ガッリア・ベルギガ
「食事の最中に騒がしく割り込んでしまって、済まなかった」
「いえ、そんな……ほとんど食べ終わってましたので」
ディートリヒ・ガーデルマン、その妹ベルンハルデ・ヘンシェル。人払いを早々に済ませた二人に連れられてやってきたのは学園敷地のはずれ、ろくに往来のないひらけた公園広場。中央の小高い丘の周囲にはぽつぽつと案内板が設置されており、この土地で発掘された遺跡群の遺物や史実が記されている。
「見ての通り、ここからは多数の装飾品や磁器、古代の武器や防具、そして人骨などが発掘された」
「はい、オリエンテーションで少し触れました」
「だから、このホリゾントには地下鉄を通す事ができない。移動には少々難儀する事だろう、ローマばりに遺跡が地面の下に点在しているからな」
ディートリヒの落ち着いた発声は、しかしどこか冷徹すぎるが故にハインの心情に染み渡るより先に霧消する。まるで自身の心理が彼のことばを拒んでいるかのように、この男の内包しているものに応じているかのように。
(何だ……この人……は)
エミリア、ブフナー、アガーテ、そしてベルンハルデ。魔人の如き騎士にはこれまで何人か出会ってきたが、この男から受ける印象は明らかに異なる。空虚で、複雑に何かが絡み合い、その感情を推して察する事すらできない。底が、まるで知れないのだ。
「ホリゾントキュステの名が示す通り、この地は何かと曰くが付きまとう。東西戦争の折には連合に焼き払われ、一度は住民全員が惨殺されたという過去すらあった。かつて、この地が何と呼ばれていたかは知っているかな」
「存じません」
「ガッリア・ベルギガ」
かつては教会の時計塔が建っていた事を示す案内板にもたれていたベルンハルデが口を挟んだ。
「古代ローマの属州の名を冠していたこの地が、ローマのそれと同一のモノかどうかは判別がし難いけれど……少なくとも、騎士団はここをそう呼称しているわ」
ハインも一度は耳にした事があった。
大陸に古くより伝わる勇者伝承に登場する地名。それも、太古に魔物を率いた魔王を討伐したとされる伝説の勇者が出生した土地だからだ。信仰によっては、救世主の生誕したベツレヘムの地と同一とされているとも。しかし、ベツレヘムと異なるのはその位置が明確には伝わっていない事が挙げられる。
「魔王を制した勇者の聖地は、今の世には残っていない。聖書のように編纂が進んでいるわけでもなく、勇者が聖人として列聖されたとしても、どちらかといえば勇者信仰とは土着の性質が強い。生きた人間が、その身を以て神意を為したからだ。中世期に活躍した勇者は各地を旅し、各地で偉業を為してきた。土地によってその認識が違うんだよ、だからローマはその偉業を自分たちが信仰している神――――救世主の為したものとしたがる。中世期にはあらゆる人間の敵とされた魔族や魔王も、今の子の世では主権たる人権を重んじる一国を築き上げている。ガッリア・ベルギガは、無かったものの方が都合がいい」
「――――でも、ここは間違いなく勇者の聖地。私たちの母は、この地で竜の洗礼を受け、子を授かり、帝国の為に戦い、そして散ったの」
「母……?」
「そして、こここそが初めてロンギヌス――――ヴォーパル鋼が姿を現した復活の地。そう、ここが真のゴルゴダの丘だ」
「何が……言いたいんです……?」
「すべての聖剣はヴォーパル鋼より鍛えられし人外の剣。勇者の血脈にしか扱えぬ唯一無二の宝剣だ。我々はその欠片をその身に宿す事で、顛生具現の一端を行使している。君も、そこまでは理解しているはずだが」
そう言われ、ハインはぐっと胸を押さえる。
「はい。ベルンハルデ……さんや、ブフナーさんから聞いています。エクスキャリバーのおかげで、僕の命が繋ぎとめられたのだと」
「ヴォーパル鋼は、すべての虚飾と幻想を打ち払うとされている金属として古来より信仰を集めている。かの聖アリスが殉教したという、ブリタニアでのキャメロット事変の際には本物の聖遺物である聖剣、そして相当数のヴォーパル鋼で加工が施された疑似聖剣が確認されていたらしい。回収されたものはすべて聖遺物として奉還され、ブリタニア諸島より大陸へと渡った。君やベル、そしてエミリアに収められているのは、そんな聖剣のうちのひとつだ」
ベルンハルデが背で反動をつけ、鉄製の案内板から離れた。表情こそ先と変わらぬ鉄面皮だが、皮膚に冷や汗が滲んでいるのが見えた。
「さて、君も魔術師の端くれだったならば、縁の意義については、名こそ知らずとも概念的には把握しているだろう。我らはこの地とは非常に強い縁で結びついている。未知の世の意識をこの世界に流入させていたこの地と、密接に繋がり合っている」
「未知の……世?」
「疑問はもっともだが、今は自身の刃を高める事を考えるといい。ハインリッヒ・シュヴェーグラー」
ディートリヒが言い終えるが先か、ハインのもとにベルンハルデが馬や飛竜にも劣らぬ勢いで踏み込みをかける。反応が一瞬遅れたハインへの制裁かのごとく、ベルンハルデの掌底が胸部に激突した。
「がぶっ……!」
目を見開いているにもかかわず、視界を正確に認識する事ができない。激痛と共にまばゆい閃光が絶えずちらつき、しかし転倒する寸前にハインは両脚に力を込め、のけぞるだけに被害をとどめた。
「ベルンハルデ……さん……!?」
スナップを利かせ、掌打を叩き込んだ右手をぶらぶらと振るベルンハルデ。困惑のまなざしは、しかし優等生のメッキを自ら剥いだ彼女には届かない。兄譲りの怜悧な視線をただ真っ直ぐ向けるのみ。
「あなた、もう燭台の前で誓ったんでしょう? 苦しいのも、辛いのも嫌だって。祈ったんでしょう?」
よもや、あの瞑想の事を彼女が把握しているとは思わなかった。よく思案を巡らせれば当然だ、カールの逆向き瞑想が顛生具現に至るまでの登竜門なら、彼女もああした過去の反芻を経ているという事実には容易に辿りつける。
「なら、こういう場合……あなたのした選択に準ずるなら、どうするのが一番正しいの? 案山子みたいにボーっと突っ立って、私の為すがままにされるだけ? 自分の大切な実りを育むはずの畑を食い荒らされるのをただ待つだけなの? 違うでしょう」
冷静に、しかし未だ二人から離れた位置で静かに佇む兄と事なり、ふつふつと情を燻らせる妹は語る。
「どうして自分がこんな目にって、自分はこんなの認めないって、そう選んだのでしょう? なら見せて頂戴な。私に。あなたの目の前にいる私に。私だけに。あなたの望む顛生を見せて」
仄かに口端にのみ笑みをうっすら浮かべると、風もなくベルンハルデの周囲に淡い光の粒子が舞い上がる。舗装されていない草地に蒼い光を携えて広がるのは、彼女を中心とした五芒の方円。ブフナーより渡された礼服一式の手袋にも描かれていた方円と、同一のデザインのものだ。
「あなたも私も、五柱の勇者の末裔。勇者様が黙っておめおめ殺されるなんてことはないわよね?」
にたり、とベルンハルデは嗤う。ハインが初めて目の当たりにする、窮鼠を前にした彼女の笑み。
「あなた、儀式についてはまだ何も知らされてないのよね。あなたの刃、見せてくれたら――――」
言を遮り、再びベルンハルデはハインに向かって右方より跳躍する。直撃こそ受けまいと、ついでハインはベルンハルデの一撃を交わすべく受け身をとった。しかし、
正面への疾駆を右の軸足で無理やり左方へ切り替え、再びハインへ向けて飛びかかる。まばらに繁茂する雑草を土ごと抉り、ベルンハルデの伸ばした腕はハインの襟を掴みあげる。力任せにハインを引き寄せ、鼻と鼻が密着するほどに顔を近づけた。
「教えてあげないでもないわ。頑張って生きてみなさいね」
ぼそりと呟いたベルンハルデは首を後ろに曲げ、ハインの額に強烈な頭突きを喰らわせた。