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カルネージルーラー  作者: 鈴堂アキラ
第一章~前篇~
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異界6

 アリオン広場西側の通りの中腹にあるT字路に差し掛かる辺りで、デュランは壁に背を預けては片足を上げ、幻影の指輪の効果で黒色のスポーツシューズの靴底に変化している素足の裏を、幾度か手で払う。

 泥やゴミがポロポロと石畳に落ち、汚れが取り払われたことを体感で感じ取る。次に石畳に置いたウイングブーツを片足だけ手に取ると、スポーツシューズに被せるように履いた。


 一番奥までしっかり履き入れると、ウイングブーツの外観は陽炎のように揺らめき、次第に黒色のスポーツシューズへと変化した。


「……装備はできるみたいだな」


 幻影の指輪は『防具装備を含む』外見を変化させる。ウイングブーツを履いた結果、幻影の指輪はこの行為を防具装備と判断したのだろう。


「俺の胴装備って全身装備と同じカテゴリだから、履いても装備には当て嵌らないと思ったんだが……そこら辺のシステムも変化してるのか?」


 デュランが現在装備している『神魔滅我の闘衣』は、胴装備でありながら頭・脚装備を含めた全身装備である。『クリエイト』のシステム上、一つの装備箇所に複数の武具を装備することはできない。

 しかし、幻影の指輪の効果が適用された事実に、そのシステムは破棄されているのは明白だ。

 仮にウイングブーツが脚装備ではなく装飾品として分類されていたとしても、装飾品は最大3つまでしか装備できず、現在3つとも埋まっている。


 もしウイングブーツを装飾品として装備しているとシステムが判断しているのなら、現在4つの装飾品を枠を超えて装備していることになる。

 装備箇所の拡張もしくは破棄。どちらにせよ、マジックポーチが幻影の指輪の適用外であることは、デュランの腰の部分に目を向ければ一目瞭然。

 幻影の指輪の効果が適用される装備は、あくまで頭・胴・脚の防具装備のみであり、装飾品は適用外。ならばウイングブーツが幻影の指輪の効果を受ける筈がない。


「装備の仕方も現実に沿っているのか? なら、重複で装備するのも可能なのか?」


 重複装備が可能ならば、装備の方向性によっては一点突破の性能を叩き出せる可能性が秘められていた。


「どっかで落ち着ける場所を探して、腰を据えて検証しないと駄目だなあ」


 もう片足のウイングブーツを履き終え、その形状が陽炎となって変化するのを見届けると、爪先を石畳に幾度かトントンと軽く突く。

 次にウイングブーツの効果の程を確認するため、数歩だけ足を動かす。それだけで変化は即時に体感できた。

 まるで動く歩道の上を歩いているような感覚。ウイングブーツから発生する風の後押しによって、歩く速度が僅かだが確かに上昇しているのを、肩で切る風の感触で理解したのだ。


「足が軽い! それに単純に移動速度が上がるだけじゃなくて、蓄積する疲労も軽減できそう!」


 素足と靴の間にはクッションのように柔らかい風の渦が生まれ、足全体を優しく包み込む。

 蒸れ予防も兼ねた風の中敷きの心地良さに、顔の筋肉が自然と弛む。


「成る程……これが現実世界のマジックアイテムの効果か。確かに理に適ってる」


 ゲームの世界では脳の疲労はあれど、足や手などの肉体全体の疲労は皆無だ。

 アバターが地平線の彼方まで強行しても、敵との闘いに明け暮れても、アバターは所詮創り物の肉体。実在しない肉体を幾ら酷使しようとも、疲労で使い潰すことはない。


 疲労を知らぬ仮想の肉体に、疲労軽減・回復の効果を付与したところで意味が無い。しかし、現実はそうはいかない。

 疲労は蓄積するし、無理を通せば潰れることもある。それが現実だ。


 このウイングブーツが現実・仮想両方に存在していたとしても、その効果は歴然とした違いがある。

 このウイングブーツの効果には『移動速度小上昇』がある。ゲームでは移動速度が若干上昇し、掛ける時間の短縮になるが、現実では其処に明確な理由が存在する。


『移動速度小上昇』を現実として付与させる場合、製作者はどう考えるか。

 前提として風の魔法の効果を用いて速度を上げるが、それだけではなく如何にして利用者の疲労を軽減して、より遠くまで歩けるようにするかも重要だ。


 単純に移動速度が上昇するだけなら、馬車を使った移動で十分に事足りる。しかし現実世界でのウイングブーツの用途は、旅の補助にある。

 旅をする以上は、足に蓄積する疲労は避けられない。移動速度が上昇しても、蓄積する疲労が変わらないのなら長距離歩行は至難である。

 他にも防水、通気性、耐久性も考えなければならない。


 結果として、現実世界のウイングブーツは『移動速度小上昇』以外にも、利用者のことを考えた様々な付与が追加されているのだ。

 効果だけの仮想マジックアイテムとは違う、現実の――本物のマジックアイテムの実用性。

 既知が未知に変わる乖離に戸惑いはあるが、それ以上に本物のマジックアイテムを得た喜びに気分はさながら、長靴を初めて買い与えられた子供のようだ。水溜まりの代わりに道が延々と続くなら、何処までも歩いて行きたい心境である。


「売ってくれたロアに感謝しないとな。なんか、昔からの友達みたいで話し易いし、その前の人も気さくな感じだったし、いい人が多そうな町だよ、此処」


 他人との関わりに一線を引いているデュランではあるが、最初に遭遇した二人の門番を除いても、活気ある街並みと人の良さに好印象を懐いていた。

 それこそ、当面の拠点として腰を落ち着かせてもいいと思える程に。


「――さて、どうするかな。日も暮れ始めてきたし、宿泊場所を確保しないと。今どの辺りだ?」


 キョロキョロと周囲を見渡すが、時折馬車が往来する以外に人は殆ど通らない。

 当然と言うべきか、だからこそと答えるべきか、ウイングブーツを履くためにわざと選んだ通りだ。

 人が煩雑するアリオン広場では、幻影の指輪で創り出したスポーツシューズの上にウイングブーツを履くという、異質な光景を見せることになる。

 最悪の場合、陽炎のように変化する瞬間も目撃され、人間の姿が幻影で創り出した外見であることを看破される可能性もあった。


 この世界の魔法精度がどれほどの水準なのかは不明だが、だからこそ『アビス』内で最高レベルの幻影すらも見破られる可能性があったのだ。

 慎重――というよりも、自身が井の中の蛙であることをウイングブーツの一件だけで十分理解したための最低限の注意である。


 結果として人通りの少ない場所を探して辿り着いたのだが、土地勘が無いために変な場所に迷い込んだ不安と、また面倒事に巻き込まれるのではないかという後ろ向きの予感に、先の浮かれ気分が鳴りを潜めてしまった。

 広場に一旦戻る選択肢が脳裏を過ぎったが、周りの建物はどれも豪奢で、石畳も大して汚れていない。少なくとも汚い・変といったマイナス要素を連想させる場所ではなかった。


 もう少しだけこの通りを散策してからでも、広場に戻るのは遅くないと判断したデュランは、通りの奥へと向かって歩を進める。

 慎重な考え方とは真逆に足取りは軽く、ウイングブーツが生み出す風に普段より速度が増す。

 周囲の建物は一つ残らず立派な構えであり、疎らだが道行く人々の装いも広場で溢れていた冒険者と違い、特権階級さながらの気品を感じさせる。


「これがこの町の一般的な生活――な訳ないよな。ロアは俺のことを『貴族』と呼んだけど、彼等のことか?」


 未だに町の住人と思われる人々を殆ど目撃できていない。この町は貴族が占める町なのか、あれは貴族風なだけで住人の一般的な装いなのか、今のデュランでは判別が付かなかった。

 疑問符を浮かべつつ宿泊施設を探して彷徨っていると、今まで道筋に従って歩いていた通りの先に、T字路に別れた岐路が視界に入る。


「ん? 別れ道?」


 T字路の中心に立ち、このまま真っ直ぐ進むか、左に曲がるか、両方の道の先を見詰めては迷う。

 しかしそれは僅かの時間。左の通りは比較的に大きく整備され、奥から人や馬車の姿が確認できる。

 多くの店が本日閉店となって閑散となり始めた先の広場と違い、未だに活気が満ち溢れていることから多くの店が開店中であるのが遠目からでも容易に予測が付く。


「あっちの方が人が多いな。……行ってみるか!」


 もしかしたらお祭りかもしれない。宿泊施設も有るかもしれない。

 それらの可能性に意気揚々と左へ曲がり、活気の元へと向かって歩を進める。


 賑わいの声が、一歩踏み締める度に大きくなる。周りの建物には宿泊施設と思われる建物が一軒二軒と増えていく。

 疎らだった人の数は、群集となって塀に囲まれた広場に密集していた。


「6300!」

「6500!」

「6850!」


 広場の入り口へと到着したデュランは、異様な熱気と共に数字を連呼する人々が視界に入った。

 彼等は一様に熱に浮かされたように、集まる視線の先にあるその一つを求めて声を、額を上げる。

 その視線と声の先にデュランも視線を沿わせる。


 僅かに息を呑んだ。彼等が競りに賭けていた商品の正体を知り。

 考えを改めさせられた。あの気さくなスキンヘッドの露店商人が、今し方に競り落とした商品に欲望が灯った目を向けていた事実に。


「なんだ……これ……」


 疑問を口にしながらも、脳は瞬時に理解していた。

 この光景は正に絵に描いた現実。

 この国の縮図を顕現化した常識。


 もう一つの広場で行われていたのはオークション。競りの商品は『人間』と言う名の物品。

 渦巻く熱気は、人の尊厳を踏みにじり自由と可能性を摘む罪渦。


 張り上げる声は支配者たちの狂想。

 無気力なまでの絶望は虐げられし者たちの葬送。


 檻に閉じ込められた何十人にも上る奴隷たち。その生気が失せた瞳を覗き込んでしまったデュランは、夢遊病者の如くフラフラと奴隷市場の中を進む。

 そこかしこに進行する人身売買。群がる人々の合間を縫うように奥へ奥へと誘われる。


 そして、叫びが――つんざく。


「いやああっ! もう解放してっ!!」


 叫びに応じるように視線を、身体を咄嗟に向けた。

 奴隷と思われる身なりが貧しい女性を、気品ある仕立てを着こなす男と従者たちに馬車へと押し込まれている瞬間である。

 その隣の馬車では、年端も行かぬ少女が枯れた涙の痕を残して、呆然とした表情のまま髭面の男の馬車に押し込まれていた。


「くっ……!」


 今すぐにでも駆け付けて、救世主さながらに救い出したい衝動が先走るが、理性が冷静に押し止める。


 それは偽善だ、と。


 それでも駆け出したい心境は、決してヒロイズムやエゴイズムに酔ったからではない。奴隷たちの絶望に浸された表情が、己の過去を重ねてしまったが故のやるせない憤りと、虐待者への怒りによるものである。


 デュランは人見知りの上に引き籠もりである。その要因として根底に根付いてしまっているのは、対人への不信と恐怖。

 詰まりは奴隷と同じ虐げられる者であったという過去。いわゆるイジメ被害を受けていたのだ。

 性悪説がイコールとなる、人間という存在への価値観が構築されたデュランにとって、人間とはすべからく悪を求める生き物であり、他者を虐げる者は例外なく悪であるという考え方である。


 この奴隷市場をデュランの価値観に基づくならば、悪の権化以外に有り得ない。

 早急に奴隷たちを解放したい。しかし、それは偽善であることも十分に理解していた。


 理由を端的に表すなら、情報が少ないのだ。


 デュランは虐待者を悪と定義するのとは別に、為した行為に対して『己が為した行為に代価を払うのは当然』とも考えている。


 もし此処にいる奴隷たちが、己の為したことへの代価として奴隷になったのなら、思う所はあっても関与はしない。デュランはあくまでも、己が定義した在り方に従って行動を決めているのだ。


 だから手が出せない。此処で在り方を曲げてしまえば、ただの無法に成り下がる。

 虐待者たちを悪と定義しながらもそれでも手が出せない状況に、苛立ちを拳に集め必死に握り締める。


 同時に妄想にも等しい願いを想い描いた。

 仮に、奴隷たちが不当に傷付けられる局面に立ち会えることができれば、躊躇いなく解放のために闘える。今のデュランならば、それがいかに容易いことか。

 もしもデュランに匹敵する存在が現れたとしても、奴隷の解放を手早く終わらせれば、圧倒的な脚力で逃げ切れる自信があった。


 だが、これはあくまで妄想。代価とはいえ、不当に虐げられなければ己の大義名分が立たない。理想とする自分自身の生き方を貫けない。

 衝突する2つの想いは、デュランを途方へと暮れさせた。

 奴隷を乗せた馬車が走り去るまで、自身が定めた生き方が枷となった事実に、罵詈雑言を内に虚しく当てるしかできなかった。


「くそ……居心地ワリィ……」


 頭をガシガシと掻き毟り、適当に歩を進める。とにかく人の少ない場所を目指したかった。

 先程の奴隷市場の出入り口には、此処での買い物を堪能した貴族や商人たちが群がるように帰路へとつこうとしている。

 現在の心理状態で、あの群集に紛れて広場に戻る気分にはなれず、近くにいることさえも耐え難かった。


 別の出入り口を探して歩く以上、必然と奴隷市場の更なる奥へと進むこととなる。

 そして進めば進むほど、檻に入れられた奴隷たちの外見は栄養が欠乏した者が増えていく。

 進む度に変わり果てていく奴隷の外見に、先のT字路付近で口に出した言葉を思い出してしまった。


 ――いい人が多そうな町だよ。


「……この現実を知った上で、あんなに気さくでいられるのかよ。楽しそうにしてられるってのか……!」


 この奴隷市場に辿り着くまでに、デュランの横を通り過ぎていった人々の表情を出来る限り思い出す。

 彼等は何処にでもいる観光客のように楽しそうで、市場の露店を面白可笑しく覗いていた。

 接客していた店主店員は皆、快活に客の相手をしていた。


 ――そのすぐ近くで、同じ人間が物として売られていたのに、だ。


 もちろん、デュラン同様に何も知らずに買い物や接客をしていた人々もいたかもしれない。


 それでも、あの気さくだったスキンヘッドの店主が心底から愉しげに同族を買い上げていた姿を目撃してしまったことが、この町にいる人々への不信の種となる。

 あの広場で多くの者が浮かべていた笑顔は、この事実を認識した上でも作れる非情な笑顔であったのかと、誰かに問い詰めたい衝動が込み上げてくる。否。誰かに、ではなく、あの親しみの持てる青年ロアに、だ。


 あの笑顔も、この現実を当然と受け止めた上で作れるものなのか。裏切られたような想いと共にぶつけてやりたいとただ想いを募らせる。


「なあ……ロア。お前も、これが正しいと思っているのか? 時代がそうだから仕方無いのか? これがこの国の、この名も知らない世界の正しさなのか? それで、納得できるのか? それを問われて、それでもお前は笑っていられるのか? 異世界だからって俺は、割り切れないよ……」


 正義が、常識が、法が、善が、誰かを救う力とはならないことをデュランは理解している。そして、デュラン以上に奴隷たちが理解させられている。

 耳障りの良い言葉は、所詮耳障りの良い言葉かざりでしかない。


 理想が夢物語と同じように。

 理論が空論と同じように。

 夢が妄想と同じように。


 言葉は所詮、空気の振動によって伝わる音でしかない。

 意味を持たせることは出来ても、中身は空っぽのまま。記録に残さなければ、すぐに風化し、霧散する曖昧の典型。


 だが、言葉以上に人を惑わせる罠は無い。

 溢れんばかりの金銀財宝も、神の御前で誓った愛も、生まれながらに持つ権利も、たった一言で失うこともあるのだ。

 奴隷とは正に、言葉によって失った者の総称とも言えるだろう。

 権力を行使するために言葉を使い、買い上げる金額を叫ぶために言葉を使い、処分させるために言葉を使う。


 そして今、言葉の犠牲となった者の成れの果てを、デュランは直視する。

 眼前には開け放たれた門。大きさ自体はストランダー街門と比較して半分程度しかない。

 デュランが目を惹いたのは門の左右に置かれた、三面を天幕で被せられた2つの檻。残る一面から覗くその中身。


 一目だけでは理解できなかった。

 瞬きをして、薄暗い中身を見据えて――息を呑む。


「……嘘、だろ……?」


 喉が張り付いた感覚。一言を絞り出すために幾度か固唾を飲下した程だ。

 腐臭すら漂う檻の中身に足は無意識に、だが恐る恐る歩を進ませる。


「これが、こんなのが……!」


 見間違いであってほしかった。ただのゴミだと理解したかった。そして、それは確かにゴミでもあった。

 檻の中に敷き詰められるように転がっていたのは、ゴミと見紛う『人間』であった。


 あってはならない現実。同族に扱ってはならぬ仕打ち。尊厳を踏み躙るとはこのことだと言わんばかりに、この檻の中の人間だった生物は、身体と心を破壊されていた。一目で理解できる程に壊れ切っていた。

 常人ならば、これは死体の山だと思うだろう。案の定デュランも同じ考えであった。声が、聞こえるまでは。


 呻き声。気の所為だとして傾聴を断念する程に、それはか細い呻きであった。

 だが聞こえた。透明化された人外の耳が確かに捉えたのだ。

 言葉として形を成さずとも、救いを求める悲痛の呻きにデュランは返す。


「誰か生きているのか? 何処にいるんだ!」


 シンと静まり返る。先程の呻きも聞こえない。腐臭に似た臭いが漂うだけのゴミ捨て場に戻った檻の中を見据え、呻きの発生源も特定できず、気の所為だったと肩を落とす。

 誰も生きてはいない。この考えで結論としようとした直後、開け放たれた門の奥から声が張り上がる。


「其処で何をしている!」


 上がった声の方角に顔を向ける。佇んでいたのは4人の兵士。

 外見の装備は先に会った2人の門番と同じ、盾の前に交差した二振りの剣の刺繍が縫い付けられた帽子を被り、鎖帷子くさりかたびらの上に皮の軽装鎧を着込んでいる。

 唯一違うのは、鉄でできた槍の代わりにロープを握っているところだろう。


 彼等は敵意を持った鋭い視線をデュランに浴びせ、再び質問を投げ掛けた。


「聞こえなかったのか? 其処で何をしていると聞いたんだ!」


 だがデュランは答えない。代わりとして返したのは、敵意にも似た静かな怒りである。

 当然として4人の兵士の表情は、より険しいものへと変化する。舌を打ちながら警戒心を持ってデュランの傍へと近付こうと距離を詰める。

 一触即発の状況下、制したのは新たに現れた5人目の声である。


「やめないか!」


 たった一言で、4人が剥き出した敵意を抑え込む。

 兵士たちは左右に分かれて道を開け、彼等の背後から現れた人物に敬礼する。

 2人の兵士を供とした恰幅の良い40代の男。贅肉を蓄えた顎を撫でつけて、デュランの眼前まで歩み寄る。


「彼等が失礼した。私はこのアークストン市場の総支配人である、ルードマン・イア・アークストン。爵位は男爵。以後、御見知り置きを」


 丁寧に一礼するルードマンと名乗った貴族の所作は、デュランが想像していた貴族像とは懸け離れた礼節ある対応だ。

 呆気に取られたデュランに介さずに、続けて言葉を紡ぐ。


「御客人。ここにある商品は廃棄処分品ばかり。まともな奴隷をお探しなら戻っていただくか、明日にまた訪れていただきたい」


 あくまで丁重に、礼儀を持って対応する。ある意味、商売人の鏡と言えるだろう。

 失礼の無い接客だ。敬語ではないところは、この国の時代背景が由来だろう。

 一般の客なら此処で踵を返す。非合法を求める客なら商談に入るだろう。

 しかし此処にいる人物は、そのどちらでもない。故に取るべき行動は決まっていた。


「……あなたは此処の支配人、ですよね」

「如何にも」

「この奴隷たちは、何故こんな風に?」


 支配人ならば、檻に入れられた彼等が何故、死体のような風貌と化しているのか把握していても不思議はないと考えた。

 奴隷とはいえ、奴隷商人からすれば商品である。通常ならば有り得ない扱いであった。


 デュランの問いにルードマンは「ふむ……」と口に出し、少し考え込む素振りを見せる。視線は下を向けつつも、デュランの全身を舐め回すように見詰め、最後に視線をデュランの瞳に合わせて答えた。


「……彼等は病気なのだよ。それも現在の医療では治せない程の」

「だから檻に閉じ込めると?」

「そうだ。逃げ出した先での二次被害を防ぐために仕方なく、だ。私も辛い判断だよ」


 かぶりを振る仕草で遺憾を表しているが、何処かズレた印象を受ける。


「彼等はどうやっても助けられないのですか?」

「言った筈だ。現在の医療では治せないと。金を幾ら積んでも解決できない難問だ。……少々失礼。お前たち、続けろ」

「はっ!」


 ルードマンの催促により再び動き始めた4人の兵士。2つある檻の片方に集まり、2人は手にしたロープで檻をグルグルと縛り、残りの2人は御札のような紙切れを檻の下部周辺に貼り付けていく。


「あれは何を?」

「ああ、あれは檻を移動させるための準備だ。中の奴隷たちは喋ることも動くこともできないからな。こうして檻ごと移動させる」

「まるで荷物だ……」

「そうだな。邪魔な荷物だ。だが、これであの奴隷たちを救ってやれる」

「救う?」

「救いだ。これからあの奴隷たちは、不治の病に侵された身体を捨て、天へと還る。苦痛も嘆きもない、天の世界にな」

「天の……世界」

「奴隷たちの望む世界だ。感謝の念を持って昇天するだろう」


 ルードマンの視線の先にある檻は、貼り付けられた御札の効果でふわりと宙に浮く。縛ったロープの先を4人の兵士が引っ張り、門の奥へと向かって進んでいく。


「私も仕事に戻らねばならんので、これで失礼する」


 背を向け、門の奥へと歩き去ろうとするルードマンの後ろ姿に、デュランは意を決して質問を投げ掛けた。


「一つ質問が!」


 ピタッと歩みを止め、振り返るルードマン。眉間に僅かだが皺が寄っていた。


「……何かな?」

「あなたは……同じ人間を奴隷として扱うことに抵抗は無いのですか?」

 ロアに問い質したかった内容とは異なるが、込められた意味は同じである。同族を不当に扱って心は痛まないのか、と。


 問いを投げ掛けられたルードマン。その表情は可笑しな物を見る、事情が飲み込めないものであった。


「御客人は……可笑しなことを聞くのだな」

「可笑しい?」

「可笑しいとも。奴隷は犯罪者が堕ちる身分だ。それを扱うことに抵抗を覚えるとは……あなたはこの国の人間ではないな」


 鼓動がドクンと高鳴る。国外の人間であることを見抜かれたことではなく、ルードマンの目つきが獲物を狙う肉食獣さながらに変貌したことだ。


「黒髪……セダルシナか? 服装は見慣れぬが腰の物は……若さもあるし、旅人なら……」


 ブツブツと呪文を唱えるように、視線をデュランの全身に釘付けにする。怖気が走る視線であった。


「……御客人。少々お話がしたいのだが、どうだろう?」


 両手を広げ、友好の意思をアピールするかのようにデュランへと近付いていく。

 供の2人の兵士も包囲するかのように距離を詰める。


 潮時。そう判断すると共に足を引き、全力で逃げようとしたその時。


「……たす、け……て……」


 救いを求める声を、確かに聞いた。

 ルードマンと2人の兵士も聞こえたのか、辺りをキョロキョロと見渡す。


「たす……け……て……!」


 幻聴ではない、掠れつつもハッキリと聞こえる、懇願にも等しい悲痛の求め。


「だ、誰だっ!? 何処にいる!」


 ルードマン含む3人は、発生源の特定できない謎の声に焦燥と恐怖が顔に浮かび上がる。

 しかしデュランだけは視線を、最後に残った檻の中へと注いでいた。


 先程、ルードマンと出会う前に聞こえた呻き声。あの瞬間、確かにデュラン以外の人間はいなかった。だがそれは、檻の中の人間が死体だと勘違いしていたからだ。

 今なら断言できる。あの呻き声は、檻の中の人間が発していたのだと。

 そして檻の中の人間は全員、喋れない動けないものと判断していたルードマンは、信じ難い光景を目の当たりにする。


 檻の中を染める闇が、ゆっくりと動き始める。

 それは僅かな変化だが、決して停滞することなく断続的に変化を続ける。


 そして夕陽が染める鉄格子に、枯れ枝のような指が触れた。


「……たすけて……」


 2人の兵士は言葉にならぬ悲鳴を上げ、ルードマンは零れ落ちそうな程に目を見開いた。


「馬鹿な……何故、動ける。何故、喋れる。その身体で動ける筈が……」


 廃棄処分とされた奴隷が起こした奇跡と呼ぶべき行動に、ルードマンは脱帽し、そして怒りへと変えた。


「た……す……け――」

「何が助けてだ! ゴミの分際で、物の分際で! その身体で助かる訳がないだろ! 第一、誰が助ける? 誰も助けはしない! 助けられる訳がない!」


 無様に足掻く奴隷の姿に、物としての価値を失ったゴミに、嘲笑と侮蔑と憤怒が綯い交ぜとなって、今まで蓋をしていた本音を無意識にぶつけていた。


「そうさ、奴隷になった奴が悪い! 敗者が悪であると同じように、犯罪者は須く悪だ! それを奴隷として有効に使ってやっているんだから、感謝してもらいたいくらいだ! そして使い物にならなくなったのなら潔く処分されろ! これ以上、物に煩わされるのは懲り懲りなんだよっ! どいつもこいつも奴隷の分際で、物の分際で、商品として価値を示していればいいんだよ糞がっ!!」


 荒い息づかいとともに肩を上下に大きく動かす。膝に両手を当て、汗を流して動機を抑える。其処に――。


「……しに、たく……ない……!」


 物ではなく、人としての願いを唱える。

 骨と皮しかない腕を伸ばす。先に佇むのはルードマンではなく、デュランであった。


「たす……け……て……!」

「――煩わせるなと、言っただろうがっ!」


 ズカズカと大股で鉄格子に近付いたルードマンは、片足を上げては鉄格子の先にある腹部の辺りに向けけ突き出した。

 蹴りつけられた鉄格子の振動で仰向けに倒れそうになる奴隷だが、必死に鉄格子にしがみつく。

 其処に再び蹴りつけようと上げた足を――デュランは掴み上げ、払った。


「うおっ!?」

「アークストン様! 大丈夫ですか!?」

「貴様、よくも男爵であるアークストン様に狼藉を!!」


 尻餅を突き、デュランを怒りの形相で見上げるルードマンと、それを庇うように牽制の姿勢を構える2人の兵士。

 しかし、矛先を向けられた当人は振り向きもせずに、檻の中で鉄格子に寄り掛かるようにへたり込む奴隷に、デュランは問いを掛ける。

 ただ、一言を。


「生きたいか?」


 見上げる奴隷。照らす夕陽が、奴隷の素顔を晒す。

 色素が薄れた金色の長髪が夕陽の光を照り返し、土色に変色した死人の顔には、灯火の意志が翠玉色エメラルドグリーンの瞳に宿っていた。


 性別の判断すら難しい程に変わり果てた痩躯の外見だが、それでも僅かな胸の膨らみから女性ではないかと推測できる。

 彼女は、張り付いた喉を無理矢理こじ開け、最後の言葉を意志として返した。


「まだ……しね、ない……!」


 その返しに、目を見開くしかできなかった。

 生きたい、のではなく、死ねない。

 この死にかけの女性が望むのが地獄からの救済ではなく、何かのための延命であることを悟った瞬間、心の奥底から噴き出す正体不明の熱にデュランは明確な覚悟を決めた。


 感じたことのない、全身を滾らせる熱に誘われるまま、腰に帯刀した柄を握り締める。


「俺が――死なせない!」

「何をするつもりだ! 無駄なことはやめ――」


 キィンと鳴り響く金属音。

 既に抜き放った刀が朱の光を跳ね返す。

 変化は、直後である。


 天幕が被さった檻の上部は徐々にとズレ始め、加速度的に時が進んだかのように一気にずり落ちる。


「出入り口の部分だけ切るつもりだったんだが……まあいいか」


 土埃が舞い上がる。その常識外の結果に、ルードマン含む3人は口を大きく開け放ち、絶句のままに成り行きを見届ける。

 抜き放った刀を納めると共に、切り裂いた上部を難無く飛び越えて女性の前へと降り立つ。


 そして手を差し伸べ、優しく言葉を紡いだ。


「さあ、行こうか」


 夢でも見ていると思っているのか、呆然とした表情のまま見上げては水分が不足した唇を微かに開閉するだけ。

 僅かの時間が経過して、それでも掻き消えないデュランの姿に目を見開き、差し伸べられた手に枯れ枝の手をそっと重ねた。そして糸が切れた人形の如く、寄り掛かるように倒れ込み、持ち堪えていた意識を手放した。


 彼女をそっと抱き寄せ、両手で優しく抱え上げる。次に周囲を見回した。

 他の奴隷たちは皆、死体のように動かない。救いに縋ることもせず、死を受け入れた者たちが転がっている。

 終わりを受け入れた彼等に対して最早、差し伸べるものは無い。代わりとして黙祷に近い別れを内に告げ、背を向けては檻の出入り口を蹴り壊した。

 そのまま歩み去ろうとするデュランに、這々の体で立ち上がったルードマンは声を張り上げる。


「ま、まて! その奴隷を置いて行け! それは私の奴隷だ! 勝手に持ち去ることは許さんぞ!!」


 震える指先を突き付け、怒りを表した形相で叫ぶルードマンに対して、振り向いたデュランの顔つきは瞳孔が開いた冷酷な眼差しが中心となって広がり、冷たい憤怒を露わにしていた。

 初めて人に向ける本気の殺意。

 ルードマンもまた、本気の殺意を初めて正面から受け止めた。


 見る者に死を連想させる殺意は、ルードマン含む3人の動きを完全に停止させるだけの効果があった。

 これ以上の動きがないことを悟ると、再び歩みを再開する。

 其処に、ルードマンが再び声を張り上げる。


「ど、奴隷の誘拐はアタラティアの法によって禁じられている! このまま攫うというのならば、我らアタラティア皇国そのものを敵に回すことになるんだぞ! 分かっているのか!?」


 その言葉に足を止めたデュランは、軽い溜め息を漏らしては踵を返してルードマンの許へと歩み寄る。


「そ、そうだ。たかが奴隷一人のために国を敵に回すなど馬鹿でもしない。当然の判断だな!」


 勝ち誇った表情を浮かべつつ、奴隷を渡せという意思表示の手を差し出す。

 先程までの恐怖におののいていた時とは打って変わって、余裕に満ちた堂々とした立ち振る舞いでデュランを見詰め――絶句する。


「国を敵に回す? 上等。この国の味方なんざこっちから願い下げだ」


 放たれる人とも思えぬ暴威への恐怖もさることながら、ルードマンにとって全てが常識の外である。頭が狂っているとしか思えない、蛮勇の言葉を実際に吐く愚か者が実在したことに、それが目の前にいる現実に二の句が告げられずにいたのだ。

 身体中がビリビリとした謎の刺激に見舞われるルードマン。其処へデュランは追撃を掛けるように宣言する。


「お前の国の王に言っとけ。俺に喧嘩売ったら国ごと潰すぞってな」


 言い終わると共に膝を僅かに曲げて跳躍する。近くの檻などを足場にしては壁を、崖を飛び越えて町の外へと消えていった。

 残された3人は、デュランが消え去った方角を見上げるばかり。

 次第に我を取り戻したルードマンは、膨れ上がる激情を爆発させた。


「――お、追えぇ!! 駐留部隊を総動員して追い掛けろ! 皇国の威信に賭けて絶対に捕まえるんだ! 無理なら殺しても構わん! 絶対に逃がすな。奴隷を取り返せっ!!」

「了解しました!!」


 追跡の指示を大声で与え、受けた2人の兵士はすぐさま駆け出した。

 1人残ったルードマンは、腑が煮えくり返る程の怒り歯軋りで押さえ込み、自身も駐留部隊が待機するストランダー街門に向けて走り出した。


 人物紹介その4

 ルードマン・イア・アークストン。


 性別男性。年齢43歳。爵位男爵。独身。

 一族は貿易商を生業としており、これといった特筆すべき点はない平民の家系である。


 変化はルードマンの代で現れた。廃業寸前の一族を立て直すために扱う業者の少ない奴隷業に転向する。

 持ち前の商才と、奴隷商人の少なさから売上は右肩上がりとなり、更に他ではやらないような奇抜なアイディアでシウスの注目を得る。


 男爵の爵位を賜ってからも以前と変わらず慢心することなく業務に励み、ノワールの奴隷市場の命名権利をシウスから譲り受けることとなる。


 元々は奴隷に対して一般的な価値観を持っていたが、奴隷業への転向と貴族としての意識改善を図った結果、奴隷イコール商品の見方が完全に定着し、同族を貶める行為に否定的な感情が消え失せてしまった。

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