七十八
そのまま時間だけが過ぎて気付けば夕日の赤が街を彩り始めた頃。
そういえば屋敷を抜け出して来ているというリオは帰らなくてもいいのだろうか、という疑問がふと湧いてきた。相変わらず俯いて座っているリオは、外の様子など気にもしていないようである。
このシャンデンの街から屋敷まで馬車でも数刻。今から帰っても到着は夜中だろう。大事な息子の姿がそんな時間まで見えないとなると、流石にあの母親が騒ぎ出しかねないのではないか。
そう思って聞いてみたら、思ってもなかった答えが返ってきた。
「私は転移の魔術が得意なんです」
「転移ってお前……」
そんな魔術、術式を見て描き起こせるルトは例外として、他に使える人間がいるだなんて聞いたこともない。
確かにそういった魔術の研究もされていることは知っているけれど、それもまだ研究段階で人が使用できるものではなかったはずだ。
それを、リオが……?
「前の屋敷に古い術式があったんです。こちらへ越して来る前のことですが、それを覚えて試していたら、いつの間にかできるようになっていて。あっ、でも、移動できる距離はそこまで長くはないんですよっ」
辺境伯の屋敷からこのシャンデンの街の間も数回に分けないと飛べないと言うが、だとしても大したものである。
ひょっとして魔術の才能も私なんかよりよっぽどあるんじゃないか?
「すごいな。私も使えなかったのに」
「で、でも、その他の魔術はさっぱりで。転移も今は屋敷を抜け出すことくらいにしか使っていないんです」
その魔術が使えることすら周囲には伝えていないのだとリオは言う。
確かにそんな魔術が使える人間が出てきたら、その情報は瞬く間に国中を駆け巡るだろう。
特にあの母親が息子のそんな才能を目の当たりにして黙っているとは思えない。平穏な暮らしを望むリオにとっては隠しておくのが無難かもしれないな。
それにしても、リオが前に住んでいたアースフォード伯爵の屋敷にはそんな術式が描かれたものがあったのか。いつか機会があれば見てみたいものである。
その後、日が沈みきる前に私たちはソルトーとシュカに挨拶をして店を出た。
リオの未来がどんなものになるかは今はまだわからないけれど、彼らの交流がこれからも変わらず続けばいいなと思う。
「それでは、姉様、ルトさん、シンディさん。私もそろそろ屋敷に帰ります」
「ああ……まあ、私たちもあの人には用があるからな。すぐに会うかもしれないけど」
「はい!楽しみにしています!」
そうして最後にとびっきりの笑顔を見せてリオは転移の魔術で帰っていった。
「あっ」
と、リオが消えた路地裏で声を上げたルトに、私は嫌な予感がして振り返る。まさかという思いである。
「リオの使っている転移、僕の術式かもしれない」
「かもしれない?」
「う、うん。少し違うというか、彼が独自に発展させた跡が見えるっていうか……」
つまり、こういうことか。
ルトが昔旅の最中にばら撒いていた術式が巡り巡ってアースフォードの屋敷に渡り、それをリオが手にしたと。そうして幼い子供がわけもわからず試しているうちに、いつの間にか術式も最適化されていったと。そんな偶然の産物が、今リオが使っている転移だと。
頭を抱えたくなるような過程だが、数ある偉大な発見には偶然生み出されるものが稀にあることも事実である。
ならばリオが使っているのは人の魔術ではなく魔物の魔法だ。他の魔術がさっぱりと言うのも、そもそもあの子供に魔術の才が無いからなのかもしれないな。
それにしても。
偶然とはいえ術式を最適化したリオはもちろん凄い。しかしそのきっかけを作ったのはルトの魔道具だ。
そんなまだ見ぬとんでも魔道具がこの世界に散らばっていると思うと…………うん、今は考えるのはやめておこう。
ただ一つ言えるのは、今後もこういった出来事は少なからず起きそうだということくらいだった。
リオと別れた後、冒険者ギルドの前まで戻ってくると少しやつれた顔の兄妹が私たちを待っていた。
その場で話をするわけにもいかず、近くの宿を取って部屋に入ればすぐ様ベッドに倒れた二人は相当疲れ切っているようだ。
「村の連中の引き受け先は決まったよ。あとはギルドに任せてきた」
「前よりは良い暮らしができると思うわ」
どうやらリランの村の住人は無事に住居が決まったらしい。
兄妹が言うには、女たちは仕事を見つけるまで教会からの援助を受けさせ、子供は働ける歳になるまでをシャンデンの孤児院に預けられるのだそう。
教会の案件に巻き込まれた事実があるからこそこういった処置が取られたが、今回のこれは本当に特例なのだと二人は言う。
ともあれ、今までの貧しい生活からは一変しそれなりに安定した生活が約束されるということだ。
あとはそれぞれの努力次第。アスハイルやネルイルが介入できるのもここまでである。
「そういや後から重傷の男が連行されて来たんだが、お前の仕業だな?」
ベッドに寝転んでいた体を起こしたアスハイルにじとっとした目を向けられて、私は心外だと同じ目を返してやった。
「あれは向こうから襲ってきたのであって正当防衛だと思う」
しかも周囲の人間を巻き込みかねない街中で、側には子供もいたのだ。一撃で再起不能にすることが間違いだったとは思わない。
私がそう反論すれば、アスハイルは言葉を詰まらせてガシガシと頭を掻き始める。こちらの言っていることが正しいこともわかってはいるのだろう。
「それでも。お前ならもっとやりようはあったろ。回復魔術が使えるネルイルがいなかったらあいつ危なかったぞ」
「そうよーかなり魔力持っていかれたわ。でも、エルだってそのくらいわかっていたでしょう?どうして手加減できなかったの?」
ネルイルもベッドに座り直してこちらを見ている。
その向けられた視線に言い淀む私を見兼ねたルトとシンディが苦笑しながらも代わりに話してくれた。
辺境伯家の跡継ぎであるリオとの再会。手加減もできず、フードが脱げたことすら気付かなかった私はあの時内心ではかなり動揺していたのだろう。そのことにすら今になってようやく気付く。
そうして正体もバレてしまい、戻ってきてほしいと涙なからに頼まれたこと。それを断ったことも。
「思っていたよりずっとエルのこと大好きって感じで可愛かったよね」
「はい!それに、ケーキを作るのがとっても上手なんですよ!」
リオの作ったケーキを食べたこと。良い関係を保てたこと。
情報収集に出かけたにしては得られた情報は少なかったが、それでも今日の出来事は私にとってはとても大きなものだったのだと思う。
「……正直、リオがあんなに気にしているとは思わなかった」
当時五歳と幼かった子供がたった一日だけ姉だった人間を覚えていただけでもすごいことだ。しかも生きていたと言って涙まで流して喜んでくれて。
抱きしめられた時の温もりも、腕にしがみつかれた力強さも、私の言動一つで顔を輝かせるところなんかも。
私は、ただただ、嬉しかったんだ。でも。
「接し方がわからない……」
リオは私を慕ってくれているらしい。
だが、私はどうだろう。
再会して、真っ直ぐに姉様と呼ばれ、なんの屈託のない笑顔を向けられて、ようやくこの子供は私の弟なのかと実感が湧いてきたくらいなのに。
私とリオは、アスハイルとネルイルのような関係を築くことができるのだろうか。
そう溢して首を傾げていると、見ていた兄妹が同時に吹き出して笑い始めるから思わずムッとしてしまう。
「こっちは真剣に悩んでるのに」
「悪い悪い、お前にしては人間らしい悩みで何よりだ!」
「エルもちゃんと人間なのね。やっとそう思えたわ」
「失礼すぎる……」
私の近くにいる奴らは本当にこんなのばっかりだな?
と、不満たっぷりな私に、一通り笑ったアスハイルは目を細めてどこか満足そうな顔をしていたのだ。
「こればかりは他人がとやかく言うことでもねぇだろ。まぁ、エルにも、なんの忖度なく助け合える人間が一人くらいいたって良いと俺は思うぞ」
忖度なく、助け合える。
それは、きっと――
「………………うん」
家族というのかもしれない、と。
私はそう、思うのだった。




