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夢の中で  作者: 護道綾女


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第1話

「今になってそれはないだろ……」

 城島健司は目の前に広げられた便箋に向かい呟き、一つ溜息をついた。

 ピンクの桜の模様がちりばめられた可愛らしい紙面には一週間後に控えていた旅行の中止を告げる連絡が綴られていた。旅行が中止になった理由に一切の言及はなく、その事実だけが告げられ謝罪で締めくくられていた。

なぜ、LINEやメールではなく封書のかと園児は考えたが、それは支払い済みだった参加費を同封するためだったのだろう。

 それは中に収められていた便箋を広げると渋沢栄一が顔を現したことで窺えた。これは健司が旅行費として払っていた額より遥かに上回る額なのだが、これは幹事を務めていた長嶋さんが気を使ってのことだろう。

「変な気を使わせてしまったんだな……」

 この旅行は毎年の恒例行事となっていた。その発祥は会社恒例の慰安旅行だったのだが、その会社は倒産となり全員ばらばらとなった。だが、恒例の旅行だけは親しかった同僚たちの間で継続され、普段は会うことがない面々と集うよい機会となっていた。

 長嶋さんはその旅行の幹事をいつも担当してくれていた。旅行については観光バスでの一泊旅行を申し込むだけなのだが、それでも参加者全員から金を徴収し日程の調整をするのは手間のかかる作業だったに違いない。それを皆、彼女に任せきりにしていた。

「どうしようか……」

 この旅行のために取っていた有休はいまさら取り消すわけにもいかない。かと言って家で静かに過ごしている気にもなれない。

「この際だ、あれを実行してみないか?」健司の内なる声が囁きかけてきた。

「あれか……」いい機会かもしれない。

 あれとは温泉旅館の一室に籠っての小説の執筆だ。プロの作家がそのような旅行をやっているとSNSで目にしてから、健司も一度真似をしてみたいと思っていた。健司は趣味で小説を書き投稿サイトに上げているレベルなのだが、それに憧れを持っていた。四人乗りオープンカー辺りでひなびた温泉旅館に乗りつけ、温泉に浸かりつつその一室で執筆に励むことを夢想したこともある。

 現在は少し無理をして車を手に入れてある。執筆なら家にあるノートパソコンを持っていけば事足りるだろう。あとは実行に向けたやる気だけになる。

「よしっ!」

 行き先はどうするかこれは考えものだ。

「そこでいいだろ」

「それでいいか……」

 今から細部まで練るのは面倒なため中止になった旅行の行程をなぞることにした。事前に手元へ届いていた予定表を散らかった机の上から探し出し、そこに載っていたホテルに連絡を入れてみた。幸いなことに指定の日程で二泊の予約を取ることができた。

 目的地は長野県、北アルプスの麓にある大町温泉郷にあるホテルである。一度泊まったことがあるホテルではあるが、あの時は団体旅行の貸し切りバスだったため旅程はまったく記憶はないが、それについては問題はない。

 車は古くともナビは付けてある。そこに住所を打ち込めば案内してくれる。こちらが道を間違えてもナビは文句を言うことなく即座に新たなルートを示してくれる。ただし現地到着までかかる時間は六時間を超えるとのことだ。

 前日に買い集めた酒やつまみ類で満載の鞄と衣類を詰めたトランクに積み込み、健司は朝の八時に家を出た。こまめな休憩と昼食をはさんでの運転でホテルに到着したのは午後四時を少し過ぎてのことだった。前回の旅行でもバスから降りたのはこのぐらいの時間だった。

「こんなとこまで再現しなくても……」半日がかりでホテルに到着した健司はまずしっかりと腰を伸ばした。

 大柄な体格ではないが、二人乗りのクーペはやはり作りは窮屈な感がある。それに背も低い。乗るのはいいが降りるときは低い位置からの屈伸運動となる。背の高いSUV車などの選択肢もあったのだが、濃いオレンジの車体に一目ぼれをして思い切って購入に踏み切った。四人のオープンカーの話ははどこに行ったと周りに問い詰められたが気に入ったのは仕方がない。

「よいっしょ!」トランクを開け丸く膨れ上がった鞄を取り出した際に声が出た。

 好き勝手なことやっている果ての三十代末期、独身ではあるがまだ衰えは感じてはいない。少し気を抜くと声が出るのはきっと一緒に働いている今西さんの影響に違いない。あの人はいつも掛け声とともに動いている。 

 喉の奥から湧き出す声を抑え二個目の鞄を出す。ノートパソコンを入れたバックパックは背に担ぎ二つの鞄を肩に掛けた。半日にわたり運転を続け疲れた健司を地に這わせよう企む力が肩にのしかかる。そういえば、長嶋さんの鞄はあられにナッツ類にするめなど酒の摘まみでいっぱいになっていたが、飲み物は一本も入っていなかった。

「そんなの重くて持ってこられるわけないでしょ」至極真っ当なご意見だ。

 それらの買い物は現地についてからの男たちの仕事だった。健司と他の男たちは休憩する暇もなく彼女から渡された金を握りしめ、酒やビール、ウーロン茶や水を買い出しに行くのが常となっていた。それを今回は事前に買ってきた。それでこの結果だ。

「俺もそうすればよかったんだよ」内なる声が健司に怒りをぶつけてきた。

「……けど、ここに何があるかわからないぞ。値段もどれだけ吹っ掛けられるかわかったもんじゃない」

 肩の痛みを堪えながら到着したロビーは団体客でごった返していた。集まっている中高年の男女相手に添乗員が点呼を取り部屋の鍵を配っている。本来ならあのような団体に混じり込み鍵を受け取り、あてがわれた部屋に向かっていただろう。

 健司は後ろに並んでいる椅子まで身を退き、そこで騒ぎが収まるのを待つことにした。どの道夕食までまだ時間はあり、それも予約をしているわけでもない。

 荷物を目の前に並べ、柔らかな革椅子に腰を落ち着けて健司は人心地ついた。バックパックに挿してあったペットボトルの取りだし口に運んだ。冷たいがこれでいい。今は立ち上がり温かいコーヒーを求めて自販機や売店を探す気にはなれない。二口ほど飲んで気が落ち着いてきた。周囲に目をやる余裕も出てきた。そして前回の旅行の記憶も蘇ってきた。全体的な印象はさほど変わらない。建物が森に囲まれているため、もう少し規模が小さければサスペンスドラマの舞台に使えそうな趣がある。山小屋風の内装はそれを強調している。これは若き日のカイル・マクララクランが現れそうでもあるし、あのドラマは親の横でよく見ていた。内容はよく把握できなかったがあの雰囲気は好きだった。

 また馬鹿な夢想に浸っていたところで、健司は目の前に柱の中央に刻み込まれた桜の紋章が目についた。ピンクの五枚の花弁でその下に「B.I.N」と文字が添えられている。最近よく目にしているような気がする。そういえばと考えてみると、会社へ出勤する道中の数か所の建物にこの桜が描かれている。これが何を意味するかは不明だ。 

 鍵の配布はほどなく終了し、受付前に集まっていた団体客は姿を消した。それに合わせて健司も立ち上がった。また荷物を担ぐのは気まで重くなるが、いつまでもここにはいられない。

「少し量を控えるべきだったか……」

 記憶に長嶋さんの姿が焼きついているためその真似をしたのがいけなかったのか。今回は団体旅行ではなく、一人旅だ。

「だから言っただろう」内なる声が嫌な笑みを浮かべ語りかけてくる。

「黙ってろ」

 受付前に到着した健司は肩の荷物を床に下ろし、背を伸ばした。

「城島健司と言います。こちらに予約を入れているはずですが……」

 愛想のよい笑みを浮かべた受付嬢は健司の問い掛けを受けて予約を調べ始めた。健司の予約は問題なく通っていたようで、受付嬢は目の前のタッチパネルの画面を目にして軽く頷いた。

 彼女は健司と軽く会話を交わしつつ、傍にある引き出しから緑のカードを一枚取り出した。それにB五サイズのパンフレットを添える。

「城島様、こちらがお部屋の鍵になります」

 前回は金属の鍵だったが、あれからカードキーに変更になったのだろう。

 彼女から定型になっているであろう鍵の取り扱い説明を受けながら健司はそのカードを裏返した。ここにもピンクの桜が描かれている。

「これは何なんです?」

 健司は彼女の説明を遮り、桜の紋章を指さし訊ねた。健司の声に彼女の言葉が途絶える。

 気まずさに声が出そうになったが、それを押しこめる。

「それはベイシア様の御印です」受付嬢は満面の笑みを浮かべ答えた。

「ベイシア様?」

「はい!」

 それは何者なのか語られることはなく、また彼女は残りの説明を終えた後、健司にあてがわれた客室の番号を告げそれで一連のやり取りは終了となった。彼女にとっては誰もが知ってて当然の存在なのかもしれない。

 おそらくそれが「B.I.N.」の主催者辺りなのだろう。このホテルのどこかに彼か彼女か知れない「ベイシア様」の姿が描かれたパンフレットか肖像画が置かれているのかもしれない。

 入った部屋に「ベイシア様の御印」はなく至って普通の客室だった。少しタバコ臭いような気もするが、それは短い間でも窓を開けておけば解消されるだろう。窓際の床は板張りになっており、ティーテーブルが置かれそこに対面で椅子が二脚添えられている。板の間と客室を仕切る障子もついている。今まで泊まったホテルの部屋はどこもこの間取りとなっていた。これが定番なのだろう。

「そういえば……」ここに置いてある椅子にゆっくりと腰を降ろしたことはなかった。

 窓を開け椅子の一つに座ってみた。入り込んでくる風はひんやりとしており長くは浴びていられそうにないが座り心地は悪くない。ノートパソコンを扱うなら座敷で胡坐をかくよりこちらの方がよさそうだ。早速健司は鞄の中からパソコンに電源コードなど必要な物を取りだし、ティーテーブルに並べた。

「こんなもんだろう」

 少し手狭ではあるが何とかなりそうだ。WI-FIによる通信も支障なく繋がっている。こんなこともあろうかと延長コードも持ってきてある。

「良好、良好」

 一つ問題があるとすれば熱いコーヒーの置き場だろう。インスタントコーヒーと紙コップは持ってきているので熱い湯さえ湧けばすぐにでも調達できるのだが、テーブルにコーヒーを置く場所は残っていない。

「残っているのは足元か……」窓の桟、健司は窓辺に目をやった。ここなら窓を閉めても紙コップくらいなら載せる余裕はある。

 体が少し冷えてきたので健司は窓を閉めることにした。もうタバコの匂いは気にならなくなっている。ただ慣れてしまったのかも知れないが、いつまでも開けたままではいられない。窓に手を掛けたところで眼下に広がる駐車場での動きが目についた。何か動いているのか、茶色い体の動物、鹿のように見える。このホテルは森に囲まれているとあって動物もやってくるらしい。あの姿を目にして喜ぶ客もいるかもしれないが、相手は野生の獣だ。 用心に越したことはないだろう。健司の地元では街であるにも関わらず猪が日常的に徘徊している。鹿との接触時はそれと同様の心づもりが必要だろう。

 健司が三階の客室から駐車場を悠々と歩く鹿の動きを眺めていると鹿も健司の存在に気がついたかのように上を見上げた。足を止め、しっかりと顔を上げ健司を見据えているかのように思えた。睨みつけているが正しいか。

「こんなことがあるのか……」

 距離を隔てての野生の鹿との睨み合いは、そうはない体験だろう。ややあって窓からの寒気により健司は体を震わせた。そういえば体が冷えてきたので窓に近づいたのではなかったか。大きなくしゃみが一つ出て慌てて窓を閉めた。鹿はそれを目にして呆れたかのように首を振り踵を返し森へと走り去っていった。

「んっ?」

 去り際の鹿の腹に描かれた何かを目にしたような気がした。

「気のせいだよ……」健司は内なる声に応えた。

 そうだろう、そうに違いない。

「さぁ、何をしようか……」それは言わなくともわかっている。

 健司は鞄からインスタントコーヒーの小袋を取り出し、備え付けの電気ポットに水をいれた。

 ノートパソコンの画面に目を向けた健司はすぐさま湯を沸かしたことなど忘れるほどに執筆に没頭することになった。気がつけば陽も陰りかけていた。

「あっ……」思わず声を上げ、椅子から腰を浮かせたがすぐにここが自宅ではないことを思い出し坐りなおした。今日は外に干した洗濯物も炊飯器の準備も気にすることはない。

 安堵すると同時に湯を沸かしていたことを思い出した。

「コーヒー……」

 健司は再び腰を上げ、放置していたコーヒーを入れるためポットへと向かった。改めて湯を温めている最中に夕飯の準備をしていないことを思い出した。

「あぁ……」

 熱中するあまりに炊飯器のスイッチを入れるのを忘れることはたまにあるのだが、ここでもそれが出たようだ。宿泊費に食事代は含まれてはいない。近くで何か買いに出かけるつもりだったが、暗くなってしまっては気は進まない。だが、食事を取らないわけにはいかない。面倒な話だ。

「売店に何かあるだろう」

 コーヒーを飲み干した健司は財布とスマホだけを持ち、上着を羽織って館内の探検に出ることになった。エレベーターで一階に降りてすぐにコンビニと一体化したような土産物屋が目についた。饅頭や煎餅に蕎麦などが並んでいるが、それらに今用はない。飲み物はと目をやるとビールに発泡酒と茶に水ばかりでこちらは間に合っている。種類に置いては極めて限定的だ。地酒は一通り揃えてあるようだがこれもまだ必要はない。

「だから、言っただろう……」健司は声に出さず呟いた。

 店が変わっても品ぞろえに変化はないようだ。前回は酎ハイなどが見当たらず外に出たのを覚えている。

 コンビニコーナーで見慣れたカップラーメンとサラダと朝のためのロールパンなどを買って店を出た健司は部屋に戻ることなく、一階の散策のために歩き出した。大浴場や飲食店や食堂の位置は確認しておきたい。

 カップラーメンが入ったビニール袋を提げて、明るい廊下を道なりに歩いていくと大浴場前にたどり着いた。その傍に自販機が二台置かれている。一台は清涼飲料水でもう一台は棒付きにアイスクリームが詰められている。どちらも風呂で茹で上がった体の欲求に即するものだ。アイスクリームは健司も興味をそそられた。これは風呂に来た時に買ってもいいだろう。さすがにその場で封を切ることはしないが、暖かな部屋で冷たさを味わってみたい。子供のころには真冬でも食べていた。

 ビールや他のアルコール類の自販機もあったはずだ。ほぼ銀色の缶だけが並べられている自販機だ。その機械の最下段には自社製品のお茶が数点並べられ、他は銀色の缶だったと記憶している。

「どこにあったか、どけたのか?」

 その問いの答えは廊下を抜けた先にあった。一階ではあるがこちらはさっきの通路の反対側になるようだ、影際に社名ロゴが大きく書かれた自販機が置かれていていた。中に収められた商品も健司の記憶のままだ。前回はこれを目にして外へと出る決意をしたのだ。

「ビールが悪いわけじゃない。誰もビールを嫌ってはいない。ただ、他の酒も欲しいんだ」これは一緒に買出しに赴いた高杉の言葉だ。

 ここでもう一つ彼は何か言っていなかったか。

「あれだ……」

 健司は少し離れた位置に設置された防火扉に目をやった。あれは客室での宴会の後の事だった。あの時高杉はかなり酔っぱらっていた。それでも風呂に行くと言ってきかないため同室になっていた健司が付き添い、階下に降りてきた。廊下で転んだり湯船で溺れたりしては大変だからだ。彼はそれほどに酔っていた。本人はしっかりしているつもりでいたようだが。

 無事に何事もなく風呂から上がり、部屋に戻る途中にこの扉を見つけ近づいていった。

「どこでもドアァァァ」

 高杉は大声を上げ防火扉の把手に手を掛け扉を手前に引き開けた。その勢いに高杉は危うく後ろに転びそうになったが健司の支えにより事なきを得た。

「あれ?」高杉は扉の向こう側を不思議そうに眺めていた。

「あれ?じゃない!」

 健司は高杉の頭を軽く叩き部屋へと連れ帰った。

 旅行当時の妙な記憶が不意に蘇り、吹き出しそうになった。幸い周囲に人影はなく健司は安堵した。

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