八
(シロ、人間だ。いないんじゃなかったっけ?)
(俺はほとんど見ないと言ったんだ)
まさか一番出会いたくない人間に真っ先に出くわすとは思わなかった。
よく見ると所々破れた服を着ている。武器らしいものは持っておらず、魔力も感じないので魔術師でもない。
(ただの迷子……?それにしては落ち着いてる……)
互いに見つめ合ったままの膠着した状態から先に動いたのは向こうだった。
地面から何かを拾い上げてこちらへ投げてきたのだ。思わず剣に手を伸ばしそうになったが、投げられた何かが呆気なく崖下に落ちていったので元に戻す。
(石だ……石投げてきた……なんで……?)
(魔物だと思われているんじゃないか?)
(普通魔物なら刺激しないように逃げるからね)
余程の馬鹿でない限り。
いや、私のことを言っているのではなくて。
「化け物!!」
「えっ」
今度は声が飛んできた。
化け物?化け物ってなんだ。咄嗟に魔力感知で周囲を見てみるが魔物らしい魔力は感じない。
シロは今小鳥サイズで向こうからはよく見えないだろうし……ということはもしかして私のことか?
(契約すると人間からは化け物みたいに見えるとか?それとも魔力回路のせいで変な幻覚見せてるとか?)
(いや、そんな変な力は感じないが)
(そうだよね)
ならば何故私は見知らぬ子供に化け物扱いされなければならないのか。その理由が気になる。
手に持っていた最後の果物を食べ終えると私は真正面から子供と向き合った。
年齢はおそらく私と同じくらい。声からでは正確なことは言えないが、大袈裟な動作からしてよほどやんちゃな女の子でなければ男の子だろう。
その子は私が自分を認識したのがわかったのか途端に後退りし始めた。
「ひ、人殺しー!!」
「あっ、ちょっと……」
そうして最後に聞き捨てならないことを叫んで森の奥へと走っていってしまったのだ。
残された私はといえば、正直あまり関わりたくない部類と悟り溜め息をひとつ。
(でも、話は聞いといた方がいいよなぁ……)
何故私を化け物だとか人殺しだとか言うのか。私もシロも気付かないような理由があるのか。それとも……
「いいや直接聞こう。シロ、危なかったらヨロシク」
「おい」
魔力の膜を腕に張ったときの要領で、今度はそれを両脚にやり始めた私にシロの呆れた声がした。
(少し助走を付ければ行けなくはない距離だと思うんだよね)
そうして私は峡谷を飛び越えた。
(よし、いけた!)
最悪の場合シロに助けてもらおうと思ったが意外と余裕だったので満足だ。これは使える。
だがすぐ近くからじっとりとした視線を感じたのでそこからは魔力を使わずに走って子供を追うことにした。
峡谷のこちら側は多少人の手が入っているのか走りやすい。
魔物もほとんどいないようだし、シロの言っていた集落の住人がよく来ているのかもしれない。住んでいるんだから食糧も水も調達しないといけないだろうしな。
とりあえず私は子供を見失わない程度の距離を保って後を追いかけていた。
魔力の無い人間を魔力感知で見つけることはできない。見失ったら実にめんどくさい。逆に凄いなと感心してしまうくらいの儚さだ。
魔物ならきっと最弱と言われるスライムだって魔力を持っているだろうに。そう思うとこの世界の最弱は人間だと今の私には思えてくるから不思議である。
「あっ、魔力が見える。それも割と多い……?というか……なんか、いっぱい?」
「いろんな種族が集まっているんだろう」
進行方向に見える魔力の量にそこに集落があることはわかるのだが、色や形の違うものばかりでつい驚いてしまう。
他種族が集まって集落を築いているというのか?そんな馬鹿な。聞いたこともない。
「行ってみればわかることだ」
「うん……って、あれ!?」
驚いて思わず立ち止まる。辺りを見渡して見えるのは変わり映えのしない森だけだ。ずっと視界に入っていた筈の子供の姿が消えている。
それにおかしい。感知で見える魔力はもうすぐそこにある筈なのに集落どころか生き物すら見当たらない。
(これは……もしかして、幻影魔術?)
幻影魔術は私も使ったことがある。名前の通り幻を見せる魔術だ。使い勝手はかなりいい。
だが並の魔術師が一人いたところで集落を隠すほどの幻影は作れない筈だ。あの魔術は魔力の消費がとにかく多いから。
でも本当にこれが幻影魔術なら、集落は確かにここにある。
意を決して足を踏み出した。
少し進むと見えない壁を体が通り抜けたような感覚があった。やっぱりかと思うのと同時に警戒度を一段階上げる。
こんな魔術を維持している人間がいるかもしれないんだ。もしいればそれは間違いなく私よりも格上である。
そして魔術で作られた幻を抜けたのか、やがて目の前に木製の門が現れた。子供でも開けられそうな簡素なものだ。両側は木材で塀が作られている。おそらく集落をぐるりと囲むようになっているのだろう。
(なんだろう、騒がしい)
閉じている門の向こう側からざわざわと声がする。ひとつは先程の子供のものだ。何か揉めているのか怒鳴っているような声である。
私は中の様子を伺う為に少しだけ門を開いて中を覗き込んだ。
(あれは……獣人!?人間も結構いるな……あっ、あの子供だ)
「ダメだって!あれは子供だけど、とにかくやばい奴なんだ!」
「だからと言って見殺しにはできないわ。あなたの言うことが本当ならその子だって私たちの仲間だもの」
「あんな奴仲間なんかじゃねぇ!あいつはっ……!あれは!姉ちゃんを殺した化け物だ!!」
目にいっぱいの涙を浮かべて叫び声をあげるその子供に周りにいる人間や獣人たちは戸惑っているらしい。
子供と言い合いをしていた女はそんな子供に優しく微笑みかけ、割れ物を扱うかのように抱き寄せた。
声を上げて泣く子供。肩を落とす大人たち。
(エル)
(……うん。もう行こう)
なんとなくだが事情は察した。
あの子供は私が爆破した馬車に乗っていた生き残りなのだろう。それ以外に心当たりがない。しかも一緒に捕まっていたらしい姉は死んでいるときた。ならば間違いなく殺ったのは私だ。
あの時は暗くて周りがあまり見えていなかったけれど、あの馬車に十数人の子供が乗っていたことは覚えている。
(化け物……人殺し、か)
確かに、同じ馬車に乗っていた奴が突然周りを巻き込む爆発を起こし身内の命が奪われたらそりゃ恨みたくもなる。それ自体は当然の道理だ。
だが、私はあれを後悔していない。
(あのまま奴隷になればよかったとでも言うつもりか?馬鹿馬鹿しい)
対面したところで分かり合えるとは思えないな。ならばここはさっさと退散するに限る。
そうしてその場を立ち去ろうとしていた時だった。
「あれ?子供?」
「うわっ……」
やっぱり魔力のない人間はある意味厄介だ。
魔力が感知できないと背後を取られてもわからないじゃないか。こればかりは私の経験の浅さもあるだろうが今回は自分の迂闊さにも呆れてくる。
振り返ると子供と言うには大人びた、けれど大人と言うにはまだあどけない顔の少年がいた。私が見上げなければいけないくらいには身長が高い。
背には弓矢。それなりの体付き。この集落の住人には違いないが、見たところ狩りから戻ってきたところといった装いだ。
少年は私を見て何を思ったのかニッと歯を見せて笑った。
「よくここに辿り着けたな。中に入れよ」
「いや、私は、」
「大丈夫だ。ここに悪い奴らはいないよ」
思ったより強引に背を押され、あれよあれよという間に私たちは門を潜ることになってしまったのである。
「ただいまーって、みんな集まってどうした?」
「ああ、おかえりアルバン。実はコルクがなぁ…」
森で子供を見たとか。そいつは自分と同じで奴隷として捕まってた奴だとか。人殺しだとか。何を仕出かすかわからない化け物なんだとか。そんなことを言っているんだ、と住人たちの説明が入る。
何を仕出かすかわからないって。魔術師を見たことがないのか?私が化け物ならこの世は化け物だらけだな。
いい加減呆れていたところで住人たちの視線が私に移る。
「アルバン、その子は?」
「ああ、門の前にいたんだ。腹が減っているかもしれない。見てやってくれ」
「それはいかん。さあ、こっちへおいで」
子供扱いされているのは少し気に食わないのだが、ここは黙って従っていた方が良いだろう。何しろこの集落の住人たちがどういう集まりなのかもわかっていない。情報が少ない今の状況で騒ぎを起こすのは避けたかった。
このままあのコルクとかいう子供には気付かれないことを願おう。
なんて思いはあっさり砕かれた。
「ひっ……!あ、あいつだ!あいつだよ!」
子供は恐怖に引き攣った顔で私を指差してまた叫び出したのだ。
「ええっ、でも、見たのは崖の向こう側って…」
「子供があんなとこを渡れるわけないだろ。コルクが見間違えたんじゃないのか?」
「見間違いじゃない!!やっぱり化け物なんだ!!」
と、またこちらに視線が集まる。
嫌な雰囲気だ。
きっと私が何を言ってもあの子供は聞き入れない。ここの連中は、突然現れた私なんかよりも付き合いの長い少年の言葉を信じるだろう。獣人は知らないが人間とはそういうものだ。
だが、ここで何も言わないのも騒ぎが大きくなるだけか。
「…………少し、魔術が使えるので」
化け物呼びくらいはやめてもらえたらいいかな、と思って言ったのが良くなかった。
「魔術?あんな子供が……?」
「それって貴族の子供ってこと…?」
「いや、嘘に決まってる。子供だぞ」
「きっと気を引きたいんだよ。可愛いもんじゃないか」
(こいつらバカなのか?)
(まあまあ)
私なんかよりよっぽど機嫌の悪いのがいるのはなんでだろうなぁ。
でも、そんなシロが側にいるのがわかるから、私は何を言われようと冷静でいられる自信がある。
「もう!こんな小さい子相手にみんなで酷いこと言わないの!ほら、この子は私が引き受けるから仕事に戻って。コルク、あなたもよ」
「でもっ!」
「いいから!アルバン、お願い」
「はいよ」
ぎゃあぎゃあ騒ぎ続ける子供はアルバンという少年に引きずられるように連れて行かれた。
そうして私の目の前に立ったのは先程子供と言い合いをしていた女だ。近くで見るとかなり若い。
「怖がらせちゃってごめんね。私はティナン。あなたは?」
「……エル」
「エル!ふふ、可愛らしい名前ね。桃色の髪もふわふわで素敵。羨ましいなぁ」
ティナンと名乗った女はどうやら子供の扱いに慣れているらしい。体の小さな私に目線を合わせるようにしゃがんで話しかけてくる。
肩にいたシロにも気付いたようだが「お友達かな?」と問われたので黙って頷くとそれ以上は聞かれなかった。
「あのね、ちょうどこれからご飯にするところだったの。他の子供たちも一緒なんだけど、よかったらエルも行きましょう!」
――ご飯。
思い返せばシロと生活を始めて三ヶ月。果物と水以外を口にしていない。シロの力があれば飲まず食わずでも生きられる私にとって食事は必ずしも必要なものではなくなっていた。
だが、その言葉を聞いた瞬間息を吹き返したように空腹感に襲われたのだ。
「行く!」
多分この時の私は年相応に目をキラキラと輝かせていたことだろう。