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放浪のエル  作者: ゆう
第三章
86/113

八十四



 閉じ込められた応接室から出た後、アスハイルとネルイルは屋敷内の部屋という部屋を調べて回ったらしい。


 使用人や明らかに部外者と思われる人間がやたらと襲ってきたというが、この兄妹には敵わなかったのだろう。アスハイルに着いて廊下を進んでいると至る所に気絶した人間が転がっていた。


 ちなみにアスハイルにこれだけ傷を負わせた相手は、屋敷の門のところで出迎えたあの執事なのだそう。

 

 私が生まれる前から父に仕えていた男だが、そんな奴が犯罪集団に加担してまで教会の人間に歯向かうとは。

 父の今の立場はまだわからないけれど、余程のことがない限り処分は免れないだろう。



「でも、おかしいな。こっちには誰も来なかったぞ」


「お前たちの戦闘に混ざれる奴がいねぇだけだろ。下手な手助けは邪魔にしかならないからな」



 ということは、ミリアが人払いでもしていたのかもしれない。あの場に他に人がいても無駄に命を落としていた可能性の方が高いので誰もいなくて良かったと思う。


 

 そんなミリアはダンスホールにあの状態のまま置いてきた。

 

 目を覚ましたところで動けるような傷じゃない。例え動けたとしても、あの出血の多さを思えばそう長くは保たないはずだから。体内に巡る血液は魔術でも魔法でも戻らない。

 後で戻ってまだ息があるのなら情報を引き出すことにしよう。そう決めた。




 

 兄妹が屋敷の中をくまなく探した結果、レイランの姿は見つからなかったとアスハイルは言う。外に逃げ出した可能性もあるんじゃないかとのことなので、私は思わず呆れてしまった。


 肝心のレイランはそんなところだが、代わりに見つけたのが辺境伯である父とその子供のリオだった。



「まさかあんな状態だとは思わなかった」



 辿り着いたのは屋敷の東の端に位置する、大きな窓のある温かい部屋。屋敷中のカーテンが閉められていたので、大きな窓が隠されずに見えているこの部屋は随分と明るく感じられた。



「――姉様!」



 部屋に入った私に駆け寄ってきたのは、昨日出会ったばかりのリオである。

 

 よくこんな殺伐とした屋敷内にいられたなとは思ったが、間近で見た青い瞳が潤んでいたので相当怖い思いはしたのだろうと察することは容易だった。

 

 そんなリオの頭を撫でたアスハイルは相変わらず良い兄なのである。それが少し、悔しい。



「それで、状況は?」



 リオの後ろを覗き込むようにして部屋の中を見てみると、そこには蔓性の植物に巻き付かれて倒れている執事の男がいた。意識はあるようだが、酷く殴られた痕がある。やったのはもちろんアスハイルだろう。

 

 巻き付く植物はネルイルの魔術か。どうやらこの辺りは魔術具の影響も無いらしい。



 その向こうには大きなベッドと、横に置かれた椅子に腰掛けるネルイルの姿。手元に見える水色の光は回復魔術を使っている証。


 私は一瞬躊躇って、それでも足を踏み出した。



 昨日会った時のリオが私を見る目には、姉というだけではない必死さをどこかで感じていた。私には関係ないと自分に言い聞かせて見なかったことにしたけれど、原因はこれだなと今ならわかる。



 ベッドに横たわる痩せ細った男。



 銀色だった髪は今や色の抜け落ちた白髪に近く、頬も痩け、記憶に残る威厳ある姿は微塵も残っていなかった。

 微かに上下する胸が、その男がかろうじて生きていることを告げている。



「どう見ても魔力欠乏症よ。それも発症してからもう数年経ってる。ここまで保っているのが奇跡だわ」



 あくまで冷静に告げるネルイルの言葉が頭の中でぐるぐると回る気がした。


 

 魔力欠乏症。

 それは母を死に追いやった病だ。


 魔力を持って生まれる貴族の人間は魔力が無ければ生きられない。この病は生きるのに必要な魔力量に生成される量が追いついていない為に発症する。つまり、体内の魔力が枯渇しているということ。

 

 元に戻ることはなく、症状は徐々に進行していく。突然の悪化がない限りはこうしてゆっくりと衰弱していき、いずれは命を落とすのだ。

 

 それを今度はあの父が、だと?


 理解した途端に沸々と湧いてくる感情があった。



「ふ、ざ……な……ふざける、なよ…………」



 どうしようもなく腹が立つ。


 母と私も放ったらかし。母の最後にも立ち会わず、外で違う女と子供まで作って。話も聞いてくれなくて、それどころか私が今まで積み上げたもの全てを否定して。

 

 役に立たないやかましい娘が消えて清々しているかと思えば、いなくなって動揺していただなんて本当に意味がわからない。しかも教会の人間が出てくるような案件に関わっているかもしれなくて。


 ああ、やっぱり、仕事はできてもどうしようもない人なんだって。一発殴ってやった方がいいかもしれないな、なんて思っていたところだったのに。


 

 ――病だと?


 

 理不尽だということくらいわかっている。わかっているけれど、言わずにはいられなかった。



「どこまで人を振り回せば気が済むんだ」



 私のその言葉は静まり返った部屋にはよく響いた。


 

 椅子に座ったままのネルイルが向きを変えて私と向かい合う。

 眠る病人をひたすら冷めた目で見つめるだけの私の手を取り握り締められると、その温かい感覚に自分の手が冷え込んでいたことにようやく気付いた。



「エル。この病はここ数年でかなり研究が進んだの。一時的だけど効果の確認された治療法も存在するわ」



 ネルイルは静かに語った。


 魔力欠乏症は体内の魔力が枯渇している状態が続くことで進行する。だから外から魔力を取り入れることで進行自体は止められるのだ。輸血と同じだ、と。


 理論的には。


 けれどそれができるのは莫大な量の魔力を有している人間のみであり、ネルイルを含めた教会の魔術師ですら誰一人病の進行を止めることは叶わなかった。中途半端な魔力量では一時凌ぎにしかならず、結局今までに回復したという事例は一件もない。



「でも、エルにならできると思うのよ」



 できると思う、ではなく、確実にできるだろうなとこの時の私は考えていた。


 思えば私の体は今、自分の魔力が全く無い状態である。それでもこうして生きているのはシロの魔力で代用しているからだ。

 この旅を始める前に試行錯誤して編み出した魔力回路が、この病の治療法に繋がるなんて思いもしなかった。けれど。



「……私に、その人を、救えと言うのか」



 私が父をどう思っているかなんてネルイルだってわかっているはずだ。例え犯罪の有力な情報源になり得るかもしれなくとも、わざわざ私が助けてやる義理が一つも無いことも。


 その言葉に彼女は首を横に振って手を握る力を強めた。


 まるで一人にはしないと言われているみたいで、少し、戸惑う。



「エルが好きな方を選んで。憎いと言うならここままでも構わないわ。でも、もし助けるって決めるなら、あたしに強制されたと思えばいい」


「それは……」



 ずるい、と思う。


 私の複雑な心境を知った上でそんなことを言うなんて。どちらを選んでも構わないだなんて。そうして責任すら背負おうとしている彼女は、私のこの行き場のない怒りすら受け入れるつもりでいるのだろう。


 

 護られている。

 それが、痛いほどわかってしまう。



 私が言葉を失って口を引き結んでいると、静かな部屋の中でごそごそと物音が聞こえてきた。見れば、今まで大人しくしていた執事の男が植物に巻かれた体を器用に動かし私の足元までやってくる。

 

 どうやら私が誰なのかようやく理解したらしい。目が合って見開かれたそれは動揺からか揺れていた。



「あ、ああ……アリシエル、お嬢様……!本当に……!」



 その名を呼ぶな、と思いを込めて睨み付けるとびくりと肩を振るわせた男がそれでも声を張り上げる。



「ど、どうか、どうか、旦那様とお話を……!突然行方不明になられたお嬢様を、旦那様は酷く心配されて――」


「ちょっとお前黙ってろ」



 ガツンとアスハイルに殴られて執事の男が再び地に伏せる。ぴくりとも動かないところを見るとそのまま気を失ったらしい。


 私はそれを見て、思わず深く深くため息を吐いた。


 腹の立つ物言いだったが、幾つかわかったこともある。滞っていた思考回路を再び動かすきっかけにはなった。



「やるよ。なんか、話さなきゃいけないこと、いっぱいあるみたいだし」



 私たちに足りなかったのは、お互いを知る為の会話だったのだろうな。

 今更ながらにそう思う。


 

 手を握ってくれているネルイルに向き直り、私は少しだけ笑みを浮かべて見せた。

 

 先程の彼女の優しさに対する感謝と、それから私の選択の為に。



「気を遣ってくれてありがとう。でも、これは私が決めたことだから」


「……わかった。それじゃあ、お願いね」



 そうして椅子から立ち上がったネルイルに手を引かれて、その人の眠るベッドの横に立った。


 衰弱しきった姿を見ていても、もう怒りは湧いてこない。今更何を言われようが心が乱れることもきっと無い。

 

 だから、ただ、淡々と。


 

 私は目の前にあるその細い腕に触れ、静かに目を閉じたのだ。



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