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カルネージルーラー  作者: 鈴堂アキラ
第一章~前篇~
3/21

異界1

 ――闇。

 光一つ存在しない、黒点の如き無限の闇の彼方。

 彼我の境界が曖昧となる、全一の次元。

 まるで波立たぬ水面。其処に。


(――――ここ……は……?)


 僅かな波紋が生まれた。


(――俺は……死んだ……?)


 徐々に、終焉の記憶と共に自我が確立していく。


(記憶……そう、俺は闘っていた。何のために? 死ぬために?)


 全一から単一へと意識が再形成され、押し寄せる記憶は濁流に呑み込まれる感覚に似て、人格が虚無から切り離される。


(名前……俺の名前……そうだ、名前。俺の名は――)


 闇の彼方に一点の光。次第に黒を塗り潰すように、光は闇を消し去った。


 ◇


 鼻孔をくすぐる、濃厚な緑の芳香が漠然とした意識に刺激を与える。

 最後に嗅いでから久しい、木々の香気を勢い良く肺に流し込み、ゆっくりと吐き出す。

 閉じた瞼越しから見える光が、現実を直視する恐怖を落ち着かせる助けとなった。

 閉ざされた瞼をゆっくりと開け、光を受け入れる。


 眩しい。


 ぼやけた世界が広がるが、次第に視力が安定し、クリアな世界へと像を結ぶ。


「――此処は? 現実……なのか?」


 見渡す限りの緑の草原が途切れることなく広がり、木々が至る箇所に点在していた。


「何処だ? 夢? それともあの世か」


 困惑が隠せない現状に、動物すら見当たらないことへの孤独感。

 もしかしたら、この世界には自分しかいないのではないか。そんな考えが混乱の極みに届きそうな脳裏に過ぎる。


「俺だけとか、この状況、どういうこと? 気付いたら見知らぬ土地とか、異世界転移の小説かよ。……駄目だ、全く考えが纏まらん」


 死んだ。そう悟った筈なのに、再び意識を取り戻したら「此処は何処?」である。「私は誰?」にならなかったのは、不幸中の幸いだ。

 理解し難いこの状況に少しでも把握に努めようと、鮮明になったばかりの脳をフル回転させるが、どうにもモヤモヤとなるばかりで、ついつい頭頂部をカリカリと掻いてしまう。


 掻いていた指に『何か』が当たり、その『何か』はピクンと動いた。


「…………ん?」


 若干のくすぐったさを感じたそれに、壊れ物を扱うような慎重さで、指の腹でこするようにつまむ。


 くすぐったい。


 次はもう少し強くこすってみる。髪の毛の質感とは違う体毛が生えていた。風呂上がりのように手触りが良い。

 続いて押してみる。簡単に凹んだ。離すとすぐに戻る。

 全体を弄ってみる。全体像が段々と脳裏に描かれていく。同時に、触っている位置から程近い位置で、ピクンと『何か』が動くのを感覚として理解した。


 両手で二カ所同時に触れてみる。左右共に全く同じ、上に向かって尖った形をしていた。


「まさか……いやしかし、そうだとしても感覚までは無理だぞ……」


 そんなはずはないと自分に言い聞かせながら、それでも弄り続けると感じるくすぐったさに、臀部の辺りがゾクゾクした。同時に、臀部付近で『何か』がくねりと動く感覚がある。

 神経が通っているかのような生々しい感覚に、背中に少しばかりの冷や汗を流しながら、自分の身体がどうなってしまったのかを確かめるために、動くその『何か』を優しく掴む。


 こするように軽く上下に動かすと、まるで細毛のようにサラサラとして、握るとフワフワとする気持ちの良い柔らかな手触りの物体が、臀部から長く垂れていた。


「まさかと思うけど、コレって……」


 急いで辺りをキョロキョロと探す。とにかく姿見が欲しかった。

 続いて周囲をぐるりと見渡すと、手近な場所に湧出した湧水でできた小さな川を見つける。

 すぐさま近寄って四つん這いにしゃがみ、恐る恐る水面を覗き込む。

 青空を背景にして映っていた自身の姿はある意味、とても馴染み深かった。


 頭部には犬や狼をイメージさせる、長く尖った獣の耳が生え、水面の端に僅かばかり映っていたのは、銀毛に覆われた尻尾の先端であった。

 黒色だった髪の毛は、見覚えのある煌めく銀色へと変わり、瞳の色も黒からこれまた見覚えのある藍緑色アクアマリンに変化していた。

 何より三枚目だった顔が、またまた見覚えのある超絶美形に様変わりしてしまっていたのだ。


 改めて見直してみると、この美形はやり過ぎだと今だから思う。もう少し抑えれば良かった。


「…………マジかよ。俺の身体、デュランのアバターのままだ……」


 驚愕と呆然と今だからこその羞恥に、思考も身体も完全に停止してしまった。

 死んだと思ったら見知らぬ土地にいて、身体がゲームのアバターのままという、荒唐無稽の超展開に現実逃避を始める意識。


 どうなってるの?


 この一言が、逃避した脳内をグルグルと駆け巡る。

 帰って来るのに数分の時間を要したが、徐々に現実を再認識する。

 

 ――そして、吼えた。


「な――なん、じゃこりゃああああああああっ!!」


 跳ねるように立ち上がり、現実の身体と水面の身体を交互に幾度も見比べては、身体中をベタベタと隈なく触って確認する。

 手足には長い体毛が生え、爪は鋭利に長く白い。皮膚の下は頑強な筋肉の鎧に覆われ、何より感覚がある。


「ゲームの続き……だよな。じゃなかったら説明がつかないし。でも、こんなマップ作った覚えないし……そもそも、身体を触れて感覚があるってどういうことだよ!」


 VRでは、未だに感覚の再現はできていない。それでも、脳の誤認による『感覚があるという錯覚』によって、触った気分は得られる。

 だが、デュランが感じているこの感覚は、脳の錯覚と言い切るにはあまりにも生々しく、敏感であった。

 皮膚に僅かだけ触れたり、毛先を少し弄るだけでも感覚がはっきりと伝わる。それは、夢や仮想では感じ取れない、現実だからこその繊細な感覚であった。


「現実……なのか?」


 信じられない、有り得ない。その驚愕は表情に現れ、受け入れるにはあまりにも突拍子もない事実であった。

 水面にはゆらりとデュランの姿が映る。時が経っても決してそれ以外の姿には変わらず、驚愕の表情だけが少しずつ冷静を取り戻していく。


「そうだ、ホームポイント。此処がゲームならホームポイントが使える筈だ」


 ホームポイントとは『クリエイト』が用意した転移システムの一つで、ホームポイントを打ち込むことで、ホームリープを使ってその場所に転移することが出来る。

 但し、複数箇所に打ち込むことはできず、常に一箇所のみとなるので、新たにホームポイントを打ち込むと、以前のホームポイントが書き換えられてしまう難点があった。

 最後に打ち込んだ場所は、荷物の預かり所である。此処がもしゲームの世界なら、ホームリープでホームポイントに戻れる筈であった。


 そこに気付いたデュランは、すぐにでもと発動させる。


「ホームリープ起動」


 発動と同時に肉体が輝き、視界は歪む。

 物体の像はぐにゃりと捻れると四散し、一面が漆黒へと変わった。そこへ不安が突如として襲い掛かる。

 もう二度と、この闇から抜け出せないのではないかという、本能的に感じる恐れ。しかし、すぐにそれは溢れる光と共に収まる。


 再び瞼越しに光を感じ、ゆっくりと開ける。

 視界に広がる光景は、極めて見覚えがあった。


「此処は……さっきの場所?」


 目の前に広がる光景は、この世界で最初に見た光景であった。つまり、デュランが目覚めた最初の場所である。


「ホームポイントが変わってる……それとも初期化されてるのか?」


 口許に手を当て、自らが置かれた状況に対して沈思黙考に更ける。

 現在、自身が置かれている状況、『クリエイト』の別ゲーム内である可能性、今後の行動方針、様々な考えを巡らせるが、明確になる答えが何一つ思い浮かばない。

 それでも、不確かな現状を少しでも明確にするために、最初に『クリエイト』の別ゲーム内の可能性を確かめる必要があった。


「……取り敢えず、今のVRでは実現できないことから始めるか。先ずは――」



 片手を前に翳し、先にある大木の手前の地面に狙いを定める。

 もし、此処が『クリエイト』で創られた世界なら、地面に攻撃しても何一つ変化は起きない筈である。

 何故なら、『クリエイト』に限らず全てのVRのテクスチャは、イベントとして設定していない限り変化は起きないのだ。

 逆に地面に攻撃して、何らかの変化が起きた場合は、この世界は現実の可能性が高まる。


 翳した掌から円形の魔法陣が展開される。

 赤い魔法陣。

 火属性を示す低位の魔法陣を、本来なら数秒は掛かる詠唱時間を省略して展開させた。これは、デュランの特殊スキルの一つ『中位詠唱破棄』による結果だ。

 この特殊スキルは、デュランが設定した中位以下の魔法の発動に必要となる詠唱時間を、一瞬にしてゼロにすることができる。

 発動準備を整えた魔法陣の向きを微調整しつつ、最後に発動の鍵となる魔法名を告げる。


「〈炎閃弾/フレアショット〉」


 急速に魔法陣から膨れ上がり、赤く明滅する大砲の弾ほどある球体は、目標へと向かって発射された。

 狙い違わず大木手前の地面へと一直線に吸い込まれ、直撃する。

 爆音と共に破裂した炎球から発生した熱風の余波は、大木の表面を焼き、揺れ落ちた葉っぱは一枚残らず燃え尽きた。


 爆心地からは黒煙が立ち上るが、次第に霧散して結果が姿を現す。

 僅かだが、未だに黒煙が上る地面は、吹き飛んだように抉り取られ、土の欠片がカラカラと傾斜を転げ落ちていく。


 半ば予想していた結果とはいえ、実際に目の当たりにしたことで、若干の驚愕が顔に張り付いていた。


「……マジ……?」


 ノロノロとした足取りで爆心地へと近寄り、片膝を着いて抉られた地面に触れる。

 地面は余熱を帯びていたが、不思議と反射的に引っ込める程ではなく、焦げた表層の土を摘み、指先でこするとパラパラと落ちていった。


 VRでは決して再現できない質感と結果に、この世界は現実であると確信したのである。


「焦げた臭い……本当に此処は現実なのか? てことは地球の何処かにいるのか?」


 現実世界なのは確信できたが、此処が何処なのかという疑問が次に立つ。

 此処が異世界の可能性もあるが、それはあまりにも実感に乏しいため保留。

 先ずは現状を正しく認識するためにも、現在地がどの辺りなのかを確かめなければならない。


 再度、周囲を見渡す。先程までは自分の身体を確かめるために姿見の代わりとなる物を探していたが、今度は景色を観るように遠くまで視線を向ける。


 この一帯は自然豊かで、人工物と思しき建物は一軒たりとも発見できない。

 彼方に望む山間は、まるで地平線を薄い緑で塗りたくったように続いていた。

 次に空を眺める。大気圏に隕石は無く、斑な茜空ではない。水面に映っていたのと同じ――それ以上に澄み渡った青空であった。


 二度と拝むことはないと諦めていた青空を眺め――そこで人工物を発見した。


「……な、んだあれ……」


 それは雲海を穿つ超大の建造物。天に届けとばかりに山間の奥から屹立し、推定6000メートル以上に及ぶ、地球で建造中止となった軌道エレベーターを彷彿とさせる塔であった。


「あれ、塔なのか? あんなの、聞いたことないぞ。ここは……地球じゃないのか?」


 まるで完成したバベルの塔の如き威容に、驚きを通り越して呆気に取られてしまっていた。


「くそっ、本当に異世界なのか!? 展開が無茶苦茶だろうが! ああもう……とにかく見晴らしのいい高い所は……」


 もっと広い視野で周囲を確認したいと考え、見晴台として良さそうな場所を物色する。


「あの大木とかいいかな。取り敢えず、あそこから見てみるか」


 点在する木々の中に、一本だけ飛び出ている大木を発見する。すぐに移動を開始して、少しでも周囲の状況を確認したいデュランは、目的の大木に向かって駆け出した。

 ドン、とたったの一歩で空気の層にぶつかると、そのまま十数メートルを難無く飛び越えていた。


「速い……! ゲームの時より性能が上がってるんじゃないか! 全く疲れないし、この速度ならすぐに着ける」


 超人の動きを体感できたことに、その表情は子供のように嬉々としていた。


 風と一体化したような心地で低空を駆ける。

 次第に目的の大木が、自ら近付いて来ているような錯覚を受け、その実は地面に足を着けた回数がたったの十数歩で、一時間以上は掛かる距離を数分で踏破していたのだ。


 速度を殺さずに手近の枝に跳躍する。しかし、飛距離が予想以上に伸び、頂上に近い枝まで過程を飛び越していた。


「うおっとと。……うわぁ、こりゃ身体能力を測った方がいいな」


 下を覗き込み、改めてこのアバターの身体能力に驚愕と喜悦を覚えた。この感覚はまさに全能感である。

 人の身では決して味わえぬ、快楽にも似た感覚は愉悦感を心中で育む。


 にんまりとした表情で、先程まで足を着けていた大地を見下ろしていたが、すぐに本来の目的を思い出し、周囲を見渡す。


「これが……異世界」


 手付かずの大自然。その光景が延々と彼方まで続いている。

 雄大で、世界の広さを思い知らされる絶景は、先程までの愉悦感を消し飛ばすには十分であった。


「何かを本当に美しいと思ったのは、これが初めてかも知れない。何だろ……胸が高鳴る」


 大自然の絶景に心を打たれ、異世界定番の冒険に期待を馳せながら、ただただ見入っていた。


 ◇


 時間にして数分だろうか、十分な鑑賞時間を堪能した所で、不意に我に帰り周囲を見渡す。


「忘れてたぜ。とにかく町か何かを見つけないと指針が立て難いな。……あの塔は後で目指すけど」


 アバターの恩恵によるものか、人間の頃と比較して格段に強化されている視力でじっくりと細部まで眺める。

 だがそれらしいオブジェクトは発見できなかった。


「……見つかんねぇ。もっと高い所から見渡さないと駄目なのかな。ふむ……高い所か」


 視線を真下へと向ける。

 この場所から地面までおよそ30メートルはある。全力の跳躍ではなかったにしても、ここから更に30メートル近くまで跳躍できるのではないか。

 其処まで思い立ち、先ずは天辺を目指して跳躍することを決めた。


「天辺から跳躍すれば、もっと遠くまで見渡せそうだな」


 軽く膝を曲げ、跳ぶ。太く育った枝が跳躍の衝撃で大きく揺れた。

 飛距離の調整が狙い通りに上手く成功し、天辺に難なく登頂する。その場所から軽く数回だけ屈伸を行い、そのまま勢い良く真上へと跳躍した。


「よっと!」


 グングン高度を上げ、強くなる風に煽られ、髪や尻尾がバタバタと波打つ。

 約140メートル分の高さから眺める景色も、また絶景であった。

 目の前に広がる光景を楽しみながら、町や村を探す。そして、


「あれか?」


 広がった世界の先に、青い世界が現れた。海である。


 その海の上を、帆船らしき物体が幾隻も岩場から出たり入ったりと忙しい。

 更に岩場の上には住居らしき建築物が建てられており、岩場の隙間に繋がる陸路には、馬車らしき物体が出入りしていた。


「これはビンゴか!」


 自由落下に身を任せながら、次の目的地が決まったことによる喜びを、小さくガッツポーズで表現していた。


 3


 港町らしき場所を発見して三時間。

 町への出入りを管理していると推測される関所を、肉眼で確認できる距離の茂みで身を隠しながら、頭を抱えるのを堪えていた。


「……さて、どーすっかな。勇み足で近付いたのはいいけど、あの門番、人間なんだよなあ」


 愚痴を零しながら、開け放たれた門の前で雑談を交わす門番たちと、自分の身体を見比べる。

 デュランは人狼だ。外見は人間と酷似しているが、獣の耳と尻尾は隠しようがない。何より、彼等からしたらデュランの服装は奇抜だった。


 門番の服装は、鎖帷子くさりかたびらの上に皮の軽装鎧に身を包んでいる。

 手には鉄で鍛えられた長槍を携え、頭には国旗か所属を示す、盾の前を二振りの剣が交差した紋章が縫い付けられた帽子を被っていた。


「外見が人外でも大丈夫かなー。この服装も、変に思われないかな」


 悩めば悩む分、町に潜り込む自信が失っていく。

 潜入――ではないが、散策して異世界の情報を一つでも多く入手しなければ、今後の活動の指針が立てられない状況だ。

 現時点で判明している情報は、主に自分自身の情報である。現在に至るまでの三時間、可能な限り自分の身体やスキルを確認していた。


 外見に関しては、感覚がある以外に目立った変化は一つだけ。それは顔の表情である。

 表情は感情パーツで創られている。

 これは、ヘッドマウントディスプレイに内蔵されている、脳からの電気信号を読み取る機能を転用して、発信される電気信号のパターンを随時解析することで、顔のパーツをその時々の感情に応じて変化させることができる。

 当然ながら、『ディープシステム』を活用することで、用意されている感情パーツとは別のパーツを自作することができるわけだが。


 水面に映った驚愕の表情を見た時から、もしかしてと考えて道中の湖の湖面で、顔の筋肉を自在に動かせるか試していたのである。

 結果として、現実と同じように自在に変化させることができた。


 次に身体能力だが、跳躍力などあらゆる筋力が、以前と比べて遥かに上昇していた。

 この理由については不明だが、アバター作成時に記入できるデュランの設定に近い身体能力が発揮されているように感じていた。


 スキルに関してだが、アーツも含めて殆ど試せていない。直前までワールドイーターと戦闘していたので、回復系の魔法を幾つか発動させたが、肉体に変化は無かった。


 最後にシステム。ゲーム内では、視界の左上隅に体力と魔力のゲージが、左下隅には時計が表示されている。

 現在は、それらの表示は全て消滅し、現実世界と同じで視界はクリーンである。

 未だに検証不足は多々あるが、体力や魔力などの数値化が消滅している可能性が高い。あくまでも現実に沿うように、もしくは現実として認識できるように変化しているのだろう。


 その理由の一つとして、ステータス画面などが開かなくなっていた。その結果、パラメータの確認や機能の使用、魔法名の確認ができなくなってしまったのだ。


 本来、魔法発動の手順は二つある。

 ステータス画面からの選択が一つ。脳内で、発動させたい魔法名を強く念じ、詠唱時間終了と共に魔法名を言葉にすることで発動するのがもう一つ。

 発動させたい魔法名や効果を忘れてしまった場合の確認として重宝した、ステータス画面からの魔法選択が使用できなくなったのは相当の痛手――の筈だった。


 習得している魔法は100種類以上あり、特殊スキルやアーツを含めると膨大な量となっているにも関わらず、不思議なことにデュランはその全ての名称と効果を完全に記憶していた。

 普段から良く使用している魔法やアーツならともかく、一回しか使ったことがない魔法や、名称自体を忘れてしまったアーツを、この世界で目覚めた瞬間から全て記憶していたのだ。

 記憶力が高い訳ではないのに、完全に記憶している事実にデュランは、不可侵たる脳にまで変化が及んだことに戸惑いを見せたが、未だに変調や不都合を感じないのでこの問題は隅へと追いやっていた。


 これらが、現在判明しているデュランの状態である。

 システムから逸脱したことに関しては疑問が尽きないが、今は最優先としている港町への潜入が重要課題である。


「何か、役立つアイテムとかないものか」


 腰に装着したマジックポーチを覗き込み、何かないかと拡張されたポーチ内を物色する。

 とはいえ、マジックポーチに入れてきたアイテムの大半が回復アイテムで、それらは一つを残して全てワールドイーター戦で消費してしまっていた。


 あとはミョルニルなどの武具が少し。

 別枠として『アビス』内で使用できる金銀の通貨が、1万コイン納められているだけであった。


「うーん、何もない……ん? これは……」


 小さかったため見落としていたが、一つだけ鈍色に光る物品を発見した。

 取り出して眺めたそれは、目のような紋様と風を連想させる彫刻が施された、装飾が凝った指輪であった。

 探索スキルの一つ『鑑定眼』を発動させ、指輪を凝らして見詰める。

 淡く緑に光る瞳は、指輪の情報を脳内へと送る。


 脳内で表示形式に変換された指輪の名称を読み、落ち込みつつあった表情はみるみる内に明るくなっていく。


「間違いない、幻影の指輪だ!」


『幻影の指輪』


 最高位の幻影魔法〈幻影創造/ミラージュクリエイティブ〉を常に発動させる、極めて高価なマジックアイテムである。

 幻影魔法とは風属性の一つで、〈幻影創造/ミラージュクリエイティブ〉はアバターの外見を一時的に変化させる、いわゆるお洒落用のお遊び魔法である。

 この効果を装備者に永久に継続させるのが、幻影の指輪の効果である。


 ただし、デメリットも存在する。

 外見を偽っているとはいえ、外見に類似した種族別特殊効果の恩恵を得られるため、その代償として一部のスキルの効果低下や、体力と魔力を除く、全パラメータの大幅ダウンである。具体的には30パーセントダウンだ。


 デメリットの効果は大きいものの、これから――ある意味、危険地帯ではあるが――戦闘をするわけではないのであまり弱体化は気にしていないが、デュラン個人が危惧とする要因が別にあった。

 指輪に設定されている外見情報を鑑定眼で確認して、少し気恥ずかしそうな表情を浮かべていた。


「設定した外見、変じゃないと思うけど服装は浮きそうだな」


 外見データを変更するには、工房の機能の一つである装飾変更を使用しなければならない。

 工房には帰れない現状では、意を決して装備しなければならないのだ。例え、人混みで浮く服装だとしても。


「仕方ない。これしか手段が無いなら、装備するしかあるまい!」


 気恥ずかしさが決意を後退りさせるが、このままでは前進しないため、覚悟で決意を押す。

 幻影の指輪を左人差し指の付け根に装着した瞬間、デュランの身体は徐々に透明となり、代わりに濃くなる別の身体と重なるように、次第に人間の身体へと変化していった。



 人物紹介その1

 デュラン(人間)


 年齢23歳。性別は男性。出身は日本。独身で異性関係の免疫は少ない。

 内気で人見知りではあるが、勧善懲悪を好み、親切で人当たりが柔らかい好青年。


 物事に対して独自の価値観があり、特に罪や罰に対してはハンムラビ法典の同害報復に近い考え方を持ち、報いを受ける覚悟のないいじめや迫害等には殺意に近い感情を覗かせる。


 自己主張は少ないものの、我の強い性格で団体行動に強いストレスを抱えるが、協調性は高く率先して行動することで効率を上げることから、性格とは真逆の才能が目立つ。


 内気な性格が災いして、いじめの被害に遭う。結果的に人間不信に陥り、引き籠りを誘発する人格が構成された。表に出す性格は、不信や外敵から自分を守る自衛の役割を担っている。

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