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異界のウタ ~Arma virumque cano~   作者: 霞弥佳
フランの冒険
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ゆえにこそ驕り、だからこそ昂る

 白く儚げな白色灯が頼りの図書室は、突如としてカメラのフラッシュにも似た閃光に照らされた。それから十秒もしないうちに、体の芯を震わせるほどの雷鳴が、崩れ落ちるように響き渡った。


 腕時計の針は午後三時を少々過ぎた程度。未だ雨音が聞こえてこないことを考えると、長居しすぎたことに気づけたのは僥倖だったと言える。半日ちかく酷使し続けてきた両目をしばたかせ、眼鏡をはずして軽くマッサージ。クロスでレンズの曇りを拭きながら、ぼやけた視界で本日の成果を見やる。


 デスクにうず高く積まれているのは、七十年で培われた先人たちの叡智の結晶たる魔術書(グリモア)。体系化された魔術の大半は咒式設計士(プログラマ)によってより洗練された簡易的な機構に最適化がなされ、消費者にカタログといったかたちで提供される。印刷技術の進化、ならびにフィルタリング機能を有した簡易魔術(インスタント)やウェアラブル機器の普及によって、トロイの木馬めいた悪意ある受動発現咒式(オートマタ)はほぼ駆逐されているものの、閉架書庫で半世紀を過ごしているようなものに関しては例外もままある。記述された文書に暗号化した短縮詠唱文を潜行させ、視覚情報として読者の認識に入り込み、脳機能に重篤な障害を負わせるものが大半を占め、魔術行使黎明期には多くの犠牲者が出たという。


 今のフランが使っている眼鏡は、教養として魔術を学ぶ人間の例に漏れず、防性機構が備え付けられたウェアラブルデバイスでもある。ローデンシュトック社製1928年モデル。型落ちの感が否めないものではあるが、刻印(プリインストール)されている情報防壁は最新のものに更新されている。前年度に発売されたばかりの33年型が昨日の騒動で破損してしまったので、やむなく予備として保管しておいたこちらを使う羽目になったわけだ。


 質実剛健を体現するメタルフレームの質感が気に入っていたのに、こんな真っ赤で子供っぽい眼鏡に逆戻りだなんて。悪態の一つもつきたくなるが、安い買い物ではないので、そういちいち贅沢も言っていられない。少々の抵抗はあるが、別にこの型も嫌いなわけではない。11歳の誕生日に、義兄のアルトゥールから贈られたものだ。無下に捨ててしまう道理などなく、愛着からかフォーマルな場ではむしろこちらを着用することの方が多い。入学式での代表式辞を読み上げる際にもこちらを着用したくらいだ。きちんとカイゼルスベルクの屋敷から持ってきたのも、そうした理由あってのことだ。


「――――ここまで何もないなんて」


 つい口から零れるほど、有益な情報は得られなかった。


 成果とは称しがたい殴り書きが、ノートから嘲笑うように踊っている。


 ハデスの眼について。黒電話について。黒衣の奇人について。自分を翻弄する非日常に関しての分析は、まったくの空回りに終わってしまった。どれだけの文献を紐解こうが、これらの謎に対する明確な回答は得られなかった。


 ハデスの眼――――希少物質(ヴォーパル鋼)を椀型に加工したものを指し、バイタルマナを通電することで、自分の未来や異世界を垣間見ることができる――――学生間でまことしやかに囁かれる胡乱な都市伝説に関しては、耳聡いモニカから得られる以上の情報は手に入らなかった。特にフランが見たような異界の光景は、自身で何度もまじないを試しているというモニカをして驚嘆に値する体験だったらしく、虚言を疑われるほどであった。


 ヴォーパル鋼自体はフランも使用しているウェアラブル機器にも用いられ、魔術行使者が咒式行使の安定性に用いる端末に広く記憶回路(ストレージモジュール)として搭載されている。外部からの干渉でエネルギーを発生させる蓄熱セラミックの一種であり、熱や電磁気的な刺激による酸化と相転移によって、記述された咒式情報を再現することが可能だとされている。


 法学専攻のフランにとって技術的なことは専門外だったため、午前中は理学研究科の准教授に意見を伺う必要に迫られた。結論としては、ハデスの眼など与太話以上の枠を出ないホラ吹きの妄言、ということで決着がついた。曰く、学生に手の届くような不純物まみれのヴォーパル鋼で、そこまで精巧にして大規模な認識齟齬を発生させる咒式を再現するのは不可能だという。試しに自分の体験をオブラートに包んで話してはみたものの、「授業中にハジをかいたことを連想してしまっただけではないか」なる、なんともあいまいな答えが返ってくるばかりであった。椀型に加工する必要があるだとか、水鏡に見立てることで未来が浮かび上がるだとか、合理性を欠く論理的補強によって錯覚を引き起こしただけではなかろうか、というのが教授先生の見解だった。もっと行使技術について上が研究資金をつぎ込んでやれば、アークソードを介する思考の現実化といったブラックボックスの解明に近づくのに、などという憐みの言葉まで出る始末。


 思考の現実化と言えば大層ではあるが、実際に思っただけで想像上の現象が実体を伴って出現するほど、現代魔術とは常識離れした技術ではない。思考に付随する微弱な電気信号が高純度ヴォーパル鋼を経由してアークソードを介したうえで、咒式設計士(プログラマ)の用意した魔術式通りの物理的干渉を実現すると『される』一連の現象の総称。ここでいう思考とはごく単純なスイッチに過ぎない。プロセスの解明は1900年代を境に行き詰まり、研究発展は著しく遅滞した。アークソードとヴォーパル鋼の間に存在する因果関係、そして魔術的物質干渉に関するメカニズムの大半はブラックボックスとして捨て置かれたままだ。公的に用いられる形式的魔術も19世紀に考案された水平思考の賜物であり、電気技術のようなブレイクスルーとは無縁のまま今日に至っている。魔術にできることは、科学にはもっと上手くできてしまう。魔術書(グリモア)の多くが閉架書庫へしまい置かれたのは、危険性だけがその理由ではないのだろう。


 続いては、自分の身に起こった、突発的な魔術行使障害。今なお紅の弾丸(カーディナルバレット)をはじめとする広汎的基本咒式(プライマリコード)の行使に伴う頭痛と気分障害は継続していたため、州立病院での診察を予約するとともに、自主的に症例を調べてもいた。イシュタルの暮らすアパートメントへ駆けつけた際、バイタルマナ通電式のエレベータパネルが反応しなかったことを思えば、障害はあの日から表出したと言っていいだろう。マグダがラプチェフ氏を殴り飛ばし、イシュタルの伏せるベッドで睡魔に落ちて、それから頭蓋の砕けるほどの頭痛で覚醒してから。


 あの時感じた、おぞましいほどの悪感情。人が人を蔑み見下す、フランも己が胸中に浮かべた経験のある、唾棄すべき黒き侮慢の念。思い出すことすら憚られる、吐き気を催すようなものだけに、考えを巡らせるのも厭だった。


 これに関しても、専門知識に欠けていることもあってか、めぼしい収穫はなかった。思考に基づく電気信号の逆流による気分、意識障害についての前例もないわけではなかったが、フランのように日を跨いで障害が継続するというケースは見受けられなかった。こればかりは医師の見解を尋ねるほかなく、やきもきしながらフランは分厚い医学書を司書に返却した。


「取り付く島もなしかあ」


 黒衣の奇人たち――――七十年前の自由大陸同盟(FCA)なる組織の黒服に身を包んだ二人組についても、教科書的な知識までしか得られずにいた。


 エドゥアルド・ブロッホ、そしてエミリア・ハルトマン。


 二名の纏っていた黒服に近しいデザインに、FCA武装親衛隊総統警護団制服があった。勲章や細かなディティールに差異はあったものの、おおむねこのデザインを踏襲しているのであろうことは明白に思えた。しかし、肝心の二名の人となりについては分からずじまいだった。民間業者によって出版されたFCAに関する資料には、戦後に発生した組織的犯罪に従事したとされる逮捕者、確認されている死亡者の一覧が掲載されていた。しかし、学生の身で閲覧できるいずれの資料にも、両者の氏名は見当たらなかった。特にハルトマンを名乗った女性はヘルヴェチア人の外見的形質を持っていたため、七十年前のFCA全盛期より活動していても不思議ではないと踏んでいたのだが、その予想も空振りに終わった。この二名に関しては、ネルガルのデータベースを当たるほかあるまい。


「ネルガル……イルマに聞かないと、こればかりは……」


 昨日の今日で、それも猟奇殺人の第一発見者になった身の上で、この上犯人捜しの真似事をしていると知られて、良い方向に転がるはずもない。ただでさえおかしな鎌をかけられてから、顔を合わせづらいというのに。


 とはいえ、現状のフランには学内図書館と住まいを往復する以上の行為は難しいと言っていい。その住まいにしても、大学棟附属の宿舎へ一時的に身を移している状況だ。先日のリーゼの正論の通り、自分は自称FCAの二名に顔を知られてしまっている。理由こそ不透明であれ、二名の目的が義姉なのも、いまいち理解が及ばない。しかしアルマとの関連性を考慮すれば、フランが襲撃の標的にならない保証はどこにもない。州警察による警備強化の対象となった学校敷地から外に出るのは、どうしても危険が伴う。


 それでは、この件に関しては手詰まりかと言えば、フランは否であると思った。


 クルト・バヴィエール。


 エミリア・ハルトマンからの襲撃にあった寮のシャワー室で出会った、碧眼の美男子。彼の発言に、気になる節があった。


『ルームメイトを探してる。オレと同じ402号室のハインリッヒ・シュヴェーグラーだ』


『何て言やいいんだろうな。別れる一瞬だけ……ほんの一瞬だけ、とんでもない顔になった。歯茎を剥き出して、両目を鬼のように見開いてさ。それが、笑ってんのに気づいたのは彼が曲がり角の遥か向こうに走って行った後だったんだが』


 藁をも掴む気分で浮かべたのが、402号室に住まう二人の少年についてだった。ハインリッヒ・シュヴェーグラー、そしてクルト・バヴィエール。何らかの持病を持ったハインが、納魂祭のさなかに発作を起こしてはぐれた。以前いかにも血色のよろしくないハインを街中で介抱したことのあるフランにとって、その光景は想像に難くなかった。


 単なる邪推であるならそれでもいい、今はとにかく真実に近づく手がかりが欲しい。半ば勢いだけで402号室を尋ねたが、運悪く不在のようだった。しかし寮監に二名について尋ねたところ、ハインは17日の納魂祭初日から20日の本日に至るまでの三日間、寮の部屋に戻った記録が無かった。クルトに関しても同様に、在室を示すボードの名札が外出のままとなっている。


 個人的にクルトから借りた参考書を返却したいので、戻り次第連絡をしてほしい、そんな適当な口実を寮監には告げておいた。二名に対する関心は、この事実によってさらに高まったと言える。


 リーゼからの正論を交えた忠告をあからさまに破るつもりはなかった。


 ただ、それ以上に、何もしないまま安穏とベッドで大衆小説を読みふけっているつもりにもなれなかった。


 詭弁にも等しい弁解をさせてもらうなら、殺人容疑のかかっているマグダと接触するよりも、クルトを手掛かりに情報を収集した方が安全そうだと思ったからだ。彼もまた規則に対して誠実なタイプではないが、同居人を気遣って行動するその人格は評価に値する人間だろう。希望的観測が多分に交じった空論でしかないが、当面は定期的に402号室を尋ねてみることを考えていた。


 思春期特有の無根拠な全能感とは決別したと思っていたのに、それがただの驕りでしかなかったという自覚。それと同時に芽生えた、真実を追い求めるというアウトローな義務感。不謹慎ながらも、フランはこれを無為に一蹴することはできなかった。


 恐怖と緊張の狭間で高鳴る鼓動は、生真面目の過ぎる堅物として生きてきたフランをして、不思議と不快ではなかったからだ。

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