あの人の系譜は生への執着そのものを賛美している節がある。政策こそ右派、国枠全体思想の気はあったが、かつての自由帝国同盟(FCA)は帝国の猿人のみならず、そもそも発端はヘルヴェチアのエルフ達が主体となった組織だ。末端には共和国(ガリア)人、部署に依っては拝火や原亜エルフ(オークやダークエルフ)まで採用していた。わかるか? 当初の自由帝国同盟(FCA)の思想は、人種に頓着がない。あたしと違って非常に心のお優しいお方だったんだなあ、『アジ・ダハーカ』首領閣下ってのは」


「何が言いたい? ハルトマン」


「テメエでテメエの(タマ)の面倒見られる奴が善、それ以外が死ぬべき、ブッ殺すべき悪って事だ」




 人の一生は河のせせらぎであるとエミリアの師は云った。エミリア自身もその思想に共感したし、今もその考えに沿って人外の身体となってなお自我を保ち続けている。


 時流と同じく不可逆であり、生にもしもは存在しえない。二つと並ぶ水流をその目に収める事ができるのは、人の身ならぬ神だけである。ゆえに、隣に存在しうるまだ見ぬ河に想いを馳せ、問いを投げかけ続けよ。問いの応えは横でなく、そのずっと前方に存在する。『前』から目を背けるな。


 ⅩⅢ(ドライツェーン)は危険だ。


 奴は感覚を閉じこみ、その両の足は水底に体を埋めている杭だ。前方は腐った木の板が立ちふさがり、奴の『河』を淀みと濁りに満たしている。自浄ははたらかず、河の主は腐食に苛まれてゆく。


 そんな劣等が、薄い木の板一枚程度を破れぬ者が十三騎士の名に連ねるなどあってはならない。エミリアの苛立ちは自らが拠り所にしている組織の面子、矜持への信頼に起因する。


 稀代の錬金術師であり占星術師カール・クレヴィングの口添えがあったとて、あの害虫のような思考は劣等種に通ずる忌々しい穢れだ。帝国には不要の唾棄すべき要素だ。ゆえに、真に見込みがないのであるならここで憂いを断っておかねばならない。あの穢れが、自らが唯一信奉する存在に近づく事などあってはならない。


「あたしは差別主義者(レイシスト)だが、人種の他にそいつの渇望でも値踏みをする。ゆえに、劣等のきたねえ血が混じる勇敢な人間と、由緒ある血統にある下世話なタンカスは同一だ。あたしにとってはな」


「肌の色も角の有無も無差別に食って回る食人鬼(カニバリスト)が言うセリフではないな。それに、その主張では貴様は差別主義者(レイシスト)と呼ぶにふさわしくない」


「こまけえ事イチイチるせぇな」


 ぐりんと肩を回し、首を鳴らしてみせる。


 そろそろ三分強が経過する、先の様子からしてこの建物内部に連中が逃げ込んだ事は明白。


「どう迎えてくれるか、それとも……」


 己を迎えるのは驚愕か、それとも先と同じ性質の果てない失望か。


 できる事なら前者を望み、エミリアは表に仏頂面のブロッホのみを残し、ひとり正面の扉から寮内部へ入り込んだ。


 入ってすぐ真横、ガラス戸付の部屋にいた管理人を携行していた拳銃で射殺すると、エミリアはデスクの上に置かれていた寮内の見取り図をファイルからちぎり取った。空の薬莢を手袋越しに拾い取り、上着のポケットにしまうと、エミリアは見取り図片手に捜索を開始した。




(残るはシャワールーム群。表にはブロッホがいる、周囲に地下・教会施設に至る通路等々も存在しない。奴からこれといった合図もない。これでアタリか?)


『霊枝』能力とは、並みの魔術師も保有する感覚制御技術である。専門職のほか、常人にも自身の感覚が支配する空間を他者に侵犯される事を不快に感じるケースがあるが、『霊枝』はこれを技術として探知に転用可能になるまで研ぎ澄ましたものといえる。


 その名の関する通り枝のごとく周囲に感覚の網を張り、感覚を大気と感応させる。


 厳密には術式を用いない純粋な身体制御技術である為、カテゴリ的には黒魔術でありながら魔術を用いない――――使う事のできないエミリアらも専ら活用する事が多い。


 エミリアらの『霊枝』は常人の『霊枝』とは比較にならない範囲と精度を有する。得手不得手こそあれど、曖昧模糊かつ抽象的なかたちでなく、ほぼ五感で周囲の存在を感知する事が可能だ。だからこそ、大都市ホリゾントキュステにおいて正確にⅩⅢ(ドライツェーン)の資格を有する存在を発見できた。 


(そこしか残ってねえなら、もうそこにしかいねえよなあ?)


 好物の食材を食器の上で弄ぶ際のように、エミリアは嗤った。


「どこかなあⅩⅢ(ドライツェーン)は! 探し回って疲れっちまったよ!!」


 故意に声を張り上げ、つかつかとシャワールームへ向かうエミリアの『網』に、とある違和感を伴う反応がかかった。


(何だ、こりゃ?)


 エミリアの感覚の網――――ちょうどシャワールームとは反対方向の位置に、濃密な人の念の反応があった。


 正直言って、エミリアは『霊枝』の能力に欠ける。それでも一般の術師の平均である5メートルと比較しても話にならず、寮の敷地全体を探知する事など彼女にとっては造作もない。しかし、ここで奇妙な違和感に苛まれる。


(雑魚を除外した反応は少なく見積もって五。ひとつはこの先のシャワールーム、これは一回り気質の規模が小さい。恐らくこれが先ほどのハナクソ女、それではⅩⅢ(ドライツェーン)は……)


 探知したフランの周囲に、衛星のように比較的強い反応が点在している。そう、エミリアの感覚は読み取っていた。


(アンデルセン……いや、だとするならもっと気味のわりい感触があるはずだ。このちっちぇえ三つはそれほどまでにデカくねえ。とすると……)


 エミリアの技術精度では、一定の気質の大きさ以下の反応に判別をつける事は不可能だった。あまりに小さい粒子と粒子の区別が肉眼ではつかぬように、とりわけ探知能力に疎いエミリアには荷の重い仕事であった。


 しかし。


(手を施してくるのは気に入った。だが、やっぱりバカなんだかなあ?)


 ここでエミリアが着目したのは、その砂粒同士の動き。フランの周囲を囲うように位置する二つは小刻みに脈動しているか、そのまま静止している。一方、残りの二つはフランのいるであろうシャワールームから反対方向の通路へゆっくりと移動している。そして、それらはやがて窓際へ近づいていき――――


(さっきのハナクソ女……ⅩⅢ(ドライツェーン)相手にけしかけたのは自律型の使い魔か? そう考えると、このそれぞれ動きの異なるコイツらはハナクソ女の術か)


 おおかた、『使い魔』を制御してこちらを陽動させようという魂胆なのだろう。事実シャワールームから蜘蛛の子を散らしたように離れていく反応は他の反応と異なり、比較的活発に動きを見せている。


(あたしが足の潰れたあのガキの識別をギリギリつけられた事が、ⅩⅢ(ドライツェーン)側の不幸だったな)


 鼻を鳴らし、エミリアはゆっくりと歩を進める。

 あの猫を噛む気力すら見せなかった窮鼠がここまでやるとは、エミリアとしては予想外だった。悪手であったとはいえ、劣等なりに戦う気概を見せたのだ。先ほどとは打って変わって、エミリアの機嫌は良くなった。


(惜しむらくは、あたし達の『霊枝』の特徴を知らなかった事か)


 並の術師は、彼らの共通認識である升天教の教義、思想に基づく事で発生する一種の『タグ』を『霊枝』使用時の識別記号、目印とする。魔力の抽象的なかたちなり、個人のアストラルの気質なりを判別するわけだが、エミリア達は『タグ』を介さない。すべてを自身の才と感覚に性能を依存させるエミリア達の『霊枝』ゆえに、フランの居場所であるシャワールームが暴かれた。


(もしあたしがタグで識別する術師だったら逃げられたかもわからんが……ⅩⅢ(ドライツェーン)、テメエはどうだったかなあ? 何せ、『テメエにもタグはねえ』んだから……)




 エミリアの予想通り、シャワールーム手前の通路から更衣室までの床には、おびただしい量の血痕が広がっていた。一度抱えていたフランを取り落したか、つまらないブラフか。エミリアは迷いなくそのまま入室した。


 敷居で仕切られた個室の並ぶ大部屋の一番奥、壁際にフランがいた。両の足を放り出し、すでに立ち上がる気力もなく、困憊した様子で俯いていた。


ⅩⅢ(ドライツェーン)は……? 個室か?)


 ふたたびエミリアが『霊枝』の密度を上げようとした瞬間、


「『A』B.W.T.H.H.F.T.『5F』《指定弾丸、頭部を貫け。(ツヴァイ)ⅩⅣ(フィーアツェン)》」


 網にかかっていた反応が、五つから十、十三、十五――――フランの短縮詠唱(ノタリコン)と同時に増大した。黴の繁殖を早回しで観るように、エミリアの周囲にか細い反応が爆発的に増え始めた。


「何……?」


 エミリア達は『霊枝』で魔術現象を観測する事ができない。ゆえに、エミリアはアルマ達が使い魔――――『紅の弾丸(カーディナルバレット)』に対し、人為的にタグを付与して陽動を狙ったと推理した。


(あたし達が魔術現象を視られないという事実は連中が知る由もない、『使い魔』に対するタグの付与はあくまであたし達が魔術師のようにタグを追って対象を識別していると判断しての行為。要は、この場から離れてあたしから逃げ出す為の――――)


 敵を迎え撃つべく個室内で魔力を放たず待機していた『紅の弾丸(カーディナルバレット)』。弾丸は仕切りの板を貫通し、エミリアの額へ向かって紅い軌跡を描きながら中空を駆ける。

 しかし、やはりエミリアの表皮に焦げひとつ付ける事なく、魔力の弾丸は細かな粒子となって霧消してしまう。当のエミリアは、その事実には何の興味も示さない。


(こいつらの、ⅩⅢ(ドライツェーン)の目的は……!)


 勢いよくシャワールーム入口付近の掃除用具入れの戸が蹴破られ、蝶番を失った戸板がタイルに倒れ込む。どたん、という音が室内に反響した。


 シャワールームから真逆の方向に駆けていく陽動目的の反応も、エミリアが入室した時の反応攪乱も、逃げる事を目的とした行為ではない。これ見よがしに奥行きのあるシャワールームにフランを放置し、血の臭いを周囲にばらまいた上での賭け。すべてはエミリアをこの場におびき寄せるための、あまりに分の悪いギャンブルだ。


(あたしをマジで狩る気で来やがったぜ)


 エミリアが振り返り『抜刀』の構えを見せるのと、アルマが解体鉈――――勝手口側の倉庫からくすねたそれでエミリアの首を狙うのは、ほぼ同時だった。


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