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放浪のエル  作者: ゆう
第三章
93/114

九十一



 二日間ぐっすり眠って起きた私は、なんだか変なものを見てしまったような視線を兄妹やリオから受けながら朝食を済ませ、その足で父の寝室へとやってきた。


 どうやら私が寝ている間にネルイルの回復魔術を受け、短時間なら起きて話せるくらいにまで回復したらしい。

 罪人扱いされているレイランは回復魔術を受けることもできず、たまに起きてもまだ動ける状態ではないと言う。だから先にこちらから話をしてしまおうと思ったのだ。


 

 二日前の父は屋敷の端っこの部屋で寝かされていたけれど、今は執務室近くの寝室に移されていた。

 確かにこちらの方が人通りも多く、何かあった時の助けも呼びやすい。これならリオも安心できるだろうなと思いながら私は扉を四度叩く。

 

 返事が無くとも構わず開けると、寝室のベッドに横になったまま首だけを動かしてこちらを見た父がいた。


 

 丁寧過ぎるくらいにゆっくりと扉を閉めてからベッドに近付き、横に置かれていた椅子に腰掛ける。みんなにはしばらく二人きりにしてくれと頼んであるので、部屋は酷く静かだった。




 

 私はなんとなく目が合わせなくて。話をしようとやってきたにも関わらず、どう切り出したら良いのかわからず結局押し黙ってしまう。

 

 言ってやりたいことも聞きたいことも山程あるはずなのに。


 そんな私に痺れを切らしたのか、先に口を開いたのは父の方だった。



「お前が、エル、なのだな」



 一瞬何を言われたのかわからず、けれどすぐにあの曲のことだと気付く。

 

 リオに聞いた。私の記憶にあるあの曲には、その名が冠されていることを。父が譫言のようにそう語っていたことを。


 だから私は、こくりと頷くことでそれを肯定して見せた。


 

 偶然ではない。私が生まれるよりも前に母が視た未来で知った名だ。あの曲が、その名を持つ者へ向けた贈り物だというのなら、それはきっと私のことなのだと思う。


 

 そうか、と呟いた父は、まだ回復しきらない弱々しい声でぽつりぽつりと語り始めた。

 

 それは私の知らない、両親の話。





 今から二十年ほど前。父が二十七の時。

 当時はまだ先代の祖父が生きていて、辺境伯の爵位も継いでいないただの跡継ぎだった父の前に、その人は現れた。


 桃色の長髪に金色の瞳。背は同年代の中でも低いくらいの、王都の学院を卒業したばかりの当時十八歳の母である。


 屋敷の敷地内にある庭園のガゼボの下だ。

 先代に何も告げられずに連れてこられたそこには用意されたテーブルと二脚の椅子があって、片方に母が座っていた。


 母は父に気付いて立ち上がったかと思えば、見惚れるくらい綺麗なカーテシーを披露して凛とした声で告げたのだ。


『お初にお目に掛かります。私はグランディ家の三女、クラヴィア・グランディと申します。本日はガレオラス様に婚約のお願いに参りました』



 ちょっと待て、と私は思わず話を遮って、一旦頭の中を整理することにした。


 私の知っている母は確かに物怖じしない性格の人であるのだが、初対面のしかも身分も上の九つも年上の男相手に第一声がそれか。

 

 驚きを通り越して感心しているところである。



「彼女は出会った時から何にも臆さずはっきりとものを言う人だった。子爵家の末娘ではあったが、自身が積み上げてきた実績がそうさせていたのだろうな」


「学院を主席で卒業して教会からも声がかかっていた天才魔術師だったのは知ってるよ。でもなんでそんな人が卒業後すぐに結婚なんだ」



 それだけ優秀なら他所の貴族の元へ嫁がなくとも、自力で地位を確立できたかもしれないのに。

 

 相手が辺境伯家の一人息子だったからか?


 当時のグランディ家には母の上にも二人の未婚の女がいて、結婚というならそちらでも良かったはずなのだ。しかし相手が辺境伯家の跡継ぎとなると身分違いと揶揄されることは想像に難く無い。

 

 優秀だったからこそ。そう言われれば確かに納得はできる。女を家名繁栄の道具にしているようであまり気分が良いものではないが……。



「一目惚れだと言われたよ」


「ひ、一目惚れ……」



 出会った直後にあんな挨拶を口にした母は、戸惑いながら席についた父に対し自分の優秀さを語り出したのだそう。


 先代である祖父の遣いで王都に来ていた父を見かけたのだと。その佇まいに一目で恋に落ちたのだと。その日には父の素性を調べ、辺境伯に直接書状を送り婚約の申し出をしたのだと。


 当時の母の優秀さは王都でも有名だった。勉学だけでなく、ただ一人母だけが扱える未来視の魔術が彼女の価値を押し上げていた。

 

 だから、そんな自分ならば辺境伯家の跡継ぎである父に相応しい、と。



「……そんな女よく受け入れたな?」


「私よりも父が面白がっていたのだ。だが、彼女は確かに優秀で、面白い人だったよ」



 母は根っからの研究者だったと父は言う。


 気になったことは調べずにはいられない。新しいものには触れてみないと気が済まない。目の前のものに集中すると周りが見えなくなるし、時間も忘れて没頭してしまう。


 なんだかその話を聞いていると、私はやはり母に似ているのだなとしみじみ思った。



「私も彼女の話を聞いているのは嫌いではなくて、婚約はその場で受け入れた」



 それから結婚まではあっという間だったという。

 爵位を継いだのもその頃だ、と。


 昔を懐かしむ父の横顔は、今でも母のことを気にしているかのようにも見えた。私は、それがわからない。



「結婚して間も無くだ。彼女が曲を作ったのは」



 元々趣味の一環で様々な楽器を嗜んでいた母が作った曲。

 

 楽譜に起こされている訳でもない。全ては母の頭の中にあり、ごく稀に鼻歌が聞こえてくる程度でしか父も聞いたことがないという。


 ただ、一度だけ。

 

 それは何というか曲なのかと問うたことがあったのだ。そうして返ってきた名前を、母はとても、とても愛おしそうに口にしたらしい。


 

 そして翌年には私が生まれた。酷い難産で、結局それ以降母は子を産めない体になってしまった。


 生まれたばかりの私を抱いて、母は言ったそうだ。



『この子のことは忘れてください』



 まだ身内の人間にも娘が生まれたことを告げていない。今ならば無かったことにできる。ただ、貴方の前には出さないから娘をこの屋敷で育てることだけは許可してほしい、と。


 何を言っているのかわからなかった。わからなくて、問い詰めた。そうして父は知ることになる。

 

 

 母の命が十年後に尽きること。

 それをもう何年も前から本人は知っていたこと。


 未来視の魔術で視た未来は変わらないこと。



「新しい妻を迎えるようにと私に進言したのは彼女だ。跡継ぎなら養子を取れば良いと言ったのだがそれは許さないと説得されてしまった」


「それは……多分、あんたが一人にならないようにしたかったんじゃないか」



 母は私が家を出ることを知っていた。シロと出会うことも。だから先に忘れろだなんて父に言ったのだ。

 

 そうしてこの広い屋敷で父が一人養子を育てるよりは、新しい妻を迎える方が辺境伯家としても自然で建設的である。


 

 なんとなく母の考えがわかってきてしまったのは、私が母に似ているせいなのだろうか。


 この父は、仕事はできても人としてはどうにもずれているというか、言葉が足りないところがある。放っておいたら変な女に引っかかりそう……いや、引っかかった結果がこれなのだろうけども。


 レイランやその父であるアースフォード伯爵にも内密にと事情は説明しての関係だったと言うが、それを利用されたのだなと今ならばわかる。


 

 私から一つだけ言えることがあるとすれば、父は仕事が関わらない場面ではとことん人を見る目が無いということか。

 

 なんだか今まで私の中で父という存在を形作っていたものがガラガラと音を立てて崩れていく気がする。こんなにふわふわした人だったなんて知らなかった。母が心配するのも不本意だがわかってしまう。



「それで、あんたはなんで私を女として生かそうとしたんだ」



 もう半分呆れ気味に問う私に、父は言う。



「髪を伸ばし着飾れば、クラヴィアに似るだろうなと」


「私は私だ、ばかやろう」



 今の髪を伸ばした自分の姿は確かに母に似ていると思うことはある。私が思うと言うことは父もそうなのだろう。こちらを見る目は酷く優しくて、私に母の面影を重ねていることは嫌でもわかる。


 父は今でも母を想っている。それだけは理解した。




 

 思わず深い深いため息を吐いた私は、座っていた椅子に全体重を預けて寄りかかる。どっと疲れが押し寄せてくる気がした。

 

 私は今までいったい何をごちゃごちゃと考えていたんだろう。しっかりと話をすればこんなにも簡単に両親の考えが見えてくるのに。これならもっと早くに話をしておけばよかった。今更ながらにそう思う。


 私がこんな考えに行き着くことも、母にはお見通しだったのかもしれないな。




 

 そろそろ父の体力が尽きそうだったので、今日のところはここまでとして私は話を切り上げた。


 また明日来るよと告げた私をアリシエルの名で呼び止めた父は、目を細めて少しだけ口元を緩めて、初めて見る父親らしい表情をしていたから私は思わず足を止めてしまう。



「アリシエル。無事でよかった」



 まだ聞かなければならないことも、わからないこともあるはずなのに。



 どうしてかな。



 その言葉が、全てなような気がしたから不思議だ。



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