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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
アルマとお人形
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アルマとフラン

アルベリヒ・マティウス・シュヴァイツァー 17/04/1932

 4月17日


 繁華街を内包する市街からさほど距離のないホリゾント高等教育学校の敷地は、午後三時を回った時点でほとんどもぬけの殻となっていた。理由はただひとつ、納魂祭のためだ。


 16日の夜更けよりぼんやりと光の粒がこぼれ始め、翌12時ごろには平時とは見違えるほどに装いを変えたアークソードの見物に、もとい聖ラウラをはじめとする中世期の暗黒を戦った勇者たちを讃える為に、もといとりあえず露店で味の濃い軽食やめずらしい菓子が食えるという一点の為に、学徒と教員問わず大部分が敷地から出払ってしまっている。


 納魂祭とは升天教由来のものではなく、帝国以南の文化圏で行われていた行事である。戦後になってからアークソードの発光現象に対する升天教圏における畏敬の念が結びつき、ホリゾントを始めとするアークソードを州内に保有する地域では慰霊と豊穣祈願を旨とした民間行事として親しまれている。


 聖書との関連がない風俗習慣である事から、升天教においては信徒の参加を容認しない宗派も存在する。死霊や一部聖書との食い違いが祭事にある事から、地域ぐるみでブリタニアのハロウィーンと同じく升天教との同化を認めないといったケースも存在する。


 とはいえ、西部帝国領ホリゾントキュステにおいてはそれほど教義との乖離を気にする人間は多くないらしい。市街のどの教会も小遣い稼ぎに梨のタルトやマカロンを一束数マルクで配っているし、またハロウィーンと混同した若者が中世期の騎士や化生に扮して露店の並ぶ街道を練り歩いていく。


 時間帯によってぼんやりと青、緑、紅に変色していくアークソードの様はまさに非日常の象徴であり、人々を高揚させるに足るものだ。市街のどこにいてもその幻想的な風貌を仰ぐ事ができ、陽が傾くにつれてますます神秘性を増していく。国内最大のアークソードを有するホリゾントはいま、年一番の喧騒に包まれていた。




 空に赤みがさしてきた午後4時ごろ、アルマはくたくたになりながら寮の敷地にまでたどり着いた。


 十日前、カールから依頼された儀式は今日行わなければならない。この儀式が納魂祭と関連している事は明らかであり、占星術を始めとした黒魔術(一般に升天教の教義に基づいた思想による術式現象を起こすものを魔術、および白魔術と呼称し、黒魔術は土着信仰や民間伝承、もしくは升天教の教義における堕天使や悪鬼の権能を借るとされる術を指す)造詣が深いカールだ、恐らくは辺りで仮装の集団に混じってアメをばらまく学校専属の牧師やシスターよりかは納魂祭について細密な知識を持ち合わせているのだろう。果たしてそれが付け焼刃かどうかは、今晩の儀式によって判明する。


(せいぜい暇つぶしにはなるかしら)


 自室のある棟まで石畳で舗装された遊歩道をふらふら歩いていくアルマ。本来なら人混みは大の苦手だし、街道でどんちゃん騒ぐような器量も持っていない。毎年この時期は街道から裏手側に入った路地の並びにある映画館で、喧騒が冷めるまで籠っているのだが、今朝になってリーゼに誘われ、ずるずる表に引きずり出されてしまったのである。


 先日会った際の事を謝りたかったらしく、露店の珍味でそれを埋め合わせたいとの事だった。目頭を熱くして、下手に断わって泣かれるのもこちらに責を押付けられたようで気分が悪い。いつ謀られてもいいよう警戒しつつ、また悪態を吐きながらやかましい連中が集う街道沿いへと足を運ぶ事になったというわけである。


 が、普段の運動不足と昼夜逆転が祟って次第にリーゼについていくのがしんどくなり、彼女に無断で抜け出してきたというわけだ。むしろあんな小さな身体でよくもああまで歩き回れる方がおかしいとアルマは思った。痛む土踏まずと腿の筋肉を労わりながら、そして残酷にも果実を模したマジパンに口の中の水分を奪われながらも何とかこうしてみずからの聖域に戻ってきたのである。



 赤レンガ造りのアパートメント、アルマの住むホリゾント学徒寮5号棟。その入口である両開き扉の真横の壁に背を預けていた人物が、うつむいたままアルマに声をかけた。


「ごきげんよう、お久しぶり。直接お会いしに参りました」


 仕立てられてそう年季を経ていない新品の高等部女子制服――――彼女が4月からの新入生である事は一目見て明らかであった。枝毛ひとつないブロンドの前髪をライトブルーのヘアピンで留め、後ろ髪は後頭で清潔に結い上げられ、西日を受けて艶めいていた。


 腕組みをし、対面するアルマと視線を合わせず、人気もまばらとなった眼前の街道を赤ぶちの眼鏡のレンズ越しに注視したまま少女は言った。


「アルベリヒ・シュヴァイツァー。用もなしに、なんてことはあるはずないでしょう」


「手短にしてくれませんかね……フラン・オルブリヒトさん?」


 低い声を更に低くおさえ、慇懃にアルマは応えた。


 かつて共に家庭教師(ガヴァネス)から勉学を学んだ学友であり、唯一の幼馴染。他家からの養子とはいえ、幼少時には実の姉妹ごとく互いに振る舞った無二の仲。

 そして、アルマを甲斐性ナシのロクデナシとこき下ろした――――フランツィスカ・オルブリヒト。


「甲斐性ナシのロクデナシに何の御用でしょうか」


 数秒の間を置いて、続いてフランが口を開いた。


「あれはヴィルケ先生宛てにあれは送ったはずですが。知己の仲とはいえ、他人のポストを漁るのはよくないかと思いますが」


「なにぶん、貴女のように才も何も持ち合わせない哀れなヒトデナシですのでね」


 ありったけの悪感情をこめたアルマの一言も、しかしフランは涼しい顔で聞き流しているようだった。


 あの手紙をわざわざ見せに来たのはリーゼである。シュヴァイツァーの屋敷から郵送されたものがアルマ宛のものと混じった結果、彼女の目に入るきっかけとなった。基本的にアルマは自分の郵便受けを年数度しか確認しない為、リーゼのお節介がない限りこのような事は起こりえない。


「私、今月よりホリゾントの法学部に入学いたしました。寮はあなたやヴィルケ先生と同じこちらの5号棟」


「そう……」


「それで、お加減はいかがですか? 魔術のお勉強は? 芽は出そうですか?」


 ぐっと奥歯に力が入るのを感じた。

 リーゼとは異なり、フランは明確にアルマに対し悪意をむき出しにしている。


「生憎、私が受け持つ分の才能や財はフラン・オルブリヒト。貴女にかすめ取られてしまったようです。にしても妙ですね、前途有望な貴女が……私のような搾りカスに何の御用ですか? ヒマなんですか? どれだけヒマなんですか? 時間の無駄じゃあないんですか? 私と絡んだところで貴女に何の」


「ええもちろん、得などありません、重々承知しております。貴女のように卑しく下劣で品性を取り落した女に関わっている時間が本当に惜しいです。ですのでこちらも手短に要点だけをお話ししたいと思います」


 飄々と罵倒を吐いたフランはようやく視線をアルマへと向けた。


「率直に申し上げます、アルベリヒ・シュヴァイツァー。故郷(カイゼルスベルク)にお帰りになられてはいかがでしょうか?」


 フランの表情はまったく変わらない。道端で蛆や蟻に肉を削られゆく死にかけの痩せ犬を眺めるかのような、ある種の憐れみを含んだ表情。


「貴女が……貴女がそれを決める権利なんて」


「ですから、『帰られてはいかがか』と聞いたのです。他人の話をしっかり噛み砕いて聞いてくださいませ。卑屈なりにも、頭に脳ミソは詰まっておられるのでしょうが?」


 今にも頭に血が昇りそうなアルマに、フランはまったく動じていない。

 アルマにとって、フランはリーゼ以上に胡散臭く憎らしい存在だ。先の『自分の才はフランが吸い上げた』という喩えも、あながち真実なのではないかと錯覚してしまうほどに。


「決める権利。確かに私にはございません。ただ、状況的にそうした方が……これ以上そのみすぼらしい立場を貶めずに済むかと思っての忠言です」


「何様のつもり……ですかね?」


「私、既に内定が決まっております。必要単位そのものは既に取得済み……義母様やメイドたち、シュヴァイツァーの家を維持していくだけの収入も見込めるだけの地位が、私には約束されています」


「……」


「これ以上、義母様の資財を食い潰すのは気が引けませんか? 良く考えてごらんなさい、十八になって『第一種』も受からず……こうして見てみれば、手に職があるわけでもない。叔父様のコネクションで卒業まではできたとしても、それまでの授業料が無駄ではありませんか」


 言葉に詰まる。喉が渇く。

 リーゼとは根本的に異なるとはこの事か。


 諦観からなる現実をストレートに主張してくるフランに、アルマは睨みつける事しかできない。


「だからと言ってホリゾントをクビにさせて……貴女が一人で生きていけるとは思っていません。仮にもシュヴァイツァーの娘が道端で麻薬片手に凍死など、さすがにこちらとしても恥ずかしいですし、片付ける側が迷惑ですから。きちんとこちらで面倒は見てやります」


「面倒を……みる……? あなたが」


「ええ。貴女に万一の事があれば、義母様が悲しまれる。それは、それだけはいけません。ですから、もういいでしょう? このまま無為に学校にいたって……貴女には過ぎた学問だったんですよ、魔術というものは。大人しく、私の案件を呑んでいただけませんか」


 しょうがねえから飼ってやるよ、ごくつぶしの雌犬。


 声の質こそ非常に繊細で穏やかだが、アルマが主張を要約するとそうなった。

 かろうじてリーゼからの教授のおかげで、筆記のみが適用される分野での成果によって奨学金が出ており、学費は何とか賄えていた。

 しかしシュヴァイツァーの家がそれなりに名のあるものだとしても、アルマへの仕送りは微々たるもの。モラトリアムの中にあった自分がこのまま怠惰に学園生活を送っていけるとは思えなかった。


 お前に才なんてねえんだ、さっさと諦めてどっかに嫁げよ。


 事もなげに鼻を鳴らすフランの伏し目はそう語っていた。


「アルトゥール兄さんもこれでは浮かばれませんね。くだらない、つまらない、どうにもならない意地を張って学校にしがみつき、有限の財を浪費する人間がシュヴァイツァーから出てしまうなんて。だったらいっその事……ここで終わりにしますか?」


「……」


「聞いてますよお? ヴィルケ先生から。事あるごと自分を卑下して死にたいだのなんだのって、周りを妬んで回ってる。それでいて、貴女自身(テメエ)は何をするでもない、ただ怠惰にお部屋でごろごろごろごろ。この一年で何か論文でも出しました? ああ、すいません。『第一種』落ちる人の論文なんて誰も見ませんわよね。失礼いたし――――」


 たまらず、アルマは目を剥いてフランの襟首を掴みかかった。

 自分でも鼻息が荒く、興奮が高まっている事に気づけるほど、アルマは憤っていた。


臭ェんだよ、雌犬(おやめくださいましね)


 呟きと同時に、鳩尾に衝撃と共に激痛が走る――――フランの曲げた人差し指と小指が、深々と腹部に打ちこまれていた。強烈な嘔吐感と眩暈に襲われ、アルマは襟を離してよろめいた。


 拘束から放たれたフランは続いて、またもアルマの腹部に回し蹴りを放つ。


 強か石畳に打ちつけられたアルマは体を丸めて激痛にのたうった。げぼげぼと咳き込み、羽をむしられた虻のように苦痛に喘いだ。


「I.W.S.B.M.P.《我が敬虔なるこの魂の傍らに祝福あらんことを》」


 ぼそりと口にしたフランの呪は、東方神秘主義(カバリズム)に祖を持つ省略詠唱法(ノタリコン)によってアレンジが加えられたもの。自己暗示である呪詛詠唱を、フランが帝国人の価値観念に併せ最適化させたもの。補助器具なしで自らの想像をかたちづくる、エリートならではの卓越した技術。


 その真意は、義理の姉妹とはいえ、家族に対し向けられるはずがないであろうもの。


 水面を平手で叩くような衝突音と共に、フランの周囲で小さな光球がスパークと共に弾けて出でた。


 赤く煌々と輝く光球は瞬時にサイズをさらに縮め――――その形状を拳銃弾のようなかたちに変容させた。


 腿や二の腕に風穴の一つ二つ開けてやれば、この図体ばかり立派な、卑屈な駄目人間も何とかなるだろう――――フランの展開した魔術現象は、それを可能とするだけの能力を有していた。


 ブリタニアで考案・開発された、『攻勢』の意識を固めた兵装術式『紅の弾丸(カーディナルバレット)』。制圧を主目的に想定されたものであり、その名の示す通り弾丸を模した動体を使役する。いかに火器で武装した人間であっても、魔術によほど精通していなければこれで十二分に対応できる。ましてや、術を行使する技能に圧倒的に劣る女相手では役不足甚だしい。


 フラン本人も、この堕落した義姉を見て内心底なしの憤りを覚えていた。果てのない失望とわずかばかりの無力感。シュヴァイツァーの正統な血も、腐ってしまえばこんなものなのか――――


「S.S.E.F.《制動。中空で待機》」


 横たわるアルマへかざされたフランの右手は人差し指と中指を密着させ、さながら銃を模しているように見えた。無論、銃口はアルマの腿へ向けられる。


「言う事聞いておいた方が賢明ですよ。戦闘術を有する人間に逆らうものではありません」


 知識だけは人並みに有しているであろうアルマも、これ以上の反発はしまい。

 いくら哀れな雌犬だとて、そこまでは――――


「……てよ」


 眉間に皺を寄せ、ぼさぼさの黒髪から覗く瞳でアルマは真っ直ぐ『弾丸』ではなく、フランの瞳を見据えていた。


「殺してみろよ。ほら……ほらさあ。フラン様、フラン閣下……どうか御慈悲をくださいませよ」


 自棄か、それともつまらん報復の為に下卑た悪態をついているだけに過ぎないのか。


 いずれにせよ、フランにとって目の前に転がるのは家畜に過ぎない。生殺与奪は今やフランの手の中にあると言っていい。こいつは『撃てないと思っているだけに過ぎない畜生だ』


「ヴィルケ先生の教育が足りなかったようですね。哀れな」


 ふっと吐き捨てると、フランは展開した一発の弾頭弾に指令を出した。


「B.W.T.H.L.T.《弾丸、左の腿を貫け》」


 ばぢん、と空気が震える音をフランはすぐ横で耳にした。


 弾頭は静止状態から解き放たれ、矮小で愚昧な雌犬の腿目がけて一直線に飛び出した――――



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