チート設定のカタルシスを最大限に引き出す
今回は、目下大流行中のチート設定について考えてみようと思います。
チートとは、何らかの非正規な方法によって主人公が作中無双状態になること、とでも言いましょうか。
それは神の力であったり、ゲーム設定上の穴であったり、転生であったり、様々な要因によって引き起こされるものです。
このチート、もちろん戦闘シーンにおいても大いに効果を発揮する代物です。
しかし、使い方を誤ると読者を白けた気分にさせてしまうものでもあります。
たとえば異世界転生モノで主人公チート設定を採用したいとします。
さぁ、あなたはどのように主人公のキャラメイキングをしていくでしょうか。
チートとは何か。
まずはこれについて考えなければいけません。
物語上最強であるキャラクターに必要とされるもの、これを明確に思い描いていなくてはいけません。
ぼんやりと、何をやらせてもうまく行く上に戦闘ではなぜだかすごく強い。しかも最強の自覚がない。
こういったチート主人公、どこかで見たことありませんか?
僕はあまり好きになれませんね。
チートを用いるにもそれ相応の説得力が必要だと思います。
そしてこの説得力を生み出すためにも、まずプロット段階でよく練っておくことが重要です。
ここでもやはりプロットの話になるのです。
ただ、プロット作りは慣れを必要とします。
最初からいきなりカッチリしたプロットを作れというのは難しいでしょう。
物語を紡ぐ時、初期衝動に任せて一気に書きなぐる、というのは誰しもが通る道だと思います。
勢いのままに書いたものは、その時の自分の中の流行に左右されやすいかと思います。
ある程度までは、それでも書きすすめられるのです。
困るのは、この初期衝動が終わった頃です。
チート設定に関して言うなら、せっかく流行のチートを取り入れたものの、それをうまく料理できず、くすぶっている状態ですね。
こういう時に、どうしたらいいのか。
答えは実に簡単です。
チートを無理なく発揮する状況を作る。
これだけです。
このエッセイ的に言うならば、主人公がチートを遺憾なく発揮できるような戦闘シーンを作り出せばよいのです。
そのために必要なものは、魅力的な敵キャラクターと、仲間のピンチではないでしょうか。
チートというのは、いわば最終兵器です。
チート主人公が出てくれば物語は収束するわけですから、これを最初から持ってくるといまいち緊張感に欠ける画が出来あがってしまいます。
チートをうまく活かすためには、そのお膳立てをしてやらなければなりません。
仲間の絶体絶命の状況、そこで満を持して登場するチート主人公。
これをひとつの基本形として考えてみてはいかがでしょう。
と言ったものの、こういう展開は一人称では結構書きづらいと思います。
仲間のピンチを書くならば、出来れば視点は仲間のほうにあったほうがいい。
しかし、そうすると一人称のルールを破ることになる。
そもそも、仲間と主人公が近くにいない場合、どうやっても一人称でこの場面を書くことが出来ない。
このジレンマを突破するために、一人称多重視点を採用している書き手は多いですね。
つまり複数のキャラクターの一人称を場面ごとに切り替えるやり方です。
これのメリットは、多くのキャラクターの肉付けをしやすいという点に尽きると思います。
逆にデメリットは、複数の視点を行き来するややこしさと、物語進行を遅くして冗長な印象にしてしまう点でしょうか。
わかりやすさとスピーディなストーリー展開は、慣れないうちは重要視したい事柄です。
そのため一人称ならば、多少の不自由はあるものの、主人公単独視点を僕は推奨します。
あるいはいっそのこと、三人称という選択肢もあります。
本格的な戦闘シーンを志向するならば、断然こちらの方がやりやすいでしょう。
それに、チートという絶対的性能を有する主人公の内面にあまり踏み込むと、なんだか作品全体が安っぽい印象になることがあります。
探偵小説において、一人称の作品は数多くあれど探偵視点の作品がほぼ皆無であることの理由を、考えてみてください。
おのずと、チート主人公の内面を見せる行為の危険さが理解できるかと思います。
一見、やりやすそうに見えるチート設定ですが、思いのほか厄介な代物であると僕は考えています。
この作品、別に主人公チートじゃなくてもいいのにな、なんて思ってしまう時が多々あります。
チートで行くと決めたからにはしっかりとチートを演出すること。
チートがかっこよく見える状況を作ること。
なんとなくで、考えることを放棄してチート設定を採用しないこと。
しっかりとチートを作り込んでいる作品は、読後感が実にいいものです。
スカッとした爽快感を味わうことができます。
この感情こそが、チートの持つ効果だと思います。
流行に乗ること自体は、悪ではありません。
チートをうまく操って読者の憂さ晴らしを手伝ってやろうじゃありませんか!
~~sideという形式について
一人称多重視点の作品で時折見かけるこの形式、少し気になるのでここで取り上げてみます。
これはもっぱら一人称の視点変更の際に使われる文句ですが、一般的な小説のルールに照らして考えてみると、明らかに不要なものです。
ただ、頭ごなしにこれを否定するつもりはありません。あくまで一般的なルールには則っていないというだけのことです。
読者側にこの形式が充分浸透していて、かつ、これを挿入した方が物語の理解がしやすいというなら、使うこともさほど問題ではないでしょう。
ですが、あまり頻繁に~~sideが登場するような話ならば、一人称よりも三人称のほうがいいんじゃないかとは思います。
僕の作品の場合、登場人物が多く複数の人間が入り乱れる場面が頻繁にあるために、大抵は三人称で書きます。
~~sideという形式を取ろうかと考えている方は、一度、三人称での執筆も検討してみてはいかがでしょう。