アルマ、そのしみったれた思想
ふけがちらほら覗くぼさぼさの黒髪は簡易にうなじで束ねられ、だらしなく垂れ下がっている。
その身に纏うのはよれたブラウスとシミの目立つぞうきんのような紺のカーディガン。廃屋のカーテンと見まごうほどに色が落ちきり、プリーツと皺の区別がつかなくなったロングスカートから覗く脚は、ふくらはぎの面が伝線したぼろストッキングに包まれる。
それらはどれも高等部の制服のなれの果て。寮と図書館を往復する、アルベリヒ=マティウス=シュヴァイツァー――――アルマの一張羅だ。
アルマは外見に頓着がない。
色恋にも興味はないし、また縁もない。人から好かれた事も実母を除いて一度もないと認識しているし(いま考えれば家族愛などというものがあるかどうかも疑わしいが)、何より他人と関わる事を煩わしく思うアルマに身嗜みを整えるという考えは無かった。裸じゃなければ、凍えるほど薄着じゃなければそれでいいというのが彼女の持論である。
また、異性にもこれまで執着を持ったことはない。同性愛者でも無性愛者でもないが、とかく自分が男子の横にいる姿を想像する事ができないし、自分に好意を持つ男子など大陸じゅう探してもいないだろうと断じていた。
想い人以前に、アルマには同年代の友人がいない。
八年制のこの学校に入学した初年から、口数の少なさと、平均値をはるかに上回る背丈がもとで男女問わずクラスメイトから弄ばれ続けてきた過去から、アルマ本人としても友人をつくる気も、またそんな暇もなかった。同クラスの女子が街道向かいの寄宿学校に通う育ちのよろしい男子たちに熱視線を向けている間、アルマは各棟の水洗便所に叩き込まれた私物を回収すべく校舎を半べそで疾走していたのだ。
それから進学か就職かで専攻が分かれるまでの四年間、アルマはひたすらクラスのガス抜き役に甘んじていた。
聖人伝承にある勇者や魔王の時代では原亜エルフや原巨人は理性を持たぬ、人ならざる魔物として扱われていたが、現在ではそうした伝承すら場所によっては形質への差別発言と捉えられる事も少なくない。
しかし、差別を抑制する為の気風というのは、そのすべてが根絶へ向かう為のものとは限らない。抑制・抑圧されたものは、必ずどこかでほころびが生まれる。子供であれ、大人であれ。
アルマは恰好の『オモチャ』であった。
名家シュヴァイツァーの令嬢でありながら、定かであったかどうかもわからない伝承ばかりで頭を膨らしているうちにどこかしらおかしくなって、どんな魔術からもそっぽを向かれたピエロだ。
魔術技能とはすなわち、大陸の人間を覆う升天教の教義に基づく観念から発される技術であり、思考方法である。宇宙万物の一切を創造し、原初の雌雄を通して聖霊を世に遣わされる万能の唯一神を崇める升天教は、それに比類する神の存在を認めていない。
無論宗派によって差異はあるものの、中世――――『魔王軍』が帝国および教会勢力と敵対していたとされる期間には、東方勢力の封じ込めを名目とした信教の一元政策が行われた。その際に多神教を是としていた地域の土着宗教は升天教へ併合、もしくは力を以て根絶やされた。王権神授説が主流とされていた当時、時の帝国皇帝が升天教を通した中央集権化を狙った結果である。結果として大陸の信教は升天教が席巻し、古代期の文明は教会によって塗りつぶされ、教科書の通り帝国を中心とする諸国家群は暗黒の中世期へと身を窶していく事となる。
拝火国(イスタンブール以東の地域で栄えた文化圏。魔王軍という呼称は差別用語として広く知られる)や多神教の文明や魔術の知識にも精通するアルマの存在は、皮肉にも史実と同じく多数派である一神教の価値観によって同じく虐げられる運びとなった。
「神なんていうのは私だけのもの。私に与さない神なんて必要ないし『要るものか』」
この思考に辿りつくまで、さほど時間はかからなかった。
神は汚物にまみれた筆入れを掃除してくれないし、天使は焼却炉で消し炭となった制服を元に戻してくれない。
これを安穏とただ受け入れろというのなら、神はなんと惰弱で愚昧なのか。救いをくれぬ神など私には不要だ。無力な神など『要らん』。周囲の盲者どもが神と呼ぶ老爺は、聖書などという授業中の落書きを哀れな信者に配って回り、枯れ木のような手足でエッチラオッチラ信者に呪詛を呟いて回る。
「そんなもん、ケツ拭くカミにもなりゃしないのに!」
『私』が困難に遭うのが神のせいなら、私はそんな神など要らん。
当初こそ、自分はなんと罰当たり者なのかと苦悩した。これまで自分を育ててきてくれた母や家庭教師への背徳だ。こんな事を考える私がいけない、私の罪業が濃いからこんな目に遭う。誰が悪い? 私が悪い。至極簡単な升天教の思考に、かつてアルマはいた。
幼年学校の幼子たちに囲まれ、前年と同じく恥を晒してただ一人不合格をくらううち、その思考は徐々に亀裂が入ってゆく。構築されつつあった自我は、多大な屈辱と否定によって靭性と弾性を高めつつあり、既存の思考を砕きつつあった。
そうして到達した思想とは、
「奴らは何が幸せかもわからず、私のような異端をにじる事で贅に入っている。もっとも、私にそれを打開する力も知恵もなく、またその気もない。相互に衰退していく事だけが私たちに与えられた運命だ。人間みんな産まれたそばからおしまいだ、ざまあみろ、くそバカども!」
後日、神学の担任からひっぱたかれ、入学してから六着目のプリーツスカートが切り刻まれた事は言うまでもない。