シュヴァイツァーのごくつぶし
アルベリヒ・ヴォルフラム・マティウス・シュヴァイツァー 06/04/1932
アルベリヒ=シュヴァイツァーは、甲斐性なしのロクデナシらしい。
自らの未熟さを梁より高く棚に上げ、自分を認めぬ周囲に見る目がないのだとぼやき続け、そのくせ何の努力も見せぬぼんくら娘。伝承の妖精王オベイロンの名もさして本人の性根の生成に影響を与えなかったらしく(そもそも伝承のオベイロンは愛人を周囲に囲う放蕩者だったわけだが)、本来ならば十二でパスするはずの第一種術式行使技能試験からはそっぽを向かれ、『魔術の名門シュヴァイツァー』の面汚しというレッテルをほしいままにしている。
ほかに秀でた技能もなければ有益な分野に対した意欲も持たず、実母の仕送りで日々を怠惰に寮の自室で過ごしているぐうたら女学徒。
というのは彼女の身内の評ではあるが、アルベリヒ本人もそれを認めていたし、そしてあんな小娘なんぞに何を言われたところで、指摘された点をどうこうする気になどならなかった。
知ったことか、私の人生に口出しをするな――――と、面と向かって反論する気もまたない。わざわざ他人の怒気に充てられるのも不愉快だし、何より面倒だし、煩わしい。
彼女はできることならこの先ずっと、身内をはじめ実母とも関わりを断ってしまいたいと思っていた。鬱陶しい血縁を切り、こちらは面倒な干渉から、あちらは魔術師のできそこないである女を家系から排除する。双方ともに利のある絶縁だ。とにかく彼女はシュヴァイツァーの人間とは距離を置きたがった。
アルベリヒは魔術が使えない。
魔術の才に恵まれなくとも差別や虐げに晒されぬ世の中になってきたとはいえ、第一種術式行使技能の資格を持たぬアルベリヒの立場はあまりに脆弱だ。魔術師としての英才教育を幼少より受けていたにも関わらず、公的に彼女の技能的評価は幼年学校の少年少女に劣る。就職にしろ進学にしろ、不利になるのは火を見るよりも明らか。
かつて大陸の人々が東方の拝火民族――――『魔王率いる魔物たち』と血で血を洗う争いを連日繰り広げていた時代において、魔術を行使する人物はごく限られていた。魔術とは、時に魔術師、時に賢者と呼ばれた彼らのみに許された技術だった。
時代がくだるにつれ、神の奇跡の模倣である魔術は人の歴史の中に組み込まれていった。人間の理性より脈動が生まれ、大地の脈を辿って既存の現実に影響をもたらす『技術』として、魔術は生まれ変わった。そのメカニズムが識者によって体系づけられていくと、次には万人に適用されるべき一元的な規則が必要とされた。
それこそが術式行使技能制度であり、現在では大陸のほとんどの国家が細かな差異こそあれ、この制度を取り入れている。
技術行使の許可に関する制度であるため、当然ながら実技試験がある。とはいえ、幼年学校の生徒ですら合格率は九割五分を越えるほどの難易度であり、位置的には遠足などに並ぶ学年行事かのようなもの。試験官との面接が十分程度、そして初歩の初歩の技術である『斥力簡易演算』を行使するのみ。もちろん試験官や教員がこれでもかと補助術や小細工で下駄をはかせるため、まずこの試験に落ちこぼれる生徒はいない。火を起こす必要もなければ水を出す必要もなく、ただ単に机の上に置かれた林檎に何らかの霊的干渉を行えばよい。実施する側としても再試など時間と経費の無駄であることこの上なく、こんな試験にあぶれられても困るわけだ。
そんな木端役人の暇つぶしである試験にあぶれ続ける落ちこぼれがアルベリヒである。
名前さえ正しい綴りで記されておれば通るという筆記試験や、担当の頭髪がいかに寂しかろうが吹き出しさえしなければパスできる面接試験こそ優秀な成績で通過したが、アルベリヒの前に置かれた林檎は、ヒビも入らなければ色も変わらず、ピクリとも動かなかった。
以来、毎年この試験を受験し続けているのだが、結果はどれも同じ。いくら年を重ねようが、林檎は動いてくれないのだ。
去年末に行われた試験でも、寒気と緊張に手をかじかませながら林檎に手のひらをかざしていたが、やはり根でも生えたかのように動かない。やがて野良犬を蔑むような憐れむような目で、中年の試験官は口のはじをひきつらせて「それではよいお年を、シュヴァイツァー氏」などとつぶやき、アルベリヒを置いてさっさと部屋から出ていった。
直接魔術行使に関連する咒式を提案・構築する研究職の代名詞『咒式設計士』にせよ、鋳造金型製作などの金属加工に携わる技術職にせよ、はたまた日々の勤務では魔術とは無縁のその他職種にせよ、『第一種技能』の資格をパスしていない事には就職活動など始まらないといっていい。進学に関してもほぼ不可能であろう。魔術的素養はこの際関係なく、『第一種技能』の有無は根本的な人間性を問われるに等しいのである。
彼女が現在在籍している高等教育機関に入学できたのは、コネ以外の何ものでもなかろう。そのおかげで無職でなく不良学徒という身に甘んじていられる事に関しては、家柄にわずかながら感謝していた。
だが、それも自分を産んだ実母に対してのみ。
シュヴァイツァーの名には、価値も魅力も感じていない。恥も見聞もかき捨て、子を産むための雌として宗家に取り入れば扶養してはもらえるだろう。しかし、そんな屈辱はごめんだ。一度自分を『要らぬ』と断じた連中に頭を下げるなど、断固遠慮したい。くだらない矜持だと自分でも辟易するが、こればかりは譲れない。これだけは曲げる事はできない。
「わたしを必要としないものなんか、こっちから願い下げだ。みんなどっかへ行っちまえ、わたしを評価してくれないなら知ったことか。ちくしょうめが!!」