納魂祭前夜
16/04/1932
「Ⅶ、エミリア・ハルトマン。参上仕りましたっと……」
宵闇に包まれる学園敷地内に、高い少女の声が響いた。
手入れの行き届いた花壇へどっかと降り立つと、花々を踏みしだきながらエミリア・ハルトマンは石畳の小路へ歩み出た。
「Ⅹ、アガーテ・オレンブルク。推参いたしました」
みずからの蹄鉄で石畳を叩く小気味よい音を宵闇の帳へ控え目に響かせつつ、アガーテ・オレンブルクはエミリアの真横へ立った。
エミリアは気づかれぬよう彼女の顔を覗き込むと、思わず眉をひそめた。
大陸人――――それも生粋の帝国人に比べると肌が若干濃く、鼻も低い。大陸のブルネットとはまた異なる艶めきを抱く黒髪。醜女とまでは言う気はないが、こいつは雑種だ。それも地中海の側だとか魔物野郎との混じりじゃねぇ。猿だ。黄猿の血が混ざってやがる。
悪態の一つでも言ってやろうと思ったが、やめた。
真上より舞い降りてくる奴の方がよっぽど哀れで、みすぼらしい境遇の出である事を知っていたからだろうか。『Ⅺ』に比べれば、黄猿などかわいいものよ。エミリアはふっと苦笑した。
「Ⅺ……ヘンリエッタ・シュナウファー……」
最後に全身透き通るほどの純白をまとった少女、ヘンリエッタ・シュナウファーが天より降り立ち、眼前の同胞へ会釈した。彼女を乗せていた漆黒の飛竜は声ひとつ上げず、主の手の一振りで夜空へ溶けていった。腰まで垂れたサイドテールが翻ると、オーデコロンのきつい柑橘の香りが周囲に漂った。
ヘンリエッタの前頭部からは、表面が大理石のように輝く一対の双角が前に突き出している。山羊のそれより逞しく、トナカイよりも繊細な鋭美さを持つ、芸術品じみた双角は、彼女が高等竜の血統にある証だ。もっとも、エミリアからすれば『人間以外の何か』なのではあるが。
「Ⅹ、ご苦労でしたね。Ⅺ、どこも怪我はしてはいませんか」
先ず三人に声をかけたのは、出迎えの二人のうち一人。エルフであろうその男は長身痩躯、半人半馬であるアガーテの鼻のあたりまで頭頂が届く。眼鏡のレンズの奥に輝く、海原のような大らかさを感じさせる濃紺の瞳は街路のガス灯に照らされ輝き、また彼の柔和な顔立ちと表情も相まってストイックな聖職者然とした気質を漂わせていた。
「ありがとうございます、Ⅳ……ブフナー卿。しかし、早いものですね。私が序列に加入してから、こんなに早く納魂祭の日が訪れるとは」
「只人に比べ、我らに与えられた時間は非常に長い……食べきれないほど我らの前に横たわっている。そうした感覚も、まだ年若いあなた方だけの特権と言えましょうね」
しみじみと言ったヴァルター・ヘルマン・ブフナーだったが、先の労いにあぶれたエミリアのしかめっ面に気づき、咄嗟に視線を向ける。
「ああ黒百合エミリア。君も……」
「イラネーよ、テメエの世辞なんか」
ガンを飛ばすエミリアを改めて労ったのは、ブフナーと並ぶもう一人の男だった。
「先日はお前達にだけ苦労をかけて済まなかった、ハルトマン。本来ならオレが行く筈だったのだが」
「アンデルセンの野郎は投げっぱなしで帰るしなあ。人形も未だフルークの手の仲だ。何とかしてくれよな、ディートリヒ『お兄様』よぉ? あのあんたの妹じゃ、ぶっちゃけ荷が重いと思うんだわ」
「妹は……ベルは既に『抜刀』までは修得している。与えられた使命の遂行に支障をきたすほど、あれは未熟ではないとオレは考えるが」
ここにはいない妹を想ってか、ディートリヒ・ガーデルマンは物腰柔らかく反論してみせた。
妹と同じく漆黒をたずさえた瞳、頭髪はディートリヒ本人と同じく、その懐の深さを増幅させる。不遜なエミリアの土俵へ、何の抵抗もなく入り込む底の知れなさがあった。
「妹想いのお兄様は大変なこって」
口端を歪ませつつ、エミリアは言った。
エミリアをジェスチャーで諌めると、やがてディートリヒは静かに話し始めた。
「明日以降もオレ達はフルークを、そして人形の捜索を続ける事になるだろう。あれが無ければ、オレ達の悲願は達成しない。万一、あれが儀式最後の期日までに揃わない場合――――」
「人形の代わりの『ハシラ』を用意する必要がある」
結論をブフナーが変わって言うと、エミリアはくつくつと嗤いだした。アガーテは事の真意を改めて認識して表情を強張らせ、唇を引き結んだ。
「そうオドオドすんじゃあねぇよ。どなたか死ななきゃならねぇわけだが、その前に人形を取り返してハシラの神をぶちこみゃあいい。なんにせよテメエのやる気にテメエの命がかかってんのは変わんねえ」
「しかし、贄を巡って諍いが起きる事は、おそらく閣下もお望みではないはず。グレゴール・フルークの処遇もまた同じ、われわれ騎士団が過ぎた処罰を強いるのは越権かと」
穏やかなブフナーの意見に、しかしここでヘンリエッタが噛みついた。
「殺せばいい……出来そこないの雄豚……子を遺せぬまま死んでいけばいい……劣等人種は帝国にいらない……そうよね……? 先ずは劣等を駆逐してから……聖なる五柱の儀を行うべき」
「おそれながら、私も同意見です。同胞をみすみすハシラとするくらいなら……謀反者であるグレゴール・フルークの確保を最優先とするべきです」
「アガーテ、あなたまで……」
「いや、いいさブフナー。どのみちもはや奴に騎士団のポストは残っていない。だから補充要員が新たに入ってきたんだろ」
ディートリヒは再びエミリアへと向き直った。
「プラハの施設でも収穫は無し、となると、いよいよあの少年の活躍に賭けるしかないというわけか?」
「さぁて、どうかね? あたしは専門じゃあない、あのカール・クレヴィングに聞いておくれよ。あたしはただ提案してみただけさ。ガキが生き永らえて『抜刀』まで辿り着くまでは……」
一泊おいて、エミリアは声を低めて言った。
「騎士団で闘りあう可能性も、まあ無きにしも非ずってわけだよなあ?」
ここに揃う者たちの服装はすべて同一のもの。
黒の軍装に身を包んだ戦の魔人たち。
人の身を凌駕する数の肉を裂き、魂を食らい、己が刃を鍛え続けた最強の兵。
すべては、東西を分かつ戦を駆けた一人の女騎士への信仰と畏敬から始まった。
彼女の求めた、敵なき大陸の実現の為に、彼らはふたたび帝国へと集った。
新生帝国十三騎士団――――世に安寧と真実をもたらすべく、彼らは退路なき無二の儀式へと臨む。
ハシラの世の創造、そして到達。それこそが、道なき彼らの指標である。