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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
ハイン入団
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ガーデルマン兄妹

「おかしな病気持ちってのだけは勘弁してくれよなあ、頭の病気は治らねえって聞くからさ」


「いや、本当に……食べ過ぎただけだよ、それにほら。環境の変化ってやつ」


「薬やってんじゃなかろうな。ばれないようにやれよな、あれでしょっぴかれたら入学初日から停学だぞ」


 と、存外気にしていない様子のクルトを見てようやくハインは胸をなでおろした。ともあれ、『平安』の側に帰ってこれたのだとひとまずは実感し、それをかみしめた。


「君もなかなか羞恥に晒される星のもとに産まれてきてるもんだな。四月の頭っから酔っぱらってもどして、それを第一に発見されたのが入試最優秀成績のエリート様。お優しくて涙が出るよ」


 言って、クルトは豚すね肉の塊に甘めのグレイビーソースを絡めたものに小さな口でかぶりついた。

 学園併設の食堂は寮併設のそれに比べて値が張る為、独り暮らしやそもそも金のない貧乏学徒の姿は周囲にまずない。確かに雑多な雰囲気の漂う寮併設の食堂に比べ、手入れのされた観葉植物やぴかぴかの内装を見るだけで品の良さが感じられる。集まってくる客も身なりの良く小金を携えた実家暮らしくらいのものである。実際、先日すれ違ったあの大女のような人種は辺りには見当たらない。


 ハインも財政面では兄と共同で管理していた口座の金を少しずつ切り崩して使っている為、不自由さは感じてはいなかったが、引っ越しを含めた連日の出来事に忙殺されていた事もあり、食に関しての開拓が大幅に遅れてしまっていた。クルトに連れられてこなければ、今日も昼食はうすらまずい缶詰の豆だっただろう。


「食いすぎてまた戻すなよう」


 クルトの豪快な食べっぷりに負けじと、ハインもフォークで皿に盛られたザウアークラウトを口に詰め込んだ。


 醜悪な昼間の悪夢に侵され、人気の少ない路地裏で前後不覚に陥ったハインを正気に戻したのはカールである。あの歌唱のおかげで理性を取り戻せたと言っても過言ではないが、そののちにハインはもう一人女性と邂逅を果たした。


 赤縁眼鏡をかけ、ピンで横に分け、うなじでゆるく束ねたブロンドヘアの女学生・フランツィスカ・オルブリヒト。ホリゾント高等部の入学式における新入生代表、歯の浮くような美辞麗句さんざん重ねた式辞を述べた優等生として名前は知られていた。


 吐くものすべて胃からもどしてなおフラフラと覚束ない足取りを見て、偶然そばにいた彼女が寮まで連れ添ってくれたというわけである。印象から高飛車だのおべっか使いだのと勝手に思い込んではいたが、これがどうして、同年代の女子と比べると冷静な雰囲気が漂っていた。


「そりゃ、これから配下に置く下僕を初日っから威圧するような真似はせんわな」


「下僕?」


「彼女、ホリゾント学園史上初の最年少優良学徒、の次席……ってわけで、コネ就職し放題な生徒会広報部にもう加入が確定してる。その上、お家はなんとあのシュヴァイツァー家。プラス、すでに就職が内々定済……」


「確かにとんでもない人ではあるけど、どうしてそれが下僕をどうとかする話になるのさ」


「囲いがいるんだよ、ああいうコミュニティにはさあ。長いものに巻かれて樹液をすするトンチンカンが、夜の街灯にワラワラ集まる羽虫みたいに寄ってくるわけだ。毎年の役員選挙の組織票になりうる人材でもあるからな、その票固めの一環、優しいのはオモテだけ、しかも主席に一番取られちまってるから余計にプライド傷だらけ……ってのは、さすがに性格悪いかね?」


「かなりね」


「まあ、あのフランお嬢様がそうだと決めつける気はないが。あまりのめり込むといい目は見ない気がする、とは言わせてもらうぜ。ああいう偉い偉いレールに敷かれた偉い偉い人に付きまとう囲いなんざ、まさしく百害あって一利なし。凡人は凡人らしく日常を謳歌しようや」


「でも、そんなにいいものかな……生徒会っていっても、所詮は生徒会……だよねえ?」


「そればっかりはどうなんだろうなあ、オレも不思議だよ。羨望を集めるとは言ったところで、実質働くのは行事だの広報活動だのだけだよな。役員連中の何が囲いどもを引き付けるのかは知らんが……」


「詳しいね」


「義姉さんが愚痴っぽいんだよ、取材してる時に受けたイビリを全部オレに聞かせてくるんだ。皇国(ヤーパン)の古い魔術学校でのとんでもないカースト制ってやつを一晩中ぶつけてくるもんで……」


「こ、今度じっくり聞かせてもらうよ」


 互いに皮肉っぽく笑いあい、そしてクルトはぼそりと付け加えた。


「でもなあ。『蛇狩り』に内定してるような人間だったら、魅力に思うのもわからんでもないよな」




 入学してから十日も経つと、さすがに学校と寮の間の行き来にも慣れてきた。事実、先日のような強烈な不快感や白昼夢に襲われる事もなかったし、また学校での人間関係や授業に問題が起こった事もない。


 むしろ歴史書や戯曲の脚本を黙々と訳している方が集中できるため、やはりブフナーの提案は慧眼だったというほかない。市井の人間らしい生活に、だんだんと日常というものを見出してきたところだった。




 ホリゾントキュステきっての行事である17日からの納魂祭へ向けて、学園や市街が徐々に浮き足立ってくる時期。ハイン本人は行事に疎く、クルトもまた同様だったが、こちらは周囲の隠しきれない高揚にあてられたのかかなりそわそわしてきており、しきりにハインに「ヒマある?」だの「もう街道沿い見て回った?」だのと尋ねてくる始末。


「女子でも誘ったらどうなんだい」


「いや、史学部クラスの女ってのは……なんつーの、どうもオタクっぽいっていうの? 絡みづらいし話してて面白くないんだよ」


「もう声はかけたのか……」 


「それに、いざ呑ませてみるとなんかめんどくさくなっちまう。媚びた女の顔なんか眺めてたって面白くもなんともない、萎えるんでいつもそこで切り上げて帰るわ」


「君が誘ったんだろ」


「金も暴力もいらない、愛がなきゃならんのだよ、まっとうで健全な愛が。適当な女なんか誘うんだった義姉さんにパトロンになってもらった方がまだマシかな。いや、しかし……」


「……わかったよ、時間があったら付き合う」


「約束だぞ、君が来てくれなきゃオレはつがいの雄と雌の群れに放り込まれて一人涙を流す童貞一匹狼なんだからな。どうせ授業なんか午前で終わっちまう、頼んだぞ」



 4月17日

 納魂祭、そしてヴェーヴェルスブルクの騎士団にとっての悲願である、儀式の始まりの日。

 ハインにとっても、フルークの打倒と人形(ゼフィール達)の確保という、復讐という名のけじめを着ける為の期間が始まる日でもある。

 ブフナーによれば、人形(アダム・カドモン)を用いる以上、フルーク本人もホリゾントに潜伏していると考えて間違いはないとの事。その捜索に進展があった場合には、ブフナー名義でハイン宛に寮の電話を通して連絡が行く手筈ではあったのだが、今のところ一度もハインのもとに情報は届いていない。


(納魂祭そのものは数日間継続する行事だと聞いた……それじゃあ、儀式っていうのはその一日だけ……? にしては、対応がのんびりすぎやしないか。未だその準備すらできていないんだろうに)


 思えば、儀式そのものについてはブフナーからも知らされていない。彼らの儀式にさほど興味はなく、目的はあくまで仇討にあると言ってしまえばそれまでではあるが、どうにも心持は良くなかった。



「ヒヤアアアーッ、主席のヘンシェル様よおーッ」


「キェアアアアーッ、うれしいわ、うれしいわ、うれしいわったらうれしいわ」


 突如として湧く黄色い歓声に、クルトはしぶしぶそちらへ振り向いた。その先には、彼の嫌う『囲い』をまたぞろ引き連れた数名の男女。


「あれだよ、あれ。『生徒会役員様御一行』、しかも主席までおっ連れてきやがった」


 関わり合いにはなりたくないねえ、とクルトはハインへ向き直り、頬杖を気だるげについた。


「しかし、連れまわされる兄貴の方は大変だよなあ」


「兄貴?」


「ディートリヒ・ガーデルマン。来年には大学ってトシの割に、ガキでもとれる魔術行使第一種を取得したのは去年の暮。妹に才能ぜんぶ吸い上げられた搾りカスってね」


 やがて卓に着いていた周囲の学徒が高揚からか口数少なくなり、また逆に『囲い』たちのやかましさを煩わしく思い離席する学徒が目立ち始めた頃、『御一行様』のうち一人がハイン達の卓へつかつかと歩み寄ってきた。


 日和見を決め込んでいたクルトとハインだったが、卓の真横に立たれてはたまらない。おそるおそる顔を上げると、そこにいたのはハインの知った長身痩躯の少女。


「ごきげんよう、ハインリッヒ・シュヴェーグラー君」


 騎士団序列(ドライ)――――今や学園生活で見慣れた女子制服を着こなす、ベルンハルデ・ヘンシェルだった。


「ホワーーーーッ、羨ましいわあーッ、妬ましいわッ、妬ましいッたら妬ましい」


「パギャギャーーーーッ」


 空気に徹していたハインに『主席のエリート』ベルンハルデが声をかけた事に対する抗議ともとれる歓声もどこ吹く風、彼女は表情を崩さぬまま言葉をついだ。


「すこし、お話があるの。よろしくて?」


 この光景に面喰ったのは当人であるハインももちろんであるが、クルトもまた目を剥いて正面のハインを見つめていた。


「ハイン……君がこんな……いかにもめんどくさそうな大穴にコナをかけるとは……」


「お友達には申し訳ないけれど……ごめんなさい、大切な用事があるの。少し、彼を貸してくださいね」


 やんわりと断りを入れるベルンハルデの振る舞いはまさしく優等生。取り巻きが列を作って引きつけられても納得のいく美貌と、そして威圧感。名状し難い圧迫を、ハインは確かに感じていた。


「いいわね。私じゃなく……『お兄様』の御指名なの」


「お兄……様……?」


 喧騒の熱気と嬌声の中に、ともすれば埋没するかのように佇みながらも、ハインを射抜く視線。

 その男、ディートリヒ・ガーデルマンは真っ直ぐハインの両眼を捉えていた。


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