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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
果敢な阿呆は街を彷徨く
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ニンニクヤサイマシマシアブラマシカラメ

 モニカ・マレブランシェは人間の屑であった。


 なぜこの女がこれほどまでにねじれ歪み屈折した根性に生まれ育ったのか、出会って二年と数ヶ月をかぞえるアルマでさえ想像も及ばなかった。ただ、あえて考える必要もなく、考えるだけ時間と労力の無駄であろう。死後ステュクスの河を渡らんとする亡者たちを巧みな甘言で騙くらかし、身ぐるみ剥いで水底へ蹴落とすことを至上の幸福と自称し、他人の不幸をソースにパスタが五キロは食える筋金入りの人でなしである。


 モニカは定期試験程度に屈するような人間ではない。この女、数学も物理も歴史も法学も魔術史も哲学も第二外国語も大嫌いな割りに、一夜漬けで補修と落単を回避する程度の学力と要領の良さは持ち合わせているらしい。中等部から繰り上がった内部生の面目躍如といったところか。


 モニカは苦雨凄風を理由にホリゾントを駆け巡るのを諦めるほど軟弱な人間ではない。ホリゾント学生総会連合を裏で牛耳る秘密結社クロユリ十字団の走狗である彼女は、同組織の同輩と比較しても例を見ないほどのコネクションと独自のネットワークを所有しており、学生および学園関係者のおよそ四割程度の公的個人情報ならびに私的極秘嗜好情報を手の中で転がす悪辣な阿呆なのである。


 オリエンスの秘密警察や蛇狩りも顔負けの暗躍はいわばライフワークにほかならず、この世に神がいるのならまずはこの女に何らかの天誅があって然るべきであると、アルマは顔を合わせるたびに心中では掌を合わせ天へ拝んでいた。今のところ、毎日のように期待の麗人ディートリヒ・ガーデルマンやベルンハルデ・ヘンシェルの醜聞探しに躍起になっているのを見るに、こまめに下界を警邏する気のある誠実な神などいないらしい。


 ひとたび学内で名の売れている有名人のスキャンダルの予感を嗅ぎ付ければ、その動きは全盛期のブリタニア翼竜騎兵の電撃浸透戦術もかくやというほどに迅速かつ狡猾である。


「私は私なりに、勉学でお疲れになっておられる皆々様へ、慰労を兼ねてお耳触りのよい吉報をお届けして差し上げているだけですのよ」などと頓珍漢で傲慢な屁理屈をのたまい、他人の汚名を伝播させて回る悪鬼の所業を自身の天職と捉えているのである。


 世俗の暇人に連日連夜チヤホヤされている表舞台のクイン・ビーがベルンハルデ・ヘンシェルならば、こちらは唾液と糞便を混ぜ込んだ蜂蜜を配って回る、便所裏に巣をこしらえたハニー・ビーだ。瘋癲や不良学生の吸い散らかすヤニやマリファナで巣を燻されて死んでしまえばよいのに、そういった学園の落伍者や脛にキズ持つヤクザ者はお得意様もいいところなのだから救いがない。更には古来からホリゾントに憑いている高等飛竜(エルダー)ともパイプを持っているというのだから、伊達や酔狂だけで情報屋をやっている割に神がかり的な立ち回りの上手さで綱渡りをしているのだろう。できるだけ早く綱が切れて転落死しくさるのを祈るばかりであった。


 つまらん我欲で腹を膨らせ、大衆の義憤を左うちわでヤンヤと煽り立てる学園始まって以来のくそったれ馬鹿野郎は、顔かたちの出来栄えだけは非常に優れていた。外面に金をかけすぎた結果、母親の子宮に模範的生徒の規範を取りこぼしてきたらしい。彼女の赤らんだベビーフェイスを前に、男というものは正常な判断能力を便器へ排泄してしまうようにできているらしく、体よく吐き出すもの吐き出したら、本番を迎えることなく朝まで健康に寝かされてしまう羽目になる。


 財布と醜聞と学生証の情報をいっぺんに根こそぎかすめ取る鬼畜の所業の標的となるのはなにも男だけではなく、同性もまた彼女の暇潰しの道具に他ならない。被害は学部や学科、寮すら跨いで飛び越えているゆえ、ホリゾントではいつ背後から脳天に鉛弾を叩き込まれてもおかしくはない。それでは、なぜこの卑俗極まる凶悪妖怪がなんのお咎めもなく跋扈していられるのか。


 理由はいたってシンプル、大いなる秘密結社クロユリ十字団の庇護と恩恵あってのことである。


 薔薇十字団を安易にパクったマヌケなネーミングとは裏腹にこの組織、都市全域のありとあらゆる情報を集積のち分析、来るべき全学生管理社会の礎たる新世界秩序をもたらすべく影からホリゾントキュステを動かす諜報機関なのである。ホリゾント学生総連はおろか理事会、運営母体にも捜査の食指を伸ばしているとは専らの噂であるが、その正体や動向は謎のベールに包まれている。


 モニカは早口言葉同好会に偽装した、エシュロンと呼ばれるスパイ部門に所属しているらしく、その目覚ましい功績から、じきに序列が上がるとも、幹部候補に選定されるとも吹聴していたが、その真偽は定かではない。『子供たちが屠殺ごっこをした話』を読んでの感想文を何十通りも書かされたり、一日中無作為にデリヘルの営業電話をかけ続けたりという奇行が入会テストにあったらしいが、モニカの言うことなので鵜呑みにすると馬鹿をみるのは確かだった。


 モニカに向けられるべきしみったれた怨恨についてであるが、実に巧妙に姿を偽装して行方を晦ましている、としか表現しようがなかった。詳細についてはモニカがはぐらかしたりするのでこれもまた真偽が疑わしいのだが、早口言葉同好会の看板を背負って諜報活動する際、なぜだか決まって被害者の成績表には色がつくのである。一度も出席していない講義の単位を取得したという者さえいて、その強引な火消しには教務課の確かな介在を感じさせるものがあった。


 とはいえ活動外のモニカはといえば、ちょっと間の抜けた文学少女という体で貫き通しており、アルマとの縁も映画好きという共通の嗜好あってこそのものだ。サブカルチャーを好んで嗜むという点については疑う余地はない。切り替えが恐ろしく上手いのだ。阿呆の権化である素面を覆い隠す、頭も操もゆるふわなペルソナの出来が半端なく精巧なのだ。目つきから声色までが一八〇度転回する変わり身の早さは、もはや阿呆の一念の成した一種の芸術であり才覚と呼んで相違なかろう。


 東に性病のラガーマンがおれば、行って原因をほじくりまわしてやり。


 西に疲れたアスリートがおれば、行って目の前で次期定期試験の日程を音読してやり。


 南に留年しそうな先輩がおれば、過去問を売ってやるから出すものを出せと言い。


 北に不倫や浮気があれば、面白いからもっとやれとガソリンを注いでやる。


 大いに笑って涙を流し、耐えがたき寒波には笑いで暖を取る。自分は阿呆のトーヘンボクだが、自分のほめ方機嫌の取り方は誰より一番よく知っている。これがモニカの、モニカによるモニカの愛し方なのである。




「一刻も早くクラーニヒに沈んで死ぬべきだ」


 迷惑千万この上ない宣言に、たまらずアルマは悪態をついた。こいつの愛は憎悪を呼ぶ。呆れたバカだ、生かしてはおけぬ。


「いけずなことを言ってはいけません、私とあなたは一蓮托生、私の身体が沈むのならば、あなたも溺れて果てるが運命。レポート代行でさんざん荒稼ぎした仲ではありませんか。私が死ねば私の同胞が私のあらゆる交友を洗い出しますのよ。そして名目上の査察ののち、校則に基づいて違法性ある活動が公になれば、あなたも私の後を追うほかありませんのに」


 そんな世迷言から間髪入れず、二人の目の前の卓に巨大な器がゴトリと置かれた。ドンブリと呼ばれる底の深い器、うず高く盛られたキャベツやニンジンなどの茹で野菜の下に埋もれている縮れた卵麺は、魚醤ベースのスープが麺やチーズと絡んで、中毒性のある風味と旨味を相対する者にもたらす。パスタを茹でる際に重曹を仕込んでいるのか、ほんのり麺に苦みがあるのが特徴だ。


 恥も体裁もなく、モニカはゾロゾロと卵麺を啜った。


 一食ぶん、実に麺量八〇〇グラム。野菜含めて二キロを超える。


 食事に滋養供給以外の意義を見出さない屈強な野郎どもに紛れて、アルマとモニカは歪な山脈をひたすらかきこみ続けていた。薬味として添えられた微塵切りの大蒜と生姜は、実にまるごと三粒ぶんはある。


 乳白色の脂身が浮き沈みするスープと絡めて、麺と葉物をいっぺんにいただく。じゃきじゃきした歯ごたえに続き、やや硬めで弾力あるパスタが、ツルンと弾けて躍動する。


 野菜の山の紅葉を思わせる煮豚にフォークを突き立て、おもむろに横から齧りつく。食堂のしょぼいハンバーグステーキの倍近い大きさ。うまい、うますぎる。なぜうまいのかはわからんがうまい。生娘の柔肌の如き舌触りの脂身が舌の上で溶け、噛み締めるたびに下味の染み込んだ赤身とともに心地よい歯ごたえを感じさせてくれる。肉の塊を齧るたび、永遠に咀嚼し続けたい未練に見舞われる堂々巡り。


 肉を喰らい、葉物を詰め込み、パンの代わりに大量の麺をブチ込む。食事という名の異種格闘技戦。純粋に闘争のみを欲するこの場には、お高く留まったホリゾントのお嬢様がたが現れることはまずない。せいぜい据え置きのコーヒーとパンでうすらまずいお茶会を楽しんでおればよいのだ、これは選ばれし者による高等知的遊戯でもあるのだから。


 眼前に差し向けられた刺客。特殊極まる創作チーズパスタ(ケーゼシュペッツレ)。杯より溢れんばかりに盛られた聖餐のすべてを胃に納めるためには、綿密な考証の上で発案されたペース配分に則って食事を進める必要がある。手近だからと言って野菜から手を付けるのは厳禁だ。きゃつらの含有する水分を甘く見てはならない、首魁である麺と肉塊を蔑ろにして雑兵にかまける愚を、彼らは絶対に見逃さないのだ。あくまで戦闘は炭水化物の排除を主眼に置くべきなのだ。冷水を口に含むのも最小限に控えた方が良いというのは言うまでもない。


 狭く薄暗い店内、テーブル席はなく、歴戦の闘士たちはみなカウンターで一様に並び、断罪の時を待つ。夜間には大衆酒場として営業するこの店の、もう一つの顔。


 大柄なアルマはともかく、男どもの中で一際目立つ姿なのはモニカだ。周囲の連中に勝るとも劣らぬペースで、総熱量五千キロカロリーにも及ぶ決闘を優位に進めていた。隣のアルマはといえば、麺の量はモニカと比べて三分の一ほど少ないにも関わらず、半分以上を器に残していた。


 別に早食いの競争をしてるわけではないのだが、対抗意識が湧くのも人の性。さりとてここから追い上げることもできず、モニカは己の頭部がまるごと収まるであろう器の中身をペロリと平らげてしまった。


「あなた、早メシ早グソほど人生を豊かにするものはありませんよ。ごちそうさまでした」


 持参したナフキンで口元を拭き拭き、いそいそとモニカは席を立った。事前清算制ゆえ、そのまま真っすぐ店の外へ続くドアへと向かう。


「ちょ、ちょっと。待ちなさいったら」


「急いでくれませんと、妹君の方にちょっかい出しに行ってしまいますわよお」


 ごめんあっさーせぇ。意地悪そうに舌を突き出し手指をひらひら、完食最速記録保持者は悠然と退店していった。

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